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第2話 村の神様なんて、いるわけない

 昼休みのチャイムが鳴った瞬間、教室の空気がゆるんだ。


 キーコン、カーコン——。


 さっきまで黒板に向かっていた十五人の視線は一斉に机の中やカバンへ向かい、

 「腹減ったー」「購買行く?」とあちこちで声が飛び交う。


 「ナタ、飯食おうぜ」


 「ナタくん、今日も一緒に食べよーぜ」


 いつもの二人が、いつものように俺の席にやってくる。


 柏諭と今村。

 こいつらは、昼になると当然のように俺の机の周りに集まり、当然のように俺のスペースを侵食する習性を持っていた。


 「……ああ、もうそんな時間か」


 教科書を閉じて、大きく伸びをする。

 背中のあたりでポキポキと骨が鳴った。


 俺はカバンから白いカップと、銀色の魔法瓶を取り出す。


 「またカップ麺かよ」


 諭が、呆れ半分・心配半分の顔で言った。


 「お前なぁ、それ絶対体に悪いって。だったらうちの母ちゃんに頼んで、お前の分も弁当作ってもらおうか?」


 「いや、いい。俺はこれがいいんだよ」


 湯気の立つお湯を、カップの中の乾いた麺に注ぎ込む。

 ふわっと立ち上るスープの匂いに、ちょっとだけ幸せになる。


 「だってさ、この食い物だけは、都会も田舎も変わんねぇだろ?」


 「出たよ、『この食べ物だけは都会も田舎も変わらない』理論」


 今村が、パカッと弁当箱を開けながら茶々を入れてくる。


 「頭いいのにときどきアホだよね、ナタって」


 「うるせぇよ」


 適当に受け流しながら、カップのフタに割り箸を乗せる。

 三分という時間は、いつもより少しだけ長く感じる。


 「なぁ、なんかさ、面白い話ない?」


 今村が、ひょいと箸をくわえたまま言った。


 「こう、毎日同じメンツで飯食ってるとさ、話題尽きるじゃん? なんかこう、ワクワクするやつ」


 「あるかそんな都合のいい話」


 「ないなら作れ。元ヤンのくせに使えねぇな」


 「お前の元ヤンのイメージ、だいぶ雑だからな?」


 くだらないやり取りを続けていると、諭がふいに顔を上げた。


 「……じゃあさ」


 真面目な声で口を開く。


 「まず、これ、ここだけの話にしてくれ」


 「お?」


 「内緒話?」


 俺と今村は、思わず顔を見合わせた。


 諭がわざわざ「ここだけの話」なんて前置きをするのは、珍しい。


 「いや、お前らに損はない話だから安心しろ。ただ、あんまり外には言わないでほしい」


 諭はそう言って、少しだけ周りを見回した。

 他の連中は勝手に盛り上がっていて、こっちに注意を向けているやつはいない。


 「昨日、ばあちゃんから聞いたんだよ。この村の“神様”の話」


 「神様?」


 「村の?」


 思わず声が重なる。


 諭が「神様」なんて言うと、何となく冗談みたいに聞こえる。

 けれど、その表情はいつになく真剣だった。


 「そんな目で見るなって。まぁ聞けよ。話自体は、ちょっと面白いから」


 諭は一つ咳払いをして、語り始めた。


     ◇


 「昔々、この土地には何もなかったらしい」


 諭は、弁当の唐揚げをつつきながら話した。


 「川も緑もなくて、ただ広いだけの、乾いた土地。そこに、遠い国から“番いの神様”が降りてきたんだと」


 「番いの……神様」


 「そう。夫婦の神様だな。夫の神様は“シャン”。嫁さんの神様は“マー”。」


 どこかで聞いたような音の並びだ。


 「その二柱が、自分たちの住処にするために、この土地に社と山を作った。石と金でできた、誰も見たことない立派な社。で、社のまわりに山々をぐるっと立てて、勝手に要塞みたいにしたらしい」


 「神様、わりと好き勝手してるな」


 今村がツッコミを入れる。


 「で、シャンとマーが住み始めてから、今度は周りに川が流れ始めて、草が生えて、木が育って、動物が住み着くようになった。時間が経つうちに、いつの間にか人が移り住んできて、村ができた」


