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Identify. Unknown Potions -ポーションを鑑定しよう-

 今日もマナナは学校帰りに師匠のミフネが経営する店へと向かっていた。うだる様な暑さでウンザリした夏も過ぎ去り丁度良い季節である。


 自然に出てくる鼻歌交じりに店に近づくと、ガラス越しの店内に珍しく客が居た。興味本位でマナナが覗き込んでみると、およそ呪文には縁の無さそうな中年女性がカウンターでミフネと話し込んでいる様だった。カウンターの上に色とりどりの液体が入った瓶が置かれており、マナナにはそれらが飲み薬の類であることが一目で想像できた。


「師匠、こんにちは」


 ドアを開けて店に入り、マナナはミフネに一礼する。加えて、中年女性に「いらっしゃいませ」と笑顔でお辞儀した。


「荷物を置いてきますね、師匠」


 マナナは駆け足で店の奥にある小部屋に入ると鞄をソッと机の上に置いた。すると、女性がミフネに薬の出所を話しているのが聞こえてきた。なんでも、祖父が残した飲み薬だが、自分たちは使うことがないので売りに来たという。


 マナナが店に戻ると、ミフネが瓶を手に中身を様々な角度から観察していた。一つ、二つ、三つと手際よく観察していく。その様子を中年女性は固唾をのんで見守っていた。


「ふむ、三本でこんな所ですな」


 ミフネはカウンターに置いてあったメモ用紙に金額を書き込んだ。


「魔法の薬にしては随分安いんですのね」


 女性はミフネが提示した金額を見て呟いた。カウンターへ入ったマナナもチラリとメモ用紙に視線を走らせた。この町で一月は暮らせるほどの額面が記入されている。


「どの飲み薬にもラベルが貼られていませんので。鑑定してからの売却であれば鑑定費を頂かねばなりません」


 ミフネが鑑定に必要な経費を含め提示した値段は売却額と同じだった。


「か、鑑定をしてから売却すると差し引きゼロなのよね……」


 腕を組んで女性は唸った。マナナはミフネの顔をチラリと見る。それを察したミフネはマナナにウィンクをして返した。


(相変わらず酷い鑑定料です、師匠!)


 鑑定費と売却費が同じなのだ。昔からの取り決めというが、ぼったくりも良いところである。


「売りますわ!」


 暫く考えていた女性はついに決断を下した。この町で呪文やそれに関する薬等を揃えているのはこの店だけだし、考えすぎても仕方ない事だと悟ったのだ。


「ありがとうございます」


 ミフネは、レジから金貨を取り出し女性の前で数えていく。その間にマナナは小さな麻袋を備え付けの引き出しから取り出しカウンターに置いた。


 提示された金額と同等の金貨を双方確認し、金貨を麻袋に入れ替える。紐で厳重に口を縛り、ミフネは袋を女性に差し出した。


「ありがとうございました」


 マナナはバッグに麻袋を入れそそくさと店をでる女性の後ろ姿に向かって言った。カウンターの上には三本のガラス瓶が残された。


「しばらく用事で此処を離れる。店番を頼んだよ。マナナ」


 マナナの肩にトンと手を置いて、ギルモアはマナナの目をじっと見た。


「お任せください、師匠」


 実に久々にお客様が現れたが滅多に起こることではない。マナナはグッと胸を張り自信満々で答えた。


「それから、この飲み薬の鑑定を頼むよ。ラベルを付けて棚に並べておかなければならないからね」

「飲み薬の鑑定など朝飯前ですよ!」

「そうか、そうか。それは頼もしいな」


 目尻に皺を寄せてミフネが笑みを浮かべる。


 既に外出する準備が出来ていたミフネは、後を頼む、と店を後にした。一人店に残ったマナナにはカウンターに置かれた薬瓶から異様な気配が沸き立っている様に見えたのだった。




「で、なんで俺たちが呼ばれてるんだっけ?」

「それはですね、この飲み薬を鑑定するためです。先輩」


 ミフネの店の地下室でマナナ、ギルモア、エルの三人が中央に置かれたテーブルの前に立っている。テーブルの上には薬瓶が三本置かれていた。マナナは、それらを指し示す様に両手を広げる。


「飲み薬の鑑定は一口飲めば判るというのが通説なんです、先輩」

「な、なんというか毒々しいな……。特に色が」


 身体をかがめ瓶をのぞき込んだギルモアには、瓶に詰められた原色も鮮やかな液体にどうしても健全な効果が望めなさそうに思えた。


 エルは、マナナを怪訝そうな表情でじっと見る。ギルモアは、薬瓶を一つ取り上げて唸っていた。ギルモアがマナナに好意を持っていることは判っている。それでもエルはギルモアが好きで一緒にいたいと思っているのだ。


「お兄ちゃん、無理は禁物なんだからね。こんなのに付き合って、もしも毒だったら……」


 エルの言葉を遮る様にギルモアは口を開いた。


「マナナさん、これ大丈夫なのか?」

「まかせてください」


 マナナは、戸棚からラベルの付いた薬瓶を一つ取り出し、机の上にトンと置いた。


「いざという時にはこれを……」

「なんだこれ?」


 ギルモアが瓶をつまみ上げるとラベルには掠れた文字でAntiPoisonと書かれている。真顔になったギルモアは、マナナをチラリと見た。マナナは何かごまかす様な笑みを浮かべている。


