第二部 海外編
<アメリカ>
#フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト
第32代大統領。日露戦争終結を仲介したセオドアの従弟。ニューディール政策により、世界恐慌を脱する。アジア、特に中国大陸の利権を虎視眈々と狙っている。
#アーネスト・キング
海軍大将。若い時に訪れた鎌倉での出来事により大の日本嫌い・日本人嫌いとなる。海軍士官としてはとても優秀だが、歯に衣着せぬものの言い方で周囲との軋轢は絶えない。
#ジョセフ・クラーク・グルー
外交官で1932年から駐日大使。アメリカ有数の知日派。
#コーデル・ハル
F.ルーズベルト政権の国務長官。史実では太平洋戦争開戦直前に日本側へ示された『ハル・ノート』の策定者として知られている人物(起草した人物は違うけれど)。国際連合の発案者であり熱烈な支持者であることから“国連の父”といわれる。
#ダグラス・マッカーサー
アメリカ陸軍大将。フィリピン軍元帥。フィリピン軍元帥の制帽を被り、コーンパイプを燻らす姿はかなり有名。アメリカ陸軍参謀総長時代には労働者のデモ行進を武力弾圧した。自尊心が高く、人種差別的な思想を持ち、共産党が大嫌い。
I shall return.
<イギリス>
#ウィンストン・チャーチル
名門マールバラ公爵家の出身。1906年以降、内務大臣・財務大臣・海軍大臣などを歴任。1940年に挙国一致内閣を率いる。名文家としても有名で、第二次世界大戦の時の日記『第二次世界大戦回想録』で1953年にノーベル文学賞を受賞。現女王エリザベス2世が即位したのは、この人の第二次政権(1951~55)の時(1952年)。
#ロバート・アンソニー・イーデン
通算3回にわたり外務大臣を務め、後の2回はいずれもチャーチルが首相の時だった。1955年にチャーチルの引退を受けて首相になるが、翌年起きたスエズ危機の対応に失敗。結果として大英帝国の凋落を招く直接的な原因を作ってしまう。
#トーマス・フィリップス
海軍中将。愛称“親指トム”。イギリス海軍の次世代のエース。1939年春に東洋艦隊を率いてはるばるイギリスから東アジアへやって来た。
<ドイツ>
#アドルフ・ヒトラー
国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)党首。1933年に首相、1934年には大統領を兼任し、総統の地位につく。多額の賠償金や世界恐慌で沈み込んだ経済を立て直し、再軍備を進める。
#パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス
国民啓蒙・宣伝大臣(宣伝相)。哲学博士にしてプロパガンダの天才。ドイ国内に当時最新のメディアだたラジオを広く普及させ、選挙運動の方法を大きく変えた人物(詳しくは各自で調べること。まあ、色々とあるんだ)。知識人としてのプライドが非常に高く、ユダヤ人を憎んでいる。また、外務大臣のリッベントロップを嫌悪している。
#ヘルマン・ゲーリング
国家元帥。航空相。第一次世界大戦では61機撃墜のエースパイロット。著名な「リヒトホーフェン大隊」の指揮官として活躍。1923年の騒動で負傷した怪我の治療でモルヒネ中毒になり、見るも無残な肥満体になる。航空機関連では色々とあった人だが、狩猟に関する法律の制定(実は現在も存続している法律がある)や動物・森林の保護にとても積極的だった。
#アルベルト・シュぺーア
ヒトラーお気に入りの若き建築家。ゲルマニア計画に深く関与。
#ハインリヒ・ヒムラー
ゲシュタポ(秘密警察)などの警察組織を統括する。また親衛隊の全国指導者でもある。国内外の政治的事件に暗躍し、有力者をスキャンダルで失脚させたり、国家反逆をでっち上げたり、要人暗殺の手引きをしたりした。小柄で黒縁の丸眼鏡をかけている。
#ヨアヒム・フォン・リッベントロップ
英独海軍協定や日独防共協定で活躍。駐英大使ののち外務大臣となる。戦時中はこれといった功績はない。ゲッベルスとは仲が悪い。
#アルベルト・シュぺーア
ヒトラーお気に入りの若き建築家。ゲルマニア計画に深く関与。
