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19:人は慣れる生き物である その6

くつり、と喉が震える音がする。ある意味で静まり返っていたギルド内に響いたは、瞬く間に耳をつんざくほど大きくなった。

発信源はこの世界で凪が誰よりも知る獣人で、『打ち所が悪かったか』なんて考えられない自分が悲しい。

面白そうに、心底愉快だと笑い転げる彼の瞳孔が開いた金目を見てしまえば、そんな言葉とても言えないだろう。


見なけりゃ良かった。

心からの感想を口に出す代わりに重た過ぎるため息を吐き出した凪は、高らかと笑い続けるラルゴの隣で尻尾を丸めて股に挟み、三角の耳を内側に曲げてピルピル震えるガーヴに心底同情した。

殴られていきなり腹の底から喉を震わせて笑う男なんて怖すぎる。これは獣人、人間問わず恐ろしい。

折角仕舞っていた武器を手にしたラルゴは、ゆらりと立ち上がると口の端から鋭すぎる犬歯を剥き出しにした。

手首を軸に回転させるように回される武器───ポールアームは、凪には重たくて持ち上げることすら出来なかったものだが、彼が扱うとまるで重力を感じない。

離れた位置に居る凪の前髪すら風圧で煽りながら嗤った龍は、精彩を放ちながら一歩一歩前に進んでくる。



「言うじゃねえか、腹黒コンビが。テメェら、俺が誰だか忘れてんじゃねぇのか?よりによって───お嬢の前で俺をコケにするなんて、いい度胸だ」



最早彼の脳裏にはここが街中で、更に謝罪と頼みごとをしに来たギルドだという考えなど吹っ飛んでいるに違いない。

今まで見たどんな状況よりも怒っているように見えるラルゴの表情に、どう宥めるか咄嗟に言葉が出ずに脳みそが空回りする。

鷹の腕に荷物の如く抱えられたままぶらぶらとした状況で焦る姿はさぞや滑稽なものだろうが、この場に突っ込みを入れる者はいなかった。

ギルド内には怪我人の手当てをする職員や、他にも数名意識を取り戻しつつある者もいるけれど、とても彼を止めてくれそうにない。


更に追い討ちをかけるよう、しゃらり、と耳に届く音にびくりと身体が震えた。

嫌な事に、凪はあの音に聞き覚えがあった。一度だけ聞いた金属が擦れる音に釣られるように視線を向ければ、うぐっと息を呑みたくなるような光景が眼前に広がり、きゅうっと眉間に皺が寄る。

言葉を発しないし表情にも出ていないかもしれないが、脳内は割りとパニックだ。

小心者で喧嘩慣れしていない平凡人生を歩んできた凪に対し、どうしようもない運動音痴で卓越した冒険者どころか一般人にすら筋力勝負でも体力勝負でも劣るであろう『似非虎』の凪に、この状況は厳しすぎる。


ワカメのように波打つ刀身をした剣を抜き放ったゼントが虎らしい虎であるのなら、凪は一生『虎』の皮すら被る自信がない。

黙って笑顔を振りまいていれば爽やか綺麗系王子様で収まる彼は、空を映したような蒼い瞳に肉食動物らしい獲物を前にした剣呑で好戦的な光を宿し、上辺だけでも恭しく気品漂う雰囲気をかなぐり捨てて、空寒いまでの殺気を振りまいていた。

戦闘素人である凪にすらわかる殺気とか本気でやめて欲しい。

変な奴に会ったら迷いなく逃げろと幼馴染に口が酸っぱくなるくらい言い聞かされてるが、がっちり腰を掴まれた状態で勝手に戦闘準備をされた場合はどうすればいいのだろう。

ぶらんぶらんとぶら下げられて、弾ける寸前まで空気を入れられた風船みたいなこの状況で、逃げを打つなんて不可能に等しい。


いつかカルタの家で見せたように絵になる様子で独特の形をした武器を構えたゼントに、ラルゴは嘲るように鼻を鳴らす。

この場で唯一これを仲裁できそうな相手である鷹を、一縷の望みをかけて首が痛いのを我慢しつつ背筋を酷使して見上げれば、面白そうな余興が始まるとばかりに余裕たっぷりで彼は観戦する構えだった。

逃げるどころか、すぐ目の前で始まる喧騒を予感しながらも隠れる様子も見せない鷹も、ラルゴの言葉を思い出す限り確かに実力者なのだろう。


そして悟った。このギルド内の惨状を作り出したのが凪を抱える鷹と、目の前で優雅さに隠していた獰猛さを露にした虎を止めれる獣人など、きっとこの場に居ないのだと。

ついでのおまけで、凪関係で切れてしまったラルゴを止めたくても、自分の前で愚弄されたラルゴの矜持を保つためにも彼は止まる気は無さそうなのだと。


本気でうんざりしてしまう。

厄介ごとなら他所でやって欲しいし、今日だって用が済めばすぐに一週間も留守にしていたのをきっと心配してくれていた熊の一家に謝罪するために、凪のプチハーレムがあるラーリィの家で可愛い鼠の三姉妹に囲まれて幸せを満喫するつもりだったのに、きっとご破算だ。

