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ハコナキの杜

作者:

女子高生二人によるホラー探索系です。


若干恐怖描写があるので苦手な方はご遠慮ください。

 人が多く集まる場所は、それだけ多くの思いが集まる場所でもあると言う。時が流れれば流れる程、思いは積み重なり、その場所を覆っていく。思いがもし何らかの方向性を持ち得るとするなら、何が起こってもおかしくないのだ。例えそれが私達の知覚を超えるものであっても。人々の多くはそれを恐れる。原因はすべて人間にあるという事を忘れて。

―「人々と呪い」より抜粋―


 

 その日の私はとてつもなく不機嫌だった。入った覚えのない「地域文化研究会」の活動に無理やり参加させられ、一日中大して興味のない地域資料館やら神社やら歩かされたからだ。

これが春から初夏にかけてならまだいい。

その時期の散歩ならまだ気持ちの良いものだと思える余地はある。

でも、今日は春でも初夏でもなく、真夏なのだ。

気持ちが良いどころか気持ちが悪くなる可能性大のような日なのだ。

とにかく暑い。本当だったら冷房が効いた部屋でごろごろしていたはずなのに。

汗に濡れた髪をかき上げたついでにちらりと横を見る。この地域文化研究会唯一の部員であり幼馴染であり、無理やりここに連れてきた張本人の坂本美月が歩いている。さらにその向こうには顧問である中川先生が汗一つかかずに歩いていた。

中川先生は歴史を教えている事もあって、地域文化に大変興味を持っているらしい。年はまだ若く、眼鏡が似合う好青年だ。女子に人気が高く、悔しい事に自分も例に漏れていない。だから美月一人だったら断る活動もついつい参加してしまうのだ。

美月に言わせると今日のテーマは「日常に潜む恐怖」らしい。どうせ美月の事だ。昨日やっていたホラー特集でも見たのだろう。ネットで集めたここら辺の心霊スポットとやらをぐるぐる回っているらしかった。意外な事に中川先生もそっち関連に興味があるらしく美月の提案をすぐに受け入れた。私はどうでも良かったので、半ば呆れながら美月達の後を付いて行った。


