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小鬼店主と飼い狗の事情  作者: 新庄透羽
1/1

1話 前編




その日も仕事は、終わりそうになかった。




中小企業、一部上昇を狙う急成長中の製薬会社。

一部上昇を狙うといえば聞こえはいいが、その分の労働はカゲキなもの。

人手不足により日々の業務は遅れに遅れ、そのしわ寄せは一般社員に振りかかる。


自分も例に漏れず、その1人だった。


名前は田中佳たなかけい

某有名俳優と一字違いだが、至って平凡な30手前の男ーーそれが今の俺だ。


日々サービス残業におわれ、休日出勤も当たり前。あけることのない連勤と日々募る疲労感。

帰る頃には日付が変わっているなんてのも、しょっちゅうだった。


最後に休みを取れたのはいつだったか。

すでに遙か昔のように感じる。


上司は上司で清々しいほどの嫌な奴で、なにをしてもイチャモン、女贔屓の典型的なダメ上司だ。

基本社員が休めないのは、この人間のせいでもある。

その日も普通に残業していたら、定時キッカリに上がった上司が


「俺の財布がなくなった、探せ」


と、電話をよこしてきた。

どうやら車や家も探したが見当たらず、会社に忘れたと思ったらしい。

全員仕事の手をとめて財布を探していると、上司のデスクから少し離れたところに、それは落ちていた。

腰をかがめて拾い上げると、表面についたホコリを払う。


と、


「何を取ろうとしている」


後ろから聞こえた声にならい、振り返った。

もちろん居るのは上司だ。しかもけわしい顔をしている。

俺が手にした財布を差し出すと、彼はそれを奪い取る様に取り上げた。



「中身を取ろうとしたな!?」



は?


