事件編 容疑者三号
肥田優香里の家は事件現場から歩いて十分ほどの距離だった。駅から伸びる大通りから一本入った細道に面した学生寮で、男子禁制の場所だ。警察とはいえ、男がいると変に目立つため岡部は車に残していく。
寮長に事情を話し、彼女を外に呼んでもらった。学生寮では誰が聞き耳を立てているか分からないし、変な噂を立てられれば彼女の生活にも支障をきたすだろう。もちろん、彼女が犯人でなければの話だが。
大学生のため平日の昼間過ぎでも講義がなければ会うこともできた。
「清水麗子といいます。少しお時間よろしいでしょうか?」
肥田優香里は小柄で線の細い女だった。綺麗な顔をしているが愛想がない。というより無表情といったほうが適切かもしれない。
「竹内先輩のことですよね?」
「はい、立ち話もあれなので場所を変えませんか」
待機していた岡部を呼び、車で離れた喫茶店へと向かった。
人のいない店を選び、端のほうの席を選ぶ。
注文したコーヒーが並べられたところでようやく本題に入った。
「竹中さんとは同じサークルだったそうですね」
「先輩とは高校が同じで、大学に入ったときに誘われました」
「高校の時もソフトボール部だったんですか?」
「いえ、陸上部です。ハードルをやってました」
「ハードルですか。私も以前やってたんですよ――」
もちろん嘘だ。
「歩幅とタイミングが難しいですよね。ベストタイムは?」
タイムを聞いたものの、それが速いかどうか検討もつかない。
出たとこ勝負だ。
「県選抜に抜擢されたりとか?」
「はい、一応。関東大会までいきました」
だいたい当たってたらしい。
「すごいですね! 私は県大会予選で終わりでしたよ。大学ではなんでソフトボールに?」
野球の経験はゼロなのに大学に来ていきなりピッチャーとは優れた運動神経だ。
「もともと運動が好きで、何かサークルに入ろうと思ってて、ちょうどよかったので」
「竹内さんとは高校のときから仲が良かったんですか?」
「高校のときですか?」
肥田の目元がピクリと動いた。そんなに驚くようなことだったか。
「高校のときはあまり……大学に入ってからのほうがよく会ってました」
話を聞くと、彼女らは地方の高校から大学進学に伴って上京して来ていた。数少ない同郷の人間ということで仲良くなったのかもしれない。
「竹内さんはどういった方でしたか?」
「人当たりがよく、仕切るタイプの人でした」
「誰かから恨まれるようなことは?」
「口喧嘩をしていたのは何人か見たことがありますが、そこまで恨まれているようなことはないと思います」
肥田は砂糖とミルクを入れてコーヒーに口をつけた。背筋を伸ばし、左手を添えて飲む姿はいいとこのお嬢様っぽい。ただ、服はそんな高そうでもない、気がする。首から下げるネックレスには見覚えがあった。有名ブランド定番のデザインだ。
「そのネックレス、かわいいですね。彼氏からのプレゼントですか?」
「えっ、あ、はい。そうです」
肥田はネックレスを触り、微笑んだ。初めて年相応の表情を見せた。
「今年の誕生日に買ってもらったんです」
こんないい子がいるのに二股とは倉石もひどい男だ。
「倉石さんとはいつ頃からお付き合いしてるんですか?」
「三か月くらい前から……あの、これも事件に関係あるんですか?」
「プライベートのことを聞いて申し訳ありません。どこに解決の糸口があるかわからないので」
そうですか、と肥田は気まずそうにコーヒーを飲んだ。二股されていたことは知っていたのだろう。あまりその辺は突かれたくようだ。
が、そんなのは関係ない。
「竹内さんとお付き合いしていた遠藤さんという方はご存知ですか?」
「何度か会ったことはあります」
「同じ大学ですよね?」
「学年も学科も違うので普段会うことはあまり……」
私立大学の生徒数を考えれば同じキャンパスでも偶然会うなんてことはまずないか。
「遠藤さんはどういった方でしたか?」
「すごく真面目な人でした――」
同感だ。
「あと、細かいところに気が付く人でした。他人をよく見ているというか」
「気が利く人だったんですね」
人は見かけによらない、とはよく言ったものだ。
「先輩はウサギが好きだったので、ウサギのピアスを誕生日にプレゼントしてました」
「ウサギの、ですか?」
被害者の耳にはそういったものはついていなかった。やはり、未練がないほどに関係は冷め切っていたのだろう。
「小物はみんなウサギでした。スマホケースとか、カバンやスリッパも」
「相当なウサギ好きだったんですね。ちなみに、最後にお会いしたのはいつですか?」
「最近は……もともとサークルで会う程度だったので、大学院に行ってからはあまり会っていません」
