3話:殿下のお願いと元婚約者と論文
殿下がドラゴンに……まさか”竜化の呪い”が発動した? 凄いタイミングだけれども、それ以外には考えられない。
「あの……」
とりあえず話しかけてみる。すると、ドラゴン殿下はよちよち立ち上がった。
「はぁ……はぁ……なんだったのだ今の熱さは。……というか、なんだ、世界が大きくなった? 乙女よ、お前もいつの間に巨人になったのだ?」
「私が巨人になったんじゃなくて、殿下がおチビになられたのですが」
「何を馬鹿な……」
「ちょっと待ってくださいね。……はいどうぞ」
私は鞄から手鏡を出すと殿下に見せた。鏡に映るその姿はすっかりおチビちゃんなドラゴンである。
「なん……だと……」
「恐らく”竜化の呪い”が完全に発動したということではないかと」
「な、なるほど。だがなぜ……こんな小さな……もっと立派な大きな竜になると思っていたのだが。だってそうであろう? いかにも荘厳な感じの呪いをかけられたのだぞ⁉」
「ま、まぁ世の中予想とは違う結果になる時もありますし。あの……それじゃあ私はこれで」
私はなんとも言えない雰囲気の中、もともとの目的が『砂漠の海の国』についての調査であることを思い出していた。
殿下本人から直接色々と聞くことができて、この国や砂漠についても全容が判明した。殿下個人には色々と思うところはあるけれど、呪いは専門外だし、私にどうこう出来ることは……あまりない。下手に首を突っ込まずに大人しく帰る。
私はすっと立ち上がる。すると、鞄が急にずしっと重くなった。見ると殿下がひっついていた。
「ま、まて! 俺をおいてゆくのか! こんな姿の俺を!」
「えぇ……」
「メリットはある! お前は上から落ちてきた。ならば、出口が分からぬであろう? 俺なら分かるぞ。迷わず外に出れる!」
殿下の言い分にも一理あるけれど、でも探索しながら進んでもいいしそのつもりだったし、そんなに大きなメリットでは……。
「それに、お前は調査に来たと言っていたな? 学者か何かか?」
「そうですね。魔法専攻の学者です」
「な、ならば魔法についての書物などがある場所も案内しよう! 普通ではたどり着けぬ部屋への隠し通路などもあるのだ! 俺は宮殿の全てを知っている! 王太子だからな! 古代の魔法に興味はないのか⁉ 数百年前のだぞ! それも隠されてたヤツ!」
秘匿されていた古代の魔法と言われて、自分の意思とは無関係に興味と好奇心がむくむくと湧いてきてしまった。……ちょろい人間だな私は。
「どうだ? 良い話であろう?」
「……そうですね」
「取引成立だな。よし――ではあっちだ」
殿下はもぞもぞと鞄に潜り込むと、顔だけひょこっと出して道案内を始める。私は言われた通りに進んだ。
秘密の部屋は幾つかあって、中には魔法の関連書や長洋紙が沢山! ただ、さすがに数百年も前のものとなると、いくらその時点では特殊な魔法だとしても、今では既に広く知られているようなものも多い。でも、中にはまだ存在を知られていないようなものもある。
成果は上々。
私はニコニコしながら本や丸めた長洋紙を抱え、『砂漠の海の国』から出たのであった。
☆☆☆☆☆
「な? 俺の言った通りに色々あったであろう?」
「そうですね……」
羽ペンを走らせ、持ち帰った資料や、殿下から聞いた話の魔法に関わる部分について論文にまとめていると、おチビな殿下ドラゴンが頻繁に話しかけてくる。
こんなこと思ったら駄目なのは分かるけれど、作業の邪魔というか……。
というか、確かに連れていくのは了承したけれども、せいぜい砂漠を出るまでとかそのくらいまでだと思っていたから……家までくるのは想定外だ。
「……あの」
「なんだ?」
「……どうして家まで着いて来たのですかね? もしかして寂しいとかですか? ずっと一人だったから」
「ち、違うわ!」
「じゃあなんで家まで着いて来たんですか?」
「それはだな……」
殿下はどてんと座ると、背中に生えている小さな翼をパタパタと動かしながら、
「少しお願いがあってだな」
「お願いですか?」
「……元の体に戻りたい。人間の体に」
