3:一人目の彼 その3
目の前で無言でしゃがみ込んで悶えている男性を見ながら、深くて長いため息を吐く。
異界の神に会ってから展開は急すぎて、もうどこから驚いたらいいか判らない。
勝手に成長促進させられるし、髪も伸ばされるし、目だって色を変えられた。
気に入ったと言われたものの、どうにも無茶苦茶好き勝手にやられている。
桜子や秀介がさほど驚かなかったのだから外見もほとんど『凪』を残していると思うが、まだ自分で確認していないから自信がない。
鏡を見た向こうにいる人物がちゃんと自分であるように願う日が来るとは思わなかったが、意外性が連続して今更な気もする。
悶えている男性を眺めている間に、気がつけば雨はやみ空から太陽が覗いていた。
どうやらこちらも晴れれば空は青く、太陽も地球と似たような輝きを与えてくれる。
雨上がりなので気温が下がっているのか、少しばかり肌寒いが、気合を入れてマントを取った。
「これ」
「あ?」
「ありがとうございました。ところでもう一つ聞いていいですか?」
「なんだよ」
しゃがみ込んだ膝に肘を付き、髪に手をやったまま渋い顔をする男性に問いかける。
浅黒い肌なので気づかなかったが、どうやら赤面していたらしい。
色白の凪と違い、目の前の彼の変化は少し判りにくいが、それでも耳たぶや目じりがほんのりと赤くなり、気のせいか瞳も潤んでいるように見えた。
人によってはギャップが可愛いと言うかも知れないけれど、残念ながら凪は特に感慨はない。
明らかに自分より年上の彼の照れっぷりを眺めながら、淡々と質問を口にした。
「ここは何処でしょう?」
「あん?」
「私、こちらに着いたばかりで場所の把握が出来ていないんです。ここは何処ですか?」
「着いたばかり?だからこんな雨の中森でぶっ倒れてたのか。ここはダウスフォートの首都、ダランの近くの森の中だ」
「ダラン?」
聞き覚えのない都市名に、小首を傾げる。
すると意識する前からじんわりとダランについての情報が脳裏に浮かんできた。
ダウスフォートは異界の神が作り出した大陸のうちの一つだ。
この世界には五つの大陸があり、上下縦横と並んでいる。その中心には『神の島』と呼ばれる不可侵領域があり、それぞれが特徴を持っていた。
ダウスフォートは四大陸でも癒しに特化していて、一番治安がいい。
首都ダランは水の都とも呼ばれ、町中に清流が流れており、美しくも長閑な空間が広がっている。
またここに住む住民はおっとりしたものが多く、他の大陸ほど好戦的なやりあいはない。
だが意識してもそれ以上の情報は何も得れず、本当に基礎知識しか与えられていないと悟る。
それでもどうやらトリップする場所を選んでくれたらしい異界の神に感謝しつつ、握っていたマントをきっちりと畳んだ。
「おい?」
「これ、ありがとうございます。とても助かりました」
「いや・・・あんた、これからどうするんだ?」
「私は連れが居ますので、その子を探しつつ家に行きます」
「家?」
「はい。私をこちらに連れてくるのにあたって、異界の神様が土地と家を下さったんです。場所は窺ってませんけど、とても判りやすいので大体見当がつきました。では、ご縁がありましたらまたどこかでお会いしましょう」
「待てよ!一人で行くのか?ここからダランまで近いっつっても、三日は掛かるぞ?」
「大丈夫です。私自身に力はありませんが、私に危害を加えられる存在はいません。それに食料も森なら幾らでもありますし、なんとでもなりますから」
「力はねえけど危害は加えられないって、どういう意味だ?それに食い物も、何を食べていいとか判るのか?」
「あなたも体験したと思いますけど、ある条件を満たさなければ私は誰からの干渉も受けません。つまり、攻撃されても素通りします。それと知識だけは一応押さえてありますから、何を食べていいか悪いかも判断できます」
ぽかんと口を開けている彼にマントを押し付け、立ち上がって一礼する。