「……そうですか。倉石さんはどうでしたか?」
肥田の顔から表情が消えた。感情的にならないように無理して抑制しているようだ。
「たまに会っていたみたいです」
「たまに、ですか」
「どれくらいの頻度かは知りません。むしろ、私よりあなた方の方が知っているんじゃないですか?」
これは、怒っている。当たり前といえば当たり前だ。想定の範囲内。
「倉石さんは竹内さんと極親しい関係にあったのではないのかと考えています」
「二股をかけていたんですよね、知ってましたよ」
肥田は溜息をついた。話すことになるだろうと予想していたようだ。
「分かっていたのに、別れなかったんですね」
「きっとすぐに飽きると、そう思ったんです」
「竹内さんとは遊びだったと?」
彼女は首を横に振った。
「竹内先輩が、です」
視線を落とし、昔を思い出すようにして言う。
「高校の時からそういうことがよくあったんです。他人の彼氏にちょっかいをだすというか、相手がいる人にアピールするというか……」
隣の芝生は青く見える、というやつか。スクールカーストの最上位にいなければできない所業だ。
「今回もそうだろうと思ったわけですね」
「……はい」
ちょっかいといっても高校と大学ではその内容はだいぶ違うのではないのか、と言おうとして、その言葉を飲み込んだ。彼女も分かっていたようだ。表情を見ればわかる。
肥田がちらっと壁掛け時計を見た。
「あの、そろそろいいですか? バイトがあるので」
「お忙しいところありがとうございました」
彼女をアルバイト先の近くまで送り、署へと向かった。
その車内、肥田優香里、関東大会、ハードルと検索すると現役時代の彼女の写真が見つかった。ハードルを飛んだ瞬間をとらえた写真で、振り上げられた左足がまっすぐ伸ばされている。
岡部の手帳を奪い捜査の進捗状況を確認する。事件発覚から数日がたち、新たな情報が入って来ていた。
現場から容疑者三人の指紋が採取された。玄関には肥田優香里のものが、トイレやユニットバスからは彼氏の遠藤拓哉と二股相手の倉石聡ものが確認された。キッチンと居室の間のドアの指紋は拭き取られ、誰の指紋も検出されたなかった。
車を運転しながら岡部が言う。
「今回の容疑者、全員犯人っぽいですね」
「三人の共犯ってこと?」
「誰が犯人でも不思議じゃないような気がして」
「そうかしら? 人を殺すほどの理由なんてなかったと思うけど」
「そうですけど……三人とも白だと?」
「それだと困るわね。一から捜査し直しじゃない」
殺害の動機は怨恨で間違いないはずだ。まだ見つかってない凶器の刃物も被害者のものではないし、首を切るという犯行方法も部屋が荒らされていなかったことからも考えて物取りの可能性は低い。
「ま、一番の問題は捜査に協力的なふりして全員嘘をついていることね」
「嘘、ですか?」
「気づかなかったの? 多かれ少なかれ嘘をついてたわよ」
赤信号につかまり車が止まる。目の前をたくさんの人が横切っていく。
「犯人だけじゃなく容疑者も真実を隠しているわけですか。やっかいですね」
「証拠を見つけ出して逮捕状突きつければあきらめるでしょ」
信号が青に変わる。
「では、物的証拠を見つけるようですね。凶器とか」
「そうね」
そう言ったものの凶器の行方は見当がつかない。そもそも、そんな重要な証拠を犯人がいつまでも持っているとも思えない。すでに処分されている可能性もあるだろう。ほかに何か証拠はないだろうか。
署まではあと二十分程度。ゆっくりと目を閉じた。
後藤は目を開けた。
「また仕事中に居眠りしていたのか」
「ただの休憩よ、カビの生えた考え方ね。ニートのくせにブラック企業の社長みたいなこと言ってんじゃないわよ」
言い返すどころか完膚なきまでに潰しに来た。
「で、今のが最後の映像だけど犯人は分かった?」
もともと白い清水の顔が青白くなっている。刺々しい言葉は空元気だった。
「犯人は分かった。ただ、今のところ証拠がない。凶器はおそらく捨てられてるし」
「ダメじゃない!」
清水は机を叩き付けた。疲弊した状態のどこにそんな力が残っているのかというほどの威力で、傷やへこみがないのか心配になってしまう。
そして、清水の体力も心配だ。
「とりあえず、情報を整理するから少し待っててくれ」
「どれくらい?」
「そうだな――」
ある程度の仮説は立っている。矛盾がないか、話に無理がないか、そして、犯人を捕まえる証拠はないか。
「十五分待ってくれ」
「分かった――」
清水はローソファに横になる。
「推理まとまったら起こして。休憩、するから」
心なしか休憩の語気が強かった気がするが、そこは無視した。