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杣江の作品

真夏の幽霊研究クラブ

作者: SSの会

 今年の夏休みは退屈になりそうだ。

 終業式での帰り道、太陽に照りつけられながらそうため息を吐いたことを、少年――ミシロは思い出す。

 夏休みに入る前から、友人のトオルは学校を休んでいた。夏風邪と聞いていたが、そうではないと知ったのは夏休みに入って三日目、彼の母親が家に訪ねてきたときだ。理由は聞かなかったが、なんでも家出をしたらしい。父方や母方の祖父母のところにも行っていないらしく、今更ながら心配になって息子の友人をあたってみることにしたのだとトオルの母親は言った。

 当てが外れて青い顔をする彼女に反し、どこかミシロは冷めた気持ちだった。彼のことだから、行き先が分からなかろうが何だろうが、そのうちひょっこり帰ってくるだろうと思ったのだ。

 そして、トオルがいなくなってから一週間が過ぎた今日。

 やっぱりトオルは帰ってきた。

 ただしその再会は、ミシロが描いていたものとは少しばかり違っていたけれど。


 久しぶりに会った友人は、我が物顔をしてミシロのベッドの上で眠っていた。

 塾の参考書が入ったバッグが肩から滑り落ちる。どさりと重たい音が響いて、トオルは眉をひそめてから薄目を開けた。

「あー、やっと帰ってきた。遅かったな」

 顔を流れていく汗とともに、少し乱暴なくらいに目をこする。

 妙に身体の輪郭がぼやけて見えるのは、少し強引ではあるが目が悪くなったからで説明がつく。

 けれど、トオルには足がなかった。まるで膝から下の部分だけ、夏の暑さに溶けてしまったみたいだ。

「今年の自由研究のネタ、思いついたんだけどさ」

 顔を強張らせるミシロと対照的に、トオルは何事もなかったかのように屈託なく笑う。

「幽霊の証明、とか面白そうじゃね?」


 * * *


 ミシロの通う光谷小学校では、自由研究の共同研究が認められている。

 だが数年前、ある生徒がもうひとりの生徒に自由研究を押し付け、成果だけ連盟で報告しにくる……なんてことがあったらしい。それ以来、共同研究の場合は担任に定期的に進捗を報告しに行くことになっている。

 毎年自由研究は、トオルと協力して何か適当なものをやることに決めていた。

 今年のテーマは、まだ決まっていない。


「あっつ……」

 腕でひさしを作り、太陽をげんなりした目で見遣る。夏休みに学校に行くのはとても面倒だが、ミシロの家は学校から百メートル圏内なのでまだマシな方だと思っている。こんな炎天下で一キロも二キロも歩かされる生徒たちが気の毒でならない。

「おーしミシロ! ばっちりカマしてこい!」

「何をだよ」

 思わず返事をしてから、しまったと思う。

 トオルは少しだけ虚を突かれた顔をした後、にんまりと笑った。居心地の悪さを覚えて、ミシロは家を後にする。これから向かうのは学校なので、彼が後をついてこないであろうことは知っていた。

 トオルが家に来てから一晩が経つが、ろくに話すこともできていない。

「幽霊って、もっと楽しいと思ってたんだけどなー。なーんも触れねーし食えねーし」

「ポルターガイストとかもやってみようとしたんだけど、やっぱうまくいかねーな。訓練とか必要なんかな」

「ミシロー? なんも反応しねーけど、目ぇ開けたまま寝てんのか? おーい」

 目を合わせようとしないミシロに気を遣ったのだと思う。そのうちまったく喋らなくなったトオルはしかし、手持ち無沙汰そうにしていても何にも手を付けなかった。

 いつもなら勝手に持っていくはずの引きだしに入ったスナック菓子も、人の家だと思って好き勝手に温度を下げるクーラーのリモコンも、おととい発売されたばかりの好きな漫画の最終巻にも。どうやら本当に死んでしまったらしいことに、そこで初めて少しの実感を覚えた。

 本当に、心配なんてしていなかったのだ。

 トオルが家出をしてミシロの家に転がりこんでくるなんて、実は日常茶飯事だった。

 少し腫れた頬の理由を、赤く充血した目の意味を、目立たないところに見えた痣の訳を、敢えて聞いたことはない。代わりに決まってそういうときは、どうでもいいことを独り言のようにたくさん話した。浮かない顔をしていたトオルがいつの間にか話に入ってきて、盛り上がりすぎた結果、翌日二人して寝坊するまでがワンセットだ。

