新婚の夫に愛人(♂)がいた
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それは、あたたかい春の陽射しに包まれた穏やかな午後のことでございました。
わたくしは嫁いだばかりの伯爵家の中庭で、旦那様とのお茶会に向け、侍女たちにさまざまのことを言いつけ準備を進めておりました。旦那様とわたくしだけの、家族団らんのお茶会でございますから、侍女研修もかねて新人の侍女たちが忙しなく準備を進めております。
旦那様が大好きだというスコーンと、あまさ控えめのクロテッドクリームを用意し、口直しとしてパンやハム、たとえ身内のみとは言えど、旦那様をおもてなしできるよう心を尽くして準備いたします。
年嵩の侍女長も、本来ならこの場でわたくしと指揮をとるのですが、どうやら出入りの商人が納入数を間違えたとかで駆り出されておりました。まだまだ未熟ではございますが、伯爵夫人であるわたくしが対応しようと申し出ましたが、このような些末なことに奥様のお手を煩わすことはできませんときっぱり断られ、わたくしは予定通りお茶会の準備をしております。わたくしが、本日のお茶会をたいへん楽しみにしていることを、侍女長は察していたのでしょう。伯爵家は、使用人たちの教育も行き届いており、本当に嫁げてよかったとわたくしはうれしく思います。
そもそも、なぜわたくしが伯爵家に嫁ぐことになったのか。旦那様と恋に落ちて――ということであれば、それはとても浪漫のあるお話だったでしょうが、実際はただの政略結婚でございます。
旦那様とわたくしが結婚することで、隣接する領地間の飛び地が伯爵家のものとなり、交易で有利になるからでした。しかしながら、わたくしはこの政略結婚を、とても幸運なことだと思っております。
旦那様は、伝統ある伯爵家の直系男子としてお生まれになりました。お義母様は、前陛下と異母ご兄妹であらせられ、旦那様も王家の血を引くやんごとなきお方でございます。そうした尊い血を引いていらっしゃるからでしょうか、まるで玉のような美しさを持って生まれた旦那様は、社交界では「光る君」と呼ばれております。そのようなすばらしいお方と、政略的とはいえ結婚できたことは、妃の位に匹敵するほど女性としてはこの上ない喜びでございました。
しかも伯爵家に嫁いだわたくしを、旦那様はそれはそれは心を砕き、大切にしてくださいます。結婚をして半年は経とうというのに、「君を大事にしたい」と未だに同衾をしたことはございません。わたくしと手が触れただけで顔を赤くして、ぱっと手を離されるほどに初心でもいらっしゃいます。
もしやお子の作り方を知らないのでは……と、旦那様と乳兄弟にあたる若い執事にこっそりと尋ねましたが、執事は小さく笑ってただ首を振るだけでございました。
こうしてわたくしは、何不自由なく伯爵夫人として屋敷での生活を過ごしていたのです。
「奥様、準備が整いました」
緊張した面持ちの初々しい侍女にほほ笑み返し、わたくしはテーブルを確認いたします。旦那様の好きな食べ物、紅茶、花に至るまで完璧に用意されておりました。あとはここに旦那様がいらっしゃれば、お茶会が開始できます。
「ありがとう、完璧だわ。――わたくしは、旦那様をお呼びするわね」
本来ならば、旦那様を呼び出すのは侍女の仕事です。しかし、あまりにも楽しみなわたくしは、家族だけのお茶会であることに油断して、自ら旦那様を迎えに参りました。本来ならば制止するはずの侍女長もここにはおりません。わたくしは、まるでスキップでもしそうな軽やかな足取りで旦那様の執務室に向かいます。
旦那様は御年十九になられ、十七の成人の儀とともに伯爵家当主を引き継ぎました。旦那様のお父様でいらっしゃる大旦那様は、まだまだ現役で働きざかりでございましたが、愛する奥方様と少しでも長く余生を楽しみたいと半ば強引にご隠居されたのです。
そうは言っても、現国王陛下のおぼえめでたい大旦那様は、たびたび旦那様と一緒に王宮に出仕なさっておいでです。そのたびに伯爵家にお寄りくださるのですが、お義母様と離れたくないと毎回お芝居のように悲しまれ、旦那様がそれを見て赤面をなさるところまでがわたくしの毎回の楽しみでございます。
旦那様の執務室に到着し、木製の扉をノックしようと手をあげたとき、中から何やら荒々しい息づかいが聞こえてまいりました。
「や、やめ……それ、以上は……っ」
「そんなことを言って、私の指を離さないのは旦那様ですよ?」
