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メタボの夜明け

作者: 三枝典子

1,000人の特定保健指導経験者の筆者が送る奮闘記。この経験から見えてきた未来の健康とは。

【斎藤 はじめ 48歳 会社員】


 新型コロナウィルス自粛期間のため在宅ワーク中。

 上下スウェット姿でリビングであぐらをかき、ノートパソコンに向かっている。昼食後に食べたアンパンの袋に、午後の甘ったるい日射しがギラギラ反射している。ふと瞼が重くなりパソコンの手を止めた時、息子の健太が勢いよくドアを開けて学校から帰って来た。

「パパ!ただいま!あー、パパ、アンパン2個も食べてる!」

「はいはい、健太にも1個をあげるから、手を洗っておいで。」

 と妻が言う。

「えーっ1個?2個がいい!」

「だめよ。1個にしなさい。」

 もう遅いが、斎藤は後ろめたい気持ちでアンパンの袋を捨てた。


 コロナ前は会社帰りに付き合いで飲む事が多かったが、それも出来なくなり、家で酒を飲むようになった。TVを見ながらチューハイ500ml缶を2本ほど飲んでいる。おかずの他に、柿の種やポテトチップスなどのつまみが並ぶ。妻は、塾から帰って来た健太に食事をさせながら言った。

「ねぇ、ちょっとお酒多いんじゃない?」

「なーに、外ではもっと飲んでいたんだぞ。それにビールをチューハイに替えたんだからさ。プリン体ゼロにして尿酸値が上がらないように気を付けているんだ。あっ、そうだ。明日は会社で健康診断だから朝ごはん抜きだからね。はは、きっと尿酸値が下がってるぞ!」


