19:人は慣れる生き物である
「うっめぇ!」
にこにこと真夏の太陽よりも輝いた笑顔を浮かべた狼は、そのふさふさとして毛並みのいい尻尾を左右へ揺らす。
忙しなく振れる尻尾は、思わず無遠慮に手で掴み取りたくなるほどぱたぱたと動いた。
両手に串焼きを持って満足げに肉をかっ喰らう姿は、ラルゴほどでなくても十分に食欲旺盛と言える。
彼から一歩下がったところで、いつもどおりにラルゴが購入した大き目の串についた肉を一口だけ齧らせてもらって、はふはふと租借した。
既に顔見知りとなった露天のおじさんからサービスで大きめのお肉が刺さっている串を、両手であわせて十本持っている龍に返すと、あっさりと一口で食べきった。
思うに龍は燃費が悪い生き物だ。凪の十倍は軽く食べている。いつものコースだとあっさりとした醤油とみりんと砂糖を混ぜたような風味のこの串焼きを食べた後、適当にフレッシュジュースとサンドイッチ的なものを食べるが、全てが平等に多い。
凪の一日の摂取量を軽く上回っている上に、まだまだ腹八分と余裕たっぷりでびっくりする。
「嬢ちゃん最近顔見せないからおっちゃん寂しかったんだぞ。他の店に浮気されたかと思ったわ」
「私が食べ歩いた店の中で、親父さんの串焼きが一番美味しいです。口に入れた瞬間、じゅわっと肉汁が広がって、甘すぎず濃すぎないタレと絶妙に交じり合い、しつこくない芳醇な薫りが後を引きます。お肉はきゅっとしまりがあって、嚙んだときの弾力もいいし、食べると幸せです。───私の胃袋がもっと大きければ、一本丸々食べたいくらいです」
「ははは!こんなに可愛い嬢ちゃんに褒めてもらって嬉しいや。最近じゃ嬢ちゃん目当ての客も増えてるし、もっと来てくれたらサービスするよ!」
「そしてお嬢へのサービスは俺の腹に収まるって手合いだな。つか、お嬢に粉かける野郎がいるなら俺がぶっ飛ばす。最近じゃ性質の悪いのが増えて困ってんだ。お嬢は人目を引くからなあ」
「そりゃ苦労するな、龍の旦那。これだけ別嬪な虎は、眉目秀麗なもんが多いっていう虎の中でも珍しい。その上更に『白虎』ときてる。虎や獅子の男が浮つく気持ちも理解できるってもんだ。俺もあと10歳若けりゃ種族が違っても声掛けてたよ」
「───おやっさんはお嬢と並ぶのには10じゃ足りねぇだろ」
けっと舌打ちしつつも、新たにサービスで受け取った焼き立ての串肉は、凪に一口だけ入ってからラルゴの胃袋に収まった。
彼の舌はとても分厚いらしく、物凄く熱い肉なのに食べるというより飲み込んでいる。
色々な意味で頑丈だ。
「おっちゃん、俺、これもっと食いたい!」
「・・・・・・」
「お前はちっとは遠慮しろ。お前の食費はお嬢の財布から出てるんだぞ!」
「いでっ!」
ぼかりと威勢のいい音を立てた頭を抱えて、ガーヴがしゃがみ込んで悶絶する。
三角の耳がへにゃりと後ろに寝かされて、尻尾が丸まって小さくなった。
宿屋から食事の調達がてら街の案内をすると告げたときに喜んだのは空元気かと思ったが、全然その心配はなさそうだ。
昨日の夜、ガーヴがすっかり眠ってしまった後、ラルゴとこれからのことを少し話した。
『羅刹』は一人ではなく、二人いること。その二人は異世界からの凪の幼馴染であること。
凪の目的は彼らと合流して、共に暮らすことだとも告げているし、彼らとは一月後には合流予定だとも説明した。
ちなみに最初の予定より一月伸びたのは、秀介が羅刹の状態で居るときに理性より本能が先走るからだ。
一番大切な相手に暴力を振るうなど許し難いと激怒した桜子が、躾という名の調教中だ。
深層心理の奥深くに沈めた記憶を掘り起すために武力行使している。
不思議なことに羅刹として暮らしてきた経験値は圧倒的に秀介が高くてその分強いはずだが、何故か彼は桜子に勝てない。
前世での上下関係が魂まで刻み込まれてるのかと思うと、面白いと同時に面映かった。
そんな桜子が秀介を凪と会わせても大丈夫だとするまで、一月の期間を求めた。
凪としては先日のあれも事故に近いと思っているが、桜子はまったく少しも許す気配がなかった。
