第3話 オルタの闇①
目が覚めると朝8時だった。
今日は休日で授業はなくて先生に会うまで暇だし、午前中は街に出ることにしよう。
最近物騒にはなっているが、まあ大丈夫だろう。
というか少し街の様子を見てみたい。
冷蔵庫に入っていた牛乳とシリアルで軽い食事を摂った俺は、部屋を出た。
「調子はどうだ、リツ?」
寮のエントランスを出ようとした時、きゅうにオルタ語で話しかけられた。
声の主はフロントで肩肘ついた、恰幅の良い中年男性だ。
彼はこの寮の寮監で、名前をケレベという。
ものすごく面倒見のいい人物で、こんな俺でも心配してくれているいい人だ。
「心配させてすみません…」
「いや、元気なようで何よりだ」
ケレベは快活に笑うと、
「ところで、今からどこに行くんだ?」
と聞いてきた。
「街ですよ、ちょっと様子を見たくて」
俺は正直に答えた。
「一人で行くのか?」
ケレベは少し怪訝そうに聞いた。
「ええ…まあ、友達いないんで」
「そうか…、じゃあ俺もついて行っていいか?」
少し考えこんだケレベは唐突に切り出した。
「えっ、別にいいですけど…、」
「なあに、これから非番で暇なだけさ」
ケレベはフッと笑いながら言った。
バスで30分ほど揺られて、俺とケレベは街に着いた。
オルタ共和国の首都ウルクは、200万程の人口を抱えるそれなりの都市だ。そんなこともあって街はいつも行き交う人々でごった返している。
だが、今日は心なしか人が少ないように感じる。
いや、今日が休日であることを鑑みると、この少なさは異常だ。
大通りのブティックやレストランにもほとんど客の姿は見られない。
やっぱり政府の決定の影響なのか。
「聖堂の方に行ってみないか?」
俺はケレベの提案に頷いた。
何だか胸騒ぎがする。
大通りを2キロほど北上すると大きな広場があり、その奥には巨大な聖堂がある。
聖堂の天辺には極彩色の翼を広げた孔雀のような鶏の像が鎮座しており、それはこの国の国教であるマレキズムの主神マレクの像だ。
広場は、街の静けさが嘘のような凄まじい数の人々で埋め尽くされている。
彼らは『神官の専横を許すな』や「宗教勢力を排除しろ」などの文言が書かれたプラカードを掲げて怒号を上げ、聖堂を守る共和国憲兵隊と睨み合っている。
憲兵隊は最前列にジェラルミンの盾を構えた兵士を隙間なく並べ、その後ろを催涙銃を構える兵士で固めており、さらにその背後には放水銃を備えた装甲車まで控えている。
「神官の犬どもが!」
「撃てるものなら撃ってみろ!」
群衆の興奮はピークに達している。
兵士達は微動だにしない。
練度は相当高いとみえる。
暫く彼らは睨み合った。
不意に、憲兵隊が動き出した。
「蹴散らせ!」
隊長とおぼしき人物が叫ぶ。
それと同時に後列が一斉に催涙弾を放ち、前列の盾隊が前進を開始した。
群衆は総崩れになり、散り散りになって逃げてゆく。
逃げ遅れた者は憲兵隊に袋叩きにあっている。
中には手錠をかけられて連行されている者もいるようだ。
「逃げたほうが良さそうですよ、ケレベさん」
俺とケレベは広場から少し離れた街路樹の影で広場の様子を伺っていた。
群衆が憲兵隊に蹴散らされていく様を見て怖気づいた俺はケレベにいった。
「心配するな、リツ」
ケレベは余裕綽々に笑う。
「このままだと俺らも捕まりますよ!」
「まあ落ち着け、大丈夫だからさ」
広場を掃討し終えた憲兵隊は、その周辺の通りまで展開し始めている。
俺達のいる通りにも多くのデモ参加者が逃げてきており、それを追いかけて憲兵隊も向かってきている。
「これ絶対顔見られましたよね…」
俺は絶望的な気分になった。
いくらデモには参加してないとはいえ、影で一部始終をこっそり見ていた俺達を憲兵隊が見逃してくれるとは思えない。
ああ、神様…
兵士達がすぐ側まで来ている。
だが、兵士達は俺とケレベに一切目をくれず、通りを逃げる参加者達を追いかけていった。
ドンッ
一人の兵士の腕が、しゃがんでいる俺の方に当たった。
「ん、なんだ?」
兵士は一瞬立ち止まり、不思議そうにこちらを見た。
「どうした?」
「いや、何でもない」
兵士は他の兵士にそう答えると何事もなかったように通り過ぎていった。
「ほら大丈夫だっただろ?」
呆然とする俺にケレベは得意気に言った。
明らかに兵士には俺達の姿が見えていなかった。
だがそんなことは普通はありえない、よほど高度な光学迷彩でも使っているなら話は別だが。
「一体どんなトリックを使ったんですか?」
「まあ、ちょっとな。時期が来たら話すさ」
結局ケレベは答えてはくれなかった。
何だかモヤモヤしたものを抱えながらも、ケレベと別れた俺は先生に会うために大学に戻った。
(②へ続く)
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