四話目 【決戦の夜】
「うっ……うっ……」
マティルダは部屋で泣いている。
無論、理由はフリュウと眠れないから、そしてフリュウが別の女と寝ているからだ。
ミコトが勝利したが、彼女はいつもフリュウと眠っているわけで、いつもの調子で布団に向かったところミコトがいた。
ミコトに無系統の帝級魔術 不可侵領域 をかけられたせいで今夜フリュウの部屋に入ることが出来なくなったわけだ。
せめてもの情けとしてフリュウのまくらを貰ってきてそれで我慢しているのだが、耐えきれずにそれを濡らしている。
「はぁ……っ、なんでマティルダが私の部屋で寝てるのよ」
「うっ……、レイディアぁぁぁ!」
「あんた何て顔してるのよ」
落胆して入ってきたレイティアだが、すぐ近くにもっと落胆しているやつがいた、それを知って少し安心して返答できた。
マティルダはぐちゃぐちゃになった顔を隠すようにレイティアに抱きついた。
「だぁって、フリュウさんがぁ」
「そういやフリュウくんと寝てない日って過去を合わせても初めて?」
「……」
無言でうなずくマティルダにレイティアは嫉妬したくなる。
マティルダはこれまでフリュウの娘という立場を利用して想い人を思う存分堪能してきたわけだ。
だがこの悲痛で絶望しているような顔を見ているとそんなこと出来ない。
「ミコトはヘタレだし、フリュウくんもヘタレだから問題ないと思うけどねぇ」
「うぐっ……フリュッさんを悪く言わない」
「はいはい」
レイティアは多少楽観している。
ミコトは普段から献身的にフリュウのために尽くすタイプのアタックをしかけている。
そんなミコトが狼になって襲いかかるようなことできるはずがない、そんなことはこれまでに築いてきたイメージというのが邪魔してしまうのだ。
もし失敗したらフリュウからの評価は急降下、いつものような顔して献身的に尽くすことはできなくなる。
逆にマティルダは大事として考えていた。
フリュウは今のところ超がつく草食系男子だ。
今のところ、となっているのはフリュウの変わり様を知っているからである。
いくら草食系といっても男という生き物は美人に興味がない、なんてことはないのをマティルダは知っている。
ミコトは美人だ、しかも和国受けしそうな清楚な美人なのだから、いつフリュウが狼になるか分からない。
「じゃあフリュウくんの部屋覗いてみる?」
「へ?」
大粒の涙を流し続けるマティルダを見ていられなくなったレイティア、もともと一人で覗くつもりだったが、マティルダも誘った。
マティルダの目に希望が灯った。
マティルダは自分の知らないところで何か行われるのが怖かったのだ。
「できるの?」
「ふふふ、実はフリュウくんの部屋の天井にフェアリーをつけてましてね」
「……後で取り外しておきましょうか」
「ちょっと待ってよ、あんたと寝てる時は見てないから」
「ふーん、とりあえず見せてもらいましょうか」
フェアリーとは使い魔の一種だ。
遠隔操作ができたり、魔術を使い魔から放つこともできる。
レイティアのフェアリーは視覚を共有する能力を持っているらしい。
「よろしくね、フェアリーちゃん」
どこからともなく現れた手のひらサイズの黄色い妖精。
透明の羽をもった小人族といった感じだ。
フェアリーはコクンとうなずくと目を真っ黄色に染め上げ光を放った。
その光は一定の距離をとってから四角の画面をつくった。
「こんなことできるんだ」
「私は召喚魔術が得意だからね」
「いいなぁ、私はそっち系のは無理なのに」
マティルダは神としていろいろな属性の才能を持っているレイティアが羨ましい。
マティルダが得意とするのは炎魔術と装備系魔術、装備系魔術は加速や能力強化をする魔術のことで、つまり脳筋な才能なのだ。
レイティアは五属性の適性は平均より少し高い程度だが、召喚や幻属性といった器用なことができる魔術に関しては天才である。
「後で召喚とか教えてもあげるから、涙ふいて」
「ありがと」
レイティアがつくったハンカチでぐちゃぐちゃになった顔を戻していく。
ようやく落ち着きを取り戻したマティルダはレイティアといっしょに画面を見つめた。
「ムラマサ、どうしたんだろ」
「抹茶アイス持ってきたね」
「あ、でていった」
ムラマサがフリュウに抹茶アイスを手渡して部屋から出ていく。
幸せそうな顔でパクパク食べていくフリュウは二人の癒しを誘った。
「フリュウくん、それ反則だよ……」
