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20:自由の中で不自由な獣 その4

元気一杯の子狐たちは、大体凪の胸の辺りに耳の先端が届く高さだ。

思わず触れたくなるもふもふの毛に疼く手を必死に押さえる。

太陽に透けて輝く黄色の毛並みは、子兎たちのものよりも硬そうで、狼の毛よりは柔らかそうだ。子鼠たちよりも長くて、掌で撫でればくしゃりと家の中に埋まってしまいそうな凪の心を擽る一品。

どうやら『キイ』と呼ばれたのは絶妙なバランスで水がなみなみ入ったたらいを持っている子狐で、『ミイ』と呼ばれたのは両手に手ぬぐいと思しき布を目一杯振り回している子狐のらしい。

身につけているのは、凪の少ない知識に照らし合わせると、烏帽子こそつけてないものの水干すいかんと呼ばれる和服に似ている。

しかし髪形は平安貴族を思わせる『みずら』ではなく、腰を越える程度の藍色の長髪を赤い結い紐で一本に結び無造作に背中に垂らしていた。

菱の文様が白抜きで入った水干は、黄色よりも濃い黄色、おそらく朽葉の色をあわせた『黄朽葉』と呼ばれる秋の装いだ。

白と濃い緑の小さなポンポンのような菊を模った作りの菊綴きくとじが、胸を中心として五箇所二個ずつ並んでいる。

凪の世界では元来衣服の補強用として着けられたそれは、元気よく動き回る子狐の動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。


