19:人は慣れる生き物である その3
首根っこを咥えられて運ばれる子猫はこんな気持ちなのだろうか。
変な世界にトリップしていた───いや、これも一応凪の責任かもしれないけれど───ラルゴが現実に帰ってきたものの、凪を押さえられているので手出しは出来ない。
石で出来た道に不機嫌そうにびったんびったん尾を叩きつけ、斧にも槍にも見える武器を片手で構えるだけだ。
長身の鷹に捕らえられた凪は、まさしく無抵抗に手足を投げ出してぶらぶらさせていた。
今の状態で辛うじて呼吸は出来るが、無駄に抵抗すれば当たり前に締め付けられるだろうことが想像に難くないからだ。
痛い思いをして労力を要してまで文字通り『無駄な抵抗』をしても疲れるだけだし、頼みのラルゴはこの鷹を相手に手を出しあぐねている状況・・・どころか、突っ走りそうに牙をむき出しに唸り声を上げているガーヴの尻尾を武器を持っているのと逆の手で掴んで留めている具合である。
まさしくお手上げだ。干渉されたくないと願えばすり抜けるかもしれないが、気がつけば衆人がいる状態。
どちらがより面倒か頭の中の天秤に重石を乗せると、結果はなるようになれだった。
「ははは、ラビウスさん、その状態は女の子には相応しくないですよ。俺がナギちゃんを抱きます」
「───いや、断る。主の言葉は卑猥に聞こえるのでな」
「いやだなぁ。卑猥に聞こえるラビウスさんの方が卑猥ですよ」
「いーや、これに関しては俺もラビウスに賛同する!お前は絶対お嬢に触んな!」
爽やかな王子様スマイルを浮かべて両手を差し出したゼントを見て、凪の襟首を掴んだままの手をひょいと横にずらして避ける。
体勢を変えると苦しいので表情は確認できないが、声の調子から恐らく渋面を浮かべているのだろう。
きらきらしたまま彼の反論に反論したゼントに、今度はラルゴが指を指して捲くし立てた。
地団太踏んで文句を言うのは構わない。むしろもっと全力で頼むと願いたいところだが、無意識に手に力が入っているらしく、ガーヴの絶叫が耳に痛い。
いや、耳と言うよりも心に響く。
犬特有の『ひゅーん、きゅううぅん』という哀愁を誘う鳴き声に、それを発させる原因であるラルゴは欠片も構っていなかった。
確か以前尻尾を触るのは駄目だと注意を受けた記憶が残っているけれど、同性だといいのだろうか。
いやいやそれよりあれは取れたりしないのだろうか。ゼントに煽られたラルゴの腕が上下するたびにガーヴの身体も引き摺られている。
流石に止めに入るべきかと眉間に皺を寄せて黙考していると、凪より先に仲裁の声が入った。
「・・・やめぬか、二人とも。醜聞を曝すなら二人きりの時にしろ、五月蝿くてかなわぬ」
何故か凪をぶらぶらと左右に振りながら仲裁した鷹に、ゼントは笑顔を保ったまま、ラルゴは不服そうに頬を膨らませて黙り込んだ。
凪の保護者の龍はとても大人びているかと思えば、時にこうして子供より子供っぽい仕草をする。
不満も露にこちらを睨み付ける彼に嘆息し、未だに握られたままの『被害者』を解放すべく口を開いた。
「ラルゴ」
「なんだ、お嬢?すぐにそこの腹黒二人組みから助けてやるから、ちょっとだけ待ってろ」
「いや、それはとても願ったりな展開なんだけどね、そうじゃなく─────ガーヴの尻尾、放してあげたら?もう悲鳴も上げれない状態みたいなんだけど、大丈夫なの?」
「んあ?」
ラビウスに摘まれながらも、ラルゴに尻尾をつかまれたままぐったりなっているガーヴを指差せば、彼はきょとんと一つ瞬きをしてぱっと手を放した。
まったく予備動作なしの行動に、身軽なはずのガーヴが身体の側面からびちりと地面に落ちる。
はっきり言って痛そうだ。完全に顔面も打っていた。恐らく弱点だろう尻尾を掴まれて振り回された挙句、ポイ捨てされたガーヴに思わず顔を顰める。
「ガーヴ、大丈夫?生きてる・・・のは見ればわかるけど、復活できそう?」
「・・・なんだよ、その微妙な聞き方。・・・俺様、尻尾、千切れるかと思った。めちゃめちゃいてぇ。ついでに上下に揺すられて目も思い切り回ってる。世界がぐーるぐるだ」
身体を横に倒して石畳に寝転んでいたガーヴは、何とか上体を起こすと尻尾の辺りをしきりに摩っていた。
しかしながら目が回ってるという言葉通りにぐらぐらと揺れていて、なんとも覚束無い様子だ。
銀色にも見える綺麗な灰色のふさふさの尻尾がぐちゃぐちゃに乱れているし、首が据わらない赤ん坊のように頭が重そうだ。
いつもピンと立っている三角の耳も伏せられて、結構ダメージが大きかったのだと嫌でも察せられる。
「こんくらいでへたるなよ、男だろ」
「はは、でも尻尾がある獣人にとってそこは敏感な気管ですし、しょうがないですよ。むしろあの無遠慮な掴み方でぶんぶんと振るラルゴさんがデリカシーないって言うか、そんな感じですよね」
「つってもなぁ、掴んでなきゃ実力差も考えずラビウスに突っ込んでっただろ、こいつ。俺なら兎も角、お前やラビウスが格下相手でも手加減しないのなんてわかりきってるし、止めた俺に感謝していいくらいだ」
「ま、確かに。狼と虎ってなんとなく相性悪いんですよね。これって理屈じゃなくて本能みたいなものだから、俺に向かってきてたらちゃんと一丁前の男として相手をしてあげたのに。子供でも狼は狼。牙も爪もある分、ナギちゃんより遥かに強いでしょう?」
にこやかな彼の一言に、面倒だという感情がてんこ盛りのため息を吐き出した。
どうやらラビウスは彼に凪の正体を話していたらしい。推察の域を出ない程度の情報しか与えられて無いくせに、あの鷹はなんらかの手段で凪が『神の愛し子』だと確信を抱いているようだった。
しかも最後に顔を見合わせたとき、初対面であるにも関わらず興味深い実験材料を見つけたマッドサイエンティストみたいな、性質の悪いサディスティックな笑顔を浮かべて近寄られた恐怖はしっかりと心に根付いている。
面倒ごとだ。確実に彼の存在は凪に面倒を寄越してくる。変な確信だが自信を持って断言できた。
それがわかっているのに、首根っこを掴まれた状況では逃げるための有効な手段が見出せない。
「・・・ともかくこの状況ではあれですし、一度座りませんか。そろそろ釣られている服が首に食い込んできて痛いですし、御用がおありでしたら座って話をしましょう。ソルトさんもガーヴも手当てをしたほうがいいと思います」
「んなら、予定通りにこのギルドに入ろうぜ。冒険者には怪我が付き物だから治療道具一式は売られてるし、元々ここに用事があったからな」
「・・・ここで、ですか?」
ほんの少しだけ躊躇いを見せたゼントが、窺うように鷹を見上げる。
「構わぬだろう。どうせ近い内にまた寄らねばならなかったのだから」
凪をぶら下げたまま踵を返した鷹のお陰で、遠心力で足先がくるりと半円を描いた。
もしかして彼らも冒険者なのだろうか。ラルゴの知り合いなのだからそれもまたさもありなんと考えた凪は、綺麗に打ち砕かれた観音開きの扉から見えた惨状に、自分の暢気な思考をつくづく怨んだ。