最後の目的地に着いた時にはすでに日は傾き、夜の闇がオレンジ色の空に溶け込み始める頃だった。

赤い日にさらされたその場所は気味が悪く、霊感が無い人でも入るのをためらってしまう雰囲気を醸し出していた。

目の前には神社のような石の階段。

でも鳥居もそれらしき建物も見当たらない。階段の向こうに見えるのは黒々とした木々だけだった。


「ここなに?神社?」

「森だよ」

「森、というか杜でしょうか」


先生が言う。同じ発音なのに何が違うんだろう。


「森林の森じゃなくて神社の社のほうで『もり』。ここは普通の森じゃないんですよ」

「じゃあ何なんですか?」


私の問いに答えるように、夕闇の風が通り抜けて森が揺れる。


「何なんでしょうね?坂本さん、知っていますか?」

「一応ググったけどね、どれも胡散臭い後付け話っぽくて」


美月が答える。ちなみに美月は先生に対して友達のように話す。

それをある一部の女子生徒達が勘違いして一騒動があった。

もちろん私にも被害があり、散々質問攻めをされた。とまあ、これはまた別の話。


「ただ確かなのは何かを置く為にこの森が作られた事、でも戦争中に全て森も建物も崩れちゃったって事。地元の有志がここに森を再び作った事かな」

「美月にしては良く調べたね」

「まあね」


いつもいい加減な美月とは違う事に私は驚いた。

事前準備0が当たり前で、行き当たりばったりなだけに私はほんの少し美月を見直した。

ただ今にして思えば、美月が事前準備をしていた事に疑いを持つべきだったのだけれど。

美月、先生、私の順で階段を上がる。階段に何も奇妙なものはない。

階段を上った先にあったのは森、いや杜だけだった。黒々とした上に禍々しい程の赤が波打って不気味さが増していた。


―嫌な、場所。


私には霊感と言われているものは一切ない。それでもこの場所は気持ちの良い場所ではなかった。

さすが心霊スポットという事だろうか。

私とは対照的に先生と美月は嬉しそうだった。

美月は写真を取り出すし、先生は周囲を慎重に見回している。

きっと彼らには恐怖や恐れなどという感情などなくて好奇心しかないのだろう。

私はなるべく中に入らず彼らの行為を見ていた。


「千早―、先生―、良いもの見つけたよー」


能天気な美月の声が私と先生を呼ぶ。見れば美月は杜の中央に立っていた。

普通私達が知っている神社と言えば、鳥居があり建物があり、そしてそれらを取り囲むように木々が植えられて森のようになっている。

だけどこの場所は神社という場所から鳥居と建物をごっそり取り払ったようになっていて、

だから平地を取り囲むように森が形成されていた。

美月が立っている場所は通常だったら建物が建てられている場所だろう。

現に階段からその場所まで石畳が真っすぐ向かっている。

私はもちろん美月の呼ぶ声を無視した。しかし先生が手招きをしている。

私は仕方なく彼らの元へ向かった。


「これは面白い」

「でしょ?何かね、この場所だけ土の色が変だったから掘ってみた。そしたらこれが出てきたんだ」

「箱、ですか?なんでこんなものが?」

「さあ?あ、でもこれが心霊スポットの元になってるんじゃない?」

「ああ確かに。かなりくいわくがありそうですね」

「うん。ぞくぞくするぐらい」

「そうですね」


薄暗い中、美月の足元にあったモノは長方形の様な形をした箱だった。

長方形、というより棺と言った方が良い。

それだけで異様なのに箱の一部を除いて覆う御札がその異様さを引き立てていた。


無知な私でも十分わかる。それがどんなに危ない物か。

そして目の前にいるこの二人も危ない事を今、改めて理解した。

彼らに私と同じ気持ちを期待してはならないのだ。


「開けるのは流石にやばいかな」


あっけにとられている私を尻目に、美月と先生が箱を再び埋め始めた。箱が土に埋まっていく。

完全に埋め終わった時に感じたのは妙な安心感だった。土で汚れた手を払い、美月が立ちあがり言った。


「今日の部活動は終了!かいさーん」


唐突に部活を終わらせる声が、静かな杜に響く。

もう完全に日が落ちて、周囲には遠くの電灯の光しか明りが無かった。

少し気味が悪くて周囲を見渡しても、不思議な事に悪寒も視線も感じない。

あるのは静寂と闇と杜だけ。私達は何事もなくその場所を後にした。


結局家に帰るまで何もなく、また帰っても何もなかった。

私はあの場所が「心霊スポット」なんて嘘ではないかと思うまでになっていた。

確かにあの箱の事を考えると背筋が冷たくなる。でも呪われはしていないと思う。

呪い、祟りにかかる事はどういう事かだけは私は知っているから。


事が起こったのはそれから何事もなく一週間が経とうとしていた日だった。

私は完全にあの場所もあの箱の事も忘れていたし、美月も同じだっただろう。

その時、私達は地域文化研究会の部室にいた。

私は宿題をしながらおやつを食べていて、美月は週末の部活動を考えていた。

先生は会議か何からしく不在だった。

(余談だけど、地域文化研究会には可笑しな事に部員が一人しかいないくせに部室がある。さらに部活動の交通費は学校からの予算で賄われている。一体どうなっているのだろう?)


「面倒くさいなあ」


ふいに美月が呟いた。どうせいつもの独り言だろう。この少し可笑しな友人はたまに独り言を言う。

それが大声&場所を選ばないので人によってはかなり驚く。が、幼馴染の私には馴れたものだった。


「全く、自業自得って言葉知らないのかしら」


誰に言っているか分からない悪口を言うと、美月は部室のドアを開いた。

そこには驚いた顔をした女子が立っていた。同じ学年の浅見さんだった。

まさにドアをノックしようとした所だったらしく、行き場のなくなった手がそのままになっていた。


「あ、あの」

「話があるんでしょ?」

「!、どうして」


浅見さんが言う前に美月が遮る。美月の悪い癖だ。相手の言いたい事を先回りして言ってしまう。

しかも殆ど合っているから性質が悪い。結局美月に飲まれてしまうから、勿論会話がなんて上手くいかない。


「浅見さん?ほら、おいでよ。私もいるからさ」


だから必然的に私がカバーをする羽目になる。

すっかり動転している浅見さんに声をかけ、中に入る事を促す。

浅見さんは私がいた事でほっとしたようで、私が勧めた椅子に座った。


「どうしたの?話って何かな」


さっきドアの所では少し距離があったから気付かなかったけれど、今隣にいる浅見さんの顔色が悪い。

忙しなく視線は泳いでいるし、特に窓の方ばかりを見ている。

私が知る限りの普段の浅見さんとは違った。とにかくその怯えようは尋常じゃない。

だから出来るだけ優しい声で聞く。何故か不機嫌な美月に口を開かせる訳にはいかなかった。


「私、わたし、死んじゃうかもしれないのっ!」


「死んじゃうって・・・、え」


予想外の発言に素っ頓狂な声を上げてしまう。でも死ぬっていきなり言われたら仕方ない。

呆気にとられる私をよそに浅見さんは泣きながら、半ば叫ぶように言葉を続けた。


「次は私なの、ねえどうしよう、どうしよう!殺されちゃう」

「と、とにかく落ち着いて、ね。何があったか話して」

「やだ、死にたくないよ!あんな死に方」


取り乱した浅見さんに私の声は届かない。ただ泣いてわめくだけ。

本当にどうしようか、そう思った瞬間、パン、と小気味良い乾いた音がした。

美月が浅見さんの頬を叩いたのだ。

一瞬にして静かになる浅見さん。涙も叫び声も止まっていた。


「美月、何やって」


「箱を開けたのね?」

「・・・」

「何人で行ったの?」

「4人」


浅見さんが蚊の鳴くような声で美月の質問に答える。美月の顔は険しい。

私にはさっぱり会話の意図が見えないけれど、美月と浅見さんには通じているらしい。

ただ俯いている浅見さんが痛々しかった。美月が一つ溜息をついて大きく息を吸った。


「『あなたの所には来ない。あなたはそれが原因で死なない』・・分かった?もうあなたは大丈夫よ」

「え、・・・あたし、死ないの?殺されないの?」

「そうよ」

「でも、だって、みんなっ、みんなはっ!」

「あなたは死なない!もう関係ない!だから帰って寝る!そんな生活続けている方が死んじゃうわよ」


半ば怒鳴りつけるように美月が言う。その様子に面食らう私と浅見さん。

でも浅見さんから怯えが消え、さっきより随分しっかりしている。


そこで遅ばれながらも私は浅見さんが何を相談しに来て、美月が何をしたかを理解した。


美月には友達がいない。(私から言わせれば性格の問題だと思っている事は内緒)

