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D-7025は空を飛ぶ

白髪の女には、D-7025という番号があった。

廊下の両側に独房が連なっていて、D-7025もその一室で寝起きしている。


朝の点呼を終えて、清掃の仕事に就いた。

バケツに浸けたモップで床を拭き、便器の詰まりを直し、手洗い場の落書きを洗剤でこすり落とす。Dクラスは常に班で行動し、保安担当の監視が付くのだが、ここの監視はあまり厳しくなかった。


かつて、監視の職員の姿が見えず探しに行ったことがある。外に面した廊下で煙草を吸っているのを見つけたとき、職員は「わざわざ探しに来なくてもいい」と言った。


昼食の後は、荷物の台車を押して廊下を行き来した。頼まれた場所で積み下ろしするだけで、こちらも見張りは付かない。


仕事終わりは検温と点呼。宿舎に戻ってシャワーを浴びて、タオルで髪の水気を取った。


食堂に行くと、夕飯は魚の塩焼きとスープだった。魚の塩焼きは好物のひとつで、たまに出されると嬉しくなる。干し柿や瓜も好きだが、贅沢品なのでここに来てからは口にしていない。


スープのカップを手にしたとき、思わず盆に戻した。カップが焼けるように熱く、嫌なもの──吐瀉物がなみなみと入っている気がしたのだ。


一旦目をつぶってからもう一度確かめると、野菜の欠片が入った普通のスープだった。色も匂いも普通で、掌が焼けるはずもない。気の所為だと分かったので、カップの中身を飲み干して食事を終えた。



収容房に戻って背伸びをしてから、緑茶を飲みに娯楽室に行った。猫舌でも安心の温度である。こぼして腕にかかっても火傷はしないだろう。


給茶機の左上に、テープで覆われたところがある。昔は珈琲が出ていたけど、皆が喜んで飲んだから補充が追い付かず、配分を巡って争いが起きた。男は鋏を構えていて、危ないから割って入ったら、別の男に髪を掴まれて罵られた。


顔を殴られて鼻血を流した者と、目を押さえて呻いている者がいて、駆けつけた保安職員に外に運ばれていった。その件があって、珈琲のボタンはテープで封じられ、水と白湯、麦茶、緑茶だけになった。


いつのことだったか、よく覚えていない。そもそも珈琲は苦いから好きじゃなかった。罪人同士の喧嘩など放っておけば良いのだけど、目の前で死なれたら寝覚めが悪い。


緑茶に口をつけると、顔に傷のある男が、長机を挟んで話しかけてきた。落書きを消したことへの抗議だったが、こっちも仕事なので仕方がない。


用件を言い終えたら気が済んだようで、男は輪に戻っていった。


天井のテレビを見上げると、食卓を囲んで何かを祝うところが映っていた。卓上の鶏の丸焼きと、生クリームと苺のケーキが大写しになる。画面の中の人々は歓声を上げて喜んでいた。


映像を見ていると、胸の奥がむかついた。鶏肉は苦手だし、ケーキは見たくもない。溢れる肉汁も、焦げ目のついた皮も、唇に残った生クリームの甘味も、あまり良い気分にはならなかった。


緑茶を飲み干して収容房に帰るところで、娯楽室のほうから「強盗殺人」という言葉が漏れ聞こえた。


いつだったか、日焼けした男から前科を聞かれて、そう答えたことがあった。喋って回るとは口の軽い奴だ。


ここに来たときに、自分の罪状については説明を受けている。貴方には強盗殺人の前科と、特異な体質がある。その体で多くの人が助かるから、人を殺めたぶんを償ってもらう、と。


どこで誰を殺して何を奪ったのか、具体的なことは思い出せないけど。顔や両手が血に染まった記憶があるし、人を殺したというのも納得だった。自分の性質は、一言でいえば不老不死。崖から落ちても心臓を貫かれても蘇るから、死刑の代わりにここに行き着いた。



寝る支度を済ませて、寝台の上に片膝をついて座った。消灯時刻より少し早く照明を消して、背中を壁に押し当てて目をつぶるのが、考え事をしたいときの癖だった。消灯のチャイムが鳴ったら布団に入れば良い。


何度か深呼吸をすると、娯楽室の話し声の残響が遠のいていった。ベッドの軋みも、壁の感触も遠くなっていく。


──夕焼けよりも赤い空に、意識の世界を飛ぶ緋色の鳥がいる。


私は焼け野原に立っていて、自分が空を飛べることを思い出した。地面を蹴って、火の翼を広げて空を飛んでいく。


そこで、巨大な赤い鳥に遭った。翼は視界を覆うほど大きく、くちばしは鋭く、鉤爪は私の体を容易く八つ裂きにした。あるときは空中で頭を砕かれ、あるときは地上に墜とされてからくちばしで腹を裂かれた。あの鳥が羽ばたくだけで、風にあおられて姿勢が大きく崩れた。


飛んで喰われて蘇って、を何百回も繰り返したように思う。そこでの自分は橙色のつなぎではなく、紙札のついた赤いもんぺを履いていて、髪はリボンで結んでいた。焼け焦げたリボンが風に舞ったのを覚えている。


鳥と自分のほかに何もなくて、死ぬほどの痛みと熱と敗北だけが重なっていく。正面から挑んで勝てる相手じゃなかったから、終いには戦いを放棄して、逃げるようにこちら側に帰ってきたのだ。


後味の悪い記憶だったし、つい最近まで忘れていたのだけど。

ふと思い出したとき、負けっぱなしの悔しさと一緒に、胸を衝くような懐かしさがあった。自らも紅に染まれ。赤い空も、火の翼も、この命も。全てが燃えていて、自分が誰だったか思い出させてくれる。


これほど鮮烈な景色を、どうして忘れていたんだろう。


──ああ、確か。


思い出した。こっち側に帰ってきた後、心を守るために忘れなさいと言われて、頭に変な機械を被せられたんだ。負け戦が続いたから怒り狂うと思われたのかもしれない。


余計なお世話だったけど、口封じの意味があるなら、大人しく従っておこう。喋って回る気はないし、心の中までは覗けないだろう。大切なものは仕舞っておくのが一番だ。


──自ら も 紅 に 染まれ。私の名前は。


口元に笑みが浮かぶ。消灯のチャイムが鳴って、D-7025、藤原妹紅はベッドに背中を預けた。

クレジット

タイトル: SCP-444-JP - █████[アクセス不許可]

著者: locker

ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-444-jp

ライセンス: CC BY-SA 3.0

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