19:人は慣れる生き物である その4
ラーリィの店で働く凪のアルバイト代は一日7000ビルで、その内の三割が食費に消えている。これは自分だけでなくラルゴの食べる分も自腹で僅かだが凪が払っているからだ。
格安の出店で歩き食いをしているのが主だが、凪は少量で腹が膨れてもラルゴは体格に見合った大食漢でかなりがつがつ量を食べる。
彼を雇うお金と宿代、そして足りない食費はウィルから貰ったお金で必要経費として出しているので、半額だけとは言え食費だけでもとせめてもの誠意を見せているつもりだ。
本来なら彼を雇うお金も全て自分の稼ぎから出したいところが、それが出来ない理由があった。
先日とあるギルドの机をラルゴが叩いて罅を入れた。
後から破壊したラルゴ本人から知らされたのだが、魔法で補強された家具は頑強な分通常より値が張り直すのにも多額の金が掛かるとのことで、自分が壊したわけではないけれど流石に無関係と高をくくるほど度胸もなく、こつこつと働いて貯めた金を修理費に当てようとそれまでは顔を出せなかったのだ。
勿論凪が全額負担をする気はまったくなく、壊した張本人に七割は修理費の払わせるつもりだがそれでもやはり高額であるのに変わりなく、予想より時間が掛かってしまった。
一定金額が溜まったし、借りていた上着もラーリィに教えてもらって綺麗にクリーニングできたので、そろそろギルドに顔を出すのに頃合だと思っていたタイミングで恐るべき手料理を持参した虎と、好奇心旺盛な目で実験を繰り返す恐ろしげな鷹に強襲され、挙句の果て神様の気遣い(?)により別大陸に飛ばされてトラブルに巻き込まれていたので返却の機会がさらに伸びていたのだが───。
「・・・これはないよね」
「そうか?」
「え?そうじゃないの?」
「割とあるぜ、こういうの。ま、こんなきっちりしたギルドで見るのは珍しい光景だけどな」
なくなった扉の奥にある光景に、猫の子のようにぶら下げられたまま呆然と呟いた凪に、あっけらかんと返したのはラルゴだ。
持っていた武器は腰に差して仕舞ったが、未だに剣呑な眼差しで鷹を見据えている。
顔は一応へらりとした笑顔を保っていても、特徴的な金目がまったく笑っていない。
ちなみにそんな彼の足元では大事そうに尻尾を両手で握ったガーヴが、涙目でふーふーと息を吹きかけていた。
火傷をしたときにその仕草をするのはわかるのだけど、強く握られたからといってふーふーと息を吹きかけても痛みは飛ばないだろうに、やはり見た目よりも『素』の性格は幼いのだろう。
だが薄情なことに、凪にとって一番気になるのはそんな光景ではない。
極彩色を纏ったソルトがぶつかって吹き飛ばした扉の奥に見える、乱れきった光景にこそ意識が集中した。
屈強な肉体の男たちがごろごろと床に転がって、先日魔法で補強されてると教えられた机や椅子がガラクタのように破壊され、砕けた破片がところどころに飛び散っている。
呻き声すらほとんどあがっていないのは、倒れている彼らが完全に意識を失っているからだと悟るには十分すぎた。
横たわる獣人たちを介抱すべく駆け回ってるのは、来ている服装から察してこのギルドで働いている獣人たちだろう。
慌しく薬箱を持って走る以前知り合ったタレ耳の犬の獣人アミの姿もそこにあり、忙しない状況に心から帰りたいという感情が競り上がる。
しかしながら人生上手くいかないもので、自由にならない身体は凪の意思でどうこう出来るものでもなく、軽々と首根っこを掴まれたままギルドの内部に連れ込まれた。
「───・・・これ、もしかしなくても、お二人の所業ですか?」
「あはははは、俺は一応参加する気はなかったんだけどね。気がつけば巻き込まれちゃって」
「ふん、何を言うか。嬉々として吹っ飛ばしていただろうが」
「そりゃ俺は『虎』ですから、一度スイッチが入っちゃうと止まらないんですよ。『虎』の本能だし、仕方ないですよね」
仕方ない。この屍───いや、多分死んでいないだろうけど、白目を剥いた男たちを見ればそう表現するのが適切な気がする───累々の状態で、眉尻を下げながらも爽やかに笑う彼の言葉に納得する獣人はどれだけいるのだろう。
目の前の惨状がこの世界でのギルドのあり方として普通なら、今後どうしようもない用件がなければ絶対に足を踏み入れたりしない。
少なくとも十以上はあった机も、それに併せて揃えられていた椅子も結構な数が破壊されていて、今更ひびが入ったものを弁償するなんて些細な出来事な気がする。
「これだけ破壊したら、誰が弁償するんですか?」
「そりゃ、喧嘩に負けた方だろ。負けたんだから当然だ。払えなきゃ当分はただ働きでギルドに貢献するのが騒ぎを起こした獣人の義務だな。じゃなきゃ冒険者の資格を剥奪される」
これだけずたぼろにされ、ぼろ雑巾のような有様になった上に弁償までさせられるなど、彼らは一体何をしたのか。
眉間に深い皺が刻まれるのを自覚しつつ、凪は深くて重たいため息を吐き出した。