17:再会は爆音と共に その6
今は人の姿なのに、へたりと垂れた耳と尻尾が見えそうな秀介の後ろには、仁王立ちする桜子とウィルがいて、さらにその後ろにでろんと黒い獣が寝転んでいる。
三者三様の態度を見比べて、ぱちりと瞬きをして一番聞きたいことを聞くことにした。
「それで」
「ん?」
「どうして秀介は半裸なの?むしろそれ、半裸って言うか八分目以上裸だよね?いっそ全裸ならなんとなく納得いくけど、腰蓑ってどういうこと?」
「・・・お前は他に聞くことないのかよ」
小首を傾げた凪の問いかけに、脱力するように平伏した秀介は、再び背後から桜子に足蹴にされた。
「それは私が全裸状態のこいつの変態っぷりに凪が怯えぬように配慮した結果だな。裸で暮らすことに慣れていた所為か、こいつには羞恥心が欠如しているらしい。習慣の違いなので仕方ないとわかっていても、あのぶらぶらしたものを凪の眼前に曝すなど私が耐えがたかったのだ」
言いながら纏っていた服のロングコートの裾部分を指差した桜子は、不恰好にぎざぎざになった部分を見て嫌そうに眉間に皺を寄せた。
確かにあの状態では他所行き用には使えないだろう。ところどころ縦に裂けて、随分斬新なデザインになっている。
丈も足首近くまであったものが膝付近まで短くなっているし、履いている黒のブーツが露出していた。
もっとも人によってはみっともなく見えるかもしれないデザインでも、飛び抜けた美貌を持つ桜子が身につければモデルが着る衣装並みに似合っている。
幼馴染の贔屓目抜きに美しい青年になった彼女は、日本であればどんなコスプレと問いたくなるような服でも完全に着こなしていた。
少なくとも裸に腰蓑の秀介の何百倍も様になっていて格好いい。
そんな凪の心境などどこぞに、柳眉をきりきり吊り上げた桜子は、容赦なくげしげしと秀介を足蹴にする。
「───まったく、習慣の違いか何か知らないが、凪の前で変質者の真似など許し難い。あちらの世界で私たちが彼奴らを片付けるのにどれだけ苦労したか忘れたか」
「っつっても、本当に『こっちの俺』の場合は服を着る概念がなかったんだからしょうがねぇだろ。人里に近づくことが稀だったし、あれだけ立派なふさふさした毛皮があれば服は不要だし、そもそも生きとし生きるものが十戒の如く避けてくんだから他人の反応なんて窺い知れないし」
「戯け者!その他大勢などどうでもいいんだ!」
「あー・・・あのさ、血管切れそうだし、秀介も好きで全裸だったわけじゃないんだから許してあげようよ、桜子。秀介」
「なんだ?」
「やっぱりあそこで寝転んでる黒い獣は、秀介なの?」
実は結構初期段階からの疑問を口にする。
本当はもう少し早く問いたかったのだが、未だにご立腹の桜子や、それに便乗するウィルの何気ない妨害で出来なかったのだ。
ちなみに桜子が秀介を足蹴にするのに一度だけ乗っかったウィルは、いつの間にやらさり気無く凪の腰に手を回してぴたりと背中から包み込むように抱きついていた。
頭の天辺に顎がぐりぐりと当たって地味に痛い。この仕草はウィルのお気に入りで、親愛の情だとわかっていても、シャープに尖った顎で脳天をぐりぐりされるのはダメージが蓄積する。
凪が痛みを感じるのだから彼も感じて然るべきじゃないのかと思うのだが、神様補正が入ってるのか、それともアドレナリンに近い何かが出ているのか。痛そうなそぶりは一度も見受けられなかった。
先ほどまでの拗ねた様子も消えて機嫌が上向きになったのはいいことでも、スキンシップ過多なのはなんとかならないだろうか。
言っても止めないだろうし、力では初めから適わないとわかってるので無駄に抵抗はしないが、心持ち疲れた様子で指先で黒い獣を示せば、背中を桜子に踏み躙られたまま秀介は顔を上げた。
「おう、そうだ。あっちが俺の本体だ。ここにいる俺は異界の神様とやらが作った特殊空間で、深層心理に残しておいた精神だけ出てる状態だな」