 いつも遅刻ギリギリで駆け抜けていた校門を、一緒にくぐることはもうない。

「佐々木くん、もう来てたんですね」

 そんな声がかかったのは学校の外からだった。振り向いて、ミシロは担任の理科教師、森野の姿を認める。

「いやー、今日も暑いですねぇ」

 麦わら帽子に白衣に長靴といういまいちよくわからない格好で、森野は額の汗を拭う。この夏、森野が日が出ているうちに外にいるところをミシロは初めて見た気がした。森野がこの学校に来て4年になるが、大抵この時期はいつも冷房の効いた職員室か理科準備室にこもっている。

 もの珍しそうな視線に気づいたのか、森野は笑って手に持ったバケツを掲げてみせた。

「プールの排水溝を掃除に行ってたんですよ。水が張っていない今がチャンスなので」

 ああ、とミシロは頷いた。

 学校のプールサイドには撥水性のゴムタイルが使われているのだが、老朽化も進んでいるためところどころはがれかけている箇所がある。転びそうになって危ないという意見が出て、この夏休みの間に業者が入ってタイルを貼り替えることになっていた。そんな訳で、例年であればプールに通う生徒で多少賑わうはずの校舎も、今は静けさが募るばかりである。まあ今年に限っては、たとえ水を張り直したとしてもあまり人は集まらないだろうと、ミシロにはほぼ確信めいた予感があった。

 というのも、このプールには夏休みに入る前から「呪われている」という噂があったのだ。夜に学校に忍び込んだ生徒が人魂を見たとか、よくある学校の怪談的な話である。タイル工事は実はカモフラージュで、実はお祓いをするためにプールが閉鎖になったんじゃないかなんてデマまで飛び交う始末だった。森野に関しては、そんな非現実的な噂などどこ吹く風のようだが。

「でもそれ、森野先生がやらなくちゃいけないことなんですか?」

「ええ。最近、職員室の水道が臭うんですよ」

 それとプール掃除に一体何の関係があるのだろうか。

 鼻白むミシロに、森野は声のトーンを下げて落ち込んだ様子で語った。

「臭いがする水道で自分が飲むものを用意するのが嫌だったので、学校の経費でハイターを買ったんですが、発注数を二十個ほど間違えてしまいまして。いい機会だと、校長先生から学校中の水回りの掃除を言い渡されました。参りましたよ」

「自分のせいじゃないですか」

「手厳しい」

 森野は大げさに肩を落とす。

 日差しが遮られていても、冷房の設置されていない校舎は暑い。ミシロが階段を上がろうとすると、森野が「佐々木くん」と手招きする。

「こっち。今日は暑いですから、涼しい部屋で面談しましょう」

 特別ですよ、と森野は笑った。


 理科準備室は八畳ほどの広さだが、両サイドに天井までの高さの棚が並んでいてそれよりも狭く感じる。入ってすぐの右手に簡易水道もあるので、実際に使えるスペースは四畳半といったところだ。

 棚には薬品や実験器具、標本がずらりと並んでいて、なんだか監視されているような心持ちになる。少しだけハイターの臭いが残っているが、自分のテリトリーだけあって、ここは既に掃除済みなのだろう。

 進捗報告は各担任にするのが決まりで、今日も本来であれば四人で面談をする予定だったのだが、どうやらトオルの担任は一時的な体調不良で休憩をとっているらしかった。とはいえトオルも欠席なので、二人で進めてしまっても特に問題はないだろう。

 促されるままミシロが椅子に座ると、森野は「さて」とノートを開いた。

「さっそく本題ですが、テーマは決まりましたか?」

「……まだ、です」

「宮田くんは、君にも行き先を知らせていないのですか?」

 ミシロが頷くと、森野は少し考え込む仕草を見せる。

「佐々木くん。今年の共同研究はやめにした方がいいのではないでしょうか。宮田くんは少し責任感に欠けるところがありますし、成績もよくはありませんし……佐々木くん一人でやった方がいいものができると思いますよ」

 背筋がさぁっと冷たくなるのを感じた。ミシロは、森野のこういう無神経なところが嫌いだ。

 トオルがいなくなってから一週間以上。森野は、トオルが何かに巻き込まれたことも、もう戻ってこないことも直感的に分かっている。だからトオルを下げて言うことで、遠回しに共同研究を諦めさせようとしたのだろう。

