私勇者だけどお月見しつつある
「ぶえっっくしょぉぉおい!」
「主よ、最近上がった女子力パラメータが低下しつつあるぞ」
「余計なお世話よ!って、あああああ!!」
茶々を入れてくる包丁(聖剣)に構う余裕もなく、目の前の惨状に絶叫した。
視界に映るのは、白、白、白。
台所が真っ白に染まり、面倒かつ勿体無い現状がそこにはあった。
くしゃみによって撒き散らしてしまったのは、粉。
シラタマ粉と呼ばれる、食材だ。
粉の食材と言われると、小麦粉を思い浮かべてしまうが、これはどうやら麦から採れた粉ではないらしい。
使われているのは、ライスのようだ。
これは、ライスの種類の中でも炊くと比較的粘っこくなる品種を挽いたもので、中々手に入らない。理由としてその品種がメジャーな食材ではないということと、挽く行程としてやや面倒臭さがあるからだという。
そも、王国は粘り気のある食材はあまり歓迎されない風潮がある。
とってつけた様な胡散臭い伝承もあるが、要点としては、にちゃにちゃした食感が受け入れられないのだ。歯にくっ付いて取れないような不快感は、確かにあまり好ましくない。
別に食べられないという訳ではないのだが、率先して食べようという気も起こらない。そんな食材。
生産が衰退してしまったのも無理はない。
さて、何故そんな食材を今私が調理しているのかと言うと、とても深い訳がある。
先ほど、食べられないという訳ではないと言及した。その通り、自分たちはその食材を美味しくいただくことはできる。食感が苦手というだけで、味自体に問題がある訳ではないのだ。
率先して食べないとも言及した。苦手な物を喜んで食べようとするほど、この国の人たちは嘗胆精神は持ち合わせてはいない。
ならば、その食感さえ気にならなければ問題はない訳だ。
しかし、その食感こそがその食材の最大の売りである。その食感失くしては、他の穀物で補ってしまえるからだ。例えば芋類とか。
その食感を生かさなければ、他の食材に負けてしまう。
どうすればよいのか。先人たちは大いに悩んだ事だろう。
そこで閃いたのが、今私が作っているものだ。
無駄に壮大になってしまったが、簡単に言ってしまえばこういう事だ。
甘味に使用すれば需要は出るんじゃね?
甘いものに目がない王国民は、食感に戸惑いこそすれその柔らかな甘味に心奪われ、見事生産ルートが確立されたという。
数日前の事だ。
「ただいま」
「おかえりなさい。ご飯出来てるよ」
ちょうど配膳し終えたところで、私の相方たる魔法使いが帰宅した。今日はやや遠出してきたらしいので、珍しく疲れがみえる。
温かい晩御飯の匂いを嗅いだからだろうか。にへらっとだらしなく笑顔をみせると、いそいそと装備を外し始めた。
「今日のご飯なに?」
「ふふん、ここでクイズっ」
「お、なんだなんだ?」
おたまを向けて高々と宣言すると、相方はノってきた。中々反応が好ましくてよろしい。
「さて今日のおかずにはきぬかつぎという料理があります。そのきぬかつぎとは一体どんな料理でしょうか。正解者にはもれなくきぬかつぎを一個多く食べられます」
「ほう、いいじゃないか。きぬかつぎ、きぬかつぎねぇ……」
「十秒前、九、八、七……」
緊迫感をあえて与えるため、カウントダウンを開始する。やや焦った様子を見せながら、相方は考え込んでいた。
「……三、ニ、一、ゼロっ。さぁ答えをどうぞっ」
「うーんっ」
一度溜めを作りそして。
笑顔で、相方は答えた。
「よく作ってくれる栄養満点スープ。それに入っているサトイモモドキを切らずにそのまま茹でたもの、だろ?」
正解だった。ぱーんってクラッカーを鳴らしてやりたい気分だったが、生憎持ち合わせていない。
「大正解!………ってアナタ、わかってて悩んだ振りしてたでしょ」
「そんな即答しちゃったらつまんないだろ?」