お礼より先にソレですか。



呆れて表情が硬くなるのを感じながら、周囲に目をやる。

皆も同じ気持ちだったらしく、驚いたような顔をしていた。


ま、そりゃそうだ。

疑いの余地なんてない。


「拾っただけです、業務に戻ります」


俺が一礼し自分のデスクに戻ろうとすると、さえぎるようにして上司の声が飛ぶ。


「金を盗もうとしてバレるのが怖くてそう言ったんだろ、まぁいい。お前にちょうど任せたい仕事があった」



なぜそうなる。



口から出そうになった言葉を必死に飲み込んで、じっと上司の言葉を待った。

周りも静かに見守っている。


「お前ならできるだろ」




嫌味な声と同時に、デスクに書類が投げられた。








◇ ◇ ◇





結局、1日で終わるはずのない量の仕事をおしつけられた。否、3日あっても終わる気はしない。


見かねた同僚や先輩が手伝うと言ってくれたが、家庭がある彼らには無理を言えなかった。



「はぁ」



ため息が溢れる。


こんなことの繰り返しばかりで、生きるのも馬鹿らしい。


……もちろん辞めようとした。

過去辞表を三度提出したが、くだんの上司に三度とも破り捨てられた。そんな苦い記憶が今になって思い出される。


死ぬしかないのかねぇ……。


自暴自棄になりながら、一旦オフィスを出た。途中スマホを見ると、実家から十数件の不在着信通知。

 時間も時間なので、明日朝一にかけ直すかと決めた。そのまいつも喫煙所代わりにしている外階段に向かい、扉に手をかける。

生憎そこにはプレートがかけられ、老朽化に伴い立ち入り禁止と書かれていた。


……。


プレートをみつめて、目をぱちくりさせる。

喫煙ルームはもちろんあるが、いちいち1階まで降りるのも面倒。

加えて7階ともなれば、そこそこ景観がいい。気を紛らわすにも都合が良く、ヒトリになるに十分なスペースだ。


「まぁ、少しくらいいいだろ」


 俺はそう呟いてドアノブを回した。

 キィ、と乾いた音がして、冷えた夜風が頬を撫でる。

ポケットからタバコを取り出しながら、踊り場に向けて一歩をふみだした。

ぎしりと軋む音がして、一瞬だけ視界が真っ暗になる。


「なん、だ……!?」


 突如襲ってくる浮遊感と、ぞわりと背をなでる悪寒。

 急な寒さを感じて瞬きをする。


「……なにが、どうなったんだ」


 唖然とした。

 恐怖で膝が崩れ、その場にへたり込む。

 地面に手をつくと、じゃり、とした砂の感触が伝わってきた。


「なん、なんなんだよ、どうなってるんだ、これは⁉︎」


 慌てて辺りを見渡す。

 目前に広がるのは河川だ。それも大きな、対岸の見えない大河だ。

 空はどんよりとなまりかした色で、一筋の光も通さない。その影響なのか、川の水は黒くよどんでみえた。

 辺りに人影はなく、驚くことに動植物の、いわば生きているものの気配すら感じない。


「さっきまで、え、ビル、は⁈」


 そうだ。タバコを吸いにきたはずだ、タバコ!

 ……なにか、これは。

 ま、まさか寝落ちか⁉︎

 タバコ吸いながら、ねたってことか⁉︎


「お、おいおいまじかよ、ゆ、夢ならさめろ、さめろ、さめろ……」


 ガンガンと拳で頭を叩きながら、何度も唱える。

 いきなり寝るなんてことは今までなかった、相当疲れてたんだな。ごめんな俺の体。

 だから起きてくれ、いきなりこれは怖すぎる。


「ありり、予定と違くなぁい?」


 突然、頭上から素っ頓狂すっとんきょうな声が降ってきた。

 男にしては明るいが、女にしては低すぎる。性別の判断が難しい声だ。


「殴りなさんなって、頭のネジとんじゃうよ」


恐る恐る顔を上げると、こちらを見下ろす一対の瞳と目が合った。

切れ長の黒目に、ざんばらな髪。紺の作務衣から覗く手足は、恐ろしく白い。


「うん、やっぱり違う。うーん」


 その人間は小首を傾げて気難しい顔をするも、その後何事もなかったようにニコリと笑った。


「……まぁいいか、大丈夫大丈夫」


 自身に言い聞かせるようにそう呟くと、その人物はひらりと手を差し出す。


「ようこそ、三途川前街みとがわまえまちへ。お待ちしてました、状況わからないと思うけど‥‥悪いようにはしないから」


 おいで、と差し出された手すら、どこか恐ろしくて仕方ない。

 一向に動けずにいると、かの人間の手が強引に俺の腕を引っ張った。反動で立ち上がり、よろけそうになる。


 ……男ひとりを平気で、しかも片腕で立たせてしまう腕力。コイツは女ではない、男だ。と、思う。


「あんまり遅れちゃうと、おいらが怒られちまう。ゴメンねアンちゃん」


 眉を八の字にして彼はそう言うと、軽く地を蹴った。


「うわっ⁉︎うおおぁあお⁉︎」


 間抜けな声が出た。腕を掴まれたままジャンプされ、身体が文字通り中に浮く。瞬間、ぎゅん、というものすごいスピードで体が飛んだ。

まるでジェットコースター、と頭の端で思った。

 耳朶じだを叩く豪音と、豪速によって体がちぎれそうだ。


「はい、ついたー。とーちゃく、おつかれおいら、そしてアンちゃん」


 急停止した反動で、内臓を吐きそうになる。それをなんとかおさえ、よろりと男の手から逃れた。



「なん、なんだよアンタ!!!」



ようやく出た言葉はその一言で、目前の男を睨みつける。


「んーまぁ、おはいり」


軽くそう言うと、彼はまた俺の手を掴んでくる。離そうと腕を振るが、グイグイと引っ張られて逃れられない。


「くっそ、なんなんだ」


何度目かの悪態を着いた時、カラカラ、と引き戸の開く音がした。

抵抗をやめて音のした方をみると、赤のれんに赤提灯のぶら下がった入口が目鼻の先に。



「ただいまよぅ、おハナ」


「おせぇ、ちこくだぶっころす」



リズミカルなセリフと同時に、彼の腹めがけて蹴りが飛ぶ。それを紙一重で避けると、苦笑しながら男は口を開いた。


「やめれや、アブナイ」


「うるせぇおくれるなっつったろ」


どこか舌足らずな高い声は、どこから聞こえるのか。気になって当たりを見渡すと、下の方からまた声がした。


「すまんきゃくじん、でむかえがわるかった」


視線を下に落とすと、俺のひざ丈くらいだろうか?

