18:どうしたって、流れるままに
「かくかくしかじかで、あの宿に帰ろう」
「そうか、わかった」
こくりと頷いたラルゴは、地べたに座り込んだまま少し距離があった武器を握った。
どう考えても手が届く距離じゃないのに、凪では両手を使って踏ん張っても動かすのは無理な武器は自ら彼の手に収まる。
いかにしてそれを可能にしたか理解できないが、別に仕組みをしりたいと思わないので流しておく。
そんなことよりむしろ、『かくかく云々』であっさりと納得してしまった彼の脳内構造に疑問が沸いた。
「───かくかくしかじかだよ?」
「おう、わかってるって。かくかくしかじかで帰るんだろ?」
「うん、かくかくしかじかで帰るんだよ」
もうツッコミは期待できないだろうと、ため息を吐き出して肩を竦める。
ラルゴは空いた片手は凪の腰から足を掬うようにして移動させ、片腕に座らせて立ち上がった。
上機嫌に細められた金色の瞳は、暗闇の中の猫の目のように輝いている。
うるうると小さく聞こえる音は、もしかして彼の喉から発せられているのだろうか。
威嚇する時以外でもこんな声が出るのかと感心しつつ、呆然とこちらを眺める二人の狼に微笑みかけた。
「ガーズさん、サルファさん。短い間でしたが、お世話になりました。色々と面倒もありましたが、私たちが無事に過ごせたのはあなたがた狼の一族の方のお陰です。ラルゴの手が離れないので、こんな格好でお礼を言うことを許してください。───本当に、ありがとうございました」
バランスを取るために動かせない下半身をそのままに、日本人らしく深々と頭を下げる。
こちらの世界ではほとんど謝罪以外で頭を下げる習慣はないので、まじまじと見詰める視線はその所為かもしれない。
ともかく普通に過ごせばもう二度と会えないだろう狼の彼らに礼を告げる機会を逃さないよう、心を篭めた言葉を口にした。
「この近辺で出没した『羅刹』はもう二度と現れません」
「───その根拠は」
「彼らの目的が私だから」
掠れた声で問うサルファに、にこりと微笑むと手首につけていた腕輪に触れた。
ウィルが凪のために作ってくれた所謂『変身ブレスレット』は、持ち主の意思に呼応して淡く光る。
自分の変化は鏡がないのでこの場で見ることは出来ないが、息を呑んだ目の前の二人の反応でちゃんと悟れた。
「『神の・・・愛し子』?」
信じられないとばかりに細い瞳を限界まで丸めたサルファに、呼吸をしてるか心配になるくらいの勢いで硬直したガーズの二人の反応は面白い。
凪を『神の愛し子』と断定できるなら、頭の上についていた耳と、縞々の尻尾はちゃんと消えているのだろう。
この世界の誰でも『神の愛し子』は判ると知っていたが、狼の二人で確認が取れた。
どうせ二度と会わないだろうから、ここで正体を告げても問題はない。
『宿に戻る』と口にしたが、その『宿』が何処にあるかなんて彼らには特定のしようがないのだから。
「お前は・・・いや、あなたは、伝説の『人間』なのか・・・?」
「はい。つまるところ異世界人です。常識知らずですみませんでした。沢山ご迷惑おかけしたと思いますが、その謝礼については私が何かしようとしたのですけど、心の狭い私の『保護者(仮)』が口うるさいので直接にはお礼以外は出来なくてすみません。ですが代わりに彼がこの地に加護を与えてくれるそうです」
「・・・彼?」
「───!!?」
小首を傾げたガーズとは違い、サルファは尻尾の毛を逆立てて耳を伏せて額から滝のような汗を流し始めた。
気がつけば凪を抱き上げる腕は、自分と似た白い肌とすり替わっている。
きゅうっと宝物を抱きしめるような柔らかな拘束の仕方をする相手など、一人しか覚えがない。
「いつまで話してるんだ、凪」
「そんなに長くないですよ」
「じゃあ質問を変える。いつまであの駄龍に抱きしめられている気だ、凪。俺はそんなの許した記憶はねえぞ」
「許可してもらう必要もないですけどね。ラルゴはどうしました?」
「そこに転がってる」