<フランス>
#シャルル・ド・ゴール
陸軍大佐。2m近い長身で細身の人物。欧州大戦でドイツ軍の捕虜となった時にのちのソ連邦元帥トゥハチェフスキーと知り合う。フランス陸軍大学校の彼の評価は「勤勉にして俊鋭・博学。ただし、友人との折り合いが悪く、性格的にも円満を欠く」。要するに「わが道を行く」性格。若い頃から欧州大戦の英雄ペタン元帥に可愛がられたが、のちに決別する。
<イタリア>
#ベニト・ムッソリーニ
第一次世界大戦後に成立したファシスト党党首。首相として「ローマ帝国再興」を旗印に独裁政治を展開する。
<オランダ>
<ソ連>
#ヨシフ・スターリン
レーニン亡きあとのソ連を率いる指導者。内政・外交両面で揺れ動く日本を嘲笑うかのように満洲や朝鮮・樺太・千島を狙い続ける。政敵や造反者を容赦なく粛清する。
#ミハイル・ニコラエヴィッチ・トゥハチェフスキー
ソ連邦元帥。内乱時代の英雄で、“赤軍の至宝”“赤いナポレオン”と呼ばれる。ソ連軍(赤軍)の機械化・近代化を推進し、数々の戦術理論を構築した20世紀前半屈指の名将。特に「縦深戦術理論」は後世の軍事理論に多大な影響を与えた。1937年5月ごろから家族とともに姿を消し、1939年初頭に我那覇竜二のもとに姿を見せる。仮の名前は“イヴァン・スミロドフ”。ロシア空挺軍の生みの親ともいわれる。
<スペイン>
#フランチェスコ・フランコ
スペイン内戦で台頭した陸軍軍人。ドイツやイタリアなどの支援を受けて人民戦線政府を打倒。ファシズム的独裁者として君臨し、反体制派を徹底弾圧した。第二次世界大戦では中立を表明し、政権はフランコが死去する1975年まで続いた。
<中華民国>
#蒋介石(しょう・かいせき)
日本陸軍士官学校卒。辛亥革命に参加し、1925年の孫文死去を受けて中華民国の指導者になる。1927年に南京で国民政府を樹立し、その主席となる。以降、共産軍や日本軍と抗争を繰り広げる。息子蒋経国は夫人として有名な宋美齢ではなく、先妻とのあいだにできた子供。
#宋美齢(そう・びれい)
蒋介石夫人。浙江財閥の家に生まれ、9歳の時にアメリカに留学して名門大学を卒業。そのため英語は堪能で、英語を話せない夫に代わってスポークスマンの役割をした。孔祥煕夫人の長姉宋靄齢(そう・あいれい)、孫文夫人の次姉宋慶齢(そう・けいれい)とともに“宋家三姉妹”として有名。ちなみに亡くなったのは2003年10月23日、106歳だった。
#張学良(ちょう・がくりょう)
奉天軍閥張作霖の息子で父の暗殺により奉天軍閥を継承する。史実では西安事件において重要な役割を果たすが、その後は長く軟禁状態に置かれる。対外発言が(ひとまず)出来るようになったのは李登輝が登場する1990年代のことである(この頃NHKなどのメディア取材に度々答えている)。2001年10月14日、ハワイ州ホノルルで死去。100歳だった。
<イラン>
#レザー・ハーン(レザー・シャー・パフレヴィー)
パフレヴィー朝ペルシア(1935年にイランに改称)初代皇帝。第一次世界大戦後の亡国の危機に軍事クーデターを起こして権限を掌握。カージャール朝にかわり、1925年に皇帝に即位し、ペルシア(イラン)の近代化を推進。アジアで最初に国交を開いた日本に対しては好意的。東資開総裁・沢中源蔵とは建国当初からの親しい友人。
#ムハンマド・レザー・パフレヴィー
パフレヴィー朝イラン第2代皇帝。初代皇帝レザー・ハーンの長子。年代によってはパーレビ国王(皇帝)といったほうが馴染みがあるかも。多趣味で自動車コレクションは世界的に有名。父親以上の近代化を強権的に推進し、やがてトルコのような世俗化政策を進めるが……。
<???>
#ナターシャ
兵学校入学前の主人公と海軍兵学校入学直前まで十年以上にわたって一緒に暮していた欧州人女性。主人公の人格形成に多大な影響を与える。英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・日本語を話せるが、ドイツ語はやや苦手。20歳前後にして宮廷作法にも詳しいことから、どうやらやんごとなき身分の出身のようだが……。