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嗚呼、愛しの北京飯店  作者: 稲田心楽
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 五目そば──地方によって多少の差はあるらしいが、北京飯店は塩ベースのスープで、白菜や筍、とき卵、海老、豚バラ肉、キクラゲ、さやえんどうが具材で、麺は黄色の卵麺である。『五目そば』だけに、具材は5種類かと思いきや、これもお店によってさまざまらしい。値段は650円。



 問題はキムチだ。私は辛いものはそれほど得意ではない。とくに熱い料理と一緒に食べると、キムチの辛味が倍増するような気がして出来るだけ控えてきた。だから、とてつもなく辛いキムチだったらどうしようと少し不安だった。



「はい、てんてんです。餃子と唐揚げと炒飯ね。30分はかかりますけど」



 相変わらず出前で忙しそうだ。半年ぐらい前からだろうか、弟子がちょくちょく中華鍋をふる姿を見ている。主に野菜の炒めものにかぎるが。王道というか、基本である炒飯を作っている姿はまだ見ていない。やはり、まだ炒飯はハードルが高いのだろうか──。



 L字のカウンター、入り口から1番奥の席に何度も見かけた事のある常連さんが、昼間から瓶ビールを飲んでいた。歳は50代後半ぐらいで、灰色のスエット、白髪混じりの無精髭がこの店の雰囲気にどハマりしている。少し離れた所に座っているが、ここから確認できるほど、スエットの上下満遍なく毛玉が付いている。



「てっちゃん、将来店出すんだろ?」


「はい。いずれは」


「大将、独立するまでは頑張らないと」


「まだまだですな。炒飯がちょっとまだベトつくし」


「そうかな。この間、お試しで作ってもらったけど美味かったよ」


「いやいや、甘やかさないで。テツもこれからが正念場なんで」



 弟子の名前が『テツ』である事が判明した。毛玉スエットの彼は、私が来るようになるずっと前からの常連さん。10年、いや、20年は通っているのではないか。それぐらいこの店に馴染んでいる気がする。



「屋号とか考えてんの?」


「……。上海飯店にしようかなと」


「上海料理出すの?」


「いや、ここで学んだ料理ですけど」


「それじゃ北京料理か」


「いやいや、俺北京行った事ないし、北京料理とかしらんよ」



 北京に行った事もなく、北京料理も何それ? みたいな大将に吹き出しそうになった。では、何故『北京飯店』にしたのか気になって仕方がない。



「大将、何で北京飯店にしたんすか? それ聞いた事ないです」


「忘れた。テツ、出前の餃子早く焼けよ」


「はい、すいません」



 弟子のテツ君も、何故『上海飯店』にしようと思ったのか聞きたい。数多ある屋号の中からそれを選んだ理由を。



「瓶ビールもう一本」


「はいよ! 昼間から羨ましいかぎり」



 確かに。平日の昼間からお酒など飲んだ事はないが、ここの料理をつまみにして飲むビールは最高だろう。夜に来ればいいのかもしれないが、自宅はここから車で1時間ほど走らないといけないし、お酒を飲むなら車では来れないから、北京飯店でお酒を飲む事は今後も無さそうだ。



「五目そばとキムチお待ち!」



 湯気が恐ろしいほど立ち上がっている。眼鏡をかけている人が注文したら、一瞬で真っ白に曇るぐらいに。そして、餃子のタレを入れるお皿の上にキムチが山盛りである。私は、まずキムチからいただく事にした。



『美味い!』



 また心の声が漏れそうになった。少しピリッとする程度で、甘味が勝っている所謂日本風にアレンジされたであろうキムチ。スーパーでも売っているのを見かけた事がある。まさに私が求めていたキムチだ。どぎつい赤色ではなく、鮮やかな黄みの赤、朱色のそれを半分ぐらい一気に食べてしまった。




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