18:どうしたって、流れるままに その8
「・・・物凄く良く寝てるよね」
「だな。ったく図体だけでかい子供だ」
鼻の頭と擦りすぎた目尻を真っ赤にしたガーヴは、いつも凪とラルゴが使っているベッドを独占して眠っていた。
しかしながらど真ん中で寝ているわけではない。ベッドの淵に腰掛けた凪の服の裾を、まるで溺れた者が掴む藁のようにきゅっと握り締めたまま、健やかな寝息を立てているので、凪が立ち上がれば落ちてしまいそうなぎりぎりのラインだ。
ちなみに未だに存在を維持するウィルは、ワンピースの裾を掴むガーヴの腕にのしりと無遠慮に腰掛けていた。
彼に凪以外が触れれないのは知っているのだが、視覚的情報と認識がずれてどうにも混乱する。
大の男がずしりと降ろしたお尻の下に、成長途中のしなやかな筋肉がついた腕が敷かれていると思うと、何となく複雑だった。
さっきまでは開いた足の間に座らされていたが、今はすっかり膝に乗り上げさせられている状態なので、彼の腿の中から掌が突き出て見えるのも確実に原因の一端を担っている。
はっきり言ってホラーだ。種も仕掛けもわかっているが、じっくり見ると怖い。
「ウィル、退いてください」
「なんでだよ」
「不気味だからです」
「・・・俺がか?」
「いえ、ウィルではなく、私の視界に入る光景が」
「消すか?」
「発言もホラーなので止めてください。少し移動してもらえれば十分です。私の分のお菓子も上げますから、こちらに移動してください」
「仕方ないな」
嘆息しながらも、すかさずラルゴが手にしたマフィンに目が釘付けだ。
神様の癖に存外に庶民派のウィルは、質より量で大量買いしたお菓子を気に召したらしい。
普段はどんな食生活を送っているのか好奇心を擽られそうだ。
何となく雲や霞を食べるイメージなのに味覚はあるようだし、つくづく神とは不思議である。
マフィンと、ついでに気を利かせてラルゴが淹れてくれたお茶の入ったカップを持ったウィルは、両手を塞がれたまますっと横移動した。
当然彼の膝に乗っている凪も一緒に動くのだが、動く歩道にしゃがみ込んだような不思議な感覚だ。
立ち上がる気配もなく、ましてや指一本動かさぬまま平然とこんなことをしてしまう辺り異能の持ち主だと実感するのに、彼はあまりに人間臭すぎる。
お気に入りのぬいぐるみを手放さない子供のような仕草をするウィルに、目の前に立ったラルゴがガシガシと頭を掻いた。
そしてガーヴの腕を挟んで反対隣に座ると、金目をこちらに向ける。
いつもなら彼が腰掛ければベッドのスプリングで身体がバウンドするのだが、そんな衝撃もまったくなかった。
凪の頭上で飲み食いするウィルを気にしながらも、眉を顰めたラルゴは、賢明にも彼の存在を丸まる無視することに決めたらしい。
疲れたようなため息を吐き出して、視線を眠るガーヴに移した。
「実際に年齢を考慮しても子供だよ、14歳は。ああ、でも私の国ではそうだったけど、ここでの常識は違うの?」
「地域によるな。20どころか、それより上の年齢まで学校に行かせるところもあれば、13で成人とみなすとこもあるし」
「13?随分と早いんだね」
「そうか?俺たち龍は成長が早いからなぁ。違和感を覚える奴はいねぇな」
どうやら『13歳で成人』するのは、『龍の一族』らしい。いつ役立つか判らない豆知識だが、一応記憶しておく。
しかしながら短い期間しか異世界で暮らしていなくとも、こちらでは『龍の一族』はトップクラスの能力を持つ種族なのは知っているので、これを一般のラインとは考えない方がいいだろう。
何気ない仕草でガーヴを撫でて、仕方無さそうに眉尻を下げて笑った。
その姿は子供のあやす保父さんのようで、年齢的には兄弟で収まるはずなのに、実年齢以上に年が離れているように見えた。
『ふけ顔』という言葉が脳裏で瞬き、瞬時に掻き消す。