友達は多分私と、友達と言っていいのか分からないけれど中川先生ぐらいだ。

だけどそんな美月の元に時々相談に来る人がいる。

気にはなっていたがお互い自分から言うまで干渉しない事が暗黙のルールだったから中々聞く事が出来なかった。

でもとうとう校長先生が部室に美月を訪ねてきた時、好奇心に負け聞いた。

最初かなり渋ったけれど購買の梅ジュース一週間分を条件に話を聞く事ができた。


その時の話をまとめると、

美月には不思議な力があって、それは見えないものが見えたり、祓ったりという力や近い未来を予測する力らしい。

相談に来る人は殆どがお祓いを頼みに来る。美月の祓う方法は簡単で、言葉で言うだけ。

何も道具など使わないらしい。

その話を聞いた時はさすがに驚いた。でも長い付き合いの中、振り返れば思い当たる節は沢山ある訳で、むしろ気付かなかった自分の方が怖く思えた。

だから、浅見さんがここに来たのは、何かをしてしまって、それによって何かが起こり、美月に祓ってもらいに来たのだ。



浅見さんが去った部室はとても静かだった。

しばらく私は茫然としていたけれど、すぐに美月は部活動プランを考え始める、と思ったらいきなり鞄を手にとって、帰り支度を始めた。

机の上に散らばるものを鞄に放り投げていく。

筆記用具、書きかけのノート、食べかけのお菓子、スコップ。


「・・スコップってお姉さん、持ち歩いてたっけ」

「馬鹿にしてる?」

「え、じゃあなんで」

「これから部活動だから」

「はあ?だってどこ行くのさ」

「杜」

「え、森?森って学校の裏山?」

「違う。先週の日曜日行ったでしょ?あそこに行くの」

「ああ、あそこ。でも遠くない?私は行かないよ」

「あっそう。でも千早、」


そこで美月が言葉を切り、その続きを耳打ちする。

私はすぐ美月の後を追って鞄に手を伸ばし、帰り支度を始めた。

期待と、また釣られてしまったという情けない気持ちが同時に胸を満たす。

そして思う。なんであの事を美月に打ち明けてしまったのだろう、と。



私は中川先生の事が好きだ。いつからか、どうしてか分からない。

ただ気付いたら先生が好きで、どこが好きと聞かれれば全部、としか言えないけれど。

先生の顔、特徴的な丁寧な言葉、雰囲気。先生は私の知らないものを持っていた。

憧れ、そうかもしれない。私達の年代は先生というものに理想を求めているのかもしれない。

だから憧れだったらそれで良かった。それだったら他の女の子達みたいに、先生と話して騒いで、

そういう事をすれば満足できた。でもそうじゃない。他の人がそうだって言ってもきっと違う。

憧れにしては凶暴すぎるのだ。

だけど恋人なんていうポジションは望んでいないし、美月を通して普通より親密でいられればいい。

いくら恋は盲目など言っても流石にそこまでの勇気はない。

だからこのまま、そう思っていた。


でも美月に打ち明けてしまった、というか無理やり聞きだされてしまった。それがいけなかった。

それから事あるごとに先生で釣るようになり、私も馬鹿だと思うのだけれど、つい釣られてしまうのだ。部活に行かないと言えば、先生を呼び出すし、お陰で部活は今の所皆勤。先生も先生で何故美月の誘いに乗るのか不思議だった。美月に弱みでも握られているのだろうか。



学校から件の杜に行くには最低でも一時間はかかる。

浅見さんから話を聞き終わった時、時計は五時を指していた。行って帰って七時。時間的には問題ない。夏だし七時ならまだ明るい。当たり前だけど電車もバスも使える。

問題は事を早急に片付けなくてはならない事、らしい。

何故かは聞かなかったけれど、美月がそう言うならそうなのだろう。

だからなるべく早く行く必要があった。もちろんバスや電車もある。でもそれは徒歩と同等かそれ以上かかってしまう。だとしたら後は一つしかない。

そしてその手段を持っている人がいるなら美月は躊躇いなく使用する。だから美月は私にこう囁いたのだ。「先生の車に乗りたくないの?」と。



そして、今。私達は先生の運転で杜に向かっている。美月が事情を説明するとすぐ車を出してくれた。

もし先生が弱みを握られているのだとしたら一体どれ程なのだろう。

美月は広い方が良いと言い、後部座席を陣取って、今は眠っている。と思う。

後部座席を陣取ったのも、今寝ているのも私の為というポーズをとりつつ貸しを作っているに過ぎない。しかしどうであれ、私は助手席に座っている。好きな人の隣、しかも車内。ドキドキしない訳が無い。