全くもってその通りなので、盛大に外してくれる事を想定していた私はぶーたれながらもきぬかつぎを一個多く相方の皿に乗っけた。
この土地は、以前訪れた鍛冶屋の盛んな村から山を一つ越えたところにある、鉄の鳴り響く音とは無縁なごくごく長閑な農村だった。
サトイモモドキは、この村でもよく採れるらしい。
訪れたのは特に理由がある訳ではない。包丁()を研ぐにはまだ早いし、お爺ちゃんには挨拶もそこそこにして、目的地に向かった。その道中であるこの村に着いたところ、ここで少し依頼をこなし、お金の補充とちょっとした人助けをしようと思い立っただけだ。
何故かと聞かれると、どうやら過疎化が始まったこの村には働き手が不足しており、少し荒廃していたため何もせず通りすぎるのは良心が痛んだというだけで。エゴでもなんでも、とりあえず困っていたら手を差し伸べてしまうのは勇者としての性であるといえよう。
将来的に見たら、なんの影響もないただの通りすがりに過ぎないかもしれないが、それでも何かしないといけないと自身を苛むのだ。
同業者はそんな私を厄介者を見る目で睨んだり、憐憫の視線を送ったりすることが多い。
でも、相方はそんな私にいつも「仕方ないなぁ」と言って笑うのだ。そして、当たり前のようについてきてくれる。
救われる。たったその一言に。
少し話が横道にそれたというか、惚気んなとかそんな声が聞こえてきそうだが、要は期限内に目的地に着くまでの時間を、この村の復興に割り当てようとしてイマココ状態である。
そして今日、魔物が荒らした柵を直す手助けをしながら、同時に直している彼らの護衛をこなしていると、お礼にとこのサトイモモドキをくれたのだった。
ついでに収穫していたおばちゃんから旬であるこのサトイモモドキの食べ方を伝授してもらい、そして実践してみたのはもう言うまでもないだろう。
この料理の素晴らしいところは、勿論茹でるだけでとても美味しいところだろう。未だ新しいレシピにチャレンジすると失敗する可能性が高い自身の料理スキルではあるが、これなら失敗することもまずない。
ほうれん草のお浸しを失敗したのは時効である。戒めとして、一応。
ジンジャをすりおろし、味黒油に投入。これで準備は完全に整った。
テーブルに着くと待ちきれないといった表情の相方が遅れてやってくる。
目配せして、同時に。
「「いただきます」」
もう随分といい慣れてしまった祈りの言葉を口にして、早速きぬかつぎに手を伸ばした。
つるんと剥けた皮からフワッとした中身が飛び出す。普通の芋ならこうはいかない。ホクホク、ではなくフワッ、なのだ。
木のフォークで刺し、ちょんちょんとジンジャを混ぜた味黒油につけて、そのままパクリ。
それは、少しトロみがありつつも見た目通りフワフワで柔らかくジンジャの効いた味黒油がその味を際立たせている。
それだけじゃない。これが炊きたてのライスに非常に合うのだ。むしろ、これこそがきぬかつぎの核心ともいえる。
そして、それを洗い流すように程よく塩味の効いた、野菜ごろごろ鶏肉入り栄養満点スープが熱を持って食道を流れていく。
「「はぁ……」」
恍惚の表情を浮かべながら、二人して温かな吐息を漏らした。美味い。
それから暫くの間、談笑しながらご飯を平らげていき、食後のお茶を出そうとしたところで、相方は突然あっと声をあげた。
「しまった、忘れてた。いや、タイミング的にはバッチリか」
「なになに、なんなの?」
「へへ、ちょっと待っててな」
急いで今朝持って行った荷物を開けると、相方は大葉に包んだ何かを持って再びテーブルについた。
「なに、これ?」
「待て待て、と。ご開帳ぅ」
紐を解くと、そこには見知らぬ白い物体が鎮座していた。包んでいたものから察するに何かしらの食べ物だろう。白くて丸い、へんてこな食べ物だった。
一体なんなのだろうか?