 翌朝。斎藤は久しぶりにスーツに着替えようとしたが、ワイシャツがパツパツで、やっとボタンをはめた。ズボンのフックが留まらない。

「まずいな。ま、ベルトすりゃバレないか。」

 しかし、ベルトも前の穴ではきつくなり、2コずらした。


 会社での健康診断。

 お腹を出して、腹囲をメジャーで測ってもらう。

「89センチ。あらー、去年より5センチも太くなってるよ。」

 保健師の岩田さんはそう言いながら数値を書き込む。

<やっぱりそうか。スーツを作り直さないといけないな。弱ったな、これから健太に教育費もかかるのに服を全部買い替えたりしたら・・・>


 後日、斎藤のデスクPCに、保健師の岩田さんからメールが届く。

【〇月×日、午後1時より、第三会議室にて「特定保健指導」がありますので、受けて下さい。】

<えっ?何だこれは!この日は…と、午後2時から打ち合わせがあるんだった。困るなぁ。>

 斎藤は、欠席と返信した。

 すると、今度は電話がかかってきた。

「斎藤さんのスケジュールは所属部長に確認済です。特定保健指導は30分位で終わると思いますので絶対受けて下さい。皆さん都合つけて受けているんですからね!」

 保健師の岩田さんは一方的にそう言って電話を切った。

<皆さん都合付けて、って、そんなに大勢受けているのかな・・・>


 特定保健指導当日。

 相談員である管理栄養士の三枝典子さえぐさ のりこは、朝9時に健康相談室に来て保健師の岩田さんに挨拶した後、案内されて会場である第三会議室に入った。

「今日は、9時半から午後3時まで、6名面談させていただきます。」


 対象者は時間通りに次々と現れ、面談をした。

「中性脂肪だけ数値が高いのは、糖質の摂りすぎだと思いますが、ご飯、麺、パン、お菓子などを食べ過ぎていませんか?」

「当たり!それ全部食べ過ぎています。」

 などと話しながら、対象者が無理なく減量できる計画を立てていく。


 さて、昼食も済み、次の面談は午後1時なのだが、5分過ぎても対象者が現れない。三枝は健康相談室に電話した。

 当の斎藤は、面談を無断欠席すべくデスクから離れ、社内をフラフラしていたが、携帯電話が鳴った。

「斎藤さん、特定保健指導の約束時間が過ぎていますよ!すぐに第三会議室に行って下さい!」

 岩田さんが鋭い口調で言った。

<うわ、しつこいな。>

 仕方なく斎藤は向かった。第三会議室のドアを少しだけ開けて中を覗いてみた。

「こんにちは!斎藤さんですね。お待ちしていました。私は相談員の三枝です。どうぞこちらにお座り下さい。」

 斎藤は浮かない調子で言った。

「あのー。これ、一方的に受けろって言われたけれど、強制なんですか?」


 そこで三枝は、特定保健指導とはどんな人が対象になるのか説明した。

「男性の場合、腹囲85cm以上、またはBMI25以上で、血圧・脂質異常・血糖値の数値が基準より多いと対象になります。斎藤さんの場合は、腹囲とBMI両方当てはまり、数値では血圧・中性脂肪・血糖値が高くなっています。この基準は厚生労働省が決めており、会社の結構保険組合が対象者に特定保健指導の案内を出しています。お忙しい中申し訳ないのですが、30分程度で終わりますし、無理な提案はしませんので、年に一度、自分の健康を振り返るチャンスだと思って下さいませんか?」


<まぁ30分くらいならいいか。無理なこと言わないって言ってるし・・・>

 斎藤はイスに座った。要するに俺はメタボってことだ。


【メタボ=内臓脂肪が多い=数値が高い=動脈硬化が進む=脳・心疾患になりやすい】


だから内臓脂肪を減らす指導を受けるわけだ。内臓脂肪は付きやすいけれど、体重が減れば真っ先に落ちるから、要は減量すればいいわけだ。斎藤は「ふんふん」と三枝の説明を聞いていた。

「典型的なコロナ太りですね。」

<そうだろう、わかってるよ。家でゴロゴロして菓子パン食べて、夜は毎日酒飲んでるからなぁ。>

 三枝は、斎藤から日常生活を聞き出し、菓子パンを減らす事を計画した。

「アンパン2個を1個に減らすと、月1kg減量できます。」

 いつも家にあれば食べているだけだから、家にアンパン1個しかなければ大丈夫だろう。妻に買い置きしないように言っておこう。この程度で減量できれば楽なもんだ、と思い、斎藤はこの計画に同意した。

「肝機能が3つとも悪くなっていますが、お酒は毎日飲んでいるんですか?」

 ギクッとした。隠そうと思っていたが、もう顔に出てしまって隠せないと思われたので、斎藤は白状した。

「ま、毎日ではないですよ。たまに飲まないようにしています。前はビールだったけど、チューハイに替えました。その方が体にいいと思ってね。」

「チューハイはどの位?」

「500ml缶を1、2本。」

「1、2本という事は、だいたい2本ですよね。」

 斎藤は言い返せなかった。ドスンとストライクだ。

「ビールはプリン体が入っているから尿酸値を上げると思って焼酎に替える人がいますけれど、そもそもプリン体はあらゆる食品に入っていますし、尿酸値を上げる主犯はアルコールなので、焼酎でも同じです。」

<しまった、そうなんだ。>

「チューハイだと適量は350ml缶1本です。それを500ml缶2本を毎日となると、斎藤さんの肝臓はさぞかし辛い思いをしていると思いますよ。この肝機能数値は肝臓からのSOSなんです。肝臓は沈黙の臓器と言われていて、病気になっても症状が出ません。それが怖いところなんです。斎藤さんの肝臓を助けてあげられるのは斎藤さんだけなんですよ!」


 ところが、斎藤は何と言ったか!

