私勇者だけど人妻に間違われつつある
それはとある夕方、市場の片隅でのことだ。
「それでねぇ、あの人ったら夜中に駆け出して森に入っちゃったのよ。酔っ払いってなにするかわからないわよねぇ」
「あらやだ、旦那さん大丈夫だったの?」
「それがねぇ、こっちはあたふたしてたってのに、あの人は若い人に肩担がれて笑いながら帰ってきたのよぉ。それでその人と晩酌交わして散々騒いだあげく泥酔しちゃって。お裾分けだって、お肉もらったのに歓迎してあげられなくてもぉ面目ないったら」
「いえいえ、彼いい酒もらったって喜んでたので。こちらこそズカズカあがりこんですみません」
「あらそう?別にいつでも来ていいのよぉ、今度はちゃんともてなしてあげるから」
「凄く美味しいお肉だったんですって?うちの旦那が羨ましがってたのよ、今度手に入ったらうちにも分けてもらえないかしら。お礼もきちんとするから」
「はい、明日また出かけるそうなんで、多めに取ってくるように言っときますね」
「助かるわ〜、ここ近辺のお肉って、狩るの難しいから高いのよ。市場のお肉は他の町からの輸入だから粗悪品だし」
「確かに、ちょっと硬くなってますよね。でもその代わりお野菜が新鮮で今まで見てきたものよりツヤツヤしてます」
「そうなの?ずっとこの村に居るとわからないものね」
路端でおばさんトークに付き合っているところ、こんな爆弾発言が飛んできた。
「見利きもきくなんて、若いのによく出来た嫁さんねぇ」
その言葉に。
思考も体裁もぶっ飛んだ。
「な、ななな、何言ってるんですかぁ!そんなっ、あいつとはっ、全然っ、そんな関係じゃありませんからぁっ!」
「あらまぁ、初々しい」
「あらまぁ、可愛らしい」
ほほほ、と口に手を添えて笑うおばさん二人。顔の温度がどんどん上昇していく気がした。
「いや、ほんと、あいつとは行きずりの仲で。ちょっと料理とか世話してあげてるけど、それ以上の事は全くしてませんから!」
「でも、この前はわざわざうちまで迎えに来てたじゃない」
「あ、あれは普段より帰りが遅くて、別に心配はしてないけどどこで何してるか気になったってだけで、特に他意なんかはごにょごにょ」
「あらまぁ、愛らしい」
「あらまぁ、微笑ましい」
そんなこんなで。
長期型調査依頼を受けた自分たちが向かった先で受けた評価は。
よく出来た旦那と妻、だった。
「なんでよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「主、全力で叩くと貸家が壊れる」
「しないわよ流石に!めちゃくちゃぶっ叩きたいけど!」
代わりにさっき買ってきた野菜をこれでもかと微塵切りにする。
今日は野菜ハンバーグに挑戦だ。
「主、刻み過ぎると肉種の配分と合わなくなるぞ」
「くっそ、もう終わりか!次は肉よ肉!ぐっちゃぐちゃにしてやるわ!」
「主、言い方言い方」
諌めるように言う包丁だが、なんだか最近小慣れてきた感がある。尚、もう聖剣たるやといった説教はしなくなった。
どうやら自覚してきたらしい。
トトトというよりズガガガガッといった擬音が似合う勢いで肉を叩く。挽肉機を使うより、実はこっちの方が楽だったりする。
なんか楽しくなってきた。
「あはは、やっぱり私刃物使ってた方が性に合うってことかしらね!」
「主、それを料理中言うのは複雑すぎやしまいか」
うるさい、私はもう細かい事を考えるのはやめたのだ。
別に勇者が料理に目覚めたところで、そんな小さい事など些事にもならない。
職が魔法使いなのに上位ドラゴンを一切の魔法を使わず剣と拳のみでぶっ倒すことより全くもってスケールの小さい話だ。
規模で言うと、国が全勢力をもって臨む相手に手を抜いて戦うようなもの。「魔法使ったら食える分が少なくなる」と本気で宣う奴に、絶句するどころかもう驚かない自分がいた。
「そう、私は細かい事を考えるのはやめたの…」
「主、魔法使いを基準に考えたら物事全てが矮小となってしまうぞ」
むしろ最近あいつに数秒でも相手出来る自分がすごい気がしてきた。
「しかし、何者なのだろうな。国力に匹敵する力など、有名にならない方がおかしいが…」
「何者でもいいじゃない。あいつはあいつよ。あんまりそういうとこに深入りしたら面倒になるに決まってるわ。大食いで、ちょっと抜けてる化け物染みた力持ちで十分よ、あいつのキャラ設定」
なるべく素っ気なく、声に抑揚をみせずに言う。意識的に考えず、ただ肉種に野菜を混ぜていく。
考えた事がなかったわけではない。気にならないと言えば嘘になるし、でも面と向かって話を聞く勇気もない。
現状が一番なのだ。あいつに付いて行くのは結局のところ今まで自分がしていた事の延長線上だし、今のところ王都に呼び戻されるような事件も予兆も起きていない。今急に関係を乱す必要もない。
いずれ、聞くことになるだろうけど、それは今ではないと思うのだ。
「…主よ」
「なによ」
「まるで熟年夫婦のような物言いに聞こえるのだが、とうとう春でも来たのか?」
ドタン!バタン!ギリッ!