寝ている(フリ)美月のせいで車内は静かだった。余計に緊張する。

そして緊張のあまり私変なにおいしてないかな、とか肌テカってないかなとか先生はまったくこっちを見ていないのにそんな事を考え始め出した時、先生が口を開いた。


「僕の運転、大丈夫ですか」

「は、はい!それはそれはとっても快適です」

「良かった。普段人を乗せないし、里森さん黙っているから気分悪くさせてしまったかなって」

「滅相もないです、えっとその私も普段車に乗らないので緊張してしまって、すみません」

「ふふ、里森さんは面白い人ですね」


先生が笑う。でも私に見えるのは先生の横顔だけ。見慣れない、それだけで余計に胸が煩くなる。

さっきの会話はとても酷いけれど、気にしない。

バックミラーに映った美月の顔が笑っていたけど、気にしない。

それ程私は今先生の横顔に見とれていた。

それからさっきの変な会話がきっかけになってそれなりに車内は賑やかになった。

だから先生の横顔を見ても怪しまれないで済む。とても幸せな気持ちだった。

例え美月に貸しを作っても。明日は梅ジュースでもおごってやろう、そう思った。



例の杜に着いた時には、この間と同じような時間だった。赤黒く染まる木々。夕暮れ時の風が煩く木々を揺らす。本当に不吉な雰囲気を醸し出していた。

ここで浅見さん達は何をして、何が起こったのだろう。箱がなんとか、とか言っていたけれど、

その箱はもしかして先週見たあの箱だろうか。

あの箱だとすれば、浅見さん達はあの箱を開けてしまったという事になる。


うわあ、と思った。あれを開けたのか。

あんな気味の悪いものを良く触れたと思うし、良く開けようと思ったとも思う。

それともあの箱が自ら開けるよう仕向けたのかもしれない。

嫌な想像をしてしまった。ぞくリ、と背中に冷たいものが走る。

石段をあがる足を止めて前を見れば、相変わらず先生と美月は散歩でもするような調子だった。

私は以前と同じように石段を上がってもそのまま進む事無く、美月達を見ていた。

美月がかがむ。箱を掘り出しているのが見える。もう一度あの箱に封をするのだろう。

先生と言えば、美月を手伝う事無く、ただ、美月の側にいる。先生は普通の人だ。

美月のように出来る訳がない。それでも近くにいるという事は好奇心がそうさせているのだろう。


美月がそれを元通りにするにはそれ程時間はかからなかった。

近づいてくる二人に私は尋ねた。


「終わったの?」

「終わった」

「もう大丈夫なの?」

「当たり前。私がやったんだから」


そう言うと美月がにぃっと笑う。悔しいけれど安心できた。

美月がそう言うなら絶対大丈夫なんだと私は心の奥底から信じている。

普段はいい加減でどうしようもないけれど、こういう時の美月は信頼できるのだ。


「じゃあ帰りましょうか」

「うん、帰ろう・・・、まだやる事残ってるし」

「はあ?だって元通りにしたんじゃないの?」

「馬鹿だね。まだ謎は残ってるじゃない」

「謎?何がさ」

「・・・どうしてあの箱が埋められていたのか、ですか」

「そう。だから学校に帰るの。もちろんあんたもね」

「はあ?」


その後、引きづられるように学校に連れていかれたのは言うまでもない。



眠い目をこすり、欠伸をし、ぱらりと捲る。その動作の繰り返し。

無理やり学校に連れていかれ、図書室に入りこんだのが今から二時間前。

流石にもう帰ろうとした時、美月がにこりと笑って「今日はウチに泊まるって連絡しといたから」と言われてしまった。

本当にこういう時だけ手はずか良い。良すぎる。

どうして母親達は美月の言う事を信じてしまうのだろう。こっちの方が私にとって最大の疑問だ。


さっきから捲っているのはこの地域に関する歴史の本だった。

本来なら図書室はもう閉まっている時間だから懐中電灯の明かりだけで読むのはかなりきつい。

別に明日でも良いのに、それが私の本音だった。とはいえ、美月の好奇心がそれを許す訳ではない。

きっと何か手掛かりを得るまで探させられるだろう。


―現在××地区は市内でも最も人口が少ない。


何枚紙をめくった頃だろう。懐中電灯の明かりに照らされた文章が目に入った。

今まで読んで来た分は殆ど土地の成り立ちばかり書かれていたからか、妙な感じがした。

××地区。あの杜がある所だ。こうやって書かれているぐらいだから何か意味があるのだろうか。

確かにあの杜の周りには家が少なく、人の気配がなかった。

家と家の間隔がまばらで、結構な都会であるはずの街なのに寂れた印象があった。

ページをめくり、先に進む。かつては大きな集落がありそれなりに栄えていた事。

しかし明治初期にはすでに人口が減少し、再び増える事はなかった。

もちろん例の杜についても書かれていた。でも美月から聞いた事以上は載っていなかった。


「何かあったの?」


いつの間にか隣に来ていた美月が尋ねてきた。


「あったと言えばあったけど・・、でもあの箱の事なんて書かれてないよ」

「あんた、あの箱どんな箱か知ってるの?」

「知らないけど」


美月の言い方に少しむっとしながら答える。だって私はあの箱を少ししか見てない。

だからどんなものかなんて分かるはずがない。


「あれは箱じゃない。棺だよ」

「棺?じゃあ中に入ってたのは・・・」

「骨だったけどね。ちゃんと人の形してたよ。でも不完全だった。足が一本足りないんだ」


淡々と語る美月。ぞっとする。あの箱の中にそんなものが入っていたなんて。

私はそれ以上聞きたくなかった。しかし美月は言葉を続けた。


「浅見さん達が持ち帰ったのか。それとも最初からなかったのか。どっちでも良いけど。・・そうそう千早、知ってる?浅見さん以外あの箱開けた人死んじゃってるって。しかも皆右足が・・・」