「ちょっと、ちょっと、マナナさん!」

「ほら、先輩! 万が一、という事も有りますので! 三秒ルールです。三秒ルール!」

「そんなルール聞いたこともないぞ!」


 反論してみたギルモアだが、ふと思い立ってみると何らかの毒が当たって意識を失えば必然的に口移しで飲ませるしかない。これぞ千載一遇の好機ではないか。


「駄目ですか、先輩……」


 肩を落としてしゅんとするマナナに対し、ギルモアは胸を張った。


「任せて貰おうか!」


 一転マナナの顔がパッと輝いた。そのままギュッとギルモアの手を握りしめる。


「お願いしますね、先輩!」


 突然手を握られ、ギルモアは照れ隠しに頭をカリカリと掻いた。そんな様子を見て面白くないのがエルだ。ずいと不帳面のエルが二人の間に割ってはいる。


(三秒以内に毒消しすれば助かるが、意識を失えば必然的に口移し……、か)


 エルはギルモアと机の飲み薬を交互に見る。数秒の沈黙。それから、エルはひまわりの様な笑顔をギルモアに向けた。


「お兄ちゃん、毒消しは私がするから、がんがん飲んじゃって!」

「エルよ、お前はたぶん俺と同じ事を考えていたと思うが、出しゃばった真似はするんじゃあないぞ!!」


 ギルモアにヒョイと身体を入れ替えられて憮然とするエルだった。




「えーと、飲み薬はまず呪文の効果を及ぼすモノであるか分類する必要がある、と」


 マナナは、飲み薬を鑑定する際に注意すべき要点を箇条書きしたメモを取り出した。街から出ないマナナのような呪文使いは、飲み薬の鑑定を行う機会などそうそう無い。朝飯前とは言ったものの鑑定の手順をメモしてきたのだ。


 マナナは自分の呪文書を軽やかに捲り呪文を唱えた。


「Detect Magic !(ディティクトマジック:呪文探知)」


 マナナを中心に呪文の影響力が徐々に広がると共に、銀色の光が薬瓶の中から溢れてきた。呪文の効果範囲は術者を中心に半径三メートルの球状をしており、呪文や魔力を帯びた品物を光り輝かすことが出来るのだ。


「全部光ってるな……」


 輝く光に目を細め、エルは瓶の中の液体を見つめた。


「つまり……?」

「何が起こるか判らないってことですね、先輩!!」


 何処か楽しそうにマナナが言った。いい笑顔だ。実験を楽しいと思える研究者の気分なのだろう。そんな笑顔を見てギルモアは自分の命と欲望とを天秤に掛けてみる。揺らめく天秤は一瞬で欲望へと傾いた。何とかなる、と何の根拠もなく納得することにする。


