私勇者だけど温泉に浸かりつつある
湯治。それは極楽を味わいながら、傷を、持病を、疲れを癒し、そして血行や神経、魔孔などを新陳代謝の促進によって改善、または負担を軽減させることのできる、太古より伝わされし最良と謳われる治療法である。
風呂に入るという習慣は世界中に広まっているという訳ではないが、一度嵌ってしまえばもう抜け出せないと言われている程に強烈な心地良さなのだという。
また、湯治というと虚弱な人がじんわりと病を治すようなイメージがついてまわるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、頑強な冒険者ほど湯に浸かるという行為は広く愛用されており、最高の温泉を目指して旅を続けている冒険者というのも少なくない。
曰く、身体強化の壁を破ったのは何処ぞの白湯を浴びたからだとか。
曰く、魔力開放の質が上がったのは何処ぞの金湯に浸かったとか。
曰く、腹の穴が何処ぞの桃湯に浸かればたちまち癒されたとか。
残念ながらこれらはすべて尾ひれのついた噂話であり、自己の代謝が良くなるくらいで特に超人的な力が発揮できるような効能は今発見されている温泉のなかでは発見されていない。
まぁ疲れがとれていつも以上の力が出せただけじゃね?というのが最近の研究での論文内容である。
前置きが長くなってしまったが、つまりは温泉ってスゲーっていう話だ。
「ゔぁあぁ、いゃざれる〜」
「主、それは親父臭いという以前に女が出すような声ではないと思うのだが」
「余計な事言うもんじゃないわよー…」
タオルと一緒に置いてある包丁(聖剣)の余計なひとことに、まったりとした声で返す。
熱めの温泉にゆっくり肩まで浸かれば、そこはもう天国。悪魔の囁きも怒りの芯まで届かない。
極楽過ぎて大抵の事なら許せそうな気分だ。
温泉。そう、今私たちは国の中でも有数の温泉街へ赴いていた。
事の始まりは、自分が「あー寒くなってきたしそろそろ温泉に入りたい季節だわー」なんて独り言を言ってたら、それを旅の同行者である魔法使いが聞きつけた事だった。
この国の温泉に興味を示したのか、名所を幾つか教えたり、そこの感想とか言ってるうちに、奴は言った。
『都合のいい事に、温泉街までの護衛依頼をキープしてたんだけど、受ける?』
なんて言うもんで。
勿論即断即決でゴーサインを出した。
積荷は高価な食料や美容品などが馬車に何台も所狭しと積まれており、どう考えても通常の輸送にしては多過ぎて護衛し辛く、盗賊にしては格好の獲物となっており敬遠されていたらしい。
流通が滞っている時に、これ幸いと品々を買い占めた行商人が出した依頼らしいのだが、見通しが甘かったのと発注ミスによって想定以上の積荷となってしまったのだという。加えて、この温泉街は山奥にあり、整地されてない山路を通るせいで大人数を雇うことはできない。
頭を抱えた行商人だが、買ったものは温泉街でしか需要のないものばかり。成功させなければ大赤字である。
そんな途方に暮れていたところに目を付けたのが、うちの相方だったようだ。詳しくは、行商人が仕入れた珍しい食材に惹かれたようなのだが。最近、あいつの食い意地が増している気がするのは気のせいではないだろう。
こういった経緯で、私たちは温泉街へ辿り着いたのである。
依頼の結果は言わずもがな。非常に穏やかな旅路だった。
大体、盗賊みたいな人間数百人いたところで私に敵うはずもない。波乱なんて起こりうる筈もないのだ。まだ翼竜の群れに襲われたときの方が危機感を感じていた。
まぁ、今回自分は終始水筒のお茶を啜っていただけだったが。依頼主を安心させるという体で、どちらかが荷物番のため待機しようとあいつが言い出したからだ。
久しぶりに運動しようと思ったのに、じゃんけんで負けてしまったのが悔やまれる。