聞こえてきたのは、旦那様と旦那様の右腕で乳兄弟の若い執事の声でございました。なんだかただならぬ様子に、わたくしはノックの手を止め、扉にそっと耳を近づけます。
「あっ……ばか、変なこと……っ」
「このあと奥様とのお茶会があるのに、いけない旦那様ですね。こっちのほうは、すぐにでもいってしまいそうですが」
「いわ、言わないで……」
泣きそうな旦那様の声に、いやらしく責め立てる若執事の声に、わたくしは頭から血の気が引いていくようでした。
わたくしと手が触れただけで顔を赤くし、大旦那様とお義母様とのやり取りにも恥ずかしそうになさる儚げな「光る君」の姿が音を立てて崩れていきます。
ふだんのわたくしであれば、何も言わず、黙ってその場から逃げていたかもしれません。しかし、そのときのわたくしは何を思ったのか、執務室の扉を――その禁断の扉を、開いてしまったのでございます。
「え……」
執務室の机に下半身を露出して横たわる旦那様と、旦那様の――不浄の穴に指をつっこんで覆いかぶさっている若執事が突然入ってきた闖入者をぽかんと見つめます。そして、すぐにふたりの顔はみるみる青ざめていきました。
「奥様……!」
若執事がさっと手を引っ込めると、旦那様が艶っぽく「あっ」と鳴かれます。わたくしは怒りよりも、別の不思議な感情を覚えておりました。
「あなたたちは、一体何をしていたのですか?」
旦那様は白い顔をますます白くさせ、下半身を露出させたまま、何も言わず天井を見つめております。若執事は後ろで手を組み、あからさまにわたくしから視線を逸らします。旦那様のおズボンは、応接セットのソファに無造作にかけられておりました。どうやらかなり長い時間、ふたりで「お楽しみ」だったようです。
「何をしているのか、伯爵夫人のわたくしが聞いています」
今まで出したこともない冷たい声に、若執事の肩がびくりと震えました。先ほどは旦那様を震えさせていたというのに、これではすっかり形無しです。
「申し訳……ございません……」
「念のため聞きますが、何に対する謝罪でしょうか」
「すべて私がいけないのです。私は、旦那様が……」
「……うっ……うう……ひっ……」
旦那様が声をあげて泣きじゃくっていらっしゃいます。わたくしはなんだかあはれを覚えて、小さくため息をつきました。
「いつから、このような関係だったのですか」
「……五年ほど、前からです」
観念した若執事は、わたくしの質問に正直に答えます。旦那様は泣くばかりで、まったく頼りになりません。
「どちらから関係を持とうとしたのですか?」
「わ、私です……!私が、旦那様に!」
「ち、ちが……ぼ、ぼくだって、本当は……」
「旦那様……!」
熱く見つめ合うふたりに、わたくしは小さく手を叩いて意識をこちらに向けます。
「それで、どうなるのでしょうか」
「え……?」
「わたくしと、旦那様との結婚です。こうなっては関係を続けることは難しいでしょう?わたくしでは、お世継ぎを生むことはできませんもの」
もちろん、旦那様が生むこともできないのですけれど。
わたくしの言葉に、若執事が焦ったように膝をつきます。彼の右手はなるべく視界に入れないよう努めました。
「ひとまず、旦那様はおズボンをお履きになって。身支度をして、お茶会にいらしてくださいませ」
わたくしが言うと、旦那様はのろのろと上半身を起こし、若執事は手慣れた様子で、旦那様のおズボンのしわを直していきます。これ以上ふたりを見ているとおかしくなりそうで、わたくしは旦那様の執務室をあとにしました。
廊下に射し込む春の陽射しが今では恨めしく、わたくしは意味もなく太陽をにらみつけます。中庭までの道のりが、今のわたくしにとっては永遠よりも長い時間に思えます。だからこそ、先ほどよりも冷静にわたくしは現状の整理をつけることができました。中庭に戻るころには、出る前と同じ「愛しい旦那様を待つ伯爵夫人」を侍女たちにお見せできていたと自負しています。
わたくしが席につくと、なんだか暗い顔をした旦那様がおよろめきながらやって参りました。そもそも、先ほどまで足腰立たないほどに激しく責め立てられていらっしゃったのでしょう。旦那様が椅子に腰を下ろす際、一瞬だけ顔をしかめて腰を浮かせたのを、わたくしは見逃しませんでした。あのような事の後は、座るのさえおつらいことと存じます。
決して精神的なショックが原因でおよろめきになっているのではないとわかっているわたくしは、椅子に厚手のクッションを敷くよう、そっと侍女に命じました。
