18:どうしたって、流れるままに その4
「二人とも大丈夫ですか?」
ウィルと会話中にようやく叫び声と動きがなくなった二人に視線を向ける。
ラルゴは俯いたまま、ガーヴは横を向いて呻いているが、凪には嘘をつかない神が大丈夫と言ったので大丈夫だろう。
声を掛けてから暫く沈黙が続き、先に動いたのは予想通りにラルゴだった。
借り物の服が乱れてわき腹が見えている。程よく焼けた肌は贅肉と無縁で、別に見たかったわけじゃないが見せてもいい肉体だと感想を抱いた。
ちなみにガーヴは少しだけ服は乱れているが、身体が見えるほどでもない。いや、別に見たいわけじゃないが。
「───・・・最悪だ。転移なんて生まれてから二度目だが、もう二度と経験したくねぇ」
「同感。俺様も、二度目は勘弁して欲しい」
「ごめん、ラルゴ。私はウィルから聞いてたから、先に注意すべきだった。ガーヴは、申し訳ないですけど注意以前の話なので自業自得と考えてください」
「・・・なんで俺様に冷たいんだ」
「冷たいんじゃなく、事実です。あなたの行動は予測の範囲外でした。注意したくても対象に含んでいませんでしたし、私は鈍いので着いてきていたのに気づいたのも移動してからです。むしろ五体満足でこの場に居られる方が運が良かったと考えてください」
「どうして?」
「この場に居るのが常識が通用する相手だけじゃないからです。私たちの話はどこまで聞いてますか?」
「どこまでって・・・俺様は何も聞いてない。ナギが見つからないから一度兄者たちと合流しようとしたとこで、お前が消えそうだったから」
「咄嗟に掴んだ、と。・・・余計なお世話かもしれないですけど、もう少し考えてから行動してください。ウィルが気紛れを起こさなかったら、洒落にならない事態になっていたんですよ」
「ウィル?洒落にならない事態?」
首を傾げるガーヴは、未だに状況が読み込めていないらしい。
それも当然だろう。
彼の言葉どおりなら、凪を見つけた瞬間考える間もなく服の裾を掴み、次の瞬間転移して脳に軽くダメージを受け後、床ローリング。
状況を鑑みる余裕もなければ、話を整理する猶予も与えられてない。
クエスチョンマークが乱舞するガーヴは、どうやら凪に白虎の耳や尻尾も生えてないのに気づいてないようだ。
細かいところに拘らないというか、大雑把過ぎるというか、長所であり短所である性質に、思わず苦笑した。
ガーヴのこういうところは案外嫌いじゃないけれど、将来を思えばもう少し慎重になるべきだと思う。
彼は狼の村の長の息子だ。末子とはいえ、感情のみで動ける安易な立場ではないだろうし、事実年より遥かに落ち着いた行動も取るし、臨機応変に立ち回る姿は風格すら漂っている。
それなのに無邪気で天真爛漫で感情に真っ直ぐすぎる部分があって、そのギャップが人気の秘訣だったが、今回は悪い方向に天秤は傾いていた。
「お嬢、まずウィルが誰で、お前が何で、今何処にいてどういう状況かって説明するのがいいと思うぞ」
床に両腕を枕にして尻尾を揺らしながら、びたんびたんと床に叩きつけつつ助言するラルゴに、わかったと一言返す。
何となく拗ねている雰囲気を発しつつこちらを見ないのは、ウィルと目が合えば先日のお礼とばかりに喧嘩を売ってしまいそうだからだろうか。
床に穴を開けたら絶対に自分で修理してもらおうと思いつつ、ようやく片腕をついて上体を持ち上げるとそのまま床に胡坐を掻いた。
綺麗に掃除されている部屋だが、土足で歩く場所に直座りさせるのも申し訳なく思い手が届く範囲にクッションがないか探す。
しかし凪の行動を読んでくれたらしいガーヴ本人から気にするなと断りを入れられ、じゃあお茶でもと動こうとしたら、自分を拘束する神に抵抗された。
「・・・ウィル、お茶が淹れれません」
「淹れなきゃいいだろ」
「淹れなきゃおもてなしが出来ないでしょう?仮にも狼の村で面倒を見てくださった一人です」