奴に言わせれば人間数千人集まったところで羽虫を払う程度にもならないようだ。不意打ち、陽動、人海戦術。そのどれもが不発に終わり、私が一度も動くこともなく全滅、殲滅だった。
盗賊どもにとってはご愁傷様である。同情の余地など一切、一片の欠片も存在しやしないが。
そんなこんなで、無事商品を運び終え依頼を完遂すると同時に、本命である温泉街に着いたのだ。
「しっかしまぁ、こんなにいいのかなぁ」
「主よ、何を懸念しておるのだ?」
「あれよあれ。追加報酬っていっても、いくらなんでも奮発しすぎじゃない?」
指差した先にあるのは、洗髪剤や石鹸、多種多様な卵たちだった。いくつかの卵は、熱いお湯につけて温泉卵にしている。
「どれも高級ブランド品だし、卵なんてこれどう考えても10人前くらいあるわよ。しかもドラゴンの卵まで。珍味中の珍味じゃない」
「荷車の一つや二つ奪われる事を想定していたそうだ。傷一つ付けなかったのだから、気前くらいよくなるものなのではないか?」
確かに、依頼終了時の行商人の顔といったらなかった。絵的に表現するなら、星とか花とかこれでもかと撒き散らす程のものっそい笑顔である。
普通卵なんて割れたら終わりな食材はリスキー過ぎて取り扱わない。しかし、人の集まるこの場所で卵は非常に需要が高い。それが今回全て市場に回せるのだから、売り上げはそれこそニヤケ面が止まらない程引き上げられるだろう。
「単純に考えればコネ作りかしらね」
「こちらの旅の特性上行商人という商売は噛み合わないと思うのだが」
「世の中何が起こるかわからないし、使えそうな人とのつながりは大切にしたいんじゃない?」
こちらとしては高価な物貰って都合のいい事に変わりはない。深く気にする事は無粋だったかもしれない。
「こんないい貸家も紹介してくれたしねー。広い上に温泉つき。もう最高だわ」
「そう言えば、魔法使いはどこへ行っているのだ?」
「んー?ちょっとここの街のギルドの登録と、食材の調達に行ってるー」
今回は玉子料理に決定だ。玉子に合う食材を買ってくると意気込んでいたので任せても問題ないだろう。
「だし巻き、エッグスラット、炒り玉子……あ、そういえばスキヤキって、溶き玉子を付けて食べるお肉料理なんだっけ。あいつ、食べてみたいとかいってたなー。レシピは結構単純だったし作ってみようかな」
「……主よ」
「なーにー?また説教?」
「いや、もう諦めた」
それはそれでどうかと思うよ私は。
「日頃思っていたことだが」
「改まっちゃって。どしたの?」
「いいかげん肉の脂とかで刃が悪くなってきてる」
「あー」
そういえば最近、切れ味上昇の術式にかかる魔力の量が上がってきてる気がした。
手入れ要らずだわーいなんて思ってたけど、やっぱり最低限の手入れは必要らしい。
「うーん、とりあえずそこらへんの石鹸でも使ってみる?」
「いいかげん刃物の扱いくらい相応の手順を踏んで欲しい」
フローラルな香りがついて悪くないと思うのだが。料理することを考えなければ。
「砥石とか使えなくはないんだけど、こういうのは本職に任せた方が良さそうよね」
「最低限の手入れでも問題ないが、欲を言えば研ぎ師にみてもらいたいのだが」
「そうねぇ、次の目的地は鉱山地域にしましょうか。いい砥石とか鍛治師とか集まってる場所の方が刃物には良さそうだし」
それに、包丁以外の料理道具とかあったら買いたいし。
「ま、それはまた後であいつと囲んで話しましょう。今はこの極楽を堪能しないとねー…」
ざぷんと鼻の位置まで沈めて更に体を温める。このあとは丁寧に石鹸で身体を洗い流し、髪の毛を洗髪剤でツヤツヤにしてやらなければ。
そして、温泉を上がったら暫くツボ押しとかして、乾いてきたところでスキヤキをあいつと一緒に作ろう。食材を切ってもらい、火と味付けはこちらがやるよう分担すれば問題ない。