 けれどそれくらいなら、帰ってくる可能性が低いからと言ってくれた方がよっぽどマシだった。ミシロにとってトオルを馬鹿にされるのは、自分を馬鹿にされたのと同じことだ。

「先生は、幽霊って信じますか」

 思わず、その言葉が口をついていた。

 森野は少し首を傾げて、「信じてないですよ」と言う。

「僕、理科教師ですし」

「じゃあ、今年の自由研究のテーマは幽霊の存在証明にします」

「……随分と唐突ですね」

「トオルの案ですから。あいつが突然変なこと言い出すの、先生だってよく知ってるでしょ」

 森野は少し目を瞠る。

 何か言いたげな彼を残し、ミシロは一礼して準備室を出た。


 火照った頭は怒りからか、それともただの夏の暑さのせいか。

 そんなのはどちらでもいい。

「トオルーっ!!」

 二階にある自分の部屋を見上げて、ミシロは力任せに叫んだ。

 もう一度息を吸い込んだところで、トオルが慌てたように壁から顔を出す。

「トオル、俺、」

「あーもうとりあえず家入れ! 怪しまれるから!」

 言われた通り玄関に入ると、二階からふわふわとトオルが下りてくる。

 やることがなさ過ぎるのかまた寝ていたようで、いつもより低い声で何だよ突然、とぼやいた。

「昨日はまるっきり無視してたくせに」

「ごめん。昨日はなんか、ちょっと混乱してた」

「まあそうだよな。俺だって突然ミシロが幽霊になって部屋にいたら驚くし」

 トオルはあっさりと頷いて、で? と先を促す。

「やろう、自由研究。幽霊の証明」

「お。やる気になったか」

 さっすがミシロ、とトオルは破顔する。

 証明とひとくちに言っても、生半可なものでは駄目だ。ミシロがいくら「トオルの霊が見える」と言い張っても、親友がいなくなったショックから出た戯言で片付けられてしまうだろうし、見える見えないはつまるところ主観的な話なので第三者への証明は難しい。

「今のトオルって、写真に映るのか?」

「無理。喫茶店に来てる女子のスマホとかに割り込んでみたんだけどなーんも映ってなかったわ。心霊写真とか絶対嘘だぜあれ」

「実験済みかよ」

 まあ何でも加工できてしまう今の時代、心霊写真を撮るというのもあまり有効な手段とは言えないだろう。

「まあ、そこは俺にちょっと案があるから聞いてくれよ。……それより、ミシロに言っとかなきゃいけねーことがあるんだ」

「は? 何を?」

 ミシロが眉をひそめると、トオルは誰に聞かれる訳でもないのに人差し指を口に当てて、「俺さ」と切り出した。


 * * *


『幽霊はいるのかどうか』 五年二組 佐々木巳城  五年四組 宮田透


①研究のきっかけ

 幽霊がいるかどうかは、昔から様々な場所で議論されてきたテーマです。

 にも関わらず、幽霊の存在はまだはっきりと証明された例がありません。それは、幽霊というのは感じられる人とそうでない人がいるからだと思います。

 僕も最初は幽霊なんていないと思っていました。けれど僕は、友達の宮田くんが幽霊になって出てくるところをこの目で見ました。ただ、僕がいくら宮田くんの幽霊が見えると言っても、みんな悪ふざけと言って信じてくれないと思います。

 だから幽霊がいるのかどうかではなく、幽霊を信じていない人にどうやってその存在を納得させるかが、僕と宮田くんの自由研究の内容です。


②証明の方法

 この自由研究を進めるときに、一番迷ったのが証明の方法でした。

 幽霊は音や形に残らないので、はっきりとした証拠を残すのが難しかったのです。心霊写真などを撮る方法も考えましたが、事前調査の結果、宮田くんは写真に写らないことがわかりました。また、写真を撮っても今はたくさん加工のアプリがあるため、同じくあまり意味がないことに気付きました。

 そこで考えたのが、宮田くんしか知らないことを僕が周りの人に伝える方法です。

 宮田くんの死体は、まだ見つかっていません。僕も宮田くんがどこで、どうやって死んだか知りません。

宮田くんは、自分の死因を僕に伝えるから、僕にそれを何かの形で残しておいて欲しいといいました。宮田くんの死体が見つかったら、きっと解剖が行われます。宮田くんは、解剖記録と僕が残した記録が同じであれば、宮田くんの存在を証明することになるのではないかと言いました。僕もそれがいいと思いました。