「ちょ、主よ主何故刀身の平を太ももにあてて…」
「よかったわね、女の子の太ももを満喫できて」
「曲がってる曲がってる!もう既に限界まできてる!」
「遺言を聞いてあげるわ。どうしてそう思ったの?」
「話すからちょっと離してこれ冗談で済まされない状態なのだが!」
優しい私は、魔力供給を完全に切ってから柄を階段に置いていつでも踏み砕けるように足をセットした。
「ん?それで?いってみ?」
「どこぞの盗賊団か…いや、なんでもない。なんでもないから足を離して」
もうキャラとか影もねぇな。
「ただ、前までなら弱味を握ってやるとか、弱点がみつかるかもとか、食ってかかる印象ではあった」
「……ふーん」
足の重圧を緩める。これは意図的ではなく、無意識だった。
「まぁ、確かに昔だったらそうかもね。負ける事が悔しかったもの。実質、母様以外に負けたことなんてなかったし」
うちは女傑家系だ。男に負けない、というかそもそも男女の区別さえ戦闘においては決してしない一族だった。
そんな環境で育った私は、男に負ける事など一族の恥だとも思ったことがある。
まあ、そんなプライドは粉々どころかペーストされて腹に突っ込まれたようなものなのだが。たった一人の男によって。
悔しかったのは確かだ。…けれど。
それでも、あいつを憎いと思ったことはただの一度もない。
「なんか、どうでもよくなったのよね」
奴に負け続けて心が折れた、ということは精一杯の強がりで否定させてもらうが、それでも自分が弱いとは思わない。
あいつが強いのには、きっと理由がある。私が勇者となった経緯と同様に、奴にも歴史というのは存在するのだ。
それが、どんなものか想像するのは。とても簡単で、しかし予想が尽きないもので、もしかしたら外れているかもと思う事もあれば、それは夢想だと否定するのもあって。
結局、いつも考えるのをやめてしまう。
でも、こう思う事もある。
想像する必要などない。
知る必要などない。
知ってしまったら、きっとーーー
「って、何やってんだか私は」
現状維持が無難だと判断したのだ。それが例え逃げの姿勢であったとしても、間違いではないのだからこれからの選択を誤らないようにするだけだ。
「全く、つまらない事に時間割いちゃった。さっさと料理の続きするわよ」
足をどけて包丁を拾いあげる。
ゴシゴシと石鹸で磨いてやりながら、私は料理の続きではなく、別の事を考えていた。
仮に。
その選択の時が迫ったとして。
私は、躊躇わず自分の道を進む事が出来るのだろうか。
また、後回しにしたりしないだろうか。
その時、私はーーー
「たっだいまー」
「うひゃぅうッ!!」
唐突に湧き出た奴の声。振り返ると、そこには飄々としたいつもの奴の姿があった。
「び、びっくりするじゃないっ」
「いや、それはこっちの科白なんだが。なんて声あげてんだお前」
ジト目でこちらを見てくるが、そんな事知ったことではない。
「ちょっと繊細な作業してたのよ!」
「剣を石鹸で洗う事が?まぁ確かに危ない事には変わらんか。しかし変わった剣の手入れだな…」
出まかせにしては筋の通る話だった。危ない危ない。
しかし、刃物に石鹸はそんなに使わないものだろうか。包丁なんだし、清潔にしないと雑菌が入ってしまうだろうに。
「ん、邪魔してすまんかった。なんか手伝うよ、食材切ったりするぐらいなら手伝えそうだし」
「もう大体終わったわ。あとは一人でも大丈夫」
「そうか?んー、手持ち無沙汰だなぁ」
「座って待ってるか、荷物の整理でもしてきたら?」
「明日朝からちょっと出掛けるから、ギルドに荷物預けてきた。今日はあんまり仕事したって訳じゃないから、座って待ってるのもなんだかむず痒い」
「難儀なものね。手伝って欲しい時は呼ぶから待ってなさい」
ぱっぱと水を切ると、再び肉を叩き始める。先ほどの高揚感はないため、一般家庭に相応しい音が場を満たす。