「今日、三つ先の山の麓の町に商談の護衛として着いてったんだけど、そこでちょっと珍しい食べ物見つけてさ。つい買っちまったんだ」
「アナタいずれ食べ物で破綻するわよ。衝動買いってもう……」
「まぁまぁ。珍しいって言っても、俺にとっては馴染み深いものだし。まぁ食べてみてよ」
そう言いつつ、へんてこな食べ物にさらに得体の知れない黄土色の粉末をかけて、はいどうぞと差し出される。
よくわからない料理を食べる時は何時だって覚悟がいるのだが、今回は少し特殊だった。
甘い香りがするのだ。粉末の独特な香りの中に、ふんわりと。
意を決して摘まんでみるが、その粘着性に驚く。べとっとした嫌な感じが指先にまとわりつくけれど、さらに覚悟を決めて口に放り込む。
そして、口の中は驚愕の味が広がった。
「お、美味しい………ッ!」
「だろう?」
相方はこの反応を待っていたと言わんばかりに笑みを深めるが、それに気付かない程私はこの甘味に心を奪われていた。
手で触った感触とは裏腹に、口の中ではややつるんとした食感。粉末の香りが口いっぱいに広がり、少し水分が吸収されるが、溶け出した砂糖の甘味が口内を蹂躙する。
そして最後に、この白い食べ物それ自体が持つ仄かな甘味が余韻をもたらす。
お茶で一度口の中を湿らせ洗うと、もう一個と手を伸ばした。手がべたべたになるのも厭わず、今度はへばりついた部分すら下品にも舐めとってしまう。
甘い。美味しい。香りが良い。
今迄食べた甘味とは全く異なる味や食感。それは自分にとって青天の霹靂だった。
相方もひょいと一つ口に放り込むと、美味いと一言。次々に口の中へ投入していく私の様子を見ながら、穏やかに笑っていた。
「なぁ」
「む、むぁあに?」
「喋らなくていいから。で、提案なんだけど」
頬張ったまま反応する私に苦笑しつつ、相方は先ほど大葉を取り出した荷物を親指で指しながら言った。
「実はこれ、あまり作るの難しくない菓子なんだ。材料は買ってきてあるから、明々後日に作ってみない?」
私は首を振った。勿論縦に。
長い長い前置きとなってしまったけれど、話の全貌としてはこんな感じであり、今に至る。
「深い訳があると言っておきながら、随分と浅い理由だったな主よ」
「黙りなさい」
簡単に作れるお菓子という存在だけで自分にとっては深い理由になり得るのだ。
今まで散々失敗を重ねた、甘味類の調理。一番簡単とされたクッキーでさえ未だ完全には焼き上げたことはない。
それが、今回こそ自分の手で成し遂げることができる。
「そう、私だってお菓子を作れる。パティシエにだってなれる事を証明するのよ……!」
「主よ、いい加減疲れたが職人を目指すその熱意を戦闘職に向けてくれ」
包丁が今更なツッコミを入れてくる。毎度毎度飽きないものだ。
「最近戦闘でもちゃんと使ってあげてるでしょ?ほら、襲ってきた魔物とか絞めて鞘で叩いたり、部位を切り分けたり術式使って丸焼きにしたり」
「殆どが調理に関係する事実を本気で言ってるあたりもう勇者として再起不能な気がするのだが」
失礼な。現在進行形で勇者らしい事をしてるではないか。
しかし、気に食わないのか包丁は不貞腐れた響きで念話を漏らした。
「戦闘ですら調理器具として扱われる件について」
「あんた大分俗世に塗れてきたわね」
見る影がないどころかドロドロに変形している。手遅れという他ない。
「因みに今のは我という剣と件について兼ねてあって」
「死ぬほどくだらないわよ」
こいつはもう一旦戻って鍛冶屋に溶鉱炉へぶち込んでから打ち直してもらった方がいい気がするのだが。キャラ崩壊という言葉すら生温い。
「さて、くだらないことやってないでパパッと作っちゃうわよ。夕飯も作らなきゃならないんだから」
散らかした粉を、ゴミを取り除く意味も兼ねてふるいにかけてからボウルに投入する。
レシピにはない工程だが、クッキー生地を作る過程でとても重要だと言われていたので、同じ甘味だしやった方がいいのかなーという感覚で実行してしまった。別段取り立てる程の事はしていないが、シラタマとクッキーを一緒に考えている時点でお察しであるが故突っ込まないでいただきたい。
パティシエへの道程は遠い。
