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嗚呼、愛しの北京飯店  作者: 稲田心楽
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ざる蕎麦

 

 季節は順調に巡っている。このコロナ禍であれ何であれ、日は昇りそして沈んでいく。全て当たり前の事だと思っていたが、こんな世の中になってしまい、この先何があっても不思議ではないと考えるようなった。



 後悔しない人生──大それた事はできないが、愛する人には『愛している』と伝えて、仕事がある事への感謝を忘れず、健康である事の素晴らしさを感じて生きて行きたい。





「いらっしゃい!」



 今日もいつも通り、11時ジャストに来店。午前中でも少し汗ばむ陽気になっている。こんな時は、ざる蕎麦にかぎる。



 蕎麦を食べる為に町中華に訪れた私は結構変わり者なんだろうか──北京飯店がざる蕎麦を始めた話しを彼女にしたら、笑いながら言われた。



『あなた、本当に変わり者ね』



 確かに、この街にはかなり有名な蕎麦屋さんがあるのに、そこへは行かず、北京飯店でざる蕎麦を食べようとしているのだから、そう言われても仕方がない。コロナ禍でなければ、長蛇の列が常に途切れない人気店を差し置いて、今まで蕎麦を作った事がないと言っていた北京飯店の大将の方を迷いなく選んでいる訳だから、冒険が嫌いだった自分からするとまるで別人のようだ。判子で付いたような予定調和が大好物だったはずなのに──。



「何しましょ?」



 私は例のごとく、決まっているにもかかわらず、メニュー表を見た。そのメニュー表はいつもの古びたものではなく、真新しいものに変わっていた。よく見ると、下の方にざる蕎麦と、とり天ざる蕎麦と書かれている。しかも、一日十食の限定メニューとなっている。



『とり天って、唐揚げの事じゃないよな』



 最近、よく目にするこの“とり天”──実際、食べた事がないから何なのか分からない。とりの天ぷらであることは間違いないだろうが。



「お決まりになったらお声かけてください」



 大将はそう言うと、長ねぎを猛スピードで切り始めた。



 私はそばつゆとわさびが合わさった味が大好きだ。本来は、蕎麦の上にわさびを少し乗せて食べるのが粋なのかもしれないが、私は子供の頃からつゆに添えられているわさびを全て投入し、かき混ぜて食べていたから、大人になっても変わらずそうしている。ただ、天ざるは食べないようにしていた。何故なら、つゆに油が混ざって、ボケた味になってしまうのが嫌だからだ。『わさびを入れた時点でつゆのキレは失われてしまうんじゃ?』とツッコまれるかもしれないが、油が混ざるとまた違う食べ物に感じてしまう。私は、ざる蕎麦と一度も頼んだ事のないおにぎりを注文する事にした。



「すいません。ざる蕎麦できます?」


「はいよ。できますよ」


「じゃあ、ざる蕎麦ください。それと、おにぎり」


「おにぎりね。梅とおかかがありますが?」



 両方と言いたかったが、ざる蕎麦の量が分からないし、北京飯店の事だから、おにぎりも昔話しに出てきそうなぐらい大きなものかもしれない。



「梅で」


「はいよ。茹でる時間多少かかるんで」


「構いません」



 ざる蕎麦とおにぎり──完全に蕎麦屋のメニューだ。町中華で注文するものではない。しかも、おにぎりがあるなんてどういう事なんだろうか。この北京飯店に来た時から気にはなっていた。しかも、100円である。コンビニよりも安い。ラーメンと炒飯では少し多いなと感じる人用におにぎりがあるのかもしれない。ざる蕎麦が500円で、おにぎりが100円、600円で蕎麦屋メニューが楽しめるのだから、格安と言っていい。

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