 そこまで聞けば、まず思いつく答えは一つだ。


 「それが、この三叉村ってわけか」


 「そう。村の名前も、神様がつけたらしい。三本の川が山の麓で交わってるから“三叉サンサ”。まぁ、話としてはよくできてるよな」


 諭は肩をすくめた。


 「で、村人たちは、その番いの神様を崇めるようになって、社の近くに住み始めた。祈りと捧げ物をして、神様は代わりに豊作を約束する。そういう共存関係が、長いこと続いた」


 そこまでは、いかにも“昔話”だ。


 けれど、諭の声はそこで少しだけ低くなった。


 「問題は、そっから先だ」


 「ほう」


 今村が、唐揚げをもぐもぐしながら相槌を打つ。


 「神様が降りてきてから、千年くらい経ったころ。ある日、空が急に荒れ出したんだと」


 「台風?」


 「そんな生やさしいもんじゃなかったらしい。空が真っ黒になって、風が渦巻いて、雨が滝みたいに降って、近くの川はあっという間に溢れそうになる。社も村も、全部まとめて飲み込むくらいの勢いで、な」


 諭の声に、ほんの少しだけ熱がこもる。


 「そのとき、シャンとマーは、社の一番上——今でいう天守閣みたいなところから空を見て、こう言ったんだと」


 諭は、わざと間を取ってから言う。


 「『ここまで追ってくるか』って」


 今村の喉が、ごくりと鳴る音が聞こえた。


 「追ってくる、って誰がだよ」


 「そこがわかんねぇんだよ。ばあちゃんも、“そこから先はよく知らない”って言ってた。とにかく、シャンとマーは“もうここには居られない”って決めた」


 諭は、箸を置き、手のひらを組んだ。


 「でな。シャンとマーは、集まった村人たちにこう言ったんだ」


 「俺らはこの土地を去る。でも、力は置いていくって」


 「力?」


 顔をしかめたのは、俺だ。


 「マーの力は、この土地そのものに宿す。社や山や、村の田畑全部にな。だからこの土地は、もう二度と枯れない」


 「……なるほど。農家にはありがたい神様だな」


 今村が、感心したように頷く。


 「で、シャンの方は?」


 「シャンの力は、“意志あるもの”にしか宿らない。人間とか、意志を持った生き物にしか意味がない力なんだと。だから、力はこの土地に残すけど、すぐには誰のものにもならない」


 諭は、自分の胸を軽く叩いた。


 「時間をかけて、自然や土地の“気”を吸って、少しずつ大きくなる。そんで——千年後。この場所に住んでる人間の誰か一人に宿る」


 「千年後って……」


 今村が目を丸くした。


 「その“千年後”が、いつなんだよ」


 「そこなんだよな」


 諭は苦笑して言う。


 「ばあちゃん曰く、ちょうど十七年前。つまり——俺らが生まれた年」


 「あ?」


 「つまり何だ。三叉村に住んでる俺らの世代の誰か一人が、“神様の力”持ってるかもしんねぇって話」


 今村が、漫画みたいに口をぽかんと開けた。


 「いやいやいや」


 手をぶんぶん振る。


「さすがにそれはねぇだろ。そんなの、ラノベじゃん」


 「お前、今、ラノベ読んでるやつ全員敵に回したからな」


 俺は思わずツッコむ。


 「で?」


 カップ麺のフタを開けながら、訊ねる。


 「そのシャンとマーってのは、どんな神様なんだよ」


 「ばあちゃんの話だと、マーは静かで綺麗な女神様。あんま喋んないけど、慈悲深くて、村を守ることばっか考えてたらしい。シャンの方は、ゴツくて声がデカくて、めちゃくちゃ“男前”な神様だったってよ」


 どこか、林先生の姿が頭に浮かんでしまった。

 あの人も声と体格だけは神様クラスだ。


 「でな。シャンの方の力は、悪く言うと“破壊”の力だって」


 諭は少しだけ表情を引き締めた。


 「自分の守りたいもん以外、全部まとめて吹っ飛ばすみたいな。村人たちは、感謝してたけど、どっかでビビってもいたらしい。だから、いつの間にか“破壊神様”って呼ばれるようになってたってさ」