「いいなぁ、抹茶アイスになりたい……」
二人はフリュウのいつもは見せない表情にノックダウン寸前である。
マティルダは「ごちそうさまでした」と言ってレイティアに身体を預けて倒れてしまった。
萌え死あらためこれをキュン死と名付けよう。
「ちょっといい?」
「もうダメです……」
「フリュウくんの様子がおかしいんだけど」
「なんですか!」
とろけた顔を引き締めて飛び起きるマティルダ、そのまま画面を凝視した。
画面に写るのは頭を抱えて苦しそうに息をするフリュウの姿。
「フリュウさん、どうしたんだろ」
「ひとつ質問するわよ」
「何よ」
レイティアは何か心当たりがあった。
自分も考えていたことなのだから、すぐに想像できた。
「もしフリュウくんと添い寝することになりました」
「うん、私いつもしてるよ」
「チッ……、ムラマサが「協力しましょうか?」と言ってきました」
「うん、ムラマサなら言いそうだね」
「自分なら何を頼む?」
マティルダにも心当たりがあった。
もしフリュウと眠る時にムラマサにそう言われたら自分でもこうする自信があった。
ムラマサから聞いた、レイティアから媚薬を頼まれていると。
もちろん、フリュウに媚薬単体で飲ませんなんて不可能だが、大好物に混ぜて体内に入れさせることは容易だろう。
「あのアイスの中に何を入れるかってこと?」
「媚薬よね」
「うん」
結論にいたった。
二人まったく同じことを考えた。
未来の夫(仮)は今NTR危機にある、と。
あくまで仮説なのだが、普段温厚で冷静なフリュウが息を荒くしているわけだ。
ほぼ正解だろう。実際正解である。
「フリュウくんが危ない!」
「フリュウさんが危ない!」
画面ではちょうどミコトが部屋に入ってくるところだった。
「キャァァァ!来ちゃったよ!」
「どうしよどうしよ、突撃する?」
寝間着としてこの家の大人の女性二人が着ている単衣。
単衣であるため、脱ぐと下着だ。
絶妙に色気がでないように調整された長さをしている。
『遅くなりました』
『ああ……』
フリュウの目にはミコトのギリギリ色気のでない肌が逆に興奮の対象となっているわけだ。
これをチラリズムと名付けよう。
フリュウが必死に自制しているのが三人には筒抜けだ。
『……じゃあ、おいで』
『はい!』
フリュウは布団に横になって右肘を支えにして上半身を浮かせた、そして左手で布団をめくってミコトを横に誘う。
嬉しそうにフリュウの横に滑り込んでいくミコト。
ちなみにフリュウはミコトの要望で上半身を露出させている。
綺麗に割れた腹筋に少しふっくらした胸筋、鍛えられた太い腕を持ちながら容姿はまだ成長しきってない。
まったく同時に三人はこの身体に抱かれる想像をした。
「はぁぁぁ、いい身体してますね」
「私も、明日からフリュウさんには上半身脱いでもらおうかな……」
あの腕でぎゅうっと抱きしめられたい……。そんなレイティアの想いは虚しさだけを残した。
フリュウさんのあの腕に腕枕してもらって、耳元で「今夜は寝かせないぞ?」とか。そう脳内でエンドレスリピートして、マティルダは自分の世界に入りそうだ。
レイティアは息を荒くして画面に食い入るように見ている。
マティルダももう自分の世界に入りかけていた、がギリギリのところで妄想から抜け出した。
二人ともこれからフリュウとミコトがどうなるか興味津々なのだ。
『えへへー、夢みたいです』
『……そうか?』
『フリュウさんも顔赤いですし、照れてるんでしょー』
『そんなこと……、ないかな?』
フリュウの目はミコトを見ていない。
もし見てしまったら我慢限界まで追いやられる、もしくは我慢しきれなくなると察したからだ。
そのことはミコトも気づいている。
ムラマサが用意した抹茶アイスに入っている媚薬の前例を聞いたことがある。
これを飲んだ男は歯止めが利かなくなり、欲望に抗えなくなる。
注意点として、これを飲んだ男を相手にする場合、甘い一夜はないこと覚悟しろとのことである。
『こんないい女がいるんだからっ、素直になっていいんですよ?』
『まぁっ、照れもある……かもな』
ミコトは少しずつ顔を近づけていく。
そんなミコトを前にしてフリュウも目をそらすのが限界になってきた。
ここぞとばかりにミコトが仕掛ける。
『フリュウさん、熱くありませんか?』
おっかしいなぁ、効果は効いてるっぽいけど……。
もしかしてフリュウさんの自制心が強すぎてあの媚薬に抵抗してる!?