貯めたお金でラルゴと共に壊した机の弁償をして謝罪の土産を収めつつ、ついでにガーヴの冒険者登録をして彼の生活の術を見つけることも難しくなった。

下町にもギルドはあると聞いているが、そこは治安がこちらほど良くないと聞いたし、ラルゴは連れて行きたがらない。

だから全てをここで終わらすつもりだったのに、脳裏に思い描いていた和やかな謝罪の図はガラガラと崩れ落ち、建て直すのは容易じゃないと嫌でも悟った。



「邪魔だ、クソガキ。失せろ」

「───っ、あ、い変わらずの馬鹿力です、ね」

「俺は龍だぞ?テメェごときヨチヨチ歩きの虎なんかに万が一でも負けるか」

「ヨチヨチ歩きだなんて、酷いですねぇ。俺だって、一応、成長してるんですよ!」



手首を回転させて遠心力をつけて中段を薙ぎ払ったラルゴの武器を紙一重で躱したゼントは、不可思議な形の剣を躊躇なく突き出す。

狙いは首筋。沿うようにして当て引き抜けば、あの刀身なら鋸のように切れるだろう。

そこでようやくゼントの武器の攻撃方法を理解する。秀介のプレイするRPGで見たバスターソードなどの太くて大振りな剣とは違い、あれはきっと凪いだり突いたりする為の武器なのだろう。

テレビで流れている競技で使われていたレイピアと少しだけ似ているが、切り裂くという点では刀を髣髴とさせる。

細くて華奢なのでラルゴが扱う武器での重たい一撃が当たれば砕けそうだが、その分身軽さと速さを活かした刺突が目にも留まらぬ勢いで繰り出される。

以前実家の道場で剣術も学ぶ桜子が言っていた。

刺突とはもっとも避け難い攻撃の一つであり、有効打でもあると。

ラルゴの武器のポールアームは、どちらかと言えば槍に似ている。間合いに入り込まれれば相手に利があるはずなのに、明らかに押されているのは目に見えて鮮やかな攻撃を繰り出すゼントの方だった。



「相変わらず単調で面白味のねぇ型に嵌った攻撃だな。お前の攻撃は綺麗な見世物だ」

「───っ」

「邪魔だ、クソガキ。失せろ」

「ぐっは」



特徴的な先端の槍の部分から少し下がったところについている斧と反対方向についているところで先回と同じように彼の武器を引っ掛けて、天井まで弾き飛ばす。

ジャンプでもしない限り手が届かない位置まであっという間に跳ね上げられた武器を視線で追ったゼントが悔しげに唇を噛み締めるかどうかのタイミングで、すかさず武器の前後を入れ替えると石突の部分で容赦なく彼の腹を打ち据えた。

その瞬間、凪より遥かに体格がいい男の身体が勢い良く吹っ飛ぶ。その距離は先ほどのラルゴの非ではない。

ラルゴが吹っ飛ばされたのと反対側の壁まで軽く見積もっても凪の感覚で10メートルはある。

『くはっ』と息を吐き出した美麗な虎は、屈辱に塗れた眼差しで『師』と呼んだ男を睨むと、咳き込みなが腹を押さえて背中を丸めた。

確か『虎』とは身体能力、容姿ともに優れる故に矜持が高い獣人だと聞いている。

そんな彼を圧倒的な実力で持って沈めたラルゴは、更に凪を抱えている鷹に向かって挑戦的に指先で拱いた。



「お嬢を俺に返せ、ラビウス」

「嫌だと言えばどうする?」

「お前にもゼントと同じ道筋を辿ってもらうだけだ。───まさか本気で俺に勝てるなんて思ってねぇだろ?」

「・・・こちらには人質がいる」

「く、クククク、あっはははは!!」



今まさに龍としての実力を見せ付けたラルゴ相手に、それでも冷静に返した鷹に向かってラルゴは心底楽しそうに笑った。

先ほどまでの暗い笑みとは違い、今度の笑顔は凪も良く知る彼のもので、内心でほっと息を吐き出す。

訝しげに眉間に深く皺を刻み込んだ鷹は、はっと息を呑んで自身の腕の中を覗き込んだ。



「───!?」

「・・・すみません。お取り込み中でしたし、私はご遠慮いたしました。ちなみにこの場合ラルゴが勝ちですから修理費はそちら持ちですよね?」



鷹や、他のギルド内の面々の意識がラルゴとゼントの派手なやり合いに集中している間に、ちゃっかりとウィルの加護を使って抜け出していた凪は、『虎の威を借る狐』ではなく、『龍の威を借る人間』として、ちゃっかりラルゴの後ろに隠れてこげ茶色の瞳を零れ落ちんばかりに見開いている鷹に訴える。

今までクールで落ち着いた表情しか見せなかった彼の間抜け面に思わずここにカメラが在ればな、なんてどうでもいいことを考えながら、安全地帯を確保した心の余裕にほうっと一つ安堵の息を吐き出した。

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