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嗚呼、愛しの北京飯店  作者: 稲田心楽
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2

 

 鶏の辛子炒め──見た目は八宝菜である。玉ねぎ、ピーマン、筍、にんじん、薄く衣をまとった鶏肉、それと、カシューナッツだろうか──木の実のようなものが入っている。そして、なんとも言えないこの香りの正体はおそらくマスタードだ。こんな形で出会った事は一度もないが、香りだけでご飯をかっこみたくたなる。



 私はレンゲでいつもの小さなスープを掬った。



『美味い』



 わかめの食感が小気味良く、少し胡椒の効いたスープにとても合う。このスープ、毎日飲んでも飽きない自信がある。そして、メインである鶏の辛子炒めの鶏を割り箸でつかんだ。



『熱っ! 美味っ!」



 また上顎を火傷してしまったが、勢いに任せて飲み込んだ。少し時間差で押し寄せてくるマスタードの辛味があとを引く。何故、定番ではないのか不思議なぐらいだ。ベースは八宝菜の味だが、マスタードが入る事によって、とてつもないパンチを生み出している。



 これは炒めものと言うより、うま煮ではないだろうか──多分、お店によって呼び名が違うのもかもしれない。私も細かい事はよく分からないが、確かに言える事は、これは食べなきゃ損だと言う事だ。そして、個人的には八宝菜や酢豚よりご飯がすすむ。計算して食べていたつもりだったが、ご飯の減りが半端ない。



「はいよ。はい。冷麺ですね。実はですね、大将がざる蕎麦始めまして。しかも手打ち」




 大将に言われた通り、テツ君はざる蕎麦を推していた。町中華の出前で、ざる蕎麦を注文出来るなんて斬新すぎる。あとは味だが、蕎麦ほど難しいものはないと聞いた事がある。だが、大将ならという得体の知れた期待感が私の中でふつふつと湧き上がっている。



「はいっ! ありがとうございます。ざる蕎麦も追加でっ!」



 どうやら、注文されたらしい。私は食べながら大将を見た。腕を組んでどこか誇らしげである。



「はいよっ! ちょっとだけドキドキするよ」


「大将マジすか?」


「それぐらい頑張って勉強したんだよ」


「本当尊敬してます」


「だからよ、お前に調理を任せる事も増えるぞ」


「えっ? いいんですかっ?」


「頼んだぞ」


「はいっ!」



 歳のせいだろうか──2人のやりとりを聞いていて泣きそうになった。師匠が弟子を認めた瞬間に立ち会えた事、単なる客で単なる盗み聞きだけれども、どこかの三文小説より数段泣けてくる。大将の味と魂が受け継がれていく。そして、テツ君のオリジナルと合わさって、新しい味が生まれるんだろう。



「はいよ。天津飯と餃子ですね。あと、冷麺とざる蕎麦も始めたんでよろしくお願いします」



 11時半ぐらいから、いつものように出前の注文が後をたたない。今日も厨房は戦争状態だ。2人を見ていると、自分も頑張らないとと毎回思う。相手を笑顔にする事はどの仕事でも共通事項だ。私も、清掃業を天職と思って仕事をしている。お住まいの方々に気持ち良く生活して頂く為に頑張ろうと思った。本当に北京飯店は最高の町中華だ。美味い、安いだけではない。色々な事を教えてくれる。そして、次はもう考えるまでもない。



『ざる蕎麦でいこう』



 そして、私はカシューナッツを口の中に入れた。



『ん?』



 カシューナッツだと思っていたが、なっなんとヤングコーンだった。よくよく考えたら、全く違うものではないか。偉そうに味に付いて講釈を垂れていたが、全く何も分かっていないのかもしれない。






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