 けれど、ここで予想もしない事実が発覚してしまいました。


 宮田くんはどうやら、誰かに殺されてしまったらしいのです。


 * * *


 気分転換に、夕飯の買い物を引き受けることにした。

 交通の便があまりよくないこの町では、ちょっと買い物へ行くのも大儀だったりする。ここぞとばかりに母親が頼んできた大量の買い物メモを握りしめ、ミシロは自転車を走らせていた。

 後ろではトオルが「こんなことしてる場合かよー」と荷台で足をぶらぶらさせているが、ミシロは正直振り落としてやりたい気分でいっぱいだった。

 気分転換せざるをえない状況を作ったのは誰か、胸に手を当てて考えて欲しいものである。


 昨日、「殺された」と超弩級の爆弾発言をかましたトオルだが、犯人の名前は頑なに教えようとしなかった。曰く、ミシロが自力で辿り着かないと意味がないから、だそうだ。

 事故ではなく明確に犯人がいるのであれば、トオルの失踪から一週間以上経っていることを見るに自首をする気がないことだけは間違いない。当然トオルの遺体は犯人がどこかに隠しているだろうから、トオルの言った死因が事実であるか確認するには犯人との対峙が必要不可欠になってくる。

「俺の話は事実だけど、証拠がない。俺の話を聞いたあとで証拠を探しても、絶対どっかに穴ができるだろ」

 チャンスは一回きり、失敗は許されない。そう言われてしまえば、ミシロも頷くしかなかった。

 結局分かったことと言えば、トオルは誰かに「首を絞めて」殺されたことと、犯人はミシロも知っている、ということだけ。知っている奴と言われても、田舎ではどこの家もみんな知り合いのようなものだからあまり参考にならない。

 情報が少なすぎてどこから手をつけていいかも分からないのに、犯人がトオルの遺体を完全に処分してしまう前に真実を突き止めないといけないわけで――

 ミシロはふと足を止める。先程まで背後に感じていたはずのトオルの気配が消えていた。まさか、無意識のうちに本当に振り落としてしまったのだろうか。とりあえず後ろの方を振り返ってみたけれど、少なくとも肉眼で見える距離にはいないようだ。

 代わりに目に入ったのは、頭の上でぴょこぴょこ跳ねる見覚えのあるポニーテールだった。

「お、佐々木くんだ。こんちわ」

 トオルの担任――喜久井がフランクに片手を挙げる。ミシロが特別親しい訳ではなく、彼女は誰に対してもこんな態度だ。生徒からは「ゆるいところが先生っぽくなくていい」と、教師としては良いのか悪いのか分からない評価を受けている。

「買い物? いいなぁ、私も早く家に帰ってアイスでもかじりたーい」

「先生はまだ仕事ですか?」

「まあね。……佐々木くん、宮田くんがいなくなっちゃったのは知ってるんだよね? 仲良しだし」

 素直に頷くと、喜久井に「言ってよー」と脇腹を小突かれる。

「もーこっちはずっと風邪こじらせてるんだと思ってたからさ、今日初めてそんなん言われてびっくりのてんてこ舞いよ」

 喜久井はいつもより少しだけ真面目な顔になった。

「まあ、あのお母さんの言葉、素直に信じてた私も悪いんだけどさ」

「……先生、何か知ってるんですか?」

「そりゃ、これでも宮田くんの担任だからね」

 どうやら喜久井も、ミシロと同じことを考えているらしい。

 トオルの両親は数年ほど前に離婚していて、今はトオルと母親の二人暮らしだ。

 状況を考えても、トオルに日常的に暴力を振るえる環境にあるのは彼女しかあり得ない――とミシロは思っていて、さりげなくそれを口に出したこともあるのだが、トオルは頑なに認めようとせず大喧嘩になった。家出の理由を聞かなくなったのは、確かそれがきっかけだ。