「美月!」

「何よ、知りたくないの?」


思わず叫んだ私に、意地悪く続ける。そんなものを見て平気でいられる美月が怖い。

私は美月を無視して本に集中した。

それでも美月は続けて呪いだとかなんとかとか言っているけれど無視をする。

先生がいればまだ救いはあるものの、さすがに生徒と一緒に忍び込むのはまずいので美月が返した。

私もその判断は正しいと思うけど、やっぱりこういう時の美月は普通じゃないから誰か一人他にいるとかなり気が楽になる。



結局日付が変わる頃まで分かった事と言えば、


一、あの杜がある地区は人口が少ない。

二、昔はそれなりに栄えていた事。

三、しかしある時期を境に人口が減少していき、その時期は杜が出来た頃と一致する。

四、美月が調べた通り、戦争中に建物が焼け、杜しか再建されなかった。


二人合わせてそれだけだった。もちろんあの箱の事は何も書かれていなかった。

もう眠いしお腹がすくしで、手がかりもなし。

しかし美月はご機嫌だった。何か見つけたのだろうか。私はもうどうでも良かった。


「さあ、帰ろう」

「え、もういいの?」

「だって知りたい事は知れたし。ここじゃこれが限界だし」


美月が本を片付け始めた。私も連られて片付ける。

懐中電灯の明かりの中で一応の確認をした後、入って来た時と同じように窓から外に出た。

振り返ると真っ暗な校舎は不気味で直ぐ目を背ける。

夜の学校は私の知る学校じゃない、そんな気がした。

校門を乗り越えた時、美月が振り向いて言った。


「そういえば、今日うち来るんだっけ」

「だって美月がお母さんに言っちゃったんだよ?泊めてくれなきゃ困る」

「じゃあ丁度いいや。ねえ、千早。明日学校さぼろうか」

「え、やだよ」

「じゃあ泊めない」

「はあ!?」

「こういう問題はスピードが勝負なもので。私一人だとあれだし」

「あれって何さ。私が行った所で何も変わらないと思うけど」

「いいの、とにかく野宿かさぼりか。どっちが良い?」


いつもの嫌味な笑い方じゃなくて、可愛らしく美月が笑って尋ねてくる。

要するに美月は、貴方には選択肢が無いの、と言ってるのだ。

例えそういう意味が無くとも、普通の高校生の私に野宿という選択肢は選べるはずがない。


「・・・・さぼり」

「だよねえ。ですよねえ。・・・じゃあ家帰ろうか」


小躍りしそうな美月と、その対照的な私。

でもまあ美月が嬉しそうだし、どうであれ友達の家に泊まるのは少しワクワクする。

一人暮らしの美月のマンション(アパートではない。彼女はお金持ちの家のお嬢様なのだ)は中々快適だし、気を遣わなくて良い。

それなりの回数泊まっている事もあって二泊ぐらいしても困らないようにはなっている。

それに美月のマンションの同じ階に先生も住んでいるのだ。

もしかしたら朝一の先生の姿を見る事が出来るかもしれない。そうだ、そんなに悪くないじゃないか!

一瞬のうちに憂鬱な気分がけし飛ぶ。しかし、そんな私の考えを見透かしたかのように美月が言う。


「千早、明日先生にばれなきゃいけないようにしなきゃね」

「あ・・・」


あまりの自分の馬鹿さに嘆きそうになった。美月といると先生とドキドキ体験なんて出来る訳が無いのだ。頑張れ自分、めげるな自分。いつかきっと、そう自分を励ましながらいつの間にか随分前を歩いている美月の後を追いかけた。






次の日。結局先生にばったり、なんて嬉しいハプニングはなく、私達は社のある××区に電車で向かった。これから何をするの、と美月に聞けば、調査をするのだ、と返って来た。

それで納得がいく訳が無く、私は美月に詳しく尋ねた。


「でも美月はちゃんと元通りにしたんでしょ?何で調査なんてするの?」

「千早ちゃん、良く考えましょうか。・・確かに元通りにしたよ。でもね、それはあの棺を開けなければって条件付き。それじゃあ解決してないでしょ。またあの棺を開けるバカは出てくるだろうし」

「まあ、確かに」

「だからあの棺を完全に無害なものにしなきゃ解決じゃない。それに調べた方がやりやすいしね。調べなくても勿論綺麗にできるけど、やっぱりああゆうモノが出来た理由も知りたいし」