顔が綻んでしまうのを抑えきれず、一度ばしゃっと顔を洗った。
極楽はここにあるんだなぁ、なんて。
呟いてしまったのは、きっと温泉に魔力がかかってるせいだからだろう。
その後。色々終えて帰ってきた奴とまったりしたあと、貸家に置いてあった土鍋を使ってスキヤキを作ってみた。事細かに書かれてあるレシピ通りに進めただけだが、初めてにしては良くできたと思う。
ついでに、スキヤキの煮汁を使っただし巻きなんかを作ってみたり、温泉玉子をそのまま皿に盛ってみたり、茹でた野菜に添えてみたり。
ところどころ失敗はあったけれど、文句無しに豪勢な晩餐が出来上がった。
今でこそこのように初めて作る物や応用料理なんかを作れるようになってはいるが、昔の自分と比べればそれはすごい進歩である。
「褒めてもいいのよ?」
「普通にすごいよな。このスキヤキめっちゃ美味いぞ」
「ふふん、私にかかればざっとこんなもんよ」
「このだし巻き玉子なんか何個でもいけそうだ」
「そ、そう?ちょっと辛めになっちゃったけど……」
「温泉玉子って温野菜と結構合うんだな。てっきり温泉玉子はそのまま食べるだけだと思ってたのに、流石だな」
「ほうれん草と玉子は合うって前に聞いてたから……」
「これなら金とれるレベルだよ。腕上げたなぁ」
「そ、そこまで褒められるとちょっと…恥ずかしいっていうか……」
「おかわり!ある?」
「うん、なんだったら追加するからいくらでも食べてっ」
全く、しようがないやつだ。
嬉々として作った料理を平らげていくのを眺めながら、自分も舌鼓を打つ。
やはり、ちょっと失敗したところが気になるが、それを美味しそうに食べてくれるのをみてるとこっちも美味しく感じる。不思議だ。
互いにすごい勢いで食べ進め、スキヤキをもう一度作り直してようやくお腹は満たされた。身も心も満足感で充ちている気分だ。
そんな気分で夜は更けて行き、深夜。
「……んぅ?」
いつの間にか寝てしまっていたのか、テーブルの上で突っ伏していたところで目が覚めた。
風呂上がりで、お腹いっぱいになってしまったからだろう。暫く明日の朝食や次の目的地について話あっているうちに睡魔に襲われベッドに向かう事もなく眠ってしまった、というところだろうか。
上半身を起こすと、何かがはらりと落ちた。分厚い毛布だった。きっとあいつが掛けてくれたのだろう。
あったかい気分のままうんと伸びをすると、少し寝汗をかいている事に気づいた。変な体勢のまま寝ていたのだ。口に手をやれば涎も垂れていた。ばっちい。
「温泉、もっかい入ろうかな」
汗が急速に冷えてきて少し寒い。このままベッドに潜り込むのもありだが、どうせなら気持ち良く寝たい。
寝ぼけた思考回路でとりあえず着替えとタオルを用意して裏手に向かう。脱衣所は別に設置してあり、そこを通ることで温泉に向かう事ができるよう仕切りが建っているのだ。
鍵を開け寝ぼけ眼をこすりながらスルスルと衣服を脱いでいく。このままだとお風呂の中で寝ちゃいそうだなぁ、なんて考えながら風呂場へ向かう扉を開けると、
「なっ……!」
「へ?」
誰かの声がした。
前は湯けむりでよく見えない。でもよく考えればここに居るのは私と奴だけしかいないので必然的にあいつがここに―――って、
「き、きゃああああああああああ!痴漢んんんんんん!!」
「ちょ、誤解だ!曲解だ!意味すら違う!どう考えても俺に非は……ってなんでこっち殴りにかかってくるんですかねぇぇえ!!」
有無を言わさずわんぱんち。何故かクリーンヒットしたそれは対象を壁に激突させる威力をもっていた。
荒い息を吐きながら自分の秘所を隠して距離をとる。軽いパニック状態だ。
よろよろと立ち上がる影をみつめながら、ようやく落ち着いてきたのを感じつつやっちまった感に苛まれる。
