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せっかく夢から覚めたのに、また夢を見るんですか。

作者: 庚午澪

 走行風を顔に受けながら、深いため息をついた。普通じゃないけれど特別でもない自分自身に疲れたように。

 そして隣でハンドルを握る坂口君に愚痴をこぼす。

「うちの職場はさながら不思議の国。アリス・イン・ワンダーランドだね。坂口くん」

「なんですか? 急に薮から棒なこと言って。意味がわかりません」

 運転中の坂口君は愚痴に対してそう眉をひそめて答えた。

 普段は大人しくて真面目な笑顔でやり過ごすような人が、前振りもなく妙な言葉を口にしたら、坂口君でなくても今の発言は心配になる。

 自分なりにも話の振りが唐突だったと理解しているが、ここで止めるのも何なのでさらに言葉を継ぐ。

「なに、意味がわからなくなんてない。簡単なことだよ。皆、わーわーと文句を口にし、ギャーギャーと騒ぎ立て、自分は正しいと持論を偉そうに鼻高々と語り倒し、自身の考えを披露して他人に押しつける。まさに不思議の国さ」

 ずっと窓の外を眺めながら、一度も相手を見ずに話を続ける。

「不思議の国の住人は皆狂っていて、自分だけは正しいと疑いもしないだろ?」

 ここでようやく、同意を求めるように運転する彼の方を向く。

 坂口と呼ばれた彼は、投げかけられた言葉に曖昧な苦笑いを返して誤魔化す。坂口君の印象は短く刈った頭に、ほどよく体つきがいい体型なものだから球児を思わせる。

 話を戻すとまともな人は清掃業になんて選ぶはずがない。来るのは訳ありの変人・奇人くらいなもの。

 清掃業は年齢が高くても雇う傾向にあり、学歴も他の職種に比べて重要視しない。

 見た目普通に見えてもその実、他では働けない理由を抱えて清掃業に来たところだと思う。

 相変わらず人手不足ではあるものの、清掃業にやって来る人は何かしらの訳や問題を抱えていて、他の条件を満たさないから清掃など資格など特に必要の無い物に流れつく。

 たまに間違って普通の人がやって来るが、長く経たず不思議の国を後にする。

「それに厄介なのは誰もが不思議の国に迷い込んだアリスのようだと思っていること」

 また窓の外に目を向け直す。

 走行風で乱れた前髪を左右に分けて額を出す。伸びて髪の癖が出て来ているので、切りに行かなければと思っていても、足を運ぶのが億劫で行けていない。

「自分だけは正しいと疑いもせず口にして正義かのように振る舞う。だからーーここは間違いなく不思議の国さ」

 諦観のこもった口調で呟くように続ける。

「皆おかしいのに、世界は破綻することなく回っている。破綻してもおかしくはないのに成り立っている。狂言者だらけで回る世界が不思議の国でなくて何だと言うんだい?」

 小さく笑うように目を前にやり、見るともなしに眺めた。

「不思議の国はね? おかしな登場人物でも、役割が与えられているから破綻しないで話が進むんだよ」

 見飽きた景色に頬杖をつく。毎日変わり映えのしないくて、ずっとティータイムを続ける帽子屋と三月ウサギと眠りネズミのようだ。

 それぞれ自分たちの主張で口論が始まるーー狂ったお茶会が開かれた折りには頭が痛い。

「ウチの職場も変わり者の寄せ集めだが、役割が与えられているから破綻せず、危なっかしくも多少歪んでも回っている。不可思議なことに。普通の職種・企業ならコンピュータみたく正しくないと動かないし、エラーが出て何も出来なくなる。例え不具合が出ても修正が加えられ、また規則正しく動き出すことが可能だしそれが正常だ。けれど」

 この職場にはそれが無い。さっきの例えで伝わりづらかったのなら、海外で走っているボロボロの車と言った方がニュアンスは伝わるかもしれない。

 車輪の軸が曲がったとか幌にタイヤが擦れたとか、エンジンオイルが漏れていても、ガソリンを入れてエンジンが動けば雑な修理でも何でもして動かしてしまう。使ってしまう。言いたいのはそんな感じだ。

 坂口君は片手を上げてタバコを吸う合図をし、助手席からの返事も待たずパワーウインドウを下げて吸い出した。

「それ、ボクらも入っているのかい? なら不思議の国でボクは何かな?」

 特別興味を惹かれた様子ではなく、会話として成立させようとハンドルを握る彼は答えを求めた。

 一口目は大きく吸い込み、ハンドル片手にタバコをくゆらす。

 ちらりと坂口君を見やり、いかにも彼は適当そうな口調で返す。

「キノコの青虫」

 坂口君はあまりピンと来ないのか、頭の中に浮かばず困ったような、微妙な顔をする。

 誰から見ても、今のは見た感じで付けた適当な配役だった。

 キノコの上の青虫は水キセルを吸っていて、挿絵でも大抵その姿で描かれている。

 そして坂口君は職場を不思議の国と評価する自身は何なのか、何の役なのか目で促してくる。

「僕自身はウサギだと思っていた。制約に縛られて時間に追われ、首をはねられないように赤の女王たちの顔色をうかがう時計を持った白ウサギ。でも、案外上から皆を傍観をしている気でいた僕もまたアリスなのかもしれない」

 自嘲気味に口にした後、一息ついて胸の内を吐露する。

「そろそろ夢から覚めなくてはいけないと思うんだ」

 つまりは今の仕事を辞めるという意味で、夢は職場の比喩だ。

「きっと今は現実という明晰夢を見ている状態なんだと思う。だから、このままだと眠ったまま姉の膝枕の上で夢を見ながらの衰弱死もあり得ないことでもない」

「お姉さん、いるんですか?」

「紹介しないぞ。妹すらいないから」

 姉はいないけれど、不思議の国の物語になぞらえるなら、そうなってもおかしくない。

「いい加減、目を覚まして現実で夢を追いかけないとな」

 愚痴のようにこぼした言葉に、信号で止まった坂口君は呆れ顔を浮かべた。

「結局、せっかく夢から覚めても、また夢を見るんじゃないですか」

 坂口君の指摘に流れる窓の外を眺めながら呟くように零す。

「うん。次の夢が鏡の国でないことを祈るよ」

 とりあえずコンビニの前を通過する時、新商品が並ぶ火曜ということに気づき、帰りに立ち寄ろうと心に決める。




            (完……)

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