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嗚呼、愛しの北京飯店  作者: 稲田心楽
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3

 

 毎回思う事けれど、これで500円は安すぎないかと──。おにぎりも、大きさや海苔の量からして100円ではあり得ない価格設定。だが、『餅は餅屋』とはよく言ったもので、所詮は町中華の大将がお遊びで作った蕎麦である。駅前の蕎麦屋に敵うはずがない。いや、敵ってはいけないと言ったほうがいいか。以前に、彼女とその蕎麦屋に行ったが、行列が出来るほどの味だなと納得した。他のメニューなら何とかなるかもしれないが、蕎麦だけは一朝一夕にいかないだろう。



 私は粋な食べ方ではないが、いつものように、わさび等の薬味を全てそばちょこに入れてかき混ぜ、艶々の灰色の麺をつゆに浸した。これも、粋な食べ方なら蕎麦の長さの半分も浸さないんだろうが、私は蕎麦をどっぷりとつゆに浸けて勢いよくすすった。



『……』



 言葉にならない──頭の中で感想を述べている時間がもったいない。直ぐにまた蕎麦をすすった。



『……』



 よく、蟹を食べている時はみんな静かになると言うが、本当に美味いものを食べている時はただひたすら“食う”事に集中してしまうものである。この蕎麦は、そういう意味では毛蟹や松葉蟹に匹敵すると言える。所詮、町中華の大将がお遊びで作った蕎麦と思ったのは撤回しないといけない。今すぐ北京飯店を、“北京蕎麦”に変えるべきだと思う。それほどの蕎麦である事は間違いない。完全主観ではあるが──。



『このつゆも手作りだろうか?』



 蕎麦も大事だがこのつゆも負けないぐらい重要だ。塩辛過ぎず、甘すぎない、あとを引くこの蕎麦つゆ──。市販では到達できない域である事は間違いない。大将をみくびっていた自分を反省しなければいけない。このざる蕎麦は、人気店のそれに匹敵すると言っていい。いや、むしろ、コスパ等を考えたら勝っているかもしれない。いや、完全に勝ってしまっている。とんでもない店だ。




 私はおにぎりを手に取った。ズシリと重い。あまりに綺麗な球体で、食べるのが惜しいぐらいだが豪快にかじった。



『美味すぎる……』



 結構食べ進めないと梅にたどり着けないと思っていたが、直ぐに口の中に梅の酸味が広がった。梅の量も半端ないが、酸っぱすぎない。もっと欲してしまう酸味だ。そして、黄色い沢庵が2切れ添えられていて、その内の一切れを口の中にいれた。



『最高だな。最高だよ』



 どうって事ない沢庵だが、本当に良い仕事をする。全くもって脇役だが、あるとないとでは雲泥の差と言っていい。大将は、私の心の中を見透かしているのかもしれない。ここでこれがあったら、この味がもう少しだけ濃ければといった“たられば”が一才ない。好みのど真ん中を大砲で撃ち抜かれたような感覚である。『一生ついていきます』と言いたいぐらいだ。



 蕎麦をすする時間って、本当にあっという間だ。まるで、どハマりしてしまったドラマのようだ。そして、他の食べ物とはまた違った満足感を得られる。その正体は分からないが、駅前の蕎麦屋に行くのはもうよそう。何故なら、ざる蕎麦は850円で、おにぎりは280円。北京蕎麦は、ざる蕎麦500円、おにぎり100円。味、値段、全てにおいて北京蕎麦が圧倒している。あちらに行く理由がない。強いて言うならBGMぐらいだ。北京飯店はテレビ。駅前の蕎麦屋は、J-POPをお琴でアレンジしたもの。個人的にはお琴のJ-POPが好きだから、その部分では駅前の蕎麦屋さんに軍配が上がる。どうでもいい事ではあるが──。



「はい、蕎麦湯ね」


「えっ!」



 最後に黒い湯桶が出された──“湯桶”とは、蕎麦湯を入れる容器の名前である。



『完全に一流の蕎麦屋さんやん』



 関西には行った事はないが、思わず関西弁でツッコミを入れてしまった。もちろん、心の中で。




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