「だがお前を暗闇の中で三日も監禁し、わざと体力と精神力を削ろうとした奴らの仲間だ。普通ならあんな真っ暗な中に何日も放置されれば時間の感覚も狂いおかしくなる。俺はお前が言うから加護を与えたが、お前に危害を加えたことも忘れてねえ」
「・・・言うと思いました。私は面倒を見てくださったのに感謝していると言っているのに、やはり納得してくださらないんですね」
「当然だ。お前は俺の『愛し子』。それなのにあの扱いは不当だ。暗闇は感覚を狂わせる。恐怖心を煽り、焦りを生む。常人であれば相当参ってるに違いない。しかもあの時お前の回りにいたのは、お前に敵愾心を抱くものばかりだった。こいつが連れてきたから、あんな展開になったんだ」
「あんな展開にならざるを得ない状況を作り出したのはウィルでしょう?ガーヴに落ち度があったとしても、人間の私が森に置いてかれるより衣食住を保障していただいた状況は遥かにいいものです。猛獣の中で一人ぽつんとしてるより、心が落ち着きます」
「だが」
「私は閉じ込められていたのは気にしてません。暗闇には強いですし、ご飯も私には丁度良かったですし、美味しかったですし、あの状況では仕方ありません。敵対種族にするには随分好意的なものだったと考えます」
腕立ての要領で身体を浮かせたラルゴは、軽く声を発して反転した。
尻尾をバネのように使うと、そのまま玩具みたいにばよんと立ち上がる。
あの尻尾の構造は実に興味を惹かれる。しかし高校生レベルの解剖経験しかない凪は、メスで蛙しか捌いたことがないのできっと構造は理解できないだろうし今は諦める。
ウィルの異世界トリップ特典でこちらの文字を読めるようになっているから、いずれ図書館的な建築物か、もしくは本屋などに立ち寄れればいいと思う。
少なくともダランに来てからはアルバイト先と宿屋への往復を毎日繰り返していたので、明日子鼠たちに会いに行ってからラルゴに強請って連れて行ってもらおうか。
その時には料理の本も欲しい。こちらで自活する分には何をどう料理すればきちんと食べれるか、日本人の味覚を満たす料理を会得したい。
今のところ食べる専門だが、大体何が口に合うかはわかり始めている。食材の名前はほとんど変わらないので困らないし、異世界とはいえ住みやすい環境で嬉しい限りだ。
「お嬢ー、ちょっとトリップしてるぜ」
呆れ交じりの声にぱちんと意識が戻った。
いけない。大切な話をしているはずなのに、脳内でうっかりと現実逃避してしまった。
ナナンのドイエル村の料理はよく言えば食材を活かした料理で、悪く言えば少しシンプルすぎる料理ばかりだった。
素材で左右される味付けなので、確かに美味だったのだが、たまにはこってりしたものが食べたくなる。
それで行くとダランの屋台は色々なものが売られていて、ラルゴの食欲に付き合えば腹に入るのも色々な味覚のものだから好奇心と共に空腹は満たされた。
「お嬢、説明、説明」
「あ、いけない。すみません、ガーヴ。今度こそ説明を」
「・・・おう」
「ウィル、やっぱり手を放してくれませんか?お茶を飲むとリラックスするでしょうし、ウィルにも私が淹れたお茶を飲んでもらいたいんです」
「・・・・・・・・・・・・仕方ねえな。ちょっとだけだぞ。淹れたらすぐに戻るんだぞ」
「はい」
素直に頷いて、腰に巻かれていたウィルの腕を解くと、そのまま部屋にあるテーブルに近づく。
そこには常にティーポットが3つと茶葉と茶菓子が置いてあり、喉が渇いたらいつでも淹れれる様になっていた。
ラルゴに淹れ方を教えてもらい、今ではラルゴよりも淹れるのは上手いと自負している。
どうしてティーポットの中は常にお湯が張られた状態なのかとか、疑問はスルーだ。使いたいときに使える便利アイテムで納得している。
お湯がなくなっても水を入れておけばいつの間にかお湯になっている、不思議便利アイテムは、この宿内では結構活用していた。
慣れた仕草でティーポットから沸騰していたお湯をティーカップに移し3つとも暖める。