可愛い。日本では『可愛いは正義』という言葉があるが、まさしくその通りだ。

世界共通で子供は愛されるために生まれてくる。昔誰かが言っていた。

無防備で力がない存在だからこそ、どの種族でも可愛いと思えるように子供は生まれてくるらしい。

子供には愛される権利がある。少なくとも、凪はそう思う。

そして───自分が不足なく、それどころか溢れんばかりの愛に包まれて生活してきたからこそ、言える言葉だとも知っている。

人により、考え方は違うだろう。凪の考えを反吐が出るような甘さが滲むものだと唾棄するものも、愚かだと睥睨するものもいるだろう。

別に自分も否定しない。それでも甘やかされて愛されて育った凪は、この主張を曲げる気はない。

見ているだけで元気を分けてくれる小さな存在を両手で抱きしめたい心を押し留め、自分が立つ場所より上にいるリュールの着物の袖を引っ張る。



「ご歓談のところお邪魔してすみませんが」

「はい?」

「なんですかぁ、イリア様?」

「わたくしたちに御用ですかぁ?」



リュールの声に敏感に反応した子狐たちに、彼女はほんの僅かに目を丸くしてからにっこりと微笑んだ。

その笑顔に釣られるように子狐たちは元々細い瞳を、筆で一筆書きしたように更にすいっと細めた。

緩く持ち上げられた口角から狼ほどじゃないが肉食らしく尖った犬歯がちらりと見える。

ふさふさの、ブラシがあればグルーミングしたいと思える、先端が白く染まった狐の尾っぽが左右に揺れた。



「いいえ?何か聞こえましたか?」

「あれぇ?聞き間違いかなぁ、ミイ」

「わたくしたち二人揃って?」

「わたくしたちならありえるよ?」

「そうだねぇ、キイ」



リュールの艶やかな笑顔一つで、子狐たちは誑かされた。

確かに彼女くらい綺麗な『狐』から、絵に残したくなるくらい麗しいから誤魔化される気持ちも理解できる。

美人や美少女を見慣れた凪ですら、カメラがあればカメラ小僧並に思い切り激写していたこと受けあいだ。

ふふふと微笑みながらさり気無い仕草で視線を凪に向けたリュールは、眼差しだけでどうかしたのかと器用に問うて来た。

凪の声が彼女にしか届かないというのを思い出し、他者に対して違和感を与えると咄嗟に判断したのだろう。

臨機応変に対応してくれる相手でよかった。

これが良くも悪くも素直なガーヴなどでは、馬鹿正直に他人には見えない凪にも普通に声をいた気がするから。

だが基本は素直でも時折剣呑さも覗かせるので、彼のあの幼さは敢えて作ったものか、それとも天性のものか意外と判断は付かなかったりするのだけれど。



「気を使わせてしまい更に厚かましいと思うのですが、その手ぬぐい・・・でいいですか?」



子狐たちと会話をしつつ凪の質問に視線だけで頷いた彼女は、いっそ艶かしく見える眼差しを寄越し、瞬き一つで質問を肯定した。



「その子狐さんがお持ちの手ぬぐい、一つ頂けませんか?」

「イリア様ぁ、おみ足を拭いますのでこちらにおかけください」

「わたくしたち、頑張りますぅ。今日はちゃんと先に座布団も用意いたしましたぁ。わたくしたち偉いです」

「ミイはカーミア様にご命令される前に気付けたのです」

「キイもですぅ。わたくしたち、とても素晴らしいです!」

「ええ、二人ともとても偉いですね。『ですが、どうしてかとお伺いしても宜しいですか?』」

「キイがビビッと閃いたんです!」

「違います、ミイがビビッと閃いたんです!」



凪の会話と同時進行で、目の前で何故か掴み合いになった子狐たちを仲裁しつつも、リュールの視線はこちらをちらりと一瞥した。

つまり今の質問の後半は凪に向けてのものらしい。言葉尻が子狐に向けるより微妙に丁寧だ。

争う二人には関係ない言葉を切欠として喧嘩を始めてしまったなら自ら仲裁したいところだが、姿を現す気がないので仕方がないと肩を竦める。

本気で傷つけあうつもりのものなら間に入るけれど、見たところ仲良し喧嘩だ。

相手を潰す気の喧嘩も、ついでにこちらの世界に来てからはもう少々荒っぽい状況も何度か目にしてきたので、この程度なら大丈夫だろうと判断を下した自分に眉尻を下げて首を振った。

なんだろう。元の世界でも面倒ごとに巻き込まれる回数は普通より多かったが、こちらに来てはレベルとラベルが違っている。



「靴を履いたまま室内にお邪魔するのは気が引けます。なので一枚手ぬぐいを頂いて、それで包んでお邪魔しようかと考えまして。やはり汚してしまいますし、駄目でしょうか?」

「『そうなのですね。わかりました』。ほらキイ、ミイ、座布団をこちらに持ってきてもらえませんか?今日は天気がいいですし、縁側に腰を下ろして足を拭います。そうすれば室内に汚れも落ちませんしね」

「でもキイが五月蝿いです!」

「ミイの方が五月蝿いです!」

「喧嘩はお止めなさい、二人とも。折角私のために動いてくださったのに、素直に喜べなくなってしまうでしょう?二人ともとてもいい子で偉いです。ご褒美の金平糖も用意してありますし、早く一緒に食べましょう」