「お、お前……」
「あ、うん。落ち着いてきた。なんかごめん」
「なんかじゃねぇよなんかじゃ。俺じゃなかったら下手したら死人出てたぞ今ので」
「反省してます。うっす」
「絶対調子乗ってるだろてめー」
「女の子の裸みといてその言い草?」
「いやあの湯けむり酷くて見えなかった。断じて見えてません。ほんとだよ?」
うん知ってる。こっちも見えなかったし。
さりげなく攻守逆転しながらなんとなく話をそらす。
「くそぅ、どうしてこうなる……。とりあえずあがるわ。ゆっくり浸かっててくれ」
桶で軽く身体を流すと、奴は私と絶妙な距離を保ちながら脱衣所へ歩いていく。
「ちょ、ちょっと待って」
哀愁漂う奴の背中っぽい影に、堪らず声をかけた。
「どした?本当に見てないし見えなかったから大丈夫だって」
「そうじゃなくて、その、まぁ、本当に悪かったと思ってますので」
「あぁ、まー気にすんなよ。風呂入ってるって書き置きしときゃこうならなかったかもしれないし、今思えばひとえにお前だけのせいじゃないさ」
余計な気を使わせてしまい申し訳なくなるが、このままでは後味が悪すぎる。
こう言ってはくれてるが、どう考えても悪いのは私だ。誠意くらいは見せなければ、気が済まない。
とっさに思いついたのは、これしかなかった。
「お詫びというのもあれだけど、背中、流してあげる」
もう既に身体を洗い終わっているかもしれないが、先ほど壁に激突したせいで汚れも少し付いたはずだ。ちょろっと掛け湯したぐらいでは気分的にも不快感が拭えないだろう。
妙案とも思えたそのお詫びは、しかしながら。
「え……と、気持ちはありがたいけど、遠慮しとく」
よそよそしさを醸しながら、奴はそういった。
「な、なんでよ」
「そんな気にする事じゃないって。大丈夫大丈夫」
「……ひとのはだかみといてじぶんはみせないなんて」
「だから見てないってば!あーもう……わかったよ。お前ならいいや」
交渉成功。
しかし、半ば強引なお詫びではあるが、まさか最初断られるとは思ってなかった。いや、狼狽くらいはすると思ってはいたのだけれど、冷静に断られるのは予想外だったのだ。
まるで、見られたくないものでもあるかのように。
「(……失敗だったかな)」
しかし、もうあいつは流し場のところに座っている。今更取り止めても反感を買うだけだ。
そもそもどうして背中を流そうなんて思ったのか。これでは本当に夫婦のようではないか。ラッキースケベから始まって暴力振るって背中洗いだなんてどういう流れになればそうなるつーかラッキーってなんだラッキーって。
とりあえず桶に湯を汲んで、持っていた石鹸と予備のタオルを構えて近寄る。
「お客さん、初めて?」
「おいやめろ洒落にならん」
ごめんちょっといやかなり緊張して変な事言ってるかも。
くそぅ、言い出したのはこっちなのに……。度胸が足りない。女は度胸なのだ。
潜水前のように深く息を吸い込む。初めてみる父親以外の男の背中だが、これはこいつの背中だ。別に遠慮する必要などない。
思いっきり擦ってやろうか、それとも優しくしようか考えながら泡立てた石鹸を当てようとして、
その手は、ぴしりと硬直した。
傷。
――――悲鳴をあげなかったのは、事前に息を吸い込んで呼吸を止めていたおかげだった。
自分は戦争を経験したことがある。幼いながらその力は一族の平均的な力量を軽く凌駕していたこともあって、一族ともども遊撃部隊としてその中に編成された。
傷とは弱さの象徴だ。弱かったからこそ、その代償として傷を負う。弱さは罪であり、罰として痛い目を見るのだ。
切られ、燃やされ、腐り落ちた人の体だってみてきた。大抵は死んだ者たちの姿だけれど、生きている者でも決して綺麗な姿とは言えなかった。
この傷は、そんな戦争でみたどの傷より、酷い。
