恋人ごっこ
家の扉を開くと、そこには見知らぬ巨乳のお姉さんがいた。
背丈は僕よりも十センチほど高い。
艶のある黒髪を後ろで一つに纏めている。
身に纏ったTシャツやスキニーに身体のラインがくっきりと浮かんでいた。
「お邪魔してるよ」
困惑する僕にお姉さんはそう言った。
平然とした顔で立ち上がり背の低い冷蔵庫を開く。
「アイス貰うね」
「えっと……」
状況がまったく理解できない。
僕にこんな美人でおかしな知り合いなどいない。
「あ。どうしてここにいるの? とか聞かれても困るよ。私も知らないから」
袋からアイスを取り出して首元の襟をパタパタとさせた。
チラチラと見え隠れする胸元に目を奪われた。
ポケットから携帯端末を取り出す。
見たところ凶器は持っていないようだ。
手を打つなら呑気にアイスを食べている今だろうか。
「ちょっと、何しようとしてるの?」
「いや……通報を」
「どうして? こんな美人なお姉さんが真夜中に家にいるんだよ?」
「だからですよ」
いくら恋愛経験のない僕でも彼女が関わってはいけない人間だと判断することはできる。
後々面倒なことにならないためにも、警察に来てもらう方が安全だと考えた。
「待って」
「なんですか?」
「それで調べてみてよ。豊島区の事件のこと」
「事件?」
「そう。最近この辺であったでしょ」
「いいですけど。そうしたら出頭してくれますか?」
この辺りで起こった殺人事件のことだろう。
訝しみながら事件について検索をかける。
数日前までの検索サジェストはゴミや天気のことだったが、今はすぐに事件と出てくる。
興味を示している人が多いのだろう。
「ここにいる理由は知らないけどここに来る前の出来事は覚えてるの」
「そうですか」
女性の発言を聞き流して検索ページのトップに出てきた記事を開く。
事件が起こったのは二日前。
バイトの帰りに必ず通り抜ける公園で起こった事件だ。
被害者は女性で年齢は僕よりも五つ上。
名前は黄野百合というらしい。
記事の中間には彼女の写真も添付されていた。
指を止めて被害者の画像を開く。
「……え」
被害者女性とお姉さんの顔を見比べる。
髪型や目の形、輪郭やほくろの位置まですべてが同じだ。
「私、仕事の帰り道に知らない男に殺されたの」
ピースをしてお姉さんがTシャツを摘む。腹部に真っ赤な血が付着していた。
「……マジですか?」
「マジです。私、死んでます」
そう返すお姉さんの表情はいたって真面目だ。
「でもどうしてここにいるんですか?」
そばの椅子に腰を下ろして問う。
彼女が幽霊だなんて非現実的な話だったが興味が湧いた。
僕は中学生の頃から幽霊や宇宙人、終末論や超常現象などが好きだった。
大学のオカルト研究会では地域の幽霊について調べている。
好きなタイプは誰だと聞かれたら、オカルトを信じて一緒に研究してくれる人と答えているほどだった。
「だからそれは私もわからないんだって。おそらく未練があるからだと思うけど」
「未練?」
「旅行したり美味しいものを食べたりデートしたり、まだ色々やりたいことがあったの。君より年上とは言っても私だってまだ若いんだし」
アイスを食べ終えたお姉さんが残った棒を放り投げた。
宙を待ったアイス棒が見事にゴミ箱に入ると、お姉さんは手をパチパチと叩いてふっと笑顔を浮かべた。
「だからさ。私と付き合ってくれない? 成仏するまででいいからさ」
「はい?」
心臓の打つ速度が速くなった。
経験が少ないからなのか男とはそういう生き物なのか、
それとも彼女が幽霊だからか、
先ほどまであんなに怪しんでいたというのに『付き合って』という一言だけで彼女が可愛く見えてしまった。
「いや……でも」
正直言って顔もタイプだし年上というのも魅力的ではあったが、だからといってすんなり受け入れられるようなことではない。
彼女は幽霊か……もしくはただの不審者だ。
そんな怪しい人と知り合ってすぐに付き合うなんて不用心にも程がある。
「それなりに恋人らしいこともするつもりだよ。その方が私も成仏もしやすいだろうし」
ずいと身を乗り出すようにしてお姉さんが僕に近づいた。
唾を飲み込み、女性の頭から足までをゆっくりと見る。
恋人らしいこと。
その言葉から想像される事柄で頭の中がいっぱいになった。
「……わかりましたよ」
意志の弱さに虚しさを覚えながら首を縦に振る。
誘惑に抗えるほどの経験値はない。
「記事に書いてあったと思うけど、私、百合って言うの。よろしくね」
「よろしくお願います」
本当にいいのかと思いながらも百合さんの魅力に抵抗できなかった。
オカルト好きの彼女を欲していた僕がまさかオカルトと付き合うことになるなんて思いもしなかった。
「あ、そうだ。私と付き合ってること絶対話しちゃダメだよ」
「どうしてですか?」
「当たり前でしょ。私殺されてるんだから。もし何かあった時、君を面倒ごとに巻き込みたくないの」
「そうですか……」
百合さんの意見はどうにも釈然としない部分があったが、拒む理由はなく受け入れた。
「絶対だからね。約束だよ」
「……はい」
百合さんの膨れ上がった胸元を見つつ頷く。
こうして突発的に僕と幽霊の恋人ごっこが始まった。