第1話 留学前夜
1
時計を見ると今の時刻は午後1時。
「ヤベェ…」
俺―青木立は思わず呟いてしまう。
今は春季休暇の期間で大学の授業は基本的にはない。
だが、俺は今日大学に行かなければならない。
あまり出来の宜しくない大学生である俺は、必修の単位を落としかけていて留年の瀬戸際にある。
俺はそれを回避するための担当の先生への直談判の約束を取り付けた。
その予定時刻は午後1時30分。
俺の住んでいるアパートから大学までは、どんなに自転車を飛ばしても20分はかかる。
俺は服だけ急いで着替えると、アパートを飛び出して自転車にまたがった。
2
何とか30分ジャストで先生の部屋に着いた俺は、息を切らせながら扉をノックして部屋に入った。
「も〜、青木君ギリギリですよ〜。お寝坊さんですか〜?」
目の前の幼女に怒られた。
否、先生―伊豆南西海大学准教授である。
140cmに満たない身長で、パッと見た感じ小学生にしか見えないが、これでもアラサーの民俗学者だ。
「危機感が足りないですよ〜、危機感が〜」
先生はミディアムショートのサラサラした茶髪を揺らしながらプンプンと怒っている。
正直、全く怖くない。
だが、留年は物凄く怖い。
「何でもするんで単位お願いします!」
なので恥も外聞もなく今にも土下座する勢いで頭を下げた。
「何でもするか〜、う〜ん」
先生は俺の勢いに若干引くと、考え込みだした。
何としてでも単位を引き出さなければ…
留年すれば親からの仕送りが停止されるのだ。
こちらも色々と思索を巡らせながら部屋を見渡すと、ふと壁に掛けられている絵画が目に入った。
そこには一匹の白い狼が描かれていた、その背景にはほとりに花が咲き乱れる谷間が描かれている。
先程まで見ていた夢が頭によぎる。
風景があの夢にそっくりだ。
「あのー先生、この絵って何なんですか?」
俺は聞いてみることにした。
「これはオルタっていう国に伝わる白い狼の伝承を描いた絵画ですよ〜。何か気になるところでもありますか〜?」
先生はホワホワと答えた。
「いやー、昨日俺がみた夢にそっくりでして…」
と、俺が答えると
「えっ!ちょ、ちょっと詳しく聞かせてくれないかな!」
想像以上に食い付いた。
いつもの気の抜けるような喋り方が変わってしまっている。
「えっと…、なんか気がついたら俺は森の中にいて、で、その森を抜けたらこの絵みたいな風景が広がっていたんです。」
面食らいながらもおれは夢の内容を説明した。
思いの外鮮明に覚えていて、自分自身でも驚いた。
「そこに白い狼はいた?」
「いや、代わりに女の子がいました。」
「それはどんな?」
「確か、銀髪で…犬みたいな耳と尻尾が生えてました。」
「フムフム…、なるほどぉ〜」
先生は納得したように頷くと、
「青木君、留学しましょう!」
などと唐突に言い出した。
流石に訳が解らなかった。
「私、次の学期から1年間、フィールドワークも兼ねてオルタ共和国の大学で研究員をする予定なんですけれど〜、それに君もついて来て下さい」
「そんなの突然言われても困りますよ!」
「留学するなら、単位認定して進級できるようにしますよ〜。それに、交換留学の制度で単位も取れるし、費用の方も向こうが出してくれるように計らいますから安心ですよ〜」
何か色々と言いたいことはあったけれど、完全に向こうのペースに乗せられた俺は、そのまま留学が決まってしまった。