「なんとかなるだろう!」


 本当に何の根拠もなくギルモアはマナナに言い放った。




「一番簡単な魔法の飲み薬の鑑定方法は、一口飲み込めばいいそうです」


 マナナはメモを見てから二人に目配せした。ギルモアとエルもそれに頷く。


「ただし、その内容物が致死毒であった場合即死の危険がある……、と」


 語尾が細く小さくなるのを聞き逃すギルモアではない。ギルモアはその場でずっこけそうになった。


「駄目じゃねーか!!」


 こけそうになるところを何とか耐えたギルモアが悲痛な叫びを上げる。


「先輩ッ。その為のAntiPoisonです!」


 両手を握りしめ真摯な目でマナナが訴える。こんなマナナにギルモアは弱いのだ。


「しかしなあ……」


 三人ともジッと薬瓶を見つめ続けていた。誰一人として薬瓶に手を伸ばそうとしない。目配せして互いを牽制している。これではいつまで経っても始まらない。


「では、主催の私が音頭を取って一本目行きます!!」


 停滞した空気を振り払う様にマナナが叫んだ。机の上に置かれた三本から爽やかそうなスカイブルーの液体が入った瓶をおもむろに手に取る。


 ギルモアとエルが見守る中、マナナは慎重に蓋を開けてみた。ゆらり、と怪しい揺らめきが口縁部からわき上がる。薬瓶を持つマナナの喉がぐびりと鳴った。


「えーい、ままよ!!」


 マナナはそっと瓶に口を付け液体を口に含んだ。マナナの口の中に少しとろみのある液体が流れ込み、爽やかなミントの香りが鼻腔をくすぐる。


「さー、ぐいっと飲み込もう!」


 煽る様にエルが言う。その手には解毒剤が握られていた。先を越された、とギルモアは思ったが、マナナの手間それをおおっぴらに言う訳にもいかない。


 ゴクリと、周囲に音が響いた様に思えた。喉が一度上下に動き口内の液体が喉を通っていく。致死性の毒ならこれだけでお陀仏だ。


「どう……、だ……?」


 マナナはそっと薬瓶を机に置いた。勢いよく両手を水平に広げ、「セーフ、セーフ」とジェスチャーする。


「Potion of Healing(ポーションオブヒーリング:回復の飲み薬)余裕でした!!」


 マナナは笑顔でVサインを決めた。用意していた付箋にPotion of Healingと書き込む。


「魔法の薬を飲んだのは二度目ですけど、この薬はかなり美味しいですね」


 名残惜しそうにマナナは青い薬瓶を見つめた。


「よし、後二本だな」


 そう言うギルモアの声には、マナナに口移しするチャンスを逃した無念な気持ちと、マナナに何事も起こらなくて良かったという安心感が入り交じる複雑なものであった。


「次はアタシだ!」


 とばかりにエルはポーションを手に取った。


「お兄ちゃんにはコレ、お願い!」


 その際、自分の持っていた解毒剤をギルモアに預けておくことも忘れない。


「いやいや、危ないからお前はやめとけ」


 ギルモアが制止するがエルは聞こうともしない。


「私が危ない目にあったら、その時は助けてね。お兄ちゃん!」


 お兄ちゃんの、「ん」の所でエルは一気に飲み薬をあおるる。薬を飲み込むゴクリという音が静かな地下室に響いた。


「あっ、さっきも言ったけど一口で良いんだよ!」


 マナナがそう言う間に、エルは勢い余って半分ほど飲んでしまっている。


「あーあ、鑑定には一口で良いんだよ。もったいない」


 飲み込んでしまったのは仕方ない。半分飲んでしまったのなら半分程度の効果も現れるはずだ。マナナとギルモアはどの様な変化も見逃すまいとエルを見つめた。


「いや、そんなに見つめられても何も起こらないんだけど……」


 エルは自分の小さな手を握ったり開いたりしながら答えた。


「何の効果も無かったんじゃないか?」


 ギルモアはエルの頭をポンポンと叩いた。


「おっかしいなあ、ディティクトマジックに検知されてピッカピカに光ってたんですよ」


 マナナも腕を組み、エルの事を上から下まで観察してみた。


「おかしな所はどこにもないわよね?」


 マナナはペタペタとエルを触ってみる。触った感じでは別段変化は見られず、エルも平然としている。


「実はエルが鈍感なだけだったりしてな」


 笑いながらギルモアがエルの肩を叩いた。


「え~、そんなこと無いよ」


 エルは軽く、本当に軽くギルモアの身体を肘で押したはずだった。


「ふぐあっ!!」


 爆発的な衝撃がギルモアを襲った。突き抜ける衝撃と共に、ギルモアの身体が浮いて地下室の壁に叩きつけられる。頑丈な石壁がひび割れるのではないかという程の強烈な力だった。


「お、おおあ、あうあ……」


 背中から打ち付けた衝撃で肺の空気が全て外に出てしまったかの様だ。叫び声を上げることすらギルモアには出来なかった。肋骨が何本か折れたかもしれない。白目をむいたギルモアは、そのままずるりと床に崩れ落ちた。


「先輩っ!」


 マナナが叫んだのとエルが行動し始めたのは殆ど同時だった。


「めでぃーーーーーっく!!」


 今が好機と、エルは机の上に置いてあったPotion of Healing を手に取りギルモアに駆け寄ろうとした。だが、エルが薬瓶を手に取った瞬間だ。ガラスの薬瓶は粉々に砕け床に散らばった。


「あ……」


 エルには小さな声でそう言うのが精一杯だった。マナナとエルの目が点になり、互いに視線を合わせた。そのまま気まずい空気が場を支配する。エルは、何か言おうともごもご口を動かすが、どうにも言葉が口をついて出てこない。その目が何が起こったか説明してくれとマナナに訴えかけていた。


「Potion of ogle Power(ポーションオブオーガーパワー:オーガの力)だね……。たぶん」


 使用者の周囲に力場を発生させ、外見の変化を伴わずに剛力無双を得ることが出来る魔法の薬の話をマナナは以前本で読んだことがあった。半分飲んでこの威力なのだ。全部飲んでから同じ事が起こっていたらギルモアの身体は爆散していたかもしれない。


 マナナは机に置いていた呪文書が濡れていないか確認すると、傷を治す呪文が書いてあるページを開いた。


「ポーション無駄にしちゃって。私が呪文で治すから先輩を寝かせてあげて」


 ギルモアに駆け寄ったエルは、ぐったりしているギルモアの肩を掴んで揺すってみた。しかし、ギルモアの反応が無い。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」


 エルは激しくギルモアを揺する。それに合わせ、ギルモアの首がもげるのではないかという勢いで振られる。ギルモアも気がついていたのだ。しかし、マナナが介抱してくれるのではないかという一抹の希望を胸に抱き動かないでいたにすぎない。しかし、エルが馬鹿力で揺するものだからついに我慢の限界を超えてしまった。


「痛いわーーーっ!!」

「わーい、気がついた!!」


 叫ぶギルモアにエルが抱きつく。オーガーパワーの馬鹿力による抱きつきは余りに強力で、ギルモアの骨が軋みを上げて砕けていく。今度こそギルモアは白目をむいて気絶していた。