意外と年齢を気にしている様子のラルゴに言ったらへこむ姿が容易に想像できたので、今後もなるべく口にしないよう気をつけよう。
ポーカーフェイスの裏側でさり気無く決意をし、代わりの話題を模索する。
すやすやと眠るガーヴをちらりと横目で眺め、ほんの僅かの躊躇の後、上目遣いでウィルを見詰めた。
「ウィル」
「ん?」
「ラルゴに彼らについて話をしたいです」
「おう、いいんじゃないか?お前がいいなら、俺は構わない」
「はい」
もっくもっくとマフィンを食べ続けるウィルは、凪の言葉に平然と返した。
さっきから食べても食べても減ってないように見えるのだが、何か力を使っているのだろうか。
頭上で飲み食いされれば食べかすが落ちてくるかと覚悟もしていたのに汚れることもないし、神の力はとても便利だ。
そのくせ口元にマフィンの欠片をつけているので、指先でそっと拭い取れば、綺麗な赤い瞳をまん丸に見開いて嬉しげに破顔した。
感情表現豊かなウィルは、喉を鳴らす猫のように機嫌よく食事を再開する。
すぐ上にある顔を見るために結構きつい角度で曲げていた首を戻して、多大に呆れの含んだ表情の龍に視線を向けた。
「ラルゴ」
「なんだ?」
「ガーヴは本当に眠ってる?」
「・・・そうだな。規則的な寝息と、閉じた瞼の奥で眼球が移動してるのが確認できる。他にも幾つか根拠はあるが、本気で寝こけてるぜ」
「そう」
鈍い凪より余程鋭敏な感覚を持つラルゴに確認を取ってから、ガーヴの触り心地がいい髪にそっと触れた。
『神の愛し子』だと伝えたが、もう一つの秘密を彼に話す気にはならない。
別にガーヴを蔑視しているのではなく、少なくとも現時点で凪が本当に信頼する異世界人はラルゴだけなので、彼以外の誰かに漏らす気はなかった。
もしかしたら、この先は違うのかもしれない。しかし、仮定の未来は仮定でしかない。
「あのさ、ラルゴ。多分驚くと思うから、口を両手で押さえてくれる?」
「はぁ?」
「この部屋はウィルが第三者に情報を遮断してくれてるけど、ガーヴには何もしてないから。今のところ、ラルゴ以外に話す気はないし、悲鳴や奇声で起こされると話が中途半端に終わっちゃうから困るんだ。私の護衛はラルゴって決めてるし、お願い」
座っていても十分上にある金目に、じっと視線を絡める。
凪より遥かに焼けた顔がほんの僅かに紅潮して、照れくさそうに視線が外された。
「『お願い』って、その言い方ずるいだろ。そんな目で見られたら、ぜってぇ断れねえ」
「じゃあこれからも活用するよ」
「・・・本気でお嬢は見た目と中身にギャップがあるよな。弱いけど強かだ」
「弱いから強かなんだよ」
きっぱりと言い切ると、『そりゃそうか』とあっさりと肯定された。
別に否定されたいわけではないし、変な妄想を抱かれても嫌なので現実を見てくれてありがたいが、やはりラルゴは変わっている。
凪の頼みを受け入れて、大きな掌を重ねて口を覆った。
これでいいかと視線で問う彼に頷くと、ウィルの膝に手をついて身体を伸び上がらせる。
腰掛けたままよりは近づいたが、それでも十分遠い耳に聞こえるように、そっと小さな声で打ち明けた。
「あのね」
「・・・・・・」
「あの二人の『羅刹』、実は私の幼馴染」
「──────!!?っ、───、──────!!」
口を押さえて必死に声を抑えながら、瞳を零れんばかりに見開いたラルゴは予想以上に驚いていた。
無言で叫び続ける彼は、床を叩かないすれすれの位置で尻尾を揺らす。
ベッドが軋んでガーヴが目覚めるんじゃないかと危惧する前に立ち上がると、音も立てずに部屋を駆け回った。
不可思議な動きで驚きを表現しつつも、無音を通す彼に思わず拍手してしまう。
色々な意味で経験値の差が出るラルゴは、一流の芸人にもなれるんじゃないかと本気で感心してしまった。