ミンチ状となった肉にスパイスを振り、野菜を混ぜながらこねていく。臭みはなく、焼いていないのに脂の匂いが鼻につく。格調高く感じるのは恐らくこの肉がドラゴンの背肉だからだろう。
この近くは、下位のドラゴンがよく住み着いており、普段は穏やかだが時折気性の荒い個体が現れ、ここのギルドではそういったドラゴンの討伐が依頼されることが多いのだという。大人しくテーブルについてるこいつは、明日もドラゴンを狩りにいくのだろう。
今回、ここを訪れた理由は、以前倒した上位ドラゴンの派生である、ここのドラゴンの生態を調査する依頼を王都のギルドから受けたからだ。また、それを受けた理由はドラゴンの肉の味を占めたあいつがまた食べたいと言い始めた結果なのだが。
依頼内容では調査だが、問題を解決するなとは言われていない。
逆に言えば解決した分の報酬も無いわけだが、こいつは報酬などどうでもいいようだ。
必要なだけの金稼ぎで満足いってるらしい。それはボランティア精神によるものではなく、ただ単純に金に頓着してないだけであり、また食材としてしか対象を認識してないだけなのだろう。
安っぽい正義だったらまだよかった。そんな奴はごまんとみてきたし、自分だってその一員だ。だからこそ、奴の正体が掴めない。
まるで、風みたいな存在感。
無色のくせに自己主張する、傍迷惑な隣人。
「……ねえ」
「ん、なに?」
「ああ、立たなくていいよ別に手伝って欲しいとかじゃないから。あんたってさ、いつまでこの旅を続けるの?」
不意に。現状維持と判断した直後なのにも関わらず、零れ落ちるように言葉が出てきた。
「そりゃ、依頼を完遂するまでだろ。途中で放棄するわけにもいかんし」
「そうじゃなくて。今回じゃなくて、今までの」
そして、これからの。
何故か、その言葉だけ喉元で止まってしまった。
「今までのって……、ああ、そういえば俺が旅をしてる理由ってまだ言ってなかったっけ」
ぽん、と手を叩きながら奴は間抜け面を晒しながらそう言った。
「……まぁ、そうだけれど」
あっけらかんと言う奴にかすかな苛立ちを覚えたが、正直とても気になる話題だったので詰まったように相槌を打ってしまった。
最初はそこまで詳しく聞くつもりはなかったのだが、どうやら奴は今までの話の核心をつくつもりらしい。本当に、鈍そうに見えて頭の回転は早い奴だ。
捏ねる手が止まった。大体出来上がった肉種をみながら、私は目の裏で奴の顔を見ていた。
振り返れば直ぐにでもみれる奴の顔が、なんだか遠い。
それでも、振り返れることはできず、ただ想像で奴と向かい合っていた。
「まぁ、色々あったんだけど」
「……別に言いたくないならいいけど?」
「いやいや、言いたくないわけじゃないんだが、なんだ。言葉にし辛いというか」
うーん、と腕を組みながら奴は続けた。
「成り行きだったんだよ」
「……なにが?」
「一番はじめはさ、俺もよく覚えてない。ただ、あのときはすげぇ怒ってたって事だけは覚えてる。別に不幸だったってわけじゃない。理不尽だったわけでもない。でも、どうしても許せなくて、ガキのように暴れてみたんだ」
そう言った奴の目は、どことなく遠い。
「まぁそれが許される筈もなくて、逃げたんだ。何故かわからないけど、追っ手は来なかったし、これからも来る気配はなかった。これから逃げ続ける生活を覚悟してたときに、拍子抜けする結果だった。ただ、逆にやることがわからなくなって、見失ったんだ」
生き方が、わからなくなった。
とりわけ珍しい事ではないが、話の流れからしてそれはきっと奴にとって薄暗い過去なのだろう。
「だからとりあえず適当な所で寝てたんだけど、よくわからんうちに奴隷商に捕まってた」
「待ちなさい」
前言撤回。こいつ能天気にも程がある。ネジ緩んでんじゃないの?