「あのー、エルちゃん。先輩、たぶん死にかけてるからね……」


 マナナは冷静に呪文書を開き、ギルモアを治癒するための呪文を探す。


「ほぇ?」


 エルが抱きしめていた腕を咄嗟に広げると、ギルモアはズルリと床に崩れ落ちた。


「はいはい、ちょっとどいててね」


 マナナは涙目になっているエルを脇に下がらせ、ギルモアの前に膝をついた。腕があらぬ方向を向き肋骨も粉々。あまりに酷い状況にマナナは眉をしかめた。


「先輩、すぐ治してあげますからね……」


 虫の息のギルモアに、マナナはCure All(キュアオール:全治癒)の詠唱を始める。その様子をエルは黙ってのぞき込んでいた。


 少し長い詠唱の後、発揮された呪文の効果は絶大で、みるみるギルモアの身体が治ってていく。ものの数秒でギルモアの身体は完全に治っていた。気がついたギルモアは、寝たままの姿勢でカッと目を見開く。


「大丈夫ですか、先輩?」


「死んだじいさんが俺に手を振っていたぜ……」


 ギルモアは、ゆっくりと起き上がり全身を確かめる様に見回す。立ち上がってから身体をほぐす様に全身を動かした。


「本当に凄いなマナナさんの呪文は。気絶するほどバッキバキにされた骨が完全に治ってる」


 そんなギルモアを、エルはすまなそうに肩をすくめ見ていた。


「エルもなあ、ガラス瓶の時点で注意しとけよ。何とかなったから良いものの、暫く何処にも触るんじゃあないぞ!」

「うん、そうする」


 エルはチョンと後ろ手に手を組んでクルリと回った。そんなエルの肩をマナナはチョイとつつく。


「暫く効果が続くのは危険ですからDispel Magic(ディスペルマジック:解呪)使っておきましょうか」

「う~、なんかお前の呪文は受けたくないぞ……」


 以前勝負した時のことを思い出し、エルはマナナに渋い顔を見せる。


「お前なあ、そんなこと言ってると知らずにそこかしこ破壊しかねんぞ」

「大丈夫だもーん」


 エルを捕まえようとするギルモアをひらりと躱し、エルは椅子に座ろうと手を掛ける。しかし、エルはそっと手を掛けたつもりだった椅子の背もたれをまるで腐った木片の様に粉々に破壊してしまった。


「あ……」

「あだーっ。だから言わんこっちゃない」


 そう言って頭を抱えたギルモアに、エルは苦笑いすることしかできない。


「マナナさん、ちゃっちゃと頼むよ」

「ぶーっ」


 エルがふてくされて頬を膨らます。


「ふてくされても駄目なものは駄目だぞ」


 そんなエルに即座にギルモアが釘を刺す。


 マナナは呪文書を捲りDispel Magicが書かれたページを開いた。


「えーと、事前に言っておきますが、この飲み薬を作った人が私以上の呪文の使い手だった場合、解呪が失敗する可能性がありますのであしからず」


 解呪は、対象の呪文使いとの勝負とも言える。相手の込めた呪文が自分の呪文の威力を上回っていたなら解呪されないというわけだ。


「じゃあ、やりますね」


 気持ちを引き締めマナナは解呪を詠唱する。


「Dispel Magic」


 マナナは自分の前で神妙に立っているエルの額にそっと掌をおいた。


(さあ、何時の時代の呪文使いが作った飲み薬か知らないけど、勝負よ!)


 程なくしてエルの全身から魔力のオーラが(ほとばし)り炎の様に揺らめく。揺らめくオーラは時間を追う毎に薄くなり、空気に溶ける様に消えていった。


「今回は私の勝利でした。先輩」


 マナナは、一安心といった具合に大きく息を吐いた。


「もう大丈夫なのか?」


 エルは、呪文の効果を確かめる様に身体を捻ったりしてみる。


「ええ、完全にPotion of ogle Powerの効果は無くなってるわよ」

「いや~、悪かったねえマナナさん。ほら、お前もお礼言っとけ」


 ギルモアはエルの頭を鷲掴みにし頭を下げろと促した。エルとしても自分の不注意で死にかけたギルモアを治癒したり怪力を制御できない自分を即座に解呪してくれたりと感謝する気持ちはあるのだ。しかし、エルにとってマナナは一方的な恋敵なのである。どうにも素直に頭を下げてお礼を言うのが自分が負けた気がして俯き加減に黙ってしまう。


「あり……ま……」

「ほれっ、もう少しハッキリ言えよ、エル!」


「ありが……と……」

「もう一声だな!」


「有り難うございました!!」

「よーし、上出来だ。俺からもお礼を言わせてくれ。ありがとう」


「いえいえいえ、そんな。飲み薬の鑑定を誘ったの私ですし。解呪が効いて良かったですよ。それよりも……」


 マナナは机の上に残された最後の一本をチラリと見た。少々キツイ蛍光ピンクの液体が瓶の中でゆらゆらと揺れている。


(これは絶対に怪しいから飲みたくなかった奴なのです。先輩!)