「俺の肝臓は、『お酒飲みた~い、もっと飲みた~い』って言ってるんだよ。だから飲んでやるんだ。」

 三枝はあきれた。こんな人の肝臓を心配してあげる義理は無い。しかし、三枝は斎藤というよりは、斎藤の肝臓や心臓・腎臓の心配をしていた。元々彼らは斎藤の意思とは関係なく働いているのだから。三枝には、斎藤の心臓が力いっぱいポンプをしぼませ、動脈硬化が進んで固く狭くなった血管に血を流し、腎臓の毛細血管は高血圧でもろく壊れてしまい、肝臓にたまった脂肪が膨らみ、肝細胞が死んで固くなり、肝硬変になってゆく様子が思い浮かんだ。


「毎日飲んでいると、アルコール耐性といって、だんだんアルコールが効かなくなって酒量が増えていきます。そしてお酒に依存するようになってしまいます。アルコールはコカインやヘロインと同じ薬物の一種ですから、依存症になると行きつく先は肝硬変、肝臓がん、つまり死です。」

もうすでに依存症なのではないかと思われたが、怒り出すと困るので、三枝はこれでもやんわりと言ったつもりだ。


「えっ?そんなバカな!アルコールが薬物だなんて。じゃ、薬物をコンビニで売ってるってことか?」

「残念ながらそういう事です。アルコールは薬物ですが合法なので売っているのです。毎日飲んでいて減らせない、休肝日を作れないとなったら依存症が疑われます。」

「そんな!まさか俺が依存症だなんて!」

 と斎藤は怒り出しそうになったが、ふと我に返った。

<酒がそんなに怖いものとも知らず気軽に飲んでいたが、このままでは危なかったな。アル中のオヤジなんかになりたくないもんなぁ・・・でも酒は飲みたいけれど・・・いったいどうすればいいのか。>


「お酒は血圧も上げますので禁酒すれば、血圧も肝機能もスーッと数値が下がると思います。」

「きっ禁酒!?」

「でも、そんな厳しい事は言いません。休みなく働いている肝臓を週2日休ませてあげて、毎日の酒量を半分にしませんか?斎藤さんがお爺さんになってもずっとお酒を楽しみたいのなら。」

 斎藤は考え込んでいたが三枝は電卓をたたきながら言った。

「チューハイ2本を1本に減らして、休肝日を2日作って、アンパン2個を1個に減らす事を3ヶ月続けると、6kg減量できる計算になります。」

「えっ!6kgも?」

 斎藤は、3ヶ月で6kgも痩せられるならやってみようという気になった。

<これで血圧や肝機能数値も下がるに違いない。このパンパンのスーツも、少し我慢すれば余裕が出るだろう。いや、減量できたら、お祝いに新しいスーツを買ってもいいな。>



*   *   *   *   *   *   *   *   *     



【野村 好子よしこ55歳 主婦】


 町の保健センターの一室に机と椅子を並べ入口に『特定保健指導』の貼り紙をセロテープで貼り、準備をしていた三枝の横に、女性が現れた。

「あのぅ、こちらでよろしいんでしょうか。野村ですけど。」

 最初の面談の方だ。まだ早いが、三枝は受付をした。野村は背が低く、色白でポッチャリしていて、一瞬豚のように見えた。二人が席に着いたらすぐに野村は、

「わたし、ご飯はほんのちょっとしか食べないの。野菜はたっぷりよ。それに、毎日1万歩も歩いているのよ。こんなにがんばっているのに、ちっとも痩せないの。きっと遺伝なのよ。親も太っていたから。」

と結論まで言ってしまい、「そういうわけだからもういいでしょ」と言わんばかりな態度だ。


「あなたが痩せない原因は、この私がこれから推理します。」

「えっ?推理?」

 野村は急にうれしそうな表情に変わった。

<推理だなんて、おもしろいわね。じゃ、お手並み拝見といこうかしら。>


 三枝は、いろいろな質問をしていくうちに、『野村が痩せない原因』と思われる事を3つ見つけた。

 ①朝食抜き

 ②お菓子を少ししか食べていないと言っているが実際はもっと食べているのではないか。

 ③たんぱく質不足


 野村は、朝食を抜けば、その分エネルギー補給が無くなるから痩せると思っていた。ところが三枝の説明では、朝食を抜くと身体が省エネモードになって代謝が悪くなってしまうし、次の食事では血糖値も上がりやすくなるそうだ。