 「破壊神様、ねぇ……」


 口に出してみると、どこかで聞いたことがある響きがした。


 ——わがままな破壊神様の後始末。


 体育倉庫での、蒼葉のあの言葉が、一瞬だけ頭をよぎる。


 「で、そのシャン様の力が、千年経って誰かに宿るってわけか」


 「まぁ、そういう話だな」


 諭は肩をすくめた。


 「信じるかどうかは、好きにしていい。ばあちゃんも『これは家に伝わってる話だから』って前置きしてたしな」


 「……そのばあちゃんって、確か元巫女だったよな」


 今村が、ふと思い出したように言う。


 「昔、祭りのときに白い服着て踊ってた人」


 「そうそう。あのばあちゃん」


 諭は少しだけ照れたように笑った。


 「今はもうボケて、巫女も引退してるけどな。……でもさ」


 諭は箸を持つ手を止め、窓の外をちらりと見た。


 「そんなばあちゃんが、認知症になってから、あれだけ筋の通った長い話をしたの、初めてなんだよ」


 「……」


 「だから、たぶん、ちょっと特別な話なんじゃねぇかなって。俺は、そう思う」


 今村は「ふーん」と、はっきりしない返事をした。

 信じてはいないが、笑い飛ばせるほどでもない。そんな顔だ。


 俺も、似たような気持ちだった。


 (神様の力、ね)


 昨日、目の前から消えたゲジゲジ。

 今朝、当然のようにその名前を口にした森山蒼葉。

 さっきの話の「破壊神様」。


 バラバラのピースが、頭の中でなんとなく並びそうになって——。


 (いや、いやいや)