「知ってどうするの」

「別に。好奇心だけど」

「ですよね」


しかし調査、と言っても美月はどうやって調べるのだろうか。

昨日図書室に忍び込んだ結果があれだけだし、この近くの図書館を調べても同じ結果だろう。

後は事情を良く知る人に話を聞くぐらいだ。でもあの棺の事を知っている人なんているのか分からないし、知っている人がいたとしても、私達はその人を知らない。

私の心配をよそに、美月はどんどん歩いていく。そして着いたのはあの社だった。

昼間来てみると今までとは雰囲気が違って、とても穏やかな場所だった。

風に揺れる木々の音は優しいし、少し薄暗いけれどそれが涼しい雰囲気を醸し出していた。

ピクニックに来ても良いような所に思えた。

あんな不吉な場所に思えたのが嘘のようだった。

今までは美月の後ろで石段を上り、足を踏み入れる事はなかった。

でも今日は少しこの場所を歩いてみようと思えた。

美月の横に並んで、社を見渡す。二回程来ているのにはっきりと見たのは今日が初めてだった。

何もない。ただ木々が並んでいるだけで、良くも悪くも何も感じなかった。

杜の中央から少し外れた所にお婆さんが一人、掃除をしているのか箒を持って地面を掃いていた。

あれだけ怖かったのが馬鹿みたいにのどかだった。


「こんにちは」


美月がお婆さんに声をかける。素晴らしく愛想が良い。

声をかけられたお婆さんは少し驚いたものの優しそうに笑って挨拶を返してくれた。


「こんにちは。こんな時間にお嬢ちゃん達どうしたのかい?」

「ええ、ちょっと学校で地域の事を調べなきゃいけなくて」

「そうかい、それは御苦労だねえ。でもここには何もないと思うんだけど」

「そうでしょうか?」


美月の笑顔が消え、真顔になる。お婆さんも一瞬だけ箒の手を止めた。


「本当だよ、ここは見ての通り木しかないよ」

「でも、昔は建物もあって大層立派だったと聞きましたが」

「それも前の戦争で全部駄目になっちゃってね、貴重なものも全部焼けたよ」

「でも残っているものもあると聞きましたよ。大層酷い空襲の中唯一残ったものがあるとか」

「はて、そんな事もあったかね。随分昔の話だからねえ」


明らかにお婆さんは何かを誤魔化しているのが私にも分かった。

もうお婆さんの顔は笑顔じゃない。口調は穏やかだけど、表情は強張っていた。

ここでまた私は理解する。美月はあの不思議な力できっと分かっていたのだろう。

お婆さんがここにいる事や、お婆さんが全てを知っている事を。だからここに真っすぐきたのだ。


「ねえ、お婆さん。お婆さんはどうしてここにいるんですか」

「掃除だよ。最近ここにゴミが置かれる事が多くて困ってるんだよ」

「毎日来てるんですか?」

「そうだよ」

「じゃあ知ってますよね、あそこが掘り返された事」


美月が指をさす。その指はあの箱、棺が埋まっている場所を指していた。

それを見てお婆さんが一つ溜息をついた。


「掘り出したのはあんたか」

「いいえ」

「何か知ってるのかい」

「お婆さん程ではないですが、それなりに」


少しの沈黙。お婆さんは何か考えているようだった。美月を見て、私を見る。

諦めたようなそんな表情に、悪い事をしてしまった様な気がした。いや実際悪い事をしていると思う。

お婆さんの、この社の秘密を暴こうとしてるのだから。好奇心は時に人を傷つけてしまう。

知りたいと望む気持ちを持つ事は罪ではなくても、

向ける対象によっては酷く残酷な事をしてしまう時もある。きっと今がその時なんだろう。


「ここじゃあ暑い。…家に来なさい」


お婆さんが背を向けて歩きだした。私達も後に続く。

石段を降りる前に、私は振り向いてもう一度社を見渡した。

やっぱり、何もない。ただ森だけが広がっている。それだけだった。



案内されたお婆さんの家は、昔ながらの木造の平屋で、夏休みに遊びに行く田舎のお婆ちゃん家、そんな言葉が良く似合う家だった。

私達は居間に通された。扇風機が少しだけ冷たい風を首を振りながら送っている。その送風音しかしない程辺りは静かだった。お婆さんは私達の前に座ると、ゆっくりと話し始めた。


「昔、本当に随分昔の話だよ。私の祖母の母ぐらいの時の話でね。その頃は随分ここも栄えていたらしい。今は随分寂れてしまったけれど。当時は沢山人もいたし、畑も田んぼもこの県のうち半分以上はここで生産していた程だったらしいねえ」


お婆さんの言葉に頷く。それは図書室で読んだ資料にも書いてあった。


「知っていたのかい?まあちょっと調べれば出てくる話だろうしねえ。…でもある年に、天候はいいのに大凶作という事が起こった。おかしな話でしょ?天気は良いのにちっとも作物が出来ない。しかもそれが二、三年続いたんだって。当たり前だけど土地を捨てる人も出てきたし、だんだんと人が減っていった。でも住んでる人の殆どは頑張った。色んな事を試して、何とか乗り越えようとしたんだね。でも、どうにもならなかった。…あんた達は生活に困った事はあるかい?」


私は首を横に振る。もちろん美月も一緒だ。美月はお金持ちの子だし、

私だって普通に、幸せに暮らしてきた。私達の答えにお婆さんがうんうんと頷く。


「そうだろうねえ。それはとても良い事だよ。人間というものは生活が満たされて始めて人間としての理性が働くんだ。生活が成り立たないと、人間は少しおかしくなる。住民達もそうだった。だから普通じゃ出来ない事をしてしまっても不思議ではなかった。今考えてみれば馬鹿らしいってそう思えるけど、私は彼らを責める事が出来ないんだよ。例えそのせいでこの場所に縛りつけられてしまっていてもね。…ねえあんた、さっきあの棺を掘り出してないって言ったけど、それは本当かい?」