「へえ~、朝食べないと太るなんて不思議~。」

 次に間食についてだが、野村は「おまんじゅう2個くらいしか食べていない。日によって買うものが違うし、テレビの部屋に置いて気が向いたら食べるから、おまんじゅうではない日もある。でも、そんなにたくさんは食べない。」と言っている。


「でもね、せっかく1万歩歩いても、それがおまんじゅう1個で消えてしまうんですよ。」

「えっ!うそ!」

 野村は一瞬で真顔になった。下瞼がピクピク震えている。

<まさか、あんなに汗かいてひいこら歩いたのが、おまんじゅう1個分だなんて!ご飯1食分位あると思っていたのに!>

 しかも野村の間食は、おまんじゅう1個では済まない。他にもいろいろ食べている。何ということだろう。間食を軽く見ていた。


 そして野村は、自ら『小食』だと言っていたが、朝食抜き、昼はそば、夜は納豆ご飯と野菜サラダなどである。これに対し、三枝は忠告する。

「たんぱく質不足です。夕食の納豆くらいしか食べていません。魚・肉・卵・豆腐などのたんぱく質は、あなたの身体を造る元です。筋肉も造れません。ですからいくら運動しても筋肉が増えず、代謝が良くならないのです。つまり、せっかく運動しても痩せにくいという事です。」

「そうか、たんぱく質・・・。わたし、食事を減らす事ばかり考えていたけれど、たんぱく質を食べなきゃいけないのね。朝ごはんもたんぱく質も、食べた方が痩せるとは、こりゃ驚きだわ。」

「野村さんの場合は、間食が意外と多いかもしれません。朝ごはんを食べていないから、身体が甘い物を欲しがるんですよ。」

「はい。もう袋菓子は買わないようにします。テレビを見ながらついつい食べちゃうから。でも、おまんじゅう1個位は食べたいなぁ。」

「1個ならOKですよ。」

 三枝は、ダイエット時に『食べてはいけないもの』は無いと言った。

「食べ過ぎがいけないのです。お菓子は少しだけ、大事に食べて下さい。」



 *    *    *    *    *    *    *    *    



 【鈴木 兼吉 72歳 無職】


 血圧・血糖値が少し高めの状態が長年続いている。タバコを吸う。

 三枝は健診結果を見て、腎機能が悪化している事に気付いた。

eGFRイージーエフアールが基準以下で、尿タンパクがプラスになっています。腎臓病かもしれないので受診して下さい。早い方がいいです。」


 鈴木は『寝耳に水』だった。サッと顔色が変わり、白髪が揺れるほど震えだした。

「わ、私が腎臓病だと!?うそだ。医者は、健診結果を見て大丈夫だと言っていたぞ!問題ないと言っていたぞ!何なんだ腎臓病って。何てこと言うんだ!」

 鈴木は長年通っているかかりつけ医を信頼しきっている。医者の言う事の方が正しいに決まっていると思っているので、三枝の忠告をばかにした。


 三枝には、鈴木の腰の中にいる双子の腎臓が衰弱していく様子が思い浮かび、悲しくなった。

 仕方がないので腎臓の話は止めにして、運動不足解消のためのウォーキング指導や、血圧対策の減塩指導をした。タバコも止めた方がいいと説得したが、絶対に止められないの一点張りだった。