 首を振って打ち消す。


 神様なんて、いるわけがない。

 そんなものを本気で信じられるほど、俺は純粋でもバカでもないつもりだ。


 「お、やべ」


 ふと黒板の上の時計に目をやって、俺は叫んだ。


 「時間見ろ、お前ら」


 目盛りは、五限開始の五分前を指している。


 「うおっ、体育じゃん!」


 「着替えてねぇ!!」


 三人は、一斉に立ち上がった。


     ◇


 結果だけ言えば、間に合わなかった。


 「はぁっ、はぁっ……っ」


 体育館の外周を走りながら、俺は肺が燃えるような感覚と戦っていた。


 床板の上を走るたび、シューズの裏がキュッキュッと鳴る。

 その音すら、だんだん遠くに聞こえ始めていた。


 「なんで俺が、こんな目に……」


 「へぇ、へぇ……」


 横で今村が、ほとんどゾンビのような顔で走っている。


 「元はと言えば、お前が神様の話なんか始めるからだろ……諭……」


 「それは筋違いだろ……」


 先頭を軽やかに走る諭が、笑いながら言った。


 「話し込んでて時間忘れたのは、俺ら三人の共同責任だって」


 「じゃあ、お前一人で走れよ、エース様……!」


 「そうそう、お前だけ二十周追加でいいよな……!」


 「ひでぇ!」


 体育教師に遅刻した罰として言い渡されたのは、“外周十周”というシンプルかつ残酷な刑罰だった。


 他のクラスメイトはというと、中央のコートでバスケをしたり、バドミントンをしたり、思い思いに自由時間を満喫している。


 「でもよ」


 諭が、息一つ乱さずに続けた。


 「さっきの話、続きがあってさ」


 「まだあんのかよ……」


 「体力残ってるやつだけ、聞いてくれ」


 今村が「ギブアップで……」と小声で言ったのを無視して、諭は喋り続ける。


 「村人たちはさ、シャンとマーがいなくなるって聞いて、めちゃくちゃ引き止めたらしいんだよ」


 「そりゃそうだろ」


 「だけど、二人は決めちまってた。『俺らは去る。でも、力は残る』って。で、シャンが最後にこう言ったんだと」


 諭は、低く、少し芝居がかった声で言う。


 「『我の力は大きすぎる。今ここにいる誰かが持っても、制御できない。だから千年後、この土地で生まれる者に託す』ってな」


 「千年後ってのが、俺らの世代」


 「そう。だから、ばあちゃんは笑いながら言ってたよ」


 諭は自分の胸を親指で指さした。


 「『もしかしたらお前かもしれないし、あの子かもしれないし、誰にも気づかれないまま一生終わるかもしれないねぇ』って」


 「それはそれで怖いな」


 今村が、ぜぇぜぇ言いながらツッコむ。


 俺はといえば、それどころじゃなかった。

 足は重いし、心臓はうるさいし、肺は文句を言っている。


 ——だけど。


 視線だけは、別の場所に引っ張られていた。


 体育館の隅。

 壁際。


 そこに、一人の影が体育座りをしている。


 森山蒼葉。


 白い体操着に、紺の短パン。

 膝を抱え、顔を少し上げ、じっと体育倉庫へ続く階段の方を見つめていた。


 (……また、あいつか)


 諭が、俺の視線に気づいてニヤッと笑う。


 「お前、本当に好きだよな、蒼葉のこと」


 「うるせぇ、走れ」


 口ではそう返す。

 けれど、あながち否定できない自分がいる。


 ——それにしても。


 (何を見てるんだろうな)


 蒼葉の視線の先には、体育倉庫へ続く鉄製の階段しかない。

 倉庫なんて、ボールとコーンとマットの集積所だ。そんな場所を、あんな真剣な顔で見つめる理由があるとは思えない。


 何周目かもわからない頃。


 蒼葉が、ふいと立ち上がった。


 「……!」


 俺は思わず足を止めかける。

 諭の肩が軽くぶつかって、慌てて走りに戻った。


 蒼葉は、体育教師のところへ歩いていく。

 何かを小声で告げてから、教師の許可を得たように頭を下げた。


 そして——迷うことなく、体育倉庫へ続く階段の方へ向かった。


 「トイレか?」


 今村がぽつりと言う。


 「かもな」


 諭は淡々とした声で答えた。


 でも、俺の中では、さっきの会話がぐるぐるしていた。


 神様の話。

 破壊神様。

 千年後に誰かに宿る力。


 昨夜のゲジゲジ。

 今朝の蒼葉の問い。

 そして、さっきの真剣な横顔。


 (まさか、な)


 汗と一緒に、嫌な予感まで流し落とせたらどれだけ楽か。


 「……先生!」


 気づけば、俺は声を上げていた。


 「トイレ行ってきていいですか!」


 「おう? ああ、早く行ってこい。サボるなよ、神空」


 体育教師の返事を待たずに、俺は外周の列から飛び出した。


 「おい、ナタ!」


 背後から諭の声が飛んでくる。


 「続き、あとで聞かせろよ!」


 「お前が言う側だろ!」


 ツッコミを返しながら、体育館の中央を突っ切る。


 バスケットボールの弾む音。

 バドミントンのシャトルが飛ぶ音。

 いろんな音がごちゃ混ぜになっている中、俺は体育倉庫へ続く階段の前までたどり着いた。


 階段を見上げる。


 いつもは閉まっているはずの倉庫のドアが、今日は少しだけ開いていた。

 その隙間から、淡い光が漏れている。


 ごくり、と唾を飲み込む。


 俺は一段、また一段と階段を上っていった。

 さっきまでの息切れが嘘みたいに、胸の鼓動だけがやけにはっきり聞こえる。


 最後の段を踏みしめ、そっとドアの隙間から中を覗く。


 「……」


 体育用具がぎっしり並んだ倉庫の中央に、蒼葉が立っていた。


 俺に背中を向ける形で、少しだけ顔を上げている。


 そして——。


 左手を、目の前の壁にそっと当てていた。


 「……おい」


 呼びかけようとして、声が喉の奥で止まる。


 その瞬間だった。


 ——パキ。


 耳慣れない、乾いた音がした。


 蒼葉の指先のあたりで、空気がひび割れたように見えた。


 よく見ると、それは壁じゃない。

 壁の、少し手前。

 透明な何かの表面に、パズルのピースみたいな形の亀裂が走り始めていた。


 「……なんだ、これ」


 思わず、言葉が漏れる。


 壁に置かれた蒼葉の左手の周りで、音もなく亀裂が増えていく。


 まるで、この世界の“皮膚”だけが、静かに剥がれ落ちようとしているみたいに——。


 俺は、その場から一歩も動けなかった。

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