小学一、二年生くらいの子供が深々と頭を下げている。


隣の男とは違い、紅の作務衣の上に割烹着を着ており、頭に三角巾を巻いていた。

顔を上げた少年は、緑がかった短髪に、湖の底を思わせる様な、美しい翡翠色をした大きな目。三角巾の隙間からちらりと覗くのは、立派な金のツノだ。



「……いえ、あの、」


 思考がついていかない。

 なんだこれは、そしてなんだここは。

 そして、なぜ子供に謝られるんだ。


「……」


 思考回路をぐるぐると回していると、目前の少年がじっとこちらを見つめていた。

 居心地の悪さを感じて顔を逸らすと、少年は男に声を飛ばす。


「きさま、あやまったな」


 謝った?


「ちがうってば、間違いないんよ。間違いないけど間違ってきた」


「フン。もういい、きゃくじん、とりあえずわるかった。わたしはヒガンバナ。あいしょうはハナだ」


 少年はそう名乗ると、中へどうぞと店内に案内してくれた。

 敷居の高い寿司屋の様に、小綺麗な店だ。ゆとりを持たせたカウンター席が四席あり、それの奥には調理スペースがある。

 一番奥の席を案内され、促されるままに座った。


「突然で疲れたでしょう、おハナのご飯はオイシイからね。あ、ボクはコン。よろしくね」


 さも当たり前と言うように、コンと名乗った男は俺の横に座る。

 彼は大きく伸びをしたかと思うと、あくびをして片肘をついた。


「おとおしだ」


声が響いた方に視線をやると、ハナが盆をもって見上げている。

盆の上には湯のみに注がれたお茶と、小鉢があった。


「……いただきます」


礼を伝えて受け取り、一応机の上に置く。


 さて。



「ここはどこだ。これは夢か?俺は今どうなってんだ」


 一息で言い切ると、隣に座るコンを見る。

 彼はんー、と間延びした声を出すと、にこりと笑った。


「ここは三途の川、の前の商店街。夢のようで夢じゃない、うつつのようで現じゃないよ。慌てなくても、ちゃんと案内するから大丈夫」


 それよりも、と彼は続けて苦笑する。


「あんな可愛いコが一生懸命接客してるのに、君ってば酷いね。食べないの?」


 言われて、う、と言葉に詰まる。ちらりとハナ、と名乗った少年の方を見ると、じ、と此方をみていた。


「おきゃくじん、おまえのためにこしらえた。くえ」


 う、と言葉に詰まる。

 俺は後頭部を掻き、ため息をつくと居住まいを正した。

 確かに慌てても仕方ない、ここは大人しく従おう。


俺はカウンターに設置された箸箱から箸を拝借し、おずおずと手を合わせた。


「しゅやくは、いまつくっているからな。すこしまってくれ」


ハナはそれだけ言い残し、調理スペースへと戻っていく。俺はその様子を目で追いつつ、彼が器用に台に登る姿をながめた。

彼は木でできたオタマをつかい、鍋のなかをくるりくるりとかき混ぜている。


「わたしをみるひつようはないぞ、きゃくじんよ。おとおしをたべるのだ」


こちらを一切振り向かず、彼は言い放った。その声に驚きつつも、小鉢をつつく。

 口に運んでひと口、咀嚼すると


「………あれ、」


 れんこんを甘辛くした金平だ。味がまばらになっているが、一噛みごとに甘さがひろがる。

  


「この味、…あれ」





 驚いて呆気にとられる。

 

 慣れ親しんだ、バアちゃんの味だった。













次話投稿予定 

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