 後日。

 鈴木はひどい吐き気に襲われた。心臓がドキドキする。手足がむくんでいる。躓きながらヨタヨタと歩いて、かかりつけ医にたどり着いた。

「鈴木さん、すぐ専門病院に行って下さい。救急車を手配しますから、看護師と一緒に乗って下さい。大丈夫ですよ。安心して任せて下さい。」

「えっ?救急車?」

 鈴木はもっといろいろ聞きたかったが、看護師の肩に手をかけられて廊下を進み、入口に待機していた救急車に乗せられた。

 到着した病院では、既に手筈が整っていた。鈴木はベッドに横たわり、腕にチューブを刺し、血液透析が始まった。

「日本の透析治療は世界でもトップレベルですから、安心して治療を受けて下さいね。」

と、初対面の専門医は言ったが、鈴木はモヤモヤして返事ができなかった。



 *    *    *    *    *    *    *    *    



【田島 勇介 40歳 消防署員】


 消防車が何台も並ぶ大きな車庫の横にある入口を入る。階段を上ると広いトレーニングルームがあり、窓側には筋トレマシーンが並んでいる。そのスペースの一角に、特定保健指導の面談コーナーが作られていた。

 静寂を破り勢いよく隣の部屋からドアを開けて入って来た田島は大股で近づきながら、張りのある大声でまくしたてた。

「見ての通りわたしは健康です!全く問題ありません!それでもコレを受けなきゃならないんですかっ!!」

 目が据わっていて、内からの怒りがこみあげているようだ。


 三枝にはわかっていた。筋肉隆々タイプだ。つまり、脂肪ではなく筋肉量が多くて体重が重くなり、腹筋で腹囲が多くなってしまった人。

 特定保健指導の基準は体重と腹囲なので引っかかってしまうのだが、このタイプは普通の人以上に運動していて食事にも気を遣い、プライドも高い。メタボの面談に呼ばれるなど、とんでもないと思っているはずだ。

「ちゃんとね、脂肪量を測ってくれるんならわかるけど、体重と腹囲だけで決められちゃ、納得いかないよ!内臓脂肪レベルは自分で測っているけど、レベル1だよ!つまりほとんど筋肉!これでメタボ認定するのか!」

「申し訳ございません。これは厚生労働省が決めた基準なのです。私も時々、田島さんのような方が基準に引っかかるので、おかしいと思って・・・」

「おかしいんだよ!!わかっているならもういいな!帰る!」

 田島は踵を返して帰ってしまった。


 怖かった。嵐のようだ。あのような筋肉隆々の大男に見下ろされて怒鳴られるとは。

 

 三枝は、帰宅後パソコンに向かい、厚生労働省のホームページを開いた。

 涙がにじんできたが、できるだけ感情的にならないよう気を付けながら、今日の出来事を簡潔に伝え、特定保健指導の基準を見直して欲しいと訴える意見を送信した。



*    *    *    *    *    *    *    *    



【神谷 豪 42歳 運送会社勤務】


 三枝は、ある運送会社の応接室のソファに座っていた。ふかふかで低めのソファだ。

 保健指導を始めた頃、三枝はスカートをはいていたが、このようなソファに座った場合、脚が見えそうで落ち着いて仕事が出来ないという場面があった。それ以来パンツスーツである。


 時間通りに、開けておいたドアから対象者が現れる。白い武道着姿だ。

「神谷です。終了後すぐに稽古に入るためこのような恰好ですが、ご指導よろしくお願いします。」

「はい。管理栄養士の三枝です。よろしくお願いします。」

 二人は座って礼をした。

 三枝が聞いてみると、神谷は長年空手をしており、大会にも出ているとの事だった。また嫌な予感がした。この人も、健康な筋肉質タイプだ。健診の時だけちょっと血圧が高くなってしまっただけなのだ。三枝は、怒られる前に誤ってしまおうと思った。

「すみません。神谷さんは、筋肉量が多くて基準に引っかかってしまったようです。全然メタボではありません。気にしないで下さい。」


 しかし、神谷は気にしていない様子だった。テーブルに置かれた『健康ガイド』を手に取り、興味深げにめくって見ていたが、そのうち「腎臓病にならないためにはどのような事に気を付ければよいのか?」「中性脂肪とコレステロールはどう違うのか?」などと質問し始めた。