シラタマ粉の重さを直感で測りながら、それと同じ重さの水をコップに汲む。コップやボウルの重さは入れていないので安心してほしい。
その後、ボウルにコップの水三分の一を残して加える。濁った水が溜まり始めるが、すかさず捏ねてそれを吸収させる。粉っぽさが段々となくなっていき、固まり始めた。
しばらく捏ねていると、まだ少しボロボロした部分が残っていたので、少しずつ残っていたコップの水を加える。加えては捏ね、固さを維持したまま生地を形成していく。
ここでポイントなのは、耳たぶの固さよりやや固いぐらいで保持することらしい。ボウルを支えている方の手で耳たぶを触り、その感触から生地を調整した。
また更に捏ねること十分。もういいだろうという事で生地を棒状に丸めて、それを一口サイズに切り分けていく。
切り分けた生地を両手で球状に丸め、少しだけ潰して並べていった。下準備はこれで完了である。
あとは茹でるだけ。本当に簡単だった。
茹でる時間も、そう長くはかからない。沸騰した湯に優しく入れ、軽く一回混ぜた後浮いてきたら少しだけ待ち、掬ったシラタマをキンキンに冷えた水で冷やしておしまい。
大きな笹の葉の上に重ねていくと、それは出来上がった。
完成してしまった。誰がみても完璧な状態で。
「ふ、ふふ。ふふふ。うふふふふふふふ」
「とうとう壊れたか。新しい持ち主を選定せねば」
「巫山戯たことばっかだと本気でへし折るわよ」
「ごめんなさい」
素直でよろしい。
「それにしても、本当に出来ちゃった」
目の前に並んでいるシラタマの山を眺めながら、堪え切ることのできない喜色を滲ませて呟く。
念願のお菓子作り。その完全作。
嬉しくないわけがない。
「私、お菓子作りに才能がない訳じゃない。頑張ればきちんと出来る。そう、頑張ればきちんと出来るんだ……!」
「主よ、感動してるところ悪いが深刻になり過ぎて逆に滑稽だ」
「これは小さな一歩かもしれないけど、私にとっては大きな前進。他のお菓子だってつくれるようになってやるわ!」
「聞いていない、だと……?」
何か包丁が言ってるけど、身を打ち震わすような感動に浸っている状態ではなにを言っても聞こえない。
むんと拳を掲げ、次回攻略を画策するクッキーの作製に意気込む。「根拠は無いけどなんか次いける気がする」病が発生している事を、自分はまだ気付いていない。
「さて、シラタマは完成したし、夕飯の準備をしなくちゃ」
このとき、私は完全に浮かれていたのだろう。当然だ、今まで一度も成功したことのないスイーツの完成が達成されたのだ。包丁の言葉すら聞こえないほどに、私は舞い上がってしまっている。
だからだろうか。
テーブルの足につま先を思い切りよくぶつけた。
「ガッ」
なんか変な声でた。
しかし、以前蛍を見た村と違い、この村の家屋は王国式だ。つまり、靴を履いている。例え足の角にジャストミートしたとしても、ダメージはそこまででもない。
―――が。問題はテーブルに伝わる衝撃の方だ。
テーブルの上には、笹に乗せたシラタマがある。もうおわかりだろうか。
背後で、ボトトッと音がした。
自分は、ゆっくり息を吐くと、徐に振り返り、言う。
「……洗えば大丈夫よね?」
「主よ。我はこの顛末にある意味尊敬を抱く」
照れるから止めろ。泣くぞ。
☆
「ところでさ」
「どうした?なんかたまにシラタマからじゃりって音するけど」
「ところでさ!!なんでこの日にシラタマを作らせたの?」
強引に誤魔化しながら、ご飯を平らげた相方がテーブルの脇に置いてあるシラタマを摘んでいるのを見て不意に浮かんだ疑問を問いかけた。
「だって、いつもなら直ぐ食いたいって言って次の日にでも作らせるような気がするんだけど」
「んー…まぁ、そうかもな」
なにやら心外だとでも思ったのか、しかし否定できず返ってきたのは微妙な答え。
相方は重ねてあるシラタマを崩し、良く分からないシロップをかけた後形を整えながら再び乗せていく。
「そもそも、この日が何の日なのか俺自身もよくわかってないんだよな」
「なにそれ?今日ってなにか記念日だったっけ」
「いんや、王国ではなんもないはずだ。ただ―――」
相方は立ち上がると、積み重ね終えたシラタマをそっと持ち上げて、貸家の庭に向かっていく。