わたくしは自然な仕草で人払いをして、旦那様と向き合いました。若執事も声の聞こえない距離に下がり、旦那様を心配そうに見つめています。
「……ごめん」
旦那様は頭を下げず、口だけの謝罪を行いました。声は聞こえませんが、わたくしたちの姿は侍女たちには見えています。旦那様が頭を下げると侍女たちが動揺いたしますので、伯爵としてご立派なご判断だとわたくしは感服いたしました。愛人(♂)がいること以外は、やはり旦那様に欠点はないように思います。
「それは何に対する謝罪ですか。わたくしと、離縁するおつもりで?」
旦那様は口を閉じ、小さく深呼吸をしてわたくしを見つめる。
「君のことを裏切り本当に申し訳なく思っている。君に軽蔑されても仕方ない。――でも、離縁はしたくない」
意外なお申し出に、わたくしは閉口いたしました。てっきりこのままわたくしとの離縁をお望みになると思ったからです。わたくしが何も言えずにいると、旦那様はさらに続けます。
「君にはなるべくの贖罪をする。財産も好きに使ってくれてかまわない。でも、離縁だけは――」
「どうしてでしょう?」
わたくしは心からの疑問をそのままぶつけます。旦那様はわたくしが怒っていないのを見て、驚いたように目を丸くしましたが、伯爵の顔をして続けました。
「ぼくと君の領地に挟まれた飛び地の件だ。あそこに新たな道路を敷くことで決まった仕事がたくさんある。それを、ぼくの身勝手で壊して……民を路頭に迷わせることは……できない」
なんと、旦那様は保身ではなく、領民のことを考えてこの婚姻を継続したいとおっしゃっているようです。そんなふうに思うなら、愛人(♂)など最初から作るべきではない、そもそもまだ陽の高い時刻に誰が来るともわからない執務室でことを始めるべきではないなど、思うところがないわけではございませんが、わたくしだって貴族の端くれです。領民を飢えさせたくないというお気持ちは、旦那様と一致しております。
「結婚を続けてくれるなら、君の望むことは何でもする」
わたくしは、その言葉に口もとがにっと吊り上がるのがわかりました。きっと今、わたくしは立派な三日月を浮かべていることでしょう。
「今、何でもとおっしゃいました?」
わたくしの生家は、辺境の修道院にほど近い場所にございました。わたくしはその修道院で、それはそれは美しい修道女……いえ、「天使様」が、世俗では決して口にできない甘美で極上な物語を望む者に分け与えてくださいました。
異国の王と流浪の勇者の勘違いから始まる愛、義理の兄弟になってしまった貴族男子たちの許されぬ恋。
わたくしはすぐにその物語の虜となり、いつかは自分もこのようなすばらしい世界へと一歩を踏み出したいと願っていたのです。
まさか、最高のモデルがこんなに身近に……。しかも、公式(正妻)という特等席で見放題、聞き放題、さらには実権まで握れるなんて。旦那様のお言葉は、まさに福音でございます。
あのとき勇気を持って禁断の扉を開けた甲斐があるというもの。わたくしは旦那様のお申し出にとびっきりの笑顔のまま、大きく頷きました。
「ええ、旦那様。ではまず――お二人の『馴れ初め』から、一言一句漏らさずお話しいただけますかしら?」
――ああ、神様。わたくしは二度ともとに戻ることはできないでしょう。
罪深いことをしているという自覚はございます。それでもこのような形で別の幸いを得た喜びから、わたくしは逃れることができませんでした。
「光る君」と呼ばれた伯爵が治める領地は、そこに住まう婦女子を魅了する「禁断の物語」があるらしい。決して表には出ないけれど、その「禁断の物語」は、特定の婦女子のみが知る闇のルートで大ベストセラーとなっていた。
それは、国王陛下のおぼえめでたき麗しの若き伯爵と彼に忠誠を誓う騎士との秘めたる愛を描いた物語である。まるで実際のできことをそのまま表現したかのような精緻な描写は、婦女子たちの心を大いに惑わせた。
その物語は、領地を超え、国を超え、時を超え、後世まで婦女子の心をつかみ、写本に写本を重ねて残されたのだが、長い年月を経てそれらの写本はすべて消滅してしまった。
そして、誰がその傑作を生み出したのか、ついに知られることはなかったが、ただ「春の夫人」という名だけは、題名とともに伝えられたという。
「私は婚約解消になり、妹は修道院に入った」もぜひお読みくださるとうれしいです。