ついっとシャープな顎で指した先には、確かに頭を抱えて無言で悶絶する龍の姿があった。
また暴力を振るったのかと半眼で睨み上げれば、すっと視線を逸らされた。
見た目だけは神様らしいのに、本当にどうして凪に関係するとここまで狭量になってしまうのか。
呆れを露にため息を吐き出すと、むっと唇を尖らせたウィルは凪の頭の天辺に顎を乗せてぐりぐりとした。
やはり地味に痛い攻撃に、きゅっと眉間に皺を寄せる。
文句を言うほどではないが、彼はいつになったらこの行為を厭っていると気づいてくれるのか。
ふうともう一度嘆息すれば、小さな子にするように頬を摺り寄せた彼は、そのまま視線を前に向けた。
凪に対するものと百八十度違う威圧感たっぷりの態度に、二人の狼は地に足が縫い付けられたように動けない。
蛇に睨まれた蛙とはこのことだろう。
虎の威を借る狐の凪は、異界の神に溺愛されてる自覚があった。
ウィルは凪は自分と対等の生き物として見ているが、この世界の住人ですらそこらの石ころと同じ扱いをする。
規模が大きすぎて一人一人に構ってられないのかもしれないけれど、その感覚はいかにも神様らしい気がした。
「ま・・・さか、その、お方は」
「この世界の神様で、私をこちらに召喚した相手です」
「っ!!?」
「此度は俺の『愛し子』が貴様らに保護されたと聞いた。俺としてはそれだけでありがたいと地に伏して崇めるべきだと思うが、凪はそれを厭ったんでな。自分で謝礼すると言うが許す気はないから、代わりに俺の加護をくれてやる。お前らの血筋が十代続く間、この地は変わらず繁栄し続けるだろう」
凪を片腕で抱いて、空いた指をぱちりと鳴らしたウィルの指先から、白と赤が混じった不思議な光が溢れ出る。
噴水のように空高く舞い上がり、きらきらと輝いて地に落ちた。
まるで昼間に出る流れ星だ。夜空にあるべきものを例えに出すのは矛盾だが、この表現数少ない凪の語彙の中でもしっくりきた。
「・・・お別れなんですね」
「はい。お世話になりました」
「いいえ、私こそとても楽しい思いをさせて頂きました。『神の愛し子』と見える機会を得れて、私は幸せです」
胸に手を当てて頭を下げたサルファは、未だに顔色は悪いがそれでも落ち着きは取り戻していた。
一人称がいつの間にか『私』に変わっていたのを突っ込むのは、空気を読んで病めておく。
「私こそ、サルファさんには本当にお世話になりました」
彼は凪に対して侮蔑の視線を向ける狼の中でも、まったく他と変わらぬ態度で接してくれた数少ない相手だ。
淡い微笑みを浮かべてもう一度頭を下げると、そのまま視線を横にずらした。
「ガーズさんもお世話になりました」
「・・・お前は最後まで嫌な虎の娘だ。この俺にこんな感情を残すなど、許し難い」
「どんな感情か知りませんけど、ガーズさんのその渋面、私は結構好きでしたよ」
「今更だ」
何が今更かわからなかったが、彼の言葉は随分と重く響いた。
初めて見る微苦笑は、とても優しくて苦々しい。
何かに気がつきそうな自分を押し留め、彼に対しても頭を下げる。
「ここにいないガーヴにも、護衛の狼さんにもありがとうございましたとお伝えください」
「ああ」
「そろそろいいか、凪?」
「はい、ウィル。ラルゴ、行くよ」
「───おう」
漸く悶絶するほどの痛みから脱却したのか、頭をすりながら彼は涙目で立ち上がった。
そして嫌そうな顔でウィルを見てから、凪の隣に並ぶとワンピースの裾を掴んだ。
自身の血で赤く塗れていたそれは、ウィルによって綺麗になっている。
「それでは、失礼いたします」
「さよならは言いませんよ。いつかまたお会いしましょう」
「・・・お前みたいな規格外の存在、忘れられないだろうしな」
最後の最後まで変わらない二人にもう一度頭を下げると、自分を抱えるウィルを見上げた。
こくりと一つ頷いた彼は、凪を抱きなおすと空に手を向けた。
「ちょ、待った!」
光が溢れて視界が白で染まる瞬間、ガーヴの声が聞こえた気がしたが、もう確認する術はなかった。