何をしているのだろう。不思議に思っていると、外に居る相方から呼びかけられた。
「きぬかつぎ、できてる?」
「あ、うん。要望どおりおかわり作ったけど、どうするの?」
「それ、持ってきてくれない?」
「え?」
何がしたいのか分からずきょとんとしていると、死角からひょっこり顔をだした相方は笑って言った。
「折角だから、外で食べよう」
もう何がなんだか分からなかった。外で食べると言うのなら、初めからそうすればよかったはずだ。一度平らげてから外に出る理由が分からない。
それでも、釣られるようにして自分はきぬかつぎを皿にのせ、ジンジャ入りの味黒油の小皿とともに持っていく。
手招きする相方にふらふらと誘い出されるようにして庭に出ると、私はようやく気付いた。
今日は、満月だった。
「わぁ……」
満月なんて大して珍しい物でもない。しかし、今日の満月はなんだかいつもより綺麗な気がした。
あまり手入れされてない庭は、ふさふさとした先端の草が幾つも生えており、虫の鳴く音がりんりんと響いて心地よい。
「俺の家ではさ」
庭にぽつんと置いてある丸いテーブルの上にシラタマを乗せ、椅子やテーブルがぐらつかないように調整しながら相方は語りだした。
「この時期の満月の日に、こうやってシラタマときぬかつぎを供えて、ちょっとした儀式をするんだよ」
「儀式?」
「そう、儀式」
ぐらつかないことを確認すると、私は手に持っている皿をテーブルの上に乗せ、相方が引いてくれた椅子に座る。
夜なのに、相方の表情はよく見えることが出来た。満月だからだろう、慣れた視界は昼間のように明るい。
相方の表情とは裏腹に。
「まぁ、その儀式についてはあんまりいい思い出ではないんだけどさ。ただ、供えられたシラタマときぬかつぎが美味しかったのだけは、今でもよく思い出せる」
たまに見せる、相方の遠い目をした表情。
私は、うずうずするのを感じながら、それを抑えつつ相方に向けて言う。
「シラタマを買ってきたのは、それを思い出しちゃったから?」
「うん。なんだかんだで毎年やってたから、シラタマときぬかつぎだけでもやろうかなって思ってさ」
「……どんな儀式か、聞いてもいい?」
「大したことじゃないよ。……神降しの儀って言ってな。月に住まう神様を、依代に憑けるっていう儀式」
りん、と一際大きな音で虫が鳴いた。
「この時期の、満月が一番降ろしやすいってんで、うちの一族はいつも張り切ってやってたよ。本当はシラタマの数とかも決まっててさ、あらゆる呪いがそこに集約してた。いつも大慌てで準備に駆りだされるからすごく面倒だったなぁ」
初めて聞く、相方の一族の話は、少なからず自分に衝撃を与えていた。
どうやら、相方の一族は神職に携わっているらしい。
それも、あまり表沙汰にはならない類のものだ。
「いつも失敗ばかりでさ。失敗するのを見せられるのも嫌だったけど、まぁ、一番嫌だったのが依代を任されるときだったかな」
「依代って、それ」
「失敗したから、俺にとっちゃよかったんだろうけど」
ぽりぽりと頭を掻きながら、相方はなんとは無しにいってのけた。
依代という存在は、その殆どが儀式の失敗による事故で命を落としている。
王国でも似たような儀式は度々行われており、勇者と言うその最たる依代としての血族である自分にとって、それは馴染み深いものといっても過言ではなかった。
嫌でも想像がついてしまう。その儀式の怖さが。
かつての勇者の英霊をその身に宿す儀式は我が身にも幾度となく経験があり、その過酷さと恐怖は今でも思い出すと震えてしまう。
しかし、英霊といえどもその元は生を受けた人間。位を鑑みても神様と比較すれば、器にかかる負担は想像もつかない。
この人も、そんな経験があるのか。
そう思うと、なんだか―――
「だって、成功してたら一生女装しなきゃいけなくなってたしな」
「ぶっふッッ!?」
思考が。飛んだ。
「いや、月の神は女性に憑くものだから、依代は女性が基本だったんだよ。ただ、小さい頃に魔除けとしてその……女装してた時期があってだな。神様を欺けるかもしれない、なんて迷惑な理由で実験材料にされたんだよ」
少し顔を赤くしながら、相方は続ける。
