町中華の牛丼
七月も後半に差し掛かり、梅雨が明けた。蝉時雨が響く真夏の幕開けである。よく夏バテで食欲がないとか聞くが、私は今まで生きてきて一度も夏バテとやらの経験がない。彼女は毎年この時期になると体重が三キロほど落ちるそうだ。夜ご飯が食べられないとこの間も会った時に話していた。あっさりとしたソーメンであるとか、お茶漬けぐらいしか胃が受けつけないらしい。私はとう言うと、食べ過ぎに気をつけないといけないぐらい食欲旺盛だ。少しセーブが必要なぐらいではあるが、いつもの時間に北京飯店に到着した。
「いらっしゃい!」
大将が紫色のバンダナを巻いている。初めて見る色だった。そして、首にハンドタオルを掛けていた。この季節、厨房の中にずっといる訳だから汗の量も半端ないのだろう。
「何しましょう?」
いつもの席に腰掛けて、テツ君からお水とお手拭きを受けとった。大量に汗をかいたので、濃い料理を身体が欲していた。ライスと味噌バターチャーシューにしようと思ったが、全メニュー制覇を掲げているので、まだ注文した事のないメニューを探した。
『牛丼を注文してみるか』
前から気になっていたメニューだ。これとハンバーグ定食はずっと気になっている。
「すいません、牛丼出来ます?」
「はいよ! 牛丼ですっ!」
「はいよ!」
まさかとは思うが、某有名チェーン店のあの牛丼が登場するのではないかと思ったが、流石に中華風の牛丼だろうと踏んでいる。そもそも、中華屋に牛丼があるのが不思議である。さらに、ハンバーグ定食とかもう意味が分からない。上海楼の若きイケメン大将が、『常連さんのリクエストでどんどんメニューが増えた』と言っていた事を思い出した。私も十分に常連だと自負しているが、北京飯店側がそれを認めてくれているかは分からない──。
常連かどうかの線引きは何のか──承認制じゃないから、大将に聞かない限り一生分かる事はないだろう。『あの、私は常連でしょうか?』とか完全に狂った質問である。それが聞けるなら、真の常連と言えなくもない。いや、人としておかしい。
仮に、『大将、今度ピザ作って』とか言ったら、常連の場合は作ってくれたりするのだろうか──。さすがにピザは無理だろうが、ドリアとかだったら作ってくれそうな気がする。
もはや、洋食屋に行ってドリアを食べる気などさらさらない。大将の作るそれらを食べたいのだ。
「テツ、蕎麦はもう完売だから断ってくれよ」
「はい。大将、明日も完売すよ」
「そうだな。限定の個数を増やすか」
「駄目ですよ。身体が参ってしまいますよ」
「とにかく、今日一日お前が厨房に入れ」
「えっ! 無理っす」
「無理でもやれ。ちょっと限定数を倍にするから」
「……」
「大丈夫だ。信じろ」
「はっはいっ!」
とても熱い話しに立ち会えた。ただの盗み聞きではあるが。そうなると、今日の“牛丼”はテツ君が作ってくれるという事か──。何度かテツ君が作っているのを見た事はある。炒飯と炒め物しか見た事はないが。厨房、出前とテツ君はフル回転になってしまう。余計なお世話かもしれないが、宅配サービスを導入しないと、いよいよお店の回転がやばい事になるのではないかと思った。




