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私は関西風の天津飯をまじまじと見た。確かに餡の色が違う。すまし汁のような薄茶色の餡が、丸い卵焼きの上になみなみとかかっている。立ち込める香りは中華料理とは思えないほど上品だ。まるで、和食懐石の椀物かのような出汁の香り。私は、添えられたレンゲで醤油餡だけをすくった。
『うっ美味い。何だこれ?』
むちゃくちゃに美味い。醤油と胡麻油の香りが広がり、ほんのり口の中に残る甘さがたまらない。
そして、この丸い卵焼きは蟹玉ではないのか──私は蟹であろう部分の周りをレンゲですくって口の中に放り込んだ。
『かっ蟹玉だっ!』
北京飯店の天津飯は蟹玉の上に関東風、関西風の餡をかけて仕上げる最高峰の天津飯だ。細く切られた筍と人参、あと、少しの刻みネギが入っている。そして、蟹の量も半端ではない。どこをすくっても蟹は避けられないは言い過ぎだが、どこに蟹が入っているのか探さなければならない蟹玉は世の中には沢山ある。毎度毎度思う事だが、採算取れてないんじゃないかと心配になる。
「はいよ。寺川さんね。餃子と酢豚とライスね。少し時間もらうよ」
私が来店してから、六件ほど出前の注文を受けている。お客さんは私しかいないが、調理場はとても忙しそうだ。出来上がっては、テツ君が銀色の出前箱に入れ、白いヘルメットを被って店を飛び出していく。その間、どんどん料理を完成させていく大将。そして、出前からテツ君が帰ってくると順番通りに並べられた品をまた出前箱に入れて店を飛び出す。私が帰った後もそれを繰り返し続けているんだろうと想像した。私がもしもテツ君の立場なら、うまくこなす事は出来ないだろう。例えそれに慣れたとしても、凡ミスを繰り返してしまいそうで自信がない。出前におけるミスって沢山あるだろうけど、一番は出前箱の中でクラッシュしてしまう事だろうか。急ブレーキや、急発進などでそうなってしまいそうだ。かと言って、ゆっくりという訳にもいかないだろう。あれだけの出前の件数だし、何より麺が伸びたりしてしまうから、それなりにスピーディーに届けないといけない。やはり、委託サービスに任せるべきだろうが、大将には大将の考えがあるんだろう。そして、ただのお客である私には何の権限もない。私に出来る事はいつも思う事だが、出来る限りこの店に足を運ぶ事ぐらいだ。
「すいません、お客さん、スープ出し忘れてました。すいません」
「あっ、いや、どうもです」
炒飯や定食ものに付いてくるいつもの小さなスープを、大将は申し訳なさそうに出してくれた。
これは初めての会話と思っていいのか──いや、ノーカウントだろう。会話ではなく、謝罪というか、当たり前の流れだ。
私は勇気を出して、『天津飯、最高ですね』と言おうとしたが、忙しそうに厨房を駆けずりまわっている大将に声を掛ける事が出来なかった。
私は出されたいつものスープを口に含み、天津飯をガッツいた。あっさりした味わいがたまらなく良い。どんどんレンゲが進む。まるでお茶漬けを食べているかのような感覚。あっさりしているのに食べ応えがある不思議な天津飯。あっという間に完食。そして、後から出されたスープも全部飲み干した。これで700円とは恐れ入った。今のところ、これはいま一つというメニューはない。
私はメニュー表をもう一度見た。次回、何を食べるかを決める為だ。
『唐揚げ定食だろう』
四天王の一角、唐揚げ定食に次回挑む事にした。最高である事は既に確定だ。