この世界で最強と呼び名が高い生き物に教育的指導を施せるなど、同族の桜子くらいだし、彼女───否、彼は頑固なので納得するまで有限実行するだろう。
そうなれば凪は待つしかない。彼ら二人の関係は覚えている限りあんなものだし、納得したら戻ってくるので傍観するのが一番いい。
彼らと再会した後のことは敢えて問われなかったので、今はまだ無言を通した。
護衛は不要になっても、目的地までの案内人は必要かもしれないし、契約を一月で区切ると判断するのは時期尚早な気がしたからだ。
しかしながらそれでは凪にばかり有利な話になってしまうので、もし自分の仕事より受けるべきものが出来たらいつでも契約は打ち切って構わないとも告げた。
凪の依頼した仕事は、契約期限が曖昧すぎる。拘束し続けるのはこちらの都合だし、十分に尽くしてもらったとも考えていた。
口にしてないが、離れる際には彼から凪の記憶を奪うとも決めている。
彼はとても情に厚い龍だ。護衛対象者として以上に優しくされてるのも、甘やかされてるのも自覚してる。
気を許してもいいと、秘密を明かしてもいいと思えるくらい信頼する相手だからこそ、離れるときには全てを奪うことにした。
覚えていれば、もしかすると離れるときに哀しむかもしれない。それなら哀しむ要因を根こそぎ奪ってしまえばいい。
もとよりこの街にも、世界にも執着がない凪だ。一度離れてしまえばダランにいる誰かに記憶を残しておきたいとも思えない。
可愛がっている子鼠たちも、お世話になった人たちも、記憶になければ日常に戻るだけだ。
「・・・ガーヴ、大丈夫?」
「・・・おう」
琥珀色の瞳をうるうると潤ませた彼は、痛みを必死に堪えているのか声を震わせていた。
敬語をやめたのは、今度は立場が逆転したからだ。
今までお世話になっていた人を見知らぬ街で放り出す気はないし、お金も凪が稼いだものではないので感謝してもらわなくても構わないのだが、敬語を止めろと言ったのはガーヴなりのケジメだろうと受け入れた。
しゃがみ込んだ彼は、膝に手を当てて腰を屈めた凪より瞳が低いところにあるので上目遣いだ。
喜怒哀楽が激しいガーヴの場合、見た目は凪と同じくらいに見えても、やはり年下だと実感する。
「ナギ、怒ったか?」
「いえ、別に」
「俺様を捨てるか?」
「いや、それも別に」
心配そうな声に、首を振って淡々と答える。
彼の食欲などドイエル村にいた頃から見ていたので承知の上だし、今更捨てる気もない。
ガーヴがこの街で新たな居場所を見つけれるように協力する気だ。
年齢を考慮しても彼の腕前は中々のものらしいし、図太い性格も合わせて冒険者として十分やっていけるとラルゴも太鼓判を押していた。
元来『狼』は群れを成して生活をする獣人らしく、気の合う冒険者のパーティーが見つかれば大丈夫なのだそうだ。
実際、泣くだけ泣いて目を覚ましたガーヴは、からりと現実を受け入れていた。
『起こってしまった事は変えられない』と前進する姿勢はポジティブで、芯の強さを窺わせる。
幼くても、さすが村長の息子といったところだろうか。彼は事実を正面から受け止め、逃げ出そうとはしなかった。
凪は世界に執着がないからさらりと流せたけれど、愛した故郷を一晩で振り切る───少なくとも、振り切ったように見せる姿は空元気でも凄いと思う。
「食べたいものがあるなら、いっぱい食べればいいよ。これからこの街を拠点にするなら美味しい店は探しておいて損はないし、私のお勧めも紹介するし」
「本当か!?」
「うん。今は食べれないものも、自分でお金を稼げばラルゴにも怒られずにお腹いっぱい食べれるから」
よしよしと頭を頭を撫でると、ほにゃりと相貌を崩して嬉しそうに目尻を染めた。
その姿が少し可愛かったので、ラルゴが握り締める串の一本を奪うと、そっと差し出す。
ぱあっと顔を輝かせて両手で串を持ってかっ喰らう姿は腹を空かせ子犬みたいで、まるで餌付けしているようだ。
目的地までには何件もお勧めの店があるので紹介するのが楽しみになってしまう。
元の世界に置いて来た秀介の双子の兄弟を髣髴とさせるガーヴの仕草に、ほんの少しだけ懐かしさを覚えた。