「え?それでアンタ大人しく繋がってたの?」
「うん。見計らって金とか服とか強奪し返してやろうかなーって思いながら」
そしてその時、偶然にも自分と遭遇したらしい。
んで、冒険者として生きてる私に合わせて生活を始めてみた、と。
「……なんでそれで私たちずっと一緒に居るのかしら」
「ここら辺の地理とかよくわからないから、報酬払うから荷物持ちとしてついて来てよって言った覚えはあるぞ」
そういえばそうだった。こいつに荷物持ちさせられたんだった。今は折半だけど。
「というかいつの間にか相棒の立ち位置になってたのよね」
「荷物持ちの方が報酬いいぞって言ったのに、『嫌だ。あたしは小間使いじゃない』っつって突っぱねたからだろ?」
ああ、そうだったそうだった。
「まぁ基本は俺が殆ど依頼こなしてるんだけどな」
「違うわよ。アンタが私にやらせないだけでしょ」
「そりゃな。仕事し終わった後のおまえの飯が一番美味いんだもの」
「……っ、でもたまにはアンタがご飯作る約束も忘れないでよね。その時は私が依頼受けるんだから」
「おいおい、俺の楽しみを奪うなよ。ま、本当にたまにならいいけどさ」
「私も料理楽しいから、しばらくは作ってあげる」
「さんきゅ。またいい食材とってくる」
会話の最中で、私はいつの間にか作業を再開していた。顔も少し熱い。でも料理を褒めてくれるのは満更でもない。
……と。
「ちょっと」
「んー?」
「話脱線してるわよ。結局何が目的だったの?」
話の終着点がズレズレだった。回答内容が旅の目的だったのに、これでは答えにすらなっていない。
「あー、そうだな。んー…」
少し頭を傾げて、それから笑って奴は私に言った。
「目的なんか最初からなかったんだ。強いて言うなら、俺はおまえとこの旅を続ける為に旅をしてる」
その、言葉に。
何故か、私は。
「だから、俺の旅に終着点なんかないんだよ。回答として、これでいいかな」
そう締めくくった後に、私は振り返って、きちんと彼の目を見て、言った。
「……そう。なら、いい。うん。よかった」
まだ何か、自分に話してくれない過去はあるみたいだけれど。
それでも、この旅の理由が私にあるということが。
心底、嬉しくなってしまった。
笑顔が、止まらなくなるくらいに。
「ーーーー、」
「ご飯、もうすぐ出来るから。期待してて」
「………………ああ」
「なによ、歯切れ悪いわね」
「いや、その、なんだ」
妙におどおどした様子で、奴は言う。
「本当、おまえはずるいよ」
「なにが?」
「何でもさ。ほら、早く作ってくれよ。腹ペコだ」
「はいはい。今日はとびっきり美味しいの作っちゃうんだから」
フライパンを温めて、ドラゴンの油脂をのばしていく。後は、型作った肉種を焼いていくだけだ。
ソースを作る準備もこなしながら、思う、
ずるいのはそっちだ。
いつだって、私は振り回されてばっかりで。
戦いから遠ざけられて、若妻なんかと勘違いされて、料理なんかが楽しくなっちゃって。
それでも。
そんな生活が、とても心地良い。
そんな事を、考えさせられてしまうのだから。
ジュウ、と香ばしい匂いが部屋中に充満した。
「突然だけど」
「あによ」
「多分、明日で調査が終わる。だから準備しといてくれ」
「あー、そっかぁ。残念だな、近所のおばさんたちと仲良くなったのに」
「まあ直ぐには出ないけど、お別れとか済ませておかないとな」
「そういえば、お肉欲しいって言ってたから、ちょっと多めに狩ってきてくれる?」
「わかった。ついでにその人たちと夕食一緒にしよう。明日はドラゴン肉パーティーだ」
「いいわね。ついでに肉料理のレシピ教えて貰おうかしら」
「おまえもホントどこぞの夫人っぽくなってきたよな」
「な、な、な、何言ってんのよアンタまで!私は違うんだからね馬鹿!」
「支離滅裂な上に理不尽だと思うんだが…」