「深層心理に隠しておいた精神が出てる?それって漫画でよくある気絶中の体内から魂が飛び出た感じ?」
「・・・例えに色々と異議があるが、確かにそんな感じだ。この空間に連れてこられて、あそこの神とやらに無理やり精神を引っこ抜かれた。お陰で今本体はあっちで白目向いて気絶中で、代わりに『俺』がここで会話してるわけだ。乱暴な手腕だったけど、感謝するしかねえよな。だってあっちの俺がお前らを思い出すには、まだ時間がいる。1000年の時間に埋もれた記憶は、取り出すのはちと厄介そうなんだ」
踏み潰されたまま、それでも真っ直ぐに凪を射抜いた見覚えのある瞳は、懐かしく眩いものを見るように眇められた。
慟哭や憧憬、痛みや苦しみや喜びや哀切。他にも凪に読み取れない、近くて遠い眼差しを送る彼は、確かに1000年の長きを一人で生きてきたのだろう。
幼き日の約束を守るために己の運命を捻じ曲げて、狂うと言われた年数を己を壊しながらも存えて、それでも自身が大切だと想う記憶を守り抜いて。
つん、と鼻の奥が痛くなり、視界が滲みそうになるのを奥歯を噛み締めてなんとか堪える。
1000年の時間を越えて見たのが、泣き顔なんて嫌だと、きっと彼なら言うだろう。
忙しなく瞬きを繰り返しながら、視線を倒れている黒い獣に向ける。
凪は未だに『羅刹』についてよく知らない。
秀介の情報を得ようとガーヴやラルゴに聞いたときも、出没しそうなポイントとどんな対策を講じたかは教えてくれたが、多くを語ろうとしなかった。
『会ったら逃げる。それだけを考えろ。あとは俺がどうにかする』
幾度も『羅刹』について問う凪に向かい、常のお茶らけた様子と違い、真摯な眼差しを向けたラルゴは、子供に言い聞かせるように何度も繰り返した。
それだけ絶対的な力を有する『羅刹』。
『羅刹』として1000年の時を生きてきた秀介の経験は、凪には想像もできない。
守るために深層心理に記憶を沈めなければいけないほど、様々な想いを抱いて色々なものを見てきたのだろう。
それでも黒い獣姿で記憶を奥底に沈めたはずの秀介は、一月前より遥かに深い色をした瞳で、同じように笑ってくれる。
全てが奇跡に等しい所業だが、きっと彼に言わせればまた別の答えが返って来ると思う。
笑ってる秀介からちらりと視線を上げれば、切れ長の瞳に安堵の色を浮かべた桜子と目が合った。
異世界に来る前から性別を超えた親友である桜子も、秀介の根本がちゃんと存在していたのに、本心では喜んでいたに違いない。
ただタイミング悪く凪が怪我を負ったので怒り心頭だっただけで、彼女(彼?)とて心配してなかったわけじゃないのだ。
視線が絡んだ後、眉尻を下げて笑った桜子は仕方なさそうに首を振った。それだけで互いの意思疎通が図れる相手に、唇が緩く孤を描く。
背中を圧迫していた足を桜子がどけると、跳ね上がるようにして秀介は正座の体勢に戻った。
日本人らしいが、向こうで説教されていたときの反省の仕草とまったく変わらないそれに、つい笑みを零す。
何もかもが懐かしい。たった一月足らずしか離れていなかった凪すらこう思うのだから、1000年振りの彼は今何を思うのだろうか。
そんなことを考えつつ、ゆっくりと隣に並んだ桜子と微笑みを躱して、二人同時に彼の名を呼んだ。
「秀介」
「秀介」
「ぅはい!?」
唐突な呼びかけに、声を裏返して返事をした秀介に、全開の笑顔を向ける。
長く伸びた前髪の奥にある黒い瞳が丸くなり、素直な感情表現に、桜子と二人で益々笑みを深めた。
「長く待たせてすまない」
「これからまた、ずっと三人で一緒だよ」
単なる人間から見れば久遠に近い時間を一人で過ごした幼馴染に向けるには、あまりにも淡白な言葉かもしれない。
けれど自分たちにはこれが一番ぴったりだろう。
事実凪と桜子、二人の笑顔に釣られるように笑った秀介の表情には、先ほどまであった影はなく、小春日和の太陽みたいな暖かで穏やかなものだった。