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嗚呼、愛しの北京飯店  作者: 稲田心楽
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5

 

 若大将は、タルタルソースの小皿をじっと見ていた。小皿を鼻に近づけて香りを確かめているようだった。それだけの所作で、何が入っているかが分かる若大将もまた凄腕である。



「美味しい」



 若大将は何も付けずに食べていたが、2尾目のアジフライに先に来た梅肉ソースではなく、タルタルソースをかけて食べていた。



「わさびの余韻が凄く良い。これ、真似していい?」


「はい。是非是非」



 料理の事とか何も分からないが、本物のプライドとは何なのかを若大将が見せてくれた気がした。若大将からすれば、弟弟子である。器の小さな男なら、重箱の隅をつつくように粗探しをしているだろう。一ミリも認めないという歳だけ無駄にとった先輩はどの世界にもいる。私の仕事関係でもよく目にするし、実際関わりあった事も沢山ある。出来れば、若大将のような人とのみ関わっていきたいが、そういう訳にもいかない。だが、問題は自分自身がどう生きるかだ。大袈裟かもしれないが、この歳になって、若大将から人生でとても大切なものを学んだ。



「この梅肉もスッキリした味わいで良いね」


「はい。甘味と酸味のバランスが難しいですよね」


「確かに。関西に“ハモの湯引き”があるけど、その時に使う梅肉に近いね。揚げ物に合うように若干酸味を効かせている気がする」


「流石ですね。そこまで深くはないですが。もう少し勉強します」


「いやいや。好みがあるから。甘味が強いほうが揚げ物には合うという人もいるしね」



 揚げ物に合う梅肉ソースとか全く分からない。私の好みはおそらく甘味が勝つほうの梅肉ソースだ。揚げ物をそれで食べた事がないから想像でしかないが、トンカツを食べる時、甘口ソースでしか食べないし、またカテゴリーは違うが、回転寿司でも甘辛い味のツメしか使わない。若大将の言ったように、好みは人それぞれだ。だが、お店で出す場合はどうしているのか──。



「若大将、先ほど好みは違うとおっしゃってましたが、お店ではどうするのですか?」


「どうするとは?」


「いや、全ての人に合う味とか無理じゃないかなって」



 若大将はお箸を置いて話してくれた。



「いや、それはもうシンプルですよ。自分の好みをお出します。というより、自分が美味いと思うものをお出しして、気に入っていただける方だけの為に料理をお作りします」



 若大将の言葉は、とてもシンプルで分かりやすかった。自分が良いと思うものを提供し、共感してもらえる人から対価を頂戴する──。チェーン店等の雇われ店長だと話しは別だが、彼らは一国一城の主人である。言葉は適切ではないが、それぐらいのこだわりがなければ到底生きていけない世界なんだろう。



「かと言いながら、意にそぐわなくても客層に合わしちゃうとこもあって」


「笑っちゃいけないんだろうけど、吹き出しそうです」


「いやいや。大体休みの日は食べ歩きで潰れてしまいますよ。みんな、どんな味出してんのかなって」


「研究って事ですか?」


「そうですね。プライドを持つのは良い事だけど、偏ってきちゃうんですよ」



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