 あいつマザコンだから、とミシロが呟くと、その年でそこまで親離れしてるのも珍しいよ、と喜久井は苦笑した。

「この間宮田くんのお母さんに会ったけど、結構やつれてたよ。いなくなって初めて子供の大切さに気付く、ってやつかなぁ」

「……教師が生徒にこんな込み入った話していいんですか?」

「佐々木くんは私が言わなくてもどうせ気付くんだから問題なしです! でも他の人には内緒にしてください!」

 笑顔で言い切られた。自由な教師である。

 喜久井は「見回り」と書かれた腕章をたくし上げてため息をつく。

「まあ本格的な捜索は警察とかに任せるとして、学校側も一応見回りを強化することになったわけ。朝昼夜三回、朝と夜は時間外手当なし。緊急事態とはいえ、もう笑っちゃうよねこの状況」

「病み上がりなのに大変ですね」

「病み上がり?」

 喜久井は少し小首を傾げて、しばらくしてから思い出したように手を合わせる。

「あー、そうだったそうだった! 体調不良ってことになってたんだったね」

「仮病だったんですか?」

 ミシロが白い目を向けると、喜久井はだって、と言い訳がましく口を尖らせた。

「理科準備室入るの怖いんだもん。森野先生の趣味に口出しする気もないけど、棚見るたび明らかに骨増えてるしさー」

 森野は、理科教師にしてはいかにもな標本作りという趣味を持っている。特に好きなのが骨格標本で、一度語り出すと止まらなくなるのは生徒にも周知の事実だった。

 ぴりりり、と、喜久井が首から提げている携帯電話が鳴る。どうやら一緒に見回りをしている教師からのようで、あからさまに嫌そうな顔をしてみせた。

「あー、そろそろ行かなきゃ。じゃーね佐々木くん、あんまり寄り道しないでまっすぐおうちに帰るんだよ! あと靴紐解けてるよ!」

 そう言い置いて、喜久井は慌ただしく去って行った。

 彼女の言う通り、いつの間にか解けていた靴紐を結び直して、ミシロは立ち上がった。

 ひとつ頭に浮かんだ可能性が、頭から消えてしまわないうちに。

 

 トオルから及第点をもらうのに、さほど時間はかからなかった。


 * * *


 午後8時半。

 こっそり学校に忍び込んだミシロは、既に目的の場所に人影がいることを認めた。

 その人影もこちらに気がついたようで、懐中電灯の光を揺らしながら近付いてくる。

 本当は彼が作業を始めようとしたところで探偵然として物陰からこっそりと登場するはずだったのに、どうにも恰好がつかない。

「こんばんは、佐々木くん。こんな時間にどうしたんですか?」

 こんな時間に、と言いたいのはこちらも同じである。ミシロは顔に笑みを貼り付けた。

「自由研究もいよいよ大詰めなので、先生にも協力してもらおうと思って」

「いいですよ。僕にできることであれば」

「じゃあ遠慮なく」

 ミシロはプールのフェンスを跳び越えて、森野の前に降り立った。

「トオルの死体の場所を教えてください」 


 * * *


③調査内容

 犯人はM先生だったのですが、宮田くんは犯人をぎりぎりまで僕に教えてくれませんでした。なのでここでは、僕がどうやってその結論に至ったかを書こうと思います。

 正直に言うと、僕は最初、宮田くんのお母さんを疑っていました。

 ですが、宮田くんは度が過ぎたお母さん思いです。もし宮田くんがお母さんに殺されたなら、僕に犯人を探させるようなことはしないと思いました。

 そこでまず疑問に思ったのは、宮田くんの行動範囲についてです。

 インターネットで調べたところ、幽霊の行動範囲は、その幽霊の拠点を中心とした半径数メートルから数百、数キロメートルらしいです。幽霊の強さによって行動範囲は広くなったり狭くなったりして、拠点となる場所は生前に思い入れが強い場所とありました。

 最初に宮田くんが現れたのは僕の家だったので、宮田くんは僕の家を拠点にしているのだと思っていました。

 でも、宮田くんは僕の家から六百メートルくらいある喫茶店には行けたのに、僕の家から五百メートルくらいの距離しかない商店街には入れません。そのあと宮田くんを連れて色々な場所に行ってみたところ、宮田くんは僕の家ではなく、学校から五百メートル程度の距離が行動範囲であることがわかりました。

 宮田くんは学校があまり好きではなかったので、本人の思い入れが強いということはないと思います。

 だから僕は、学校こそが宮田くんが殺された場所なのではないかと仮説を立てました。

 学校は人の出入りが激しいので、目立たずに死体を持ち出すのは難しいです。なので犯人は、宮田くんの死体を学校内で処理してしまうことにしました。勿論学校でも誰にも見つからずに隠しておける場所は限られますが、それを可能にする場所が今年はありました。学校のプールは、夏休み前から呪われているという噂が立っていて、あまり誰も近づきたがらなかったからです。


