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嗚呼、愛しの北京飯店  作者: 稲田心楽
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町中華の冷やし中華

 

 コロナ禍──仕事以外で外出する事がほとんどなくなり、自宅での過ごし方が今までとは少し変わってきた。具体的には、過去のドラマや映画を貪るように見ている。昔から、レンタルショップで色々借りて見ていたが、最近は一日に三時間ぐらい見るのもざらだ。今は借りに行かずとも、月額千円以内で海外の作品も楽しめるので平日でもついつい夜更かししてしまう。



「いらっしゃい!」



 朝から寝不足でフラフラ状態である。午前中の仕事を何とか終わらせて北京飯店に来た。



「いらっしゃい!」



 いつもの席に座った直後に、お年を召した御婦人が来店した。携帯電話の音だろうか、妙な着メロが店内に鳴り響いている。



「何? 私の携帯かしら」



 ご婦人は、エコバッグからガラケーを取り出していた。



「はい。そうよ。早く来なさいよ」



 白いマスク越しに少しこもった声で電話をしている。



「そうよ。その道を右に行けばあるでしょ? そうよ、その汚らしい店よ」



 まるでお家でお話しをされているかのような会話である。私は咄嗟に下を向いてしまった。確かに汚いかもしれないが、それは外見であって、店内は古びているがかなり清潔に保たれている。



「そうよ。汚らしいけど、味はピカイチなの。早く来なさいよ」



 私とそのご婦人以外に客はいない。こもった声とはいえ、会話は店内に丸聞こえである。さらに、感染拡大防止の為、携帯電話のご使用は控えてくださいという貼り紙があるにも関わらず電話を切ろうとしない。



「えっ! もう着いたの。何処?」



 私は後ろに気配を感じたので振り向くと、絶対あのご婦人の電話相手であろう方が店に入ってきた。



「すごい迷ったわよ。いつもとは違う方角だったし」



 その方もカラフルなエコバッグを持っていた。よく見ると色違いのお揃いである。お二方共、品の良さそうな感じではあるが、少々お口の方が悪い。



「相変わらず汚い店ね。大将」


「ほっとけ。で、何するんだ?」


「私、冷麺にするわ。あなたは?」



 先に来たご婦人が冷麺と言って少しドキッとした。



「私は……。冷やし中華にするわ」


「大将、冷麺と冷やし中華ね」


「はいよ」



 一瞬意味が分からなかった。“冷やし中華”と“冷麺”は別物なのだろうか。私も、今日は冷やし中華と決めていたからすぐさま注文した。



「すいません、冷やし中華ください」


「はいよ」



 私はスマホを取り出して検索した。分からない事は調べればいい。



「最近暑いわね。そうそう、息子さん、大丈夫なの?」


「電話したら、陰性だったって言ってたわ」


「良かったわね。本当に」



 冷麺と冷やし中華について調べているが、彼女達の会話をついつい盗み聞きしてしまう。



「お互い気をつけないと、感染したらこれが最後のランチになってしまうかもよ」


「嫌よ。最後のランチがここだなんて」


「大きなお世話だよっ!」



 そう言いながらも、嬉しそうにしている大将を見ていると、何故だか私も嬉しくなってくる。悪態をつかれようと、ここの味は最高である事をお二方も良くご存知なんだろう。



 検索した結果、どうやら地方によって呼び名が違うらしい。西日本では冷麺と呼び、北海道では“冷やしラーメン”と呼ぶらしい。今の今まで知らなかった。という事は、後から来たご婦人は関西出身の可能性が高いという事か──。



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