そういって上目使いになり肩の露出を増やす。
フリュウは呼吸をはやくしながらも、誘惑に必死に耐えている。
『俺は、上半身裸だからなっ、はぁ……ふぅ』
『フリュウさん!』
ミコトがフリュウに抱きついた。
いや、抱きつこうとした。
ピキシィィィッと拒絶が音をたててやってきた。
まさに紙一重、フリュウに触れる寸前で氷に阻まれた。
『……フリュウさん』
『ごめん』
拒絶が発動した。
彼女をこれ以上悲しませまいとフリュウは立ち去ろうとする。
『いえ、ダメです』
『……』
『これは嫌ですか?』
『嫌ではない』
フリュウからの返答を聞いて、ミコトは微笑みながらフリュウの拒絶に抱きつく力を強めた。
「はわわわわわ」
「あああ……」
驚いて焦ったのは覗き魔二人だ。
フェアリーの機能で夜暗闇の中でも何が行われているかは分かる。
だが紙一重のところで発動された薄い氷を認識することはできずに、ミコトがフリュウに抱きついているということを事実として受け止めている。
「いいなぁミコト……」
「抱きつくくらい……、ぜっ全然平気だし……」
「マティルダ、声震えてるよ」
二人はこの光景をもう見たくなかった。
想い人が別の女とイチャイチャしてる現場を見たい人なんているはすがないのだから。
だが知らない間に想い人が奪われるという恐怖があり、画面を悲痛そうに眺め続ける二人だった。
『安心しました、嫌われてはいないんですね』
『拒絶するのは嫌いだからじゃないよ』
『ならそれを表現してください』
『……拒絶しても、嫌いにならないでくれよ』
フリュウは怖かったのだ。
近くにいるだけで心を傷つけてしまうこの呪いで、親密な相手が離れていくことが怖かった。
『もちろんです……、あっ……』
フリュウはその返答を待ちわびていた。
傷つかない宣言を待っていた。
その言葉を言い切ると同時にミコトに抱きつき返した。
当然だが、ギリギリのところで拒絶してしまったが。
「ああ……」
「嘘でしょ……」
もちろんギリギリで抱きあっていないことを知らない二人は涙を流しながら画面を眺めている。
もう放心状態だ。
『危なくなる前に言っておくぞ』
『はい』
『今日は添い寝するだけだからな』
『わかってますよ』
そういってミコトはさらに肩を露出させる。
『分かってないだろ……』
フリュウはもうギリギリだ。
だが、何をしても拒絶してしまうのを知っている。
そのことが彼を一歩だけ引き留めていた。
『えへへー、フリュウさん』
『ん?』
『もし我慢できなくなったら言ってくださいね、私はいつでもフリュウさんに身体を預けれますよ?』
『……冗談はよしてくれ』
『ふふふ、冗談に見えますか?』
まったく見えないです。
『もう……、寝ようか』
『そっ、そうですね、じゃあ』
そういうと残像が残るようなスピードでフリュウにキスをした。
もちろんギリギリで拒絶された。
『……っ!』
『おやすみなさい』
フリュウはその晩、一人で眠れない夜を過ごした。
マティルダとレイティアはひっそりと枕を濡らした。
唯一ミコトだけは勝者の余裕で大満足の夜となった。