「……昔話をされた時の話し方からは、呪いを受け入れているような感じがあったんですけどね」
「受け入れていることは受け入れている。ただ、だからといって戻りたくないかどうかと言えば、戻りたい。小さな竜になるなんて思ってもいなかったのもある。こんなミニサイズでは……人間の時は気にしなかったような動物や魔物にも駆られてしまうかもしれない。成長もするのかしないのかも分からないのだから、仮にこのままの大きさだと常に恐怖と戦うことになる」
確かに一瞬でやられそう。私に着いてくる選択も防衛本能的な何かだったのかもしれない。
「なるほど……」
「手伝ってはくれぬか?」
殿下は窺うような表情で私を見てくる。まぁ『人間に戻りたい』という気持ちは殿下と同じような状態になれば誰だって思いそうな自然な感情だ。
理解はできる。ただ、
「私は魔法専門の学者ですよ。呪いは詳しくないです」
「似たようなものであろう」
「全然違いますよ。紅茶の淹れ方とコーヒーの淹れ方ぐらい違います」
「う、うん? その例えでは結局どのくらい違うのかよく分からぬが……まぁなんだ、俺にはお前しか頼れる者がおらぬのだ。な?」
そういう言われ方をすると断り辛くなる。殿下の過去に同情してしまっているせいもあるけど。
「……呪いの専門家に話を聞いて解除の方法が無いか尋ねるくらいしかできませんよ」
「おお! 助かるぞ!」
「先に論文を終わらせたいので、今すぐじゃなくて書き終わってからになりますよ?」
「構わぬぞ」
殿下はにっこりと笑うと、嬉しそうに翼をはためかせた。こうして見ると、なんだかペットみたいで可愛くも見えてくる。不思議だ。私は何の気なしに羽ペンの先でつんつんと殿下の額を突いた。
「な、何をするのだ」
「特に理由はないですよ」
それにしても『お前しか頼れない』ね……他の誰かの代わりとか、仕方なくとかじゃなく”必要”と言われたの初めてのような気がする。
少し嬉しいな……なんて、そんなことを考えていると玄関のドアノッカーを叩く音が聞こえた。
「うーん? 誰だろう?」
玄関を開けると見慣れた顔の男性がいた。私を振った婚約者――ファーブだ。
同い年なのに十代に間違えそうなくらい若く見える人というのはさておき、何の用なのか。私に何か言い足りない文句でもあったとか?
「ファーブ……」
「フランネ、その、久しぶりだね」
「私に言い忘れた罵倒を言いに来た……とか? いや、そんな風に言ったら駄目ね。私の方が悪いんだから」
少し嫌味っぽくなってしまったけれど、私は怒りもなく穏やかだ。ファーブが悪いわけではなくて、婚約破棄に至ったのは私自身が原因なのはもう分かっている。だから憤ることもない。
「ファーブ、本当にごめんなさい」
「え? 別に君が謝る必要は……」
「私ずっと気持ち悪かったものね。職業柄慣れているからって人目を気にしないでゲテモノ料理を普通に食べたり。……ファーブが『もう君は女性ではない』って言ったの私ちゃんと覚えてる。あなたにどう思われるかとかそういうの考えられなくて」
「……珍味って触れ込みの料理だし、それに誘ったの僕だった。あんなの出てくるとは思わなかったけど、あぁいやそれは一旦横において、そもそも僕の方が君の職業柄を甘く考えていた。……酷いことを僕は君に言ってしまって、それで気になって少し前にも来たんだけど不在で、人に聞いたら砂漠に行ったとか聞いて心配していたんだ」
「優しいのね。でも優しくしないで。そんな風に言われたら、私がもっと惨めになるだけだから。優しいあなたに婚約を破棄させる決意をさせるくらいヤバイ女だってなってしまうから。……それじゃあ、元気でね。良い人見つかるといいわね」
「え? 婚約破棄? え? ちょ、ちょっと待って話を――」
私はぺこりと短く頭を下げると、すぅっと扉を閉めた。ファーブ、どうかお幸せに。
「……客人か?」
「まぁ元婚約者ですね」
「元……あまり深く訊くのはよしておこう。お前も難儀な性格をしていそうだからな。藪蛇をつつく趣味はない」
「ありがとうございます。でも、難儀な性格をしていそうなのは殿下の方だと個人的には思いますけど」