表現することすら躊躇われる。しかし、それ以上に。
恐らく、これは戦いで負った傷ではない。
「あんまりジロジロ見られると、ちっと恥ずかしいな。黒歴史の一部だし」
「あ……うん、ごめんなさい」
しまった。何をしていたんだっけ。そうだ、背中を流してあげないと。
何をすればいいのかわからず咄嗟には動けなかった。思い出したように手は動き始めるが、触れていいものかとまた止まる。
動揺を悟られたのか、この人は諦めたように立ち上がった。
「ま、やっぱりちょっとショッキングな光景だったかね。意趣返し成功成功」
おどけた様に言う。それがこっちを気遣ったものだとわからない程私は馬鹿じゃない。
「それ……」
「うん。そりゃ俺だって怪我くらい負うさ。ま、強さの象徴ってやつだ」
違う。初めて、そう。本当に初めてこの人が嘘をついているということを自覚した。
この傷は負ったものではない。負わされたものだ。
聞いた事がある。本来、戦場や訓練で永くして培われる痛みに対する耐性を、短期間で特化させる為に編まれた耐久試験と呼ばれる実験があった。
簡単に言ってしまえば、人間とはどこまでの痛みに耐えれるのかデータを取りながら、その人物の耐久力を鍛えるという非人道的な代物だ。
彼の背中の傷は、あまりにも種類が多い。そして、その跡はあまりにも機械的すぎた。まるで何かを試しているかのように。
酷く、非道く。醜く、見難く。
あまりにも、無防備過ぎる背中だった。
「さ、湯冷めしちゃうし、あがるよ。すまんかったな変なものみせちまって」
背中しか見えない。けれど、きっとこの人の顔はいつもみたいに仕方ないと言わんばかりの苦笑が浮かんでいるのだろう。
こうなることを予想しつつ、それでも私にみせて、曝け出して、そして後悔して。
何かを期待して、それを諦めている。
私は一体何をしているんだ?
誠意をみせるんじゃなかったのか。
そんな中途半端な思いで踏み込んだのか。
そんなこと、許されるはずが無い。
どうして背中を流そうとしたのか、ようやく理解した。
背中を流したくなったのは、触れてみたかったからだ。その肌に、その体温を感じてみたかったからだ。
知りたかった。どんなことでもいい。今遠ざかっている人のことについて、今知りえることを知っておきたかった。
それが、たかがこの程度のことで放棄し、撤退するのか?
このままでいいのか?
―――――そんなの、いい筈が無いだろう!
「待って」
腕を伸ばし、掴んで引き留める。
無我夢中で掴んだものにも気付かず私はそれをぐいと引っ張った。
………ここで、一度状況を整理したいと思う。
ここは風呂場である。温泉に入るときは勿論衣服などは着けない。マッパである。
そんなところでも、例外としてお湯につけない限り身に纏うことが許されているものが一つ。
現状、裸にその格好というスタイルでは、掴める物は人の体以外には勿論一つしか存在しない。
そう、タオルである。
そんなものを引っ張ったりすればどうなるか。
はらり、と何かが解ける音がした。
「なっ、ちょっ、きゃあああああああああ!」
妙に艶かしい男の嬌声があがる。ぶっちゃけなくても気持ち悪い。
股間を隠しながら、顔を真っ赤にしてこちらを振り返った。
「おま、なん、おま、ちょっ」
「終わってない。座って」
「いや、ちょ、タオル……」
「座って」
「まずタオル返してくんねえかなッ!?」
そうそう、当初はこんな風に狼狽するこいつの姿を想像していたのだ。少し、自分の調子が戻ってきたような気がする。
タオルを掲げると、それをひったくるようにして奪い取って腰につけた。まだ何か言いたげな顔をしてこちらを睨んでいるが、逆に座るよう目で訴える。
溜息を吐き、仕方なさそうにこいつは座り始めた。それを見計らって、今度こそその背中に手を伸ばす。