 心の中でマナナは叫んだ。


「じゃあ、最後の一つはお兄ちゃんが飲んでみてよ」


 エルは恐る恐る瓶を取り上げる。少し力を加えてたぐらいでは瓶はびくともしない。確かにマナナの解呪は効力を発揮していた。二、三度握り直してその事を確認したエルは、笑顔になって薬瓶をギルモアに差し出した。


「はい、どうぞ!」


 ギルモアは無言で毒々しい液体の入った瓶と自分の顔とを交互に指で指し示す。それに対しマナナとエルは無言で頷いた。


「ま、まあ。順番だしな……」


 覚悟を決めたギルモアは慎重に蓋を外し机の上に置く。それから瓶の蓋の上を扇ぐ様にして臭いを確認した。


「ん~、何というか甘ったるい臭いがする」

「先輩、落ち着いて……。一口だけですよ、一口だけ」


 自分が飲む訳でもないのに、マナナは手に汗握っていた。


「判ってる……。南無三ッ!」


 ギルモアが口にした飲み薬は苺の様に甘酸っぱいものだった。毒々しい色の割に味は普通だ、とギルモアは思った。


「苺のジュースなんじゃないか、これ」


 机に瓶を置きしっかりと蓋をしたギルモアは余裕の笑みを見せる。


「本当に何の効果も無かったのかな?」


 エルがギルモアの体を所構わずぺたぺたと触る。最初は平然としていたギルモアだが脇腹をくすぐられると顔を歪めた。


「そっ、そこは鍛えられん、うひゃ、うへあ」


 変な声を出して笑い始める。


「わはは、どうだどうだー」


 調子に乗ってエルは脇腹を攻めまくった。力ずくで振り払う事もできたが、いつものじゃれつきで振り払う事もあるまい、とギルモアは暫く耐えていた。耐えていれば飽きて止めるかと思っていたのだがエルはなかなか止めようとしない。


「あの、エルちゃん。そろそろ止めた方がいいんじゃない?」


 マナナはギルモアの額に浮かぶ青筋を見ていった。プルプルと握った拳が小刻みに揺れている。


「トドメだーッ!!」


 くすぐる勢いを更に高めるべくエルは指に力を入れる。その手が脇腹に届くか否かというところでギルモアはひらりと身を躱した。同時にエルの頭へとげんこつを落とす。


「あだだだだ……」


 頭の上を両手で押さえ涙目になったエルはしゃがみ込んで口をへの字に曲げた。ギルモアは両手を腰にあてがいエルを見据える。


「調子に乗るんじゃあないの。そういうのオマエの悪い癖だぞ」


 少し語気を荒げてエルに言った。


「あうあう……。ごめんなさい」

「判れば良いんだよ、判れば」


 結構生意気なエルだが、ギルモアに対しては素直だ。


「で、なんの影響も無いんですか。先輩?」


 エルの頭を撫でていたギルモアを上から下まで観察してみるが、特に変化は見て取れない。魔法の飲み薬を鑑定するには一口飲めば良いという事だったが、それに当てはまらない事例も有るかもしれない。マナナはそう考えた。


「一口じゃ何の影響も出ない薬だったりしてな」


 そう言ったギルモアが突然シャックリをした。少し間を置いてもう一度シャックリする。


「シャックリとは驚かせてくれ……」


 言い終わらないうちにギルモアはもう一度シャックリした。一度始まるとなかなか収まらないのがシャックリというもので、ギルモアは何度もひっく、ひっくとシャックリを続けてしまう。


「お兄ちゃん、なんか縮んでない?」


 エルが言うとおり、ギルモアがシャックリをする度に身長が少しずつ縮んでいくのだ。ギルモアが縮んでいく様をマナナは目を皿にして観察した。身長が縮むと共に剣士として鍛えたギルモアの身体から筋肉が失われていく。そのため、魔法の薬の効果としてサイズを縮小させるものではない様に思えた。ギルモアに起こっている現象を考えると若返っていると考えるのが正しいだろう、とマナナは考えた。


 シャックリを繰り返すギルモアの身長は、エルと同じぐらいになって止まった。身体も華奢になり、服がぶかぶかになっている。ギルモアは、無言でかろうじて引っかかっているズボンのベルトを締め上げる。ベルトが自由に調整できるタイプで良かった、とギルモアは思った。


「私と同じくらいの身長になってるっ」


 エルは楽しげにギルモアの瞳をのぞき込み掌で自分とギルモアの身長を比較してみせる。


「ぐぬぬ……」


 ギルモアは憮然としてマナナに視線をよこした。この効果はなんなんだ、とその顔がマナナに問いかけている。


「た、たぶん若返りだと思います……」


 そこまで言ってマナナは言葉を濁した。若返りの薬は本で読んだことがある。そして、そこ効果にDispel Magicが効果を発揮しないこともだ。黙ってソッと目をそらしたマナナにギルモアは詰め寄った。