「一言多いな」
「……直そうと思ってるんですけど、つい」
「まぁ完璧な人間もおらぬからな」
殿下はパタパタと飛んで棚の中から果物のジュースを引っ張り出し、机の引き出しから取った麦茎のストローを使ってちうちうと飲み始めた。
「美味だな。何のジュースだ?」
「葡萄と林檎を7対3で混ぜて発酵させた後にアルコール分を抜いて作ったジュースです。臭み取りで麹とかも入ってますね」
「……このような飲み物は俺の時代にはなかったし、誰もいなくなってからは宮殿ではずっと昼夜の寒暖差で出来る露ばかりであった」
私の飲み物を勝手に飲んでくれちゃって……いや、いいか。長持ちはする飲み物だけど、どうせ一人だと消費しきれない量だしね。
それに、殿下はずっと一人で砂漠の海の中にいたのだ。大目に見ようと思う。
☆☆☆☆☆
論文執筆を続けつつ、その合間にお役人が時折に持ってくる細かい仕事をこなしていると、たまになぜかファーブが訪れて来たりとかしたので居留守を使って会わないようにして、そうこうしているうちに論文を全て書き終えた。
時が経つのは早いもので二か月が経っていた、というのはさておき。あとは論文をしかるべき場所に提出するだけだ。通し番号をつけた論文を、とんとん、と揃えてまとめて鞄に入れる。
「終わったのか?」
「ええ、はい」
「約束は忘れておらぬな?」
「……論文提出した後にちゃんと聞いてきますよ。元の体に戻れる方法。論文の提出先の学術学会は色々な学問の統合機関なので情報や人も集まりますから、呪いの専攻の人もいるでしょうし」
「わかった」
殿下に見送られながら、私は学術学会へと足を運ぶ。街の中央に座している、趣のある煉瓦作りの広大な敷地面積の本館に入り、少々長ったらしい手続きを済ませる。それから、所定の事務室受付に書類を提出した。
学術学会の職員は多く、査読も分業でその日のうちには終わる。ただ、今回私はそれなりに論文数が多かったので査読には数時間はかかると言われた。
まぁそこまで急いでもないし、殿下との約束もある。待ち時間を使って呪い専攻の人から話を聞くとしましょうかね。
「職員の方でもそれ以外の会員の方でもいいんですけど、呪いを専攻している博士号持ちの方とか……すぐ話を聞けそうな人はいませんか? 取り次ぎをお願いできればなと」
「呪いですね。えーと……博士号持ちの職員は手隙の者が不在ですが、会員の方は何名か館内に来ているハズですね」
「では、その中で特に解除に詳しい方がいれば」
「解除……となるとホフマンさんかな。呪い対策の実学系の学校の教授です。少しお待ちください」
そう言われて待つこと数分。戻って来た職員が連れて来たのは、ぼさぼさ頭で気だるそうにしている中年の男性。咥えた煙管からぷかぷか煙を浮かべている。
教授らしいけれど、生徒からの人気は無さそうな感じだ。個人的には学問以外に興味が無さそうなこの感じにちょっと親近感が湧くけども。
「ホフマンだ。俺を呼んだのあんたかお嬢ちゃん」
「はい。お忙しい中すみません。フランネと申します。魔法を専攻しています。一応博士号持ちです。それで、ホフマン教授に少しお話を聞きたくて……」
「呪いの解除に詳しいヤツ探してるんだって? お嬢ちゃん――おっと失礼”フランネ博士”だな。フランネ博士が呪われてるようには見えないが?」
「私ではなくて別の方が呪いを受けてしまっていて」
「ふぅん。何の呪いだ? 湖に石でも投げて水を見ると怖くなる呪いを精霊にでもかけられたのか? 蜂蜜酒でも湖に垂らしてやれ。喜んで許してくれる。それとも怨恨で他人からかけられたか? そういう時はイチジクを毎朝一つ食べろ。必ず日の出の前にだ。一週間も続けると繋がった呪いの縁糸が切れ――」
「――”竜化の呪い”なのですが」
私がそう告げると、飄々とした雰囲気はどこへやら、ホフマン教授は目を丸くして驚いた。
「それは……ウソじゃねぇよな?」
呪いの経緯を聞いた時点で私自身も察してはいたけれど、竜化の呪いは、専攻の人にとっても耳を疑うほど珍しい部類のようだ。