 神谷には空手の大会に出るためのトレーナーが付いており、食事・体調管理は万全であった。


 面談が終わり、神谷は一礼して去った。



 *    *    *    *    *    *    *    *    



≪三枝の思い描く未来の健康診断&特定保健指導≫


 会社にお勤めの方は、有給休暇とは別に『健診休暇』を取得できる。

 お休みの日に健康診断や特定保健指導を受けて、せっかくの貴重な休日がつぶれ、その不満が三枝ら相談員へ向けられるといった事がなくなる。


 健康診断と特定保健指導はセットで1日で受けられるようになる。

 ポテンシャルタワーという建物が、テーマパークのような広い美しい空間に建つ。健診を受けない人でも、健康に関心のある人々が集まってきて、公園で散歩したり遊んだりしている。


 健康診断の当日は、予め渡された『朝食セット』を、カロリーの無い飲物とともに摂る。毎日しっかり朝食を食べている人にとっては、たとえ1日だけといっても朝食を食べないと、フラフラして頭がボーッとなり辛いものだ。この『朝食セット』は栄養成分が決まっており、健診結果から自動的に調整されるため、食べても数値に響かないようになっている。


 ポテンシャルタワー入ると、ホテルのようなロビーがあり、ゆったり寛げる空間となっている。

 従業員から看護師、保健師、医者に至るまで、ホテルマンのように恭しく、健診にやって来た人に優しく対応する。すべてお客様なのだ。

 健診では、体重も腹囲も測らない。立ったまま円柱形のスペースに入り、CT検査ができる。これで内臓脂肪量が一目瞭然となる。他の内臓の断面図も見る事ができる。

 リラックスした状態で血圧測定、採血などを受ける。


 血液検査の結果はすぐに出てくる。内臓脂肪量や血液検査の結果が正常なら、その結果をもらって帰宅してもよい。


 数値が引っかかってしまった人は、特定保健指導コーナーに案内される。


 ここで三枝は、プロジェクターのスイッチを入れる。

 対象者のCT映像が写し出される。

「肝臓の数値が悪いですね。ほら、肝臓に脂肪細胞が増えて、正常な細胞が押しつぶされていますよ。これが進むと肝硬変になってしまいます。」

 

 対象者は、弱っていく臓器の映像を実際に見て、ショックを受ける。

 これが数値だけだったらピンと来ない人もいるだろう。テレビのような明るい画面で体の内部を見るとわかりやすい。

 三枝が勧めなくても、対象者の方から「どうすれば回復できるのか?」といった質問が出てくる。また、他の臓器もどうなっているのか見たがる。自分の今の臓器の様子を目の当たりにすることで、臓器を慈しむ気持ちが生まれる。


 健康診断の日は、誰でも自分の身体に関心が向いてくるものだが、かつては結果は当日にはもらえず忘れた頃に来て、さらに特定保健指導のお知らせは、更に忘れた頃に来ていた。それを1日ですべてできるのなら、健康に対するモチベーションは上がったまま保たれる事だろう。


 特定保健指導を受けたら、帰宅してもよいのだが、ポテンシャルタワーには楽しい健康器具で遊びながら体力作りができるフロアもある。健康志向が高まった今が始めるチャンスだ。


 他のフロアには、健康志向のおしゃれなレストランや軽食屋が並んでいる。


 建物のまわりの広い公園には、テニスやゴルフよりも簡単な、ゲーム感覚でできるスポーツのコートが沢山ある。ポイントをためると景品がもらえるものなど、楽しめる工夫がいっぱいで、どこも盛り上がっている。


 そう、スポーツはもはや、運動神経の良い人だけのものではない。健康のためにがんばるものでもない。健康になるのは身体を動かして楽しむためだ。


 健康とは楽しくなることなのだ。




 *    *    *    *    *    *    <終>


 




 










 



 





 





























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