第3節:実験区画と輪作計画
堆肥がゆっくりと熟成していくのを待つ間、俺は次の授業の準備を進めていた。病気の治療には、薬と食事だけでは不十分だ。今後の健康を維持するための「生活習慣の改善」が必要になる。土地にとっての生活習慣改善、それが『輪作』だった。
畑の一角、俺たちが「カルテ」を作った際に、特に土壌の疲弊が激しいと判断した区画に、俺はアリアと数人の領民を集めた。
「今日は、この土地が二度と病気にならないための、未来の授業だ」
俺はまず、先日作った堆肥の一部と、森から運んできた腐葉土を、その区画にだけ集中的に鋤き込んでいった。土の色が、白っぽい茶色から、しっとりとした黒褐色に変わっていく。
「領主様、どうしてここだけなんです? 畑全部にやった方がいいんじゃ……」
一人の領民がもっともな質問を口にした。
「いい質問だ。だが、焦ってはいけない。科学で一番大事なことの一つは、『比較』することだ。この『実験区画』で俺たちの治療法がどれだけ効果があるか、他の何もしない土地と比べることで、初めて正確な結果がわかる。成功すれば、この方法を自信を持って全体に広げられる。もし失敗しても、被害はこの区画だけで済む」
リスク管理と比較実験。科学の基本中の基本だ。領民たちは、俺の慎重かつ論理的な計画に、深く頷いていた。
土壌改良を終えた実験区画の前で、俺は地面に絵を描きながら、新しい農法の概念を説明し始めた。
「この土地が病気になった一番の原因は、毎年同じ作物ばかりを育ててきたことだ、と言ったのを覚えているか?」
「へい。『偏食』が原因だと」
「その通り。だから、これからは土地に『いろんなごはん』を食べさせる必要がある。今年はこの作物を植えたら、来年は違う種類の作物を植える。そして再来年は、また別のものを……というふうに、順番に回していくんだ。これを『輪作』という」
俺は、いくつかの作物の絵を描き加えた。彼らが主に栽培している、小麦のような穀物。カブのような根菜。そして、豆。
「例えば、小麦は土地の栄養をたくさん使う大食漢だ。だから、小麦を収穫した次の年には、あまり栄養を必要としないカブを育てる。そうやって、土地を少し休ませてやるんだ」
「なるほど……」
「だが、一番重要なのは、この『豆』だ」
俺は、豆の絵をトン、と指差した。
「豆の仲間は、他の植物にはない、すごい魔法を使うんだ」
「魔法、ですか?」
アリアが興味津々に身を乗り出す。
「ああ。こいつらは、俺たちが吸っているこの空気の中から、植物の栄養――『窒素』を直接取り込んで、自分の体に溜め込むことができるんだ」
「ええっ!? 空気から栄養を!?」
領民たちがどよめく。空気はただそこにあるもの、吸って吐くだけのものとしか思っていなかった彼らにとって、それはまさに魔法の所業に聞こえただろう。
「正確には、豆の根に住んでいる、また別の『見えない小さな生き物』――根粒菌が、その魔法を使ってくれる。だから、小麦を育てて栄養が減った土地に、次は豆を植える。すると、豆が空気中から栄養を集めて、土地をまた豊かにしてくれるんだ。まさに『畑を耕してくれる作物』だな」
窒吾固定。高校生物の基礎知識だが、この世界の常識を根底から覆すには十分すぎるインパクトだった。
俺は、未来の輪作計画を彼らに示した。
一年目:小麦(収奪)→二年目:カブ(休閑)→三年目:豆(回復)→四年目:小麦……
それは、単なる農作業の計画ではない。自然のサイクルを利用し、持続的に恵みを得るための、科学的な設計図だった。
領民たちは、その壮大で、しかし理路整然とした計画に、ただただ圧倒されていた。今まで、彼らの農業は神頼みと経験則だけが全てだった。天候が悪ければ凶作は当たり前、土地が痩せれば呪いのせいだと諦めるしかなかった。
だが、俺が示したのは、自分たちの知識と工夫で、未来の収穫をある程度コントロールできるという、革命的な思想だった。
「すごい……」
アリアが、地面に描かれた輪作の図を、夢見るような瞳で見つめていた。
「領主様の言う通りにすれば、もう、お腹を空かせることはなくなるんでしょうか……?」
「ああ。約束する」
俺は、彼女の頭にポンと手を置いた。
「科学は、俺たちを裏切らない。正しく学び、正しく使えば、必ず豊かな未来を見せてくれる」
その日、俺たちは実験区画に、新しい希望の種を蒔いた。それは、ただの豆の種ではない。この痩せた土地と、疲弊した人々の心に、科学という新しい光を灯すための、最初の小さな種だった。