 * * *


「火の玉の正体は、その懐中電灯ですよね」

 ミシロは森野の手にある懐中電灯を指さす。

「校舎は、遅番の先生が見回りをして9時には鍵が閉まる。ずっと鍵を借りれば怪しまれるから、トオルの死体を処理するために、鍵を使わずに出入りできる場所が必要だった」

 出入り口に鍵は付いているが、プールを囲むフェンス自体は乗り越えられないほどの高さではない。

「火の玉が騒ぎになったのはおそらく偶然だったんでしょうけど、人が寄りつかなくなって、死体を処理するには絶好のチャンスだったはずです。あのプールは呪われてるなんて噂を流させたのも先生ですよね」

「さあ、何のことでしょう」

 のらりくらりと、森野は笑う。

「そもそも、僕には宮田くんを殺す理由もありませんし」

 来た。

「……そうですか。俺にはひとつ、心当たりがあるんですけど」

 努めて冷静に振る舞いながら、内心ミシロの心臓は早鐘を打っていた。もとよりこんな推論ばかりの話で押し通せるとも思っていない。森野のことを真に揺さぶれるとしたら、動機の面――おそらくここが勝負どころだ。

 少し息を整えて、震えそうになる声を絞り出す。

「先生、人間の骨格標本を作りたくなったんじゃないですか?」

 初めて森野の表情が動いたのを、ミシロの暗闇に慣れた目が捉えた。


 * * *


 次に、M先生を疑ったきっかけです。

 おかしいと思ったのは、宮田くんがいなくなったことを、M先生が宮田君の担任のK先生よりも先に知っていたからでした。きっと先生は、事前に宮田くんのお母さんから事情を聞かされていたのだと思います。宮田くんと先生に学校以外で接点があったなら、そこに動機があるのではないかと思ったのです。

 少し余談になりますが、M先生の趣味は標本作りだそうです。

 先生は趣味の話をすると止まらなくなるタイプで、あるとき骨格標本の作り方について小一時間ほど語ってくれたことがあります。先生の話を参考に、夏休みの自由研究で試しに骨格標本を作ったクラスメイトがいましたが、M先生に「やりかたがなっていない」と怒られていました。

 骨から肉をはがすときは、煮込んだり、虫に食わせたり、薬品で溶かしたりする方法があります。薬品は早く肉をはがしたい時に便利ですが、あまり強いものを使うと骨にダメージを与えてしまうことがあるそうです。

 そのクラスメイトは、肉を溶かすのにパイプ掃除に使うハイターを使っていました。


 * * *


「煮込む方法だとずっと火の側に付いてなくちゃいけないし、虫に食わせるのは時間がかかりすぎるから、最初から溶かしてはがす方法の一択だったはずです」

 森野が買った多すぎるハイターは発注ミスなどではなく、最初からトオルの遺体に使う心づもりだったのだろう。その証拠に、経理を担当する教師から見せて貰ったハイターの注文書の日付は、トオルが失踪した日とちょうど同じだった。

 人間の骨格標本を作るのは、さすがの森野も初めてだったはずだ。だから、きっとまだトオルの死体は、一部が骨にならずに残っている。無意識だろうが、先程から庇うようにして立っている更衣室の中に。

「……すごく、きれいな骨格をしていたんですよ」

 森野の中で語りモードのスイッチが入ったらしかった。

「この学校に転任してきたときから、ずっと理想的な骨格だなって思ってたんです。近くで眺めているだけで幸せな気分になったし、それでよかった。宮野くんの母親に近付いたのも、少しでも宮野くんの骨を眺めていたかったからです。……だのにね、彼、自分で自分を傷つけるんですよ。骨は繊細ですから、些細な衝撃で傷ついてしまうのに。お前は俺の骨が気に入ってるんだろって……自分が僕の理想から離れれば、僕が彼女を捨てると思っていたんでしょうね」

 綺麗な骨に賢い頭はいらないんですよ、と、森野は吐き捨てるように言った。

「母親と別れろだとか、僕にとっては全部どうでもいい話なのに。……でも惜しかった。あまりに聞き分けがなくてうるさいので、首を絞めてしまって。少し頸骨が破損してしまったんですよね。あれはショックだったなあ」