「いえ、掘り出しました」

「だろうね。何かあったりは?」

「ないです」

「そうかい、もう力も弱まっているんだねえ」

「…弱まってなんかいませんよ。あれを開けた四人のうち三人が死んでます。右足も一緒に」

「右足もか…じゃあ、その残った一人があんたかい?」


お婆さんの言葉に美月が頭を横に振る。


「じゃあ、あんたかい?」


私も、もちろん首を横に振る。


「あんた達はどうしてこの事を知ったんだい?…いや、深く聞くのは止めとくよ。だからあんた達も私が今から話す事を忘れて欲しい。それでいいね?」

「約束します」

「それは良かったよ。…さっきの続きだけど、おかしくなった住民達は理由を探し始めたんだ。天気のせいでもない、作物のせいでもない、まして自分達のせいでもない。大変な事が起こっているのに理由が無い。だから理由を皆、躍起になって探した。理由があれば何とかなる、そう思ったんだ。でもね、それがいけなかったんだね。誰が言い出したかは分からない。でもいつの間にか広まっていったんだ。この地区のはずれに住むとある一家の呪いだって。…おかしな話だよ。その一家と他の住民達に何にも問題なんてなかった。ただあるとすれば、人づきあいが他の住人達に比べてなかっただけ。それだってはずれにすんでいるから仕方なかった。でも理性を失った住人達はそれを信じ、呪いを止めさせるためにその一家に火を放った。深夜の事もあり気がついた時には火が回って逃げれなかったらしい。その一家は全員焼け死んでしまったそうだ」


「・・・ひどい」


「うん、酷い話だ。勝手に勘違いして殺してしまうなんてね。住人達はこれで、呪いは終わる、作物が実る、そう思った。でも実際は違った。作物が実らないどころか今度は住人達が突然倒れてそのまま死ぬなんて事が起こり始めたんだ。呪いの元は絶ったはずなのにますます酷い状況になる。そこで住人達は気付いたんだ。自分達で呪いを作り出してしまったと」

「それであの箱が出来たんですね」

「そう。誰が考え出したかは分からない。ただ私が知っているのは、殺された一家の怒りを解く為に、住人達から生贄を出す事にしたらしい。どういう基準で選ばれたのかは分からない。でも選ばれた人達は殺され、その後一人ずつから体の一部を切り出して、それを組み合わせて人の形を作り、棺に納めた。後は知っての通りあの場所にそれからずっと埋められてきた。だけど本当は完全じゃなかったんだよ。生贄に選ばれたある一人は庄屋の一人娘だった。そこで親は変わりに使用人を差し出した。そして切り取られた一部は右足に使われた」


「右足が…」


「だからあの棺をもってしても不完全なんだよ。棺の中の人は一家の呪いを百年以上受けている。それを開けたらどうなるか分かるね?」

百年以上の呪い。それは想像を超えるものだろう。怒り、悲しみ、悔しさ。人の命を奪っても終わらない程なのだ。


「これで話は終わりだよ。何か聞きたい事はあるかい?」

「一つだけ、いいですか」

「いいよ」

「もし呪いを終わらせる事が出来たら、お婆さんはそれを望みますか?」

「望むさ。自分の為にも、棺の中の人達の為にも、何より一家の人達の為にもね。でも無理だ。あまりにも呪いが大きすぎる。今更何をやっても無駄だよ。人の命を奪った罪なんだから」