「マナナさん!? これ、直るんだよな!!」


 すっかり声変わり前のハイトーンになった声でマナナをジッと見上げる。少々ふっくらとした顔つきは少年の雰囲気たっぷりだ。


 マナナはギルモアの顔を見つめしばらく黙っていた。


「残念ながら……」


 短くそれだけボソリと言った。


「なんてこったあああああっ!」


 血の気が引き、一瞬でギルモアはその場に崩れ落ちた。これではマナナとお付き合いする事など夢のまた夢となってしまう。


「お前はーっ、お兄ちゃんをどうするつもりなんだ!」


 エルはツカツカとマナナに詰め寄り、胸ぐらを抉る様に掴んだ。エル越しに見えるギルモアは、泣いているのか小刻みに震えている。


「私が……、私が……」


 責任を取って彼の面倒を見ます、とは言えなかった。若返りの薬に対抗するのは歳を取るための薬だろう。それといってもギルモアが元に戻るという保証は無い。焦りからまともな考えが浮かんでこなかった。


 マナナが握りしめた手に力が入る。自分一人では、何かあった時に対処できないだろうと思いギルモアを呼んだのだ、何かあっても解呪の呪文でどうとでもなる、と思っていた。完全に自分の傲慢が生んだミスだ。


「まあ、しょうがないさ。エル」


 いつの間にか立ち上がったギルモアが、エルの手を取りマナナから外した。一息吐いてマナナを見上げる。


「マナナさんもさ、そんなに落ち込まないで。まあ、何とかなる!」

(たぶん何ともなりません、先輩っ!)


 マナナは心の中でギルモアに突っ込んだ。意外とサッパリした表情のギルモアに、マナナは申し訳なさで一杯になる。


 ギルモアの言葉に根拠は全く無い。だが、そうでも言わないと先に進めない。ギルモアはそう思うのだ。


「ほらほら二人とも、残った瓶に若返りって書いてさ、今日は解散解散」


 そう言って、ギルモアはやけくそとも取れる笑顔を二人に向けた。


「お兄ちゃん……」


 そんなギルモアに、エルは居た堪らなくなりギルモアに駆け寄った。


「エルもさ、ぶちまけた椅子の破片とか片付けなきゃ駄目だぞ」


 そんなエルを制し、率先して動こうとするギルモアにマナナとエルも続く。木片を掃除し、机の上に散らばったガラス片を片付けた。


 マナナは付箋にPotion of Rejuvenation(ポーションオブリジュービネイション:若返りの飲み薬)と書いて瓶に貼り付けた。


「よし、これで大丈夫だな」


 ガラス片を処理すると、ギルモアはぶかぶかになった靴を脱いで裸足になった。足に合わず動きづらかったのだ。


「しっかし、お袋が見たら卒倒するな、こりゃ」

「私も一緒に行くから大丈夫だよ、お兄ちゃん!」


 エルはギルモアにピタリと寄り添う。身長がほぼ同じとなった為、まるで同年代の仲良しに見えた。


「先輩、私も説明のために一緒にいきますので!」

「マナナ・ロンド。オマエは来なくて良いぞー」


 毒気をたっぷり込めてそう言うと、エルはマナナに舌を出しあかんべえをする。しかし、それ如きで引くマナナではない。


「いえ、私には説明する責任があります! エルちゃんが何を言おうと行くと行ったら行きますからね!」


 これは収まらない空気だ、とギルモアは思った。こういう時、エルは絶対に引かないし、マナナも主張を崩すことはない。


 案の定、二人は同じ事を主張し続けていた。平行線の言い合いをよそに、ギルモアは残された椅子に腰を下ろす。頭がむずむずするので手をやると、いつの間にか髪の毛が幾分伸びた様で、耳がすっぽりと隠れていた。


(薬の影響なのか?)


 ギルモアは艶々の黒髪に手櫛を入れてみる。自分の髪の毛とは思えない柔らかさと滑らかな手触りで、エルの頭を撫でた時の様だ。


 腕まくりをし、細くなった自分の手をまじまじと見る。幼い頃の自分の腕はこんな感じだっただろうか、と思いを巡らせてみる。


「う~ん、どうにも違う様な気がするんだよなあ」


 ギルモアは首を捻って思い出してみる。少年の頃とはいえ、既に剣術の稽古は始めていたし、もう少し筋肉があった気もする。そう思ったギルモアは、二の腕をつついてみた。つついた指に帰ってくるのはフニフニとした柔らかい二の腕の感覚だ。鍛えているなど微塵も感じられない。ギルモアは無言で恐ろしいことを考え始めていた。それは、自分が全く別のモノに作り替えられてしまったのではないか、というものだ。


 考え始めると恐ろしくなってしまう。今は良いが、いずれ自分が自分で無くなってしまうのではないかという恐怖だ。


「ええい、俺がこんな事でどうするってんだ!」


 自分を鼓舞する様に叫び、ギルモアは椅子から立ち上がった。突然上がった大声に、マナナとエルはギルモアの方を振り向く。二人に声はなかった。首だけギルモアに向けたまま無言で立ちつくしている。


「どうしたんだよ、二人とも?」


 ギルモアの質問にマナナとエルは互いに顔を見合わせ、すぐにギルモアに向き直った。


「何と言いますか、先輩……」


 マナナは、何か言いにくそうに口ごもった。少年となったギルモアがどうにも可愛く見えるのだ。それはエルも同じで同年代の少年となったギルモアが可愛く見えて仕方なかった。