先ほど彼が指差した方向へ歩みを進めれば、慌てたような声が追ってきた。
「ちょっと待て!!」
予想外に鋭い声に、首だけで振り返ると、折角離れた距離を数歩で詰めた男性が性懲りもなく手を伸ばす。
異界の神の祝福(?)が掛かっている凪の身体を当たり前に通過した手を握り締め、苛立ったように眉根を寄せた。
正直なところ必要な情報は得れたのでさっさと桜子を探して合流したいが、まだ何か用があるらしい彼に、親切をしてもらったからと足を止める。
「・・・まだ何か?」
「その、連れが見つかるまで、俺が一緒に居てやる!」
「はぁ?」
上から目線の提案に、言葉尻が上がる。
予想以上に高い位置にある金目をまじまじと見詰めると、ふいっと顔ごと逸らされた。
また耳たぶが赤くなっていることからどうやら照れているらしいと察しをつけ、彼はツンデレ属性なのだろうかと小首を傾げる。
訝しげな表情の凪に視線を戻すことなく、早口で彼は語りだした。
「あんたは気にならないみたいだがな、流石に女の子を一人で行かせられねぇ。しかも相手は世界でただ一人の『人間の女』だ。あんた、その意味判ってんのか?」
「人間の女だと駄目ですか?」
「あのな、『人間の女』は種族関係なしに『女』なんだ。しかもあんたみたいな子なら欲しがる男は五万といる。あこぎな手段で捉えようとする輩も後を絶たねえだろうし、干渉されねぇっつっても何か手段を見つけられるかもしれない。『神の愛し子』なんてな、珍しいからコレクションしたいって好事家も居るんだぞ?」
「なるほど、そういうことですか。多種族の女に発情しなくとも、人間の私は枠外になるんですね」
「は、発情!!?おい、あんたみたいな女がそんな言葉を使っちゃいけねえ!」
「・・・すみません」
『あんたみたいな女』とはつまりどんな女か若干疑問に思ったが、焦った様子でこちらに視線を戻した彼に頷いておく。
すると安堵したように息を吐き出した彼は、強面を渋く歪めた。
「とにかく、言葉は悪いが、つまりそういうことだ。だから悪いことは言わねえ、連れが見つかるまでしばらくは俺を連れてけ。こう見えて冒険者の世界じゃある程度名が通ってるし、あんたを守る自信もある。知識を与えられても、常識はねえんだろ?」
「確かにそうですけど、あなたにそこまでして頂く理由がありません」
「俺が守りてぇ、って言ってんだ、余計なこと考えずに甘えてくれ。ここで別れてあんたが変な奴に手篭めにされたら、それこそ目覚めも悪いだろうよ」
何故そこまで守ろうとするのか理由は判らないけれど、必死に見える彼の瞳に嘘はない気がして、一つ嘆息する。
確かに彼の言葉どおり、凪には知識があっても常識はない。
こちらの世界で暮らすにあたって、桜子が見つかるまで同行者が居てくれれば助かるが、どうしたものか。
何となく制服のポケットに手をやり、こつりと手に触れた感触に案が一つ浮かぶ。
つまり与えられるだけでなく与える立場になればいいのだ。
「冒険者と仰ってますが、今仕事は請けてらっしゃるのですか?」
「一応受けてるが、もう終わった。報告しようと帰ってる途中であんたを発見したんだ」
「そうですか。でしたら、私からも依頼を受けてください」
「依頼?」
「はい。桜子が見つかるか私の家に辿り着くまで、私の護衛をお願いできますか?いつ見つかるか判らないので、期間は無期限になりますけど、それでも大丈夫なら」
ポケットの中の財布を握り、頭三つ分は差がある身長差から上目遣いに頼んでみる。
正式な依頼方法は違うのかもしれないが、それが凪にできる譲歩だ。
きっちりとした関係がなければ、赤の他人に等しい人を傍に置くことはできない。
どうでしょう、と微かに首を傾けると、少し放心したように口を開けていた彼は、にっと嬉しそうに笑った。
「任せてもらおう。その依頼、『龍のラルゴ』が引き受けた」
会心の笑みを浮かべた彼が向けた手は、凪の頭を素通りする。
何故か残念そうにする厳つい男性に、よろしくお願いします、とぺこりと頭を下げた。