「分かりました。…お話、長い間ありがとうございました。約束通り忘れます」


美月が一礼する。話に引き込まれていた私は慌てて頭を下げた。

顔を上げた時見たお婆さんは疲れ切った顔をしていた。

この後も、ずっとずっとこの後も、お婆さんはあの杜の秘密を守っていくのだろうか。

そう思うと何とも言えない気分になる。生活に困った住人達の行動は決して許されるものではない。

でもそれを責められる人は誰もいないし、殺された一家も何も悪くない。

呪いをかけても仕方ない程の事をされたのだ。

だから行き場のない罪を向ける為にあの棺は作られたのだろう。

棺の中にいる人達の苦しみも、消える事はないのだ。

呪いが呪いを呼び、それが途切れる事のない悲しみを生む。

それが消える日はあの棺がある限り来ないのだ。

でも罪は償わなければならないし、許されなければならない。

終わりにしなければ、お婆さんの言う通り、住人達も、殺された一家も、生贄にされた人達も呪いの中で永遠に呪いの中に生きていかなければならなくなる。



「美月、」

「杜に行こう」


お婆さんの家を出た時、私は美月を呼んだ。私の呼びかけに美月はすぐ答えてくれた。

それで分かった。美月がしようとする事が。美月はこの呪いを終わらせてくれるのだ。



再び杜に戻ると、そこには先生がいた。


「言われた事は全部やっておきましたよ」

「ありがとう」

「他に助けは要りますか?」

「いらない。私一人で出来る。相手は人間だから。多少『理』から外れてるかもしれないけど」


そう言うと美月はさっさと石段を登り始めた。私はどうしようか迷って、取り敢えず先生に話しかけた。


「あの先生、どうしてここに?」

「坂本君から連絡があったので。それにしてもさぼりは感心しませんね」

「す、すみません」

「もし次さぼる事があったらもっと上手にして下さいね」


そう言って微笑む先生はとてもかっこ良かった。しかし今は見とれている時ではない。美月はあの棺の呪いを一人で祓うつもりだ。大丈夫だろうか。


「美月はどうするつもりなのかな」

「きっといつも通りですよ。…大丈夫。彼女に祓えないものなんて殆ど無いに等しいですから」

「そう、なんですか?」


先生はたまに美月に関してこんな言い方をする。

美月の事を私より良く知っているような、そんな言い方。

それに嫉妬してる訳ではないけれど、先生は美月の、美月は先生の何なんだろう。

二人には私の知らない何かがあるのだろうか。

どうであれそれは多分、私が首を突っ込むべきではない事だ。


「ええ、そうですよ。気になるなら坂本さんの所に行ったらどうですか」

「え、でも行っても邪魔になるだけだし、それに美月、私にそういう事をしているのを見られるのが嫌みたいだから」

「そうなんですか、それは知らなかったです。…でも坂本さんらしいと言えばそうかもしれませんね」


美月は私を連れまわすくせに、何をしているか教えてくれない時がある。

どうして?と尋ねても教えてくれない。美月なりの理由があるとは思う。

それに小さい頃から一緒にいるから、どんな理由かは何となく分かる。

だからこそ余計に思う。美月が何をしていても嫌いにならはずないのに。


美月が石段を下りてきたのは、それから一時間ぐらい後だった。


「美月!」


思わず駆け寄って怪我が無いか確認する。

どんな方法で祓っているか分からないけれど、私が出来る事はそれぐらいだし、自分自身が安心出来る。

幸いに今回も美月は平然としていて、体に傷などはなかった。


「終わったよ。棺もなくなった」

「お見事ですね」

「褒められたと思っとく」

「じゃあもう呪いも全部なくなったんだよね?」

「そう、お終い」


その言葉に嘘はないと思うけど、百年近く続いた呪いがほんの一時間で消え去るとは少し信じられなかった。私のそんな思いを読みとったのか美月が言う。


「でも、まだ呪いは続くよ」

「え?だって祓ったんじゃないの?」

「私が祓ったのは棺だけ。だから棺の呪いは消えたよ」

「それが呪いの元なんじゃないの?」

「…棺の呪いは、棺そのものからだけじゃない。いくら私が祓ったとしても『呪い』に囚われている限り消えないんだ」

「殺された一家の呪いの事?」

「違う。もう彼らの呪いは終わってるよ。逆に危なかったのは長い間受け続けた棺の方。不完全なヒトガタのせいで、棺から受けた呪いが漏れてた」

「それじゃあやっぱり棺が無くなればいいんじゃないの?」


美月は何を言いたいのだろう?呪いは祓ったのに、終わってはいないという。

だけど一家も棺も、呪いの元になっていたものはもうない。

だとしたら何が呪いの元になっているのだろう?分からない。

もうちょっと分かりやすく説明して欲しい。

どうせ馬鹿なり何なり言われるだろうけど、気になる方がもっと嫌だ。


「千早はもうちょっと考える事をお勧めします」

「まあまあ。里森君も付き合ってくれたのですから、ちゃんと説明を聞く義務はあると思いますよ」


先生の言葉に激しく頷く。確かにそうだ。昨日は深夜の資料捜索、今日は学校をさぼっての手伝いだ。

言われるまで忘れていた自分も情けないけれど、

少しぐらい私の為に説明ぐらいして貰ってもいいはずだ。

お願いビームを出す私と、面倒くさそうな美月。折れたのは美月だった。


「一度しか言わないよ?呪いは、呪いを出してるものだけのせいじゃないって事。呪いを受け入れる事、呪われても仕方ないって思う事は自分から呪いに縛られるの。だから私がいくらあの棺を祓っても、呪われている人が呪いを受け入れている内は呪いはある。…ただの思いこみなんだけど。あのお婆さんはいくら私が祓ったと言っても信じないだろうし、呪われ続けてるって思い続けるんだと思う。…千早には言わなかったけどこの地区一帯、あのお婆さんと同じ人ばかりだよ。そう意味ではこの場所の呪いは解けないんだ」


「そんな」


「仕方ないよ、自分で自分の首を絞めてるって気付かない限りね。私はそこまで祓えない」


一家の呪いも、棺も無くなった。私はそれで呪いが解けると思っていた。

でもそれは違う。呪いがあるという心が呪いを生みだしてる限り、誰にも救えない。

心がざわつく。終わりだと思っていたのに。少しだけ聞いた事を後悔した。


それから私達は社を後にした。

もうきっと来る事はないだろうと思って、最後にもう一度だけ振り向いた時、杜は夕焼けに晒されて赤黒かった。そこに呪いがないと分かったせいか、不吉なものも、恐怖も何も感じなかった。

感じたものがあるとすれば、悲しさだけだった。人が作り上げた、悲しい呪い。全てが人によって作られ、次々と受け継いでいく悲しさ。断ち切られる時はいつ来るのだろうか。


この杜がある限り、その時はきっと来ない、そんな気がした。



数日後、偶然ネットであの杜について書かれているサイトに辿り着いた。

特に真新しい情報はなかったけれど、一つ目に入った言葉があった。


―ハコナキの杜―


それはあの杜の名前だという。そのサイトは市で運営しているらしいから、嘘ではないと思う。

そう言えばあれだけ、あの杜について調べたのに名前を知らなかったのは妙な話だ。

でもその疑問はすぐに溶けた。


―地域住民に呼ばれている名称であり、どう漢字で書くかは不明。便宜上カタカナ表記になっている―


地域住民のみで呼ばれているのは正式名称ではないから、郷土資料にも載っていなかったのだ。

それにしても、ハコナキの杜。どういう意味が込められているのだろう。

ハコはあの棺の事を指していると考えていいだろうけど、ナキはどう考えるべきだろう?

無き、泣き、亡き。全てそうで、違う気がする。

棺を無きモノとしたかったのか、亡き者の為の箱だからだろうか。それとも生贄になった人、殺された人達の悲しみの箱が泣くのだろうか。


結局は分からない。私も後少ししたら忘れて、思い出さなくなる。どこかでその呪いに苦しんでいる人がいると知っていても。ハコナキのもり、そう呟いてみても、もう既に何も感じないのだから。



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