「お兄ちゃん、なんかかわいー」

「オマエは何を言っているんだ。そもそも……」


 そこまで言ったところでギルモアはピタリと身動きを止める。


「どうしました、先輩?」


 ギルモアが内股になって太腿を擦りあわせている。そんなギルモアに、マナナは小首をかしげた。


「すまん、マナナさん。トイレ何処かな?」


 尿意が突然ギルモアを襲っていた。お腹に力を入て耐えてはいるが、今の感覚からするとそう長くは持たないだろう。こんな所で粗相するなど、今後の人生において耐えられるはずがない。


「トイレなら階段上がって左手のドアです」


 マナナの答えを聞くか聞かないかというタイミングでギルモアは階段を駆け上がっていた。


「なーんかヤな予感がするな」


 エルは頭の後ろで手を組んでギルモアが消えた階段を見つめた。




「なんじゃこりゃあぁぁぁ!!」


 程なくしてギルモアの絶叫が聞こえてきた。この世のモノとは思えない悲痛な叫び声だ。


 そして、勢いよく階段を下りる足音と共に、腰ほどまで伸びた黒髪をなびかせてギルモアが地下室へ駆け込んできた。


「なっ、ななな、な……!」


 気が動転して呂律が回っていない。ギルモアは上着だけだったが、大きなシャツは膝上までをすっぽりと覆っていた。


「一体どうしたと言うんですか、先輩!!」


 これまでの変化から何となく予想はしていたが、薬の効果が若返りとは異なるモノだったという事だ。マナナはギルモアの返事を待った。


 ギルモアは、その場にギシッと固まってしまう。続けて言葉がどうしても出てこなかった。額に冷や汗が浮かぶ。言って良いものか、自分に起こった変化をどう伝えたものかと自問自答していた。


「んあー、まどこっろこしい!」


 ツカツカとエルがギルモアに近づくと、シャツの裾を掴んだ。そのまま一気にシャツを捲る。


「ちょっ、おま……」


 ふわりと捲り上がるシャツのその奥、マナナとエルの目に飛び込んできたギルモアの股間は女の子そのものであった。


「何をするんだ、エルゥ!!」


 咄嗟にシャツを押さえ込んでギルモアが叫ぶ。


「お兄ちゃん……」


 エルも薄々と気がついていたが、確認してみるとギルモアが完璧に女の子へと変身しているというのは複雑な気分だ。このままではお兄ちゃんではなくお姉ちゃんになってしまうではないか。それではお兄ちゃんと恋人同士になることはできない。


「この薬、若返りではなく性別変化というわけね。それも年齢変化という副効果もつけているとは……。作成した奴はかなりの使い手ね」

「いやいやいや、そんなところに感心してないで元に戻す事を考えてくれよ!」


 マナナは可愛く変身したギルモアを上から下まで舐める様に観察した。成長すればどんなに美しい女性になるのか想像できるぐらいの美少女っぷりだ。


「元にもどっちゃうんですか?」

「当たり前だろうが!!」


 少し勿体ないと思うマナナだが、ギルモアの今後を思うと治した方が良いに決まっている。


「それじゃ、解呪を使いますのでこちらへ」


 マナナは呪文書を捲り、解呪のページを開くと朗々と呪文を詠唱した。ギルモアの額にそっと触れ、完成した呪文の力をギルモアに向かって解放する。


 銀色の光がギルモアを包みこんだかと思うと弾けて消えた。そして飲み薬と同じ色のオーラがギルモアの身体を包み込み炎の様に揺らめいている。それは、マナナの解呪が飲み薬の魔力に負けた事を意味しており、当然の事ながらギルモアの姿は少女のままだ。


「あ、あはは……」


 苦笑いするマナナにギルモアとエルとの視線が痛いほど突き刺さる。気まずい空気が地下室に充満していた。


「ほ、ほら先輩。師匠が帰ってくれば解呪することなんて容易いですから!」

「それはどういうことなんだ?」


「え、えーと。解呪の呪文が失敗した場合、同じ術者による解呪は効果がなくてですね……。この町に呪文使いは私と師匠しか居ないので師匠が帰ってくるのを待つことになるというわけで……」


 マナナは気まずい思いを抱えながらギルモアに説明した。


「で、ミフネさんはいつ頃帰ってくる予定なんだ?」

「さ、さあ……。2、3日で戻ってくる……、かも」

「かもか、かもなのか!」


 ギルモアがマナナに詰め寄るがそんな姿も愛らしく思える。完全に涙目のギルモアにエルがポンと肩を叩いた。


「なんだよ、エル!」

「元に戻るまでアタシが面倒見てあげるから大丈夫!」


 エルがどんと胸を張った。しかし、ギルモアの表情は渋い。


「得意満面な笑顔向けられても、明るい未来が見えてこないのだが……」

「せ、先輩。不肖、このマナナ・ロンドもお手伝いします」


 一体自分の何を手伝うというのだろうか。どことなく息を荒げたマナナとエルがギルモアへとにじり寄った。


「服はさ、アタシのを貸してあげるよ、お兄ちゃん……」

「困ったら何でも相談してくださいね、先輩……」


 ギルモアの鼻先まで二人の顔が近寄ってくる。その勢いにギルモアは冷や汗を滲ませた。


「いやいやいや、二人とも近い、近いって!!」


 ギルモアは距離を取ろうと両手を突き出すが二人はお構いなしだ。


「とりあえずアタシの部屋に行きましょー」


 エルがギルモアの右腕にからみつき、強引にギルモアを連れ出そうとした。抵抗しようともがくギルモアだが、今や普通の少女となってしまった彼に為す術はない。ズルズルと引きずられていく様にその場を離れるしかなかった。