タオル越しに感じた体温は、とても熱かった。
背中の筋肉がビクリと一瞬驚いたように震えたが、お構いなしに洗い始めた。
強めでゴシゴシと洗っていく。何もかも洗い流せるように、強く。
「痛くない?」
「丁度いいよ」
硬直していた背中の筋肉がだんだん弛緩していくのがわかる。リラックスしているのだろう。それでも、この背中は金属のように硬く、そして歳に似合わず広かった。
傷跡で洗いにくそうなところも、細かく丁寧に擦る。だんだんと泡が広がっていき、背中は白く染まって跡は見えなくなった。
それでも、名残惜しむように全体をもう数回ゴシゴシと。
硬い。広い。洗いにくい。あったかい。
自分の手で、肌で、感覚で。それらを感じる。記憶する。
少しぬるくなった桶のお湯で、ザパァッと泡を洗い流す。泡で隠れていた傷跡がまた露出した。
目は瞑らない。しっかりと向き合う。どんなに醜くとも、どんなに痛々しくとも、こいつの背中だと思えば怖くない。今なら口に出して言えるほど、心の底からそう思う。
背中に、ぴとりと手を直に触れてみる。
「終わったよ」
「ああ。ありがとう」
それでも、しばらく手は離さなかった。
それどころか、両手をつけて軽くもたれかかってみる。
自分の大胆さに自分自身が驚きながらも、腕と顔を背中に押し付ける。背中の熱さが、もっと近くで感じられた。
「……ね。私はかっこ悪いと思わないよ」
「別に、格好の問題とかじゃなくて。ただ、こういうのは好まれないだろう。不気味だから」
「好き嫌いじゃ、ないと思うな。だって私こういうのすごく嫌いだった。不気味というよりも、傷っていうのは私にとっては不名誉なことだから。他人がしてても同じ。傷は弱者の象徴だって。
でも、でもね。今はそう思えない。だって、これはあんたの負ってる傷だから」
強さの象徴だとこいつは言った。その通りだ。だって、こいつの強さは私が身をもって知っているのだから。決して弱者なんかじゃない。傷はその人となりで意味が変わってくるものだと。
今なら、本気でそう思う。
「ねえ、またここに来ようよ。そしたらまた背中洗ってあげる。一緒に入って、その後はもっと美味しい料理を食べようよ。それまで、私もっと腕あげるからさ」
「そりゃ素敵な話だけれど、お前さっきあんだけ取り乱しておきながら混浴なんて大丈夫なのか?」
「水着着てれば、なんとか」
「風情が無いなー」
「あら、そんなに私の裸みたいの?代償は高くつくけど?」
「そりゃ勘弁」
諸手をあげて降参。こっちだって、そう易々と見せるわけにはいかないが。
「まあ、でも」
「うん?」
「楽しみが増えて嬉しいよ。またいつか、絶対来ようね」
「……ああ。勿論」
約束を交わして笑いあう。
温泉に一度も浸かっていないのに、なんだかとても温かかった。
明日はまた玉子料理を作ろう。朝ごはんはドラゴンの目玉焼きでも作ろう。半熟とろとろの、美味しい目玉焼きを。
少しでも、少しでも上達しよう。
次ここに来た時、また褒めてもらえるように。
美味しいって言ってくれるように。
せめて、この一時が二人にとって特別なものであるよう。
感じる体温は、溶け合うように均しくなっていった。
「へっぷしッ」
「湯冷めしちゃった?」
「あー、うん。ちょいお湯に浸かっていい?」
「うん、いいよー」
「………」
「どしたの?」
「いや、ちょっと離れてくれないと動けないんだが」
「----ッ」
「え?ちょ、また---」
「変態いいいいぃぃぃぃぃぃ!!」
「かつてない理不じブッ!」
温泉行って来たので。ただこの二人に温泉入らせようとしただけなのにどうしてこうなった。
薄々感じてる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はコメディ書くの苦手←