白磁に小花が描かれた薄手のカップは日本なら値が張りそうだが、こちらではどうなのだろう。
宿屋の一品で置かれてるくらいだからそこまで高額とは考えにくいけれど、雑貨や小物はまだ買い物をしてないので基準がわからない。
カップに注ぐと丁度ポットのお湯はなくなる。そこに人数プラス1杯を加え、カップを暖めて少し温度が下がったお湯を注いだ。
元の世界で例えるなら、紅茶より日本茶を淹れるときの作法と似てるかもしれない。と、言っても凪はまともに紅茶も日本茶も淹れたことがないので書物からの情報だけど。
少しの待ち時間の間に、とりあえず一度確認を取っておこうと、盛ってあるお菓子を小皿に分けつつ口を開いた。
「ウィル」
「何だ?」
「確認させてください。もし私があなたに『ガーヴをドイエル村に送り返してください』とお願いしたらどうしますか?」
「・・・俺はお前の願いどおりに、あの村の奴らに対して十代続く加護という過分な恩を返した。違うか?」
ピジョンブラッドの瞳に見据えられ、ぐっと言葉に詰まる。
確かに一月に遥かに満たない時間面倒を見ただけで、十代後まで続く加護は過分だろう。
凪を保護しただけでそんな加護を与えるとは、行きすぎだとも正直思った。
将来を考えれば、その加護は必ずしもいいものではない。
芳醇な実りに胡坐を掻けば、加護を失った後の彼らがどう生活するか、いい方向に向かうとは限らないのだから。
けれどウィルの言葉には頷く以外は出来なかった。
「いいえ、違いません」
「ついでに俺はお前に対する扱いに、一部を除いて納得していない。それは理解しているか?」
「はい」
「なら俺の答えは想像つくか?」
「パターン1『消す』、パターン2『送ってやるが生死は不明』、パターン3『絶対に聞いてやるかと突っぱねる』、パターン4『気紛れだが送ってやる』、パターン5『愛し子が強請るのが面白くないので、ナナン以外の場所に飛ばす』、パターン6『その他』くらいしか思いつきません」
一つ意見を上げるごとに指を折る。最後の意見は指を折りきってしまっていたので、折った小指を立てた。
短い付き合いで凪に異常な執着を見せるウィルの行動パターンから解析し、幾つか出した選択肢に、ウィルは指を振って笑った。
「そうだな、今回は凪を助けた功績があるからパターン4・・・なんて言うわけねえだろうが。俺はこいつも含めてあの村の狼たちに恩を返した。そしてこいつの功績を考慮し、転移する際勝手についてきたこいつを五体満足で連れてきた。今の俺の状況で、こいつの凪に対した行動でプラス面のものはきちんと返した。残ってるのは、マイナスの部分。こいつを軟禁させて、尚且つ自分のものだと主張した驕りに苛立っている」
「・・・・・・」
やっぱりね、と内心で呟いた。ウィルは凪に対して執着心が大きい分だけ、色々と大袈裟になる。
ラルゴとの殴り合いでも思ったが、普通の口喧嘩から発展した殴り合い───と言うより一方的な暴力は圧倒的で、凪を大切に守ってくれるラルゴ相手ですら大人気なくあれだけぼろぼろにするのだから、今この場で凪が更に強請れば拗ねてどんな行動に出るかわからない。
所詮人と神の考え方は相容れぬものだ。力も存在もスケールが違いすぎ、命の重さや、見ているもの、視野の広さや護りたいもの全てが違う。
むしろ凪を溺愛する感情こそが、世界を司る神として異質なものなのだ。
偶然が重なり彼の目に留まってしまったおかげで、加護も得たが要らぬ苦労もさせられる凪は、深くため息を吐きながらティーポットからカップにお茶を注いだ。
黄緑色のお茶は、緑茶っぽいのに紅茶の香りが漂ってくる。この茶葉は口に含むと渋みもなくさらりとした癖のない飲み心地で美味しい。
簡易的なお茶会の準備が整ったところで、端に立てかけられていたトレイにお菓子とティーカップを並べる。
ラルゴはミルクも砂糖も必要ないので、ウィルとガーヴの分だけ一応用意した。