「ノオオオオオーーーッ!!」


 狭い地下室にギルモアの可愛くも悲痛な叫びが響き渡るのであった。




 ――それから一週間後……。


「Dispel Magic」


 ミフネの厳かな詠唱が地下室に響く。銀色の光がギルモアを包み込むと、ギルモアは一瞬で元の姿に戻っていた。


「や、やっと戻れた……」


 ギルモアは感慨深く一言だけ言った。天にも昇る気持ちで拳を高く突き上げる。晴れ晴れとした笑顔にまるで後光が射している様だ。


「本当に助かりました、ミフネさん!!」


 ギルモアはミフネの手を強く握りしめた。


「なになに、これぐらい朝飯前だよ。この子の為に迷惑かけたね」


 ミフネは隣に控えていたマナナの背中をポンと叩いた。


「ご迷惑を掛けました、先輩」


 マナナはギルモアに向かい深々と頭を下げる。


 上の方で店のドアが開く音がした。程なく駆け下りてくる足音が響いてくる。地下室に滑り込む様に表れたのはエルだった。


 すっかり元に戻ったギルモアを見て一つため息を吐く。


「あー、戻ってしまった」


 開口一番エルがつまらなそうに言う。


「おまえな。俺がこの一週間どれだけ苦労したか判っとるのか!」


 ギルモアはこの一週間エルのオモチャにされていた様なものだ。変身した自分を世間的にギルモアの従妹とした為、少女としての仕草、言葉遣いに至るまで事細かくエルの指導が入った。勿論それだけで終わるはずもなく、服や下着もエルが準備していたものを着る羽目になったのだ。二人で大衆浴場へ出かけた時など、男としては婦女子の裸を見放題と思っていたものの、自分が女子として見られているという羞恥心でその場にいるのが精一杯になったほどだ。


「ぜんぜん」

「だ、ろ、う、と、思ったぜ」


 ギルモアは、にっこりと笑うエルにスリーパーホールドを極めた。藻掻くエルだがギルモアはびくともしない。


「お、お兄ちゃん。ギブギブ」


 耐えられなくなってきたエルは、鍛えられたギルモアの二の腕をペシペシと叩いた。それに合わせてギルモアが力を緩めるとエルはスルリと腕から逃れる。


「よーし、完全復活!」


 ギルモアはグッと力こぶを作って見せる。


「先輩、景気づけに一本いっときますか!」


 マナナは戸棚から薬瓶を取り出してにこやかに差し出した。マナナが差し出した薬瓶には何処にもラベルが貼られていない。蛍光緑の液体はおおよそ身体に良いものでは無さそうだった。


「えーと、どんな効果があるのかな?」


 震える指で瓶を差し、ギルモアは恐る恐るマナナに問いかけてみた。


「先日来たおばさんが、倉庫にまだ残ってたって、今朝方持ってきたんですよ!」

「つまり、何だか判らんっ、て事だよな……」

「今日なら師匠も居ますし、いっときましょう。先輩」


 だめだ、この娘は全く反省していない。だがしかし、満面の笑顔で進められると断り切れないのが男というもの。だがしかし、ミフネ師匠が居るからとて完全に安全が保証されている訳ではないのだ。


「すまん! 飲み薬だけは勘弁してくれ!」


 断腸の思いで意を決したギルモアは、くるりと踵を返し階段を駆け上がっていく。マナナには呼び止める隙も無かった。


「あっ、お兄ちゃん待ってよー」


 ギルモアを追いかける様にエルも地下室を後にした。


 少しの静寂が地下室に訪れる。少し調子に乗りすぎたかな、とマナナは思った。


「こりゃあ飲まずとも鑑定する方法を見つけなきゃ駄目じゃな」

「ええ、やってやりますとも、師匠!」


 マナナの瞳にやる気の炎が灯っていた。


(この子はいつかやり遂げるだろう)


 ミフネは両手を握りしめやる気を見せる弟子を頼もしく思えた。


「まずは何を参考にすればいいですかね、師匠」

「そうじゃな……、まずはワシの部屋に移動しようか」


 そう言ってミフネが地下室を後にした。これからミフネの講義が始まるのだろう。こんな所でつまづいてはいられない、そんなやる気を漲らせマナナはミフネの後に続こうとする。


「おっとっと、片付けておかなきゃ」


 マナナは机の上に置いていた硝子瓶を戸棚にしまいこんだ。


「これでよしっ。待って下さい、師匠ーっ」


 だれも居なくなった地下室に二人の話し声が小さく響いていく。そして、ドアが開閉する音と共に静かになった。


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