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嗚呼、愛しの北京飯店  作者: 稲田心楽
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 唐揚げ、白飯、キャベツの千切り、そしてスープ、これだけでも大満足だが、これに小鉢と杏仁豆腐まで付いている。例えるなら、ありきたりな『お盆とお正月がいっぺんに来た』ぐらいしか言えない。例えを考えるより、今はこの藍色の小鉢を味わおう。



 鮮やかな緑の小松菜と、プリッと可愛らしいしめじの傘、それをすりごまと醤油、砂糖等で和えてある。胡麻が胡麻ドレと被っているんではないかという意見もあるだろう。あるだろうけど、私は気にしない。そんな小さな男ではないと思っている。



『美味すぎる』



 完全な『和』である。町中華の大将が、お袋の味を振る舞う懐の深さ。中華の腕前はもう嫌というぐらい知っているが、私の心を掴んで離さないもう一つの理由は、この何気ない副菜にある。バリエーションは決まっているようで、毎回違う不思議な小鉢。正直、ボリューム的にも値段的にも必要ないかと思うが、二品も付いている。しかもとんでもなく美味い。家庭の味に飢えていると言えばそれまでだが、この北京飯店の副菜は、何故かあの頃を思い出す。そう、子供の頃に嫌々食べさせられた、ピーマン、インゲン、人参、所謂野菜達。私は、野菜が好きではなかった。ファミレス等でハンバーグステーキの横に盛り付けられている人参やインゲンをいつも残しては両親に叱られていた。すき焼きや鍋料理でも野菜を食べないから、無理矢理取り皿に入れられたりしていた。だが、歳を重ねて野菜を意識して摂るようになった。彼女が口うるさく言ってくれたおかげで、野菜ってこんなに美味しいんだと気付かせてくれた。春菊の苦味なんかも美味しいと感じられるほどだ。野菜万歳、ほうれん草の土の香りも万々歳だ。ゴーヤの苦味だけは苦手だけれど──。



 そしてもう一品、イカのマリネだ。紫玉ねぎとイカをマリネ液で付けたこの副菜、タコの酢の物とはまた違った味わいだ。同じ酢を効かせたものだが、西洋の風がこの町中華に吹き抜けていく。イカはスルメイカの輪切りで、よくマリネ液が染み込んでいてとても美味しい。そして、紫玉ねぎの存在。玉ねぎのえぐみなど一切感じられず、歯応えと甘みが単調なイカの歯応えにアクセントを与える。昭和感が半端ないこの北京飯店で、ここまでクオリティの高い品に出会えた奇跡に感謝だ。



 あっという間に完食してしまった。最初は食べ切れるか不安だったが、ペロリと平らげてしまった。お腹も心も満腹だが、爪楊枝を手にした瞬間、離婚した彼の事を思い出した。



『離婚か……』



 私は本当に恵まれている。仕事も恋も順調だし飯も美味い。全てに感謝して、今あるものは当たり前ではないのだと深く胸に刻んだ。





『あっ……。忘れてた』



 すっかり感傷に浸っていて、杏仁豆腐を忘れていた。お腹ははち切れそうだけど、甘いものは別腹という女子の専売特許の台詞を信じてみよう。きっと、午後からは睡魔との戦いだろうけど──。

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