「金平糖ですかぁ!?」

「これは喧嘩をしている場合ではありません!」



とたとたと可愛らしい足音を立てた二人組みは、そっくりな仕草で障子をスパンと開け放つと室内に消えた。

どこまで行ったか知らないが、騒ぐ声が聞こえてくるのでそう遠くまでではないのだろう。

その間に置きっぱなしだった手ぬぐいのうち、赤い縁取りがされたものを一つ手渡され、ありがとうございますと深々と頭を下げる。

凪の知るものより幅は広いものの、基本は長方形に長いそれを半分に折りたたみ、端を結んで簡易的な鞄もどきを作り出すとそこに靴を置いて包んだ。

ちゃんと結び目を握れるように捻って結んでいるので、横に振っても落す心配もないし、少しばかり乱暴に扱っても形は崩れない。



「ナギ様は器用でいらっしゃいますね。可愛らしいお包みです」

「ありがとうございます。お借りした物が私が知る物と酷似しているからでしょう。この手ぬぐいはおいくらでしょうか?」

「・・・見縊らないでくださいませ。私はか弱い女性から見返りを求めようと思ってなどおりません」



きゅっと柳眉を吊り上げて、初めて不快そうな表情をされた。

美人は少しの変化でも絵になるのだが、怒られると怖い。

自慢じゃないが、実際にか弱いどころかひ弱い凪は、ウィルからの異世界生活オプションでお金を持っていても反論できなかった。

厚意に対し金銭のみで返すのはとても無礼で不躾な行動だ。



「ごめんなさい」



リュールの矜持を傷つけてしまったかと、僅かに視線を落として磨きぬかれた縁側を見詰めていれば、白い掌が自分の頭を通過していくのが見えた。

何度見てもホラーな光景だ。凪がお化けなどが苦手であれば、とても耐えられなかっただろう。

精神的には案外と図太いと言われる凪は、幼馴染の中でも一番幽霊的な部分では恐怖心がない。

一番怖がりなのは体格がいい秀介で、割りと平然としつつも見終わった後暫く無言で凪と手を繋ぎ続けるのは桜子だ。

喧嘩で血が流れるのは平気なのにどうして映画でのスプラッタを恐れるのか判らなかったが、彼らからしたら認識できないものは許容の範囲外らしい。

凪は映画などは基本作り物と認識しているので怖くない。むしろ現実の方がとても怖かった。

目で見て、自分が本物だと認めざるを得ない『現実』ほど怖いものはない。

極度のリアリストで見た目より冷めていると呆れ混じりに、けどそこに侮蔑や睥睨もなく僅かな苦笑を浮かべて称したのは大切な幼馴染たち。

そして───そんな頑固で卑屈で己の心を曲げれない、凪の本質を丸ごとを受け入れて包んでくれたのも、また二人の幼馴染たちだった。



「・・・ギ様?ナギ様?」

「っ」



頭上から掛けられる声に、遠くに飛んでいた意識が戻ってくる。

やはりあの二人がいなければどうにもペースが取り戻せない。こんなに離れているのは物心付いて以来初めてだから、余計に。

ストレスはそれが自分にとっていい状況でも悪い状況でも、環境が変わるだけで等しく降りかかる。

ぼんやりしている時間が長くなってきたと自嘲しながら、おそらく慰めようとしてくれたであろう彼女に向けて首を持ち上げた。



「すみません」

「・・・私は謝って頂きたいわけでは」

「そうですよね。また失敗しました。───ありがとうございます、リュールさん」



朱色の瞳を真っ直ぐに射抜いて礼を告げる。

結局敬称が『様』のままだと気付いたが、一々指摘しても直してくれなさそうなので自ら白旗を上げることにした。

頂戴した手ぬぐいを持ち上げてぺこりと一礼し、起き上がりこぼしのように背筋を伸ばす。

凪の突発的な行動に驚いているらしい彼女がまじまじとこちらを見詰めるのに、意表を突けたのだと思わず顔が綻んだ。

そしてただでさえ丸くなっていた瞳をもっと大きく見開いて、徐々に頬を染め上げていく。

唇を覆って俯いてしまったリュールを覗き込むように下から窺えば、ふいと思い切り視線を逸らされた。

美人に無視されたと何気なく傷つきながらもちゃっかりと縁側まで上がりこんだタイミングにあわせるように、部屋の奥からまた可愛らしい足音が響いてくる。



「イリア様、座布団お持ちしましたぁ!」

「お持ちしましたぁ!」



元気の塊を絵に描いたような愛らしい仕草で両手に座布団を抱えた二人は、きらきらした顔で自らの主を見詰めこてりと首を傾げた。

そのタイミングもばっちりで、アニメのようで面白い。



「どうかしましたかぁ、イリア様?」

「お熱ですか?風邪を召されましたかぁ?」

「・・・いいえ、平熱ですし風邪も引いておりません。金平糖はこちらです。手を出しなさい」

『はーい!』



威勢よく手を上げた二人は、揃って掌を御碗型に差し出すとふさふさの尻尾を揺らしす。

やっぱりあの尻尾をグルーミングしたいと邪な心で眺めていた凪の瞳には、突発的な熱病に掛かったように頬を染め上げたリュールの姿は最早目に入っていなかった。

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