 それで言うと、と、森野の目がこちらを向いた。

「なかなか、君もいい骨組みをしていますよね」

 森野の目が怪しく光り、ミシロは背中を大量の虫が這い上がっていくような錯覚に襲われた。

 ゆったりと近付いてくる足取りに、思わず身体が硬直してしまう。

「ミシロに近付くなこのド変態!!」

 どこからともなくトオルの声がした。

 その瞬間、シャワーヘッドがぐりんと森野の方を向き、勢いよく冷水を浴びせかける。

「逃げろ、ミシロ!」

 その言葉で、弾かれたようにミシロは駆けだした。森野の脇をすり抜け――更衣室の中へと。

 扉を開けた瞬間、すさまじい腐臭がミシロを襲った。部屋に無造作に置いてあるリュックが臭いの発生源で、きっとあの中にトオルはいるのだろうと思った。

 無我夢中で紐を掴んで、更衣室の下にある小窓から外に出ると、外で待ち受けていたミニバンのドアが乱暴に開いた。

「乗って!!」

 トオルの母親が、トオルと全く同じ形相で叫ぶ。半ば引きずり込まれて車に乗り込んだミシロは、しばらく呆然としながら揺れに身を預けていた。


 * * *


④まとめ

 この自由研究は、八月十九日の消印である人の元に届くことになっています。

 そして僕たちは、その翌日の午後九時にM先生と対決することに決めました。

 僕たちはきっと幽霊の存在を証明できていると信じて、この自由研究を終わりにしたいと思います。


 * * *


 シャワーヘッドの件は、やはりトオルの仕業だったらしい。

 ミシロが問い詰めると、トオルはしれっと「練習したらできるようになった」と答えた。ミシロが色々と奔走している裏で、実はトオルも努力していたらしい。

 ちなみに喜久井と話した時に靴紐がほどけていた件もトオルの仕業だった。遠くから物を動かす練習だと言われたが、マザコン呼ばわりがお気に召さなかったせいだろうとミシロは確信している。

 あの後警察署に持ち込んだ死体入りのリュックは相当インパクトが強かったらしく、森野は緊急逮捕となった。

 死体解剖と森野の自白により、ミシロが書き残した死因が事実であることは証明されたが、あの自由研究は公表しないとふたりで話し合って決めた。一連の騒ぎは瞬く間に広がり、今や住人はあることないこと続報を待ち望んでいる状態だ。騒ぎを大きくして好奇の視線に晒されるのは二人ともごめんだった。

 という訳で、ミシロにはまったく手をつけていない宿題の山だけが残され、夏休みはあっという間に過ぎ去った。正直トオルがポルターガイストで手伝ってくれることを多少なりとも期待していたのだが、字を書くなどの細かい作業は難しいようで、結局ただの見守り役に徹していた。夏休みの最終日はもちろん徹夜で、終わってから傍らを見る余裕もなく泥のように眠った。


 久々に、喧嘩をした時の夢を見た。

 痛々しい痣を見て、つい彼の母親を疑う台詞を口にし、烈火のごとく怒られたあの日。夜中だというのに出ていくと聞かないので、両親と三人がかりで無理矢理部屋に押し込んで、ミシロはバリケードの机と共に扉に寄りかかる形で眠った。

 今思えば、トオルは不器用なりに、森野からミシロを守ろうとしてくれたのだと思う。怪我の本当の理由を知れば、必然的に森野の本性を知ることになるのだから。

夜半を過ぎた頃、扉の向こうから聞こえたか細い「ごめん」を聞いて、ミシロは何も答えることなく毛布にくるまった。

 いつか、話せなくてごめん、が、聞いてくれてありがとう、に変わる日を信じて。


 目が覚めた頃にはもう朝で、そしてもう、トオルはどこにもいなかった。

 悲しいという感情が湧いてこないことが、自分でも意外だった。あまりにトオルが嵐のように来て、去って行ったので、悲しさを感じる暇がきっとなかったのだ。

 だからだろう。引き出しの中にこっそりとしまわれた『ありがとう』のメモを見たら、なんだか一気に感情が押し寄せてきて、不覚にも泣いてしまった。

 あまりにも泣きすぎて始業式に遅刻したのは、笑い話としてとっておこうと思う。

 何年、何十年先できっとまた、彼の幽霊に会えることを信じて。



(終)

 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 この作品はSSの会メンバーの作品になります。


作者:杣江

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