サブストーリー① 遠い昔、遠い所のお話
神話のお話です。現時点では本編にはあまり関係ありません。
1
草木が鬱蒼と生い茂る森の中を駆ける2つの影。
一つは追手から必死に逃げる鹿、角がないので恐らく雌だろう。
そしてもう一方は、それを捕まえんと追いかける巨大な狼だ、その毛並みは透き通るように白く神々しさすら放っている。
狼は瞬く間に距離を詰めると一瞬のうちに鹿に食らいつき、絶命させた。
鹿を捕まえた狼は自らの巣穴へと戻って行った。
美しい花々が咲き乱れる谷底、狼の巣穴はそこにあった。
獲物の鹿を咥えた狼が巣穴の前まで来ると
「おかえりっ、エル!」
巣穴の中から少年が飛び出してきた。
「ただいまじゃ、小僧」
先程まで狼がいた場所には、いつの間にか少女が現れていた。
否、この狼―どうやらエルという名前らしい、が少女に変身したのだ。
透き通るような白さの白髪に狼の耳を備え、尻には尻尾まで生やしている、そして衣服の類は一切身につけていない生まれたままの姿だ。
それはエセンも同様で、彼もまた生まれたままの姿をしている。
二人にはそれが当然のことなのだ。
「もうっ、小僧って呼ばないでよ。僕にはエセンって名前があるんだよ!」
少年―エセンは不満そうに言った。
するとエルはカカッと笑いながら
「何を言っておる?ヌシはまだまだ小僧じゃ。もっと立派になってから言うがよい」
と言うと、更に続けて
「それよりも早速飯にしてくれ。ワシはもう腹ペコじゃ」
と、地面にあぐらをかきながら食事の催促をした。
「そんなに急かさないでよ、今準備するからさ」
と言いつつ、エセンは石のナイフで鹿を解体し始めた。
「そんな煩わしいことせずに、毛皮ごとかぶりつけばよかろう」
「僕はエルと違って狼じゃないんだよ」
「人間は生の肉なぞ食わんじゃろ」
「僕も最初は抵抗あったさ、もう慣れただけだよ」
からかうエルをいなしつつ、エセンは肉を切り終えて塊の一つをエルに渡すと、自分も生の肉にかぶりついた。
食事を終えると、二人は眠りについた。
狼の姿に戻ったエルが、エセンを包み込むように丸まっている。
すぅすぅと寝息を立てるエセンを見つめるエルの表情は慈愛に満ちている。
「母さん、どこにいるの?」
エセンが寝言を言った。
夢で母親を探しているようだ。
「母さんはここじゃ、エセン」
エルはそっと呟いた。
2
エルがエセンと出会ったのは2年前だった。
その日エルは珍しく人里の近くまで獲物を探しに来ていた。
人里では戦乱による混乱が極まり、日々夥しい血が流されていた。
エルには自らの糧となる獲物以外は殺さぬという信念がある。
故に不毛な戦に明け暮れ、無用の血を流しつづける人間達を嫌悪していた。
それでも、その日は人里の近くまで降りてきていた、動物的な本能がそうさせたのだろう。
人里は案の定荒れ果てていた。
死体がそこら一面に散乱している、それも殆どが武器も鎧も身に着けていない女子供に老人のものだ。
死体の多くはまだ新しく、今しがたここで殺戮があったということを物語っている。
「へへっ、やっとおとなしくなったか…、このクソガキ!」
「ったく、手こずらせやがってよ!」
男達の野太い声が響いた。
見ると数人の兵士が一人の少年―エセンを囲んでいる。
エルは木陰で息を潜めて様子をうかがうことにした。
エセンは衣服を血で汚しながらぐったりとへたり込んで俯き、全てを諦念しているようだ。
その手には短剣が握られていたが、もはやそれを振るう気力も残ってはいない。
可哀想に……、助けたくないでもないが人間達の問題に狼が介入しても仕方がない。
戦乱の不条理によって幼い少年の命が散らされることもまた道理なのだ。
「許せ、小僧……」
そう言ってエルはその場を去ろうとした。
「これで楽にしてやるぜ!」
と言って兵士はエセンに向かって大きく剣を振り上げた。
だか、振り下ろすことはできなかった。
一瞬のうちに男の剣は、その両手ごと消滅していた。
「ヴギャアアァァ、手がっ、手がぁぁ!」
狼の鋭い爪が切り裂いたのだ。
「アオオォォォォォォン」
地面が揺れる程の遠吠えが轟いた。
「何だよ、こんなん聞いてねぇぞ」
「退けっ、退けぇ!」
少年を囲んでいた兵士達は一目散に逃げていった。
「小僧!大丈夫か?」
エルの問いかけにエセンはこくりと力なく頷いた。
「もう安心するんじゃ、ワシはヌシの味方じゃ」
そうしてエルはエセンを口に咥えて、自らの巣穴のある谷へと戻っていった。