「まぁさっきも言ったけど結果は失敗。何も起こらず、男の娘じゃ月の神は依代にできないっていう結論が得られたわけだ」
本当に迷惑な儀式だったよ、と相方はシラタマを掴んで咀嚼した。苦いものを飲み込むようにして、今度はきぬかつぎに手を伸ばす。
それを横目に、私はただ口に手をあてて前かがみの状態で、堪えていた。
女装。この人が女装。
確かに、顔立ちはいいので幼いころはきっと女性的な線の細さもあり、似合っていたかもしれない。いや、間違いなく似合っていただろう。想像することは容易く、また脳内の彼はとても可愛らしい。
笑いが堪えきれない。お腹痛い。
そんな自分の様子に気付いたのか、相方は不機嫌さを増した。
「おい、そんなに笑ってるとお前の分も食っちまうからな」
「わ、わらっへない。わらってないひから」
「漏れてんぞ。全く、小さい頃の話だし、魔除けのために仕方なくやらされてたんだからな。笑うところじゃないだろうに」
「そ、そういう問題じゃ。だって想像するとすごく可愛くて」
「妄想がすぎるぞ、現実に戻ってこい」
しばらくしてようやく女装フィーバーが収まり、落ち着きを取り戻した頃にはシラタマはあと数個しか残っていなかった。
「ちょっと、食べすぎよ」
「言っても聞かないお前が悪い」
いつになくぶすっとした表情で、相方は月を見上げていた。きっとさっきの話をしてしまったことに後悔しているのだろう。
すっかり冷めてしまったきぬかつぎを剥きながら、私は拗ねている隣の人に言う。
「ね。女装して、依代になったとき、どんな気持ちだった?」
「あん?どんな気持ちって、そりゃ気分良くなかったよ。でもやらなきゃいけない状況だったし、最後はもうヤケクソだったな」
「高揚感とかなかった?」
「ないよ」
「じゃあさ」
イラっとしているのをがひしひしと伝わるのを感じる。
それでも、私は踏み込んだ。
「……怖く、なかったの?」
さっきは全然聞こえなかった虫の鳴く音が、煩くなるほど静かになった。
「さっき、失敗したっていったよね。神降しの儀って、私は詳しくは知らないからわからないけど、これだけはいえるよ」
剥いたきぬかつぎは、中身が真っ黒で、腐っていた。
「失敗が前提の儀式。それって、死刑宣告と変わらないんじゃないの?」
依代は、その殆どが儀式の失敗で命を落としている。
それは、きっと彼の家系でも例外なく適用される事実だろう。ましてや、彼の言う通りあらゆる呪いが集約されているのだとしたら、尚更の事である筈だ。
彼が生きているのは、どう解釈しても奇跡の類で。
それでも、おそらく死の淵に立たされたことは、間違いない。
「私も、ね。勇者なんて血筋だからさ、失敗はしなかったけど、その怖さはよくわかるよ」
この世界において、神を現世に召喚するのは、禁忌であると同時に当たり前の行為でもある。
何故か。
それは、きっと人が人であるからだろう。
「それが私たちにとって当たり前でも、それでも怖いものは怖いよ」
怖かった。怖かったのだ。禁忌に触れることが、それを行使する大人が、何よりも失敗という結果が、どうしようもなく、怖かった。
そして今でも―――怖い。
だから、聞きたい。
「ねぇ、怖くなかったの?」
こんな問いかけは愚問に過ぎない。だって、怖くないはずがないのだ。当たり前だ。死ぬかもしれない儀式に、恐怖を抱かないはずがないのだから。
でも、相方は。彼は答えた。
「……儀式が終わってさ、なんとか肉体の崩壊は抑えることはできたんだけど、精神はかなり汚染されてて、あのときのことは正直忘れたいくらい辛かった。……でも」
一つシラタマを摘むと、相方はそれを私の口に差し出した。
「そのとき、供えられたシラタマを食べたらさ。美味しくて仕方がなくて、もっと食べたいって思って、そうしてたらいつのまにか治ってきたんだ」
はい、と言われたので、差し出されたシラタマに食いついた。深みのある甘さのシロップが、シラタマと共に口の中を踊る。
「美味いだろ?」
「うん」
頷く私を見て、彼は月明かりの眩しい笑顔で言った。
「この味が、忘れられないんだ。きっと、この先も」
―――きっと。
この人は、この満月を見るたびに思い出すのだろう。依代となった儀式を、その暗い過去を。
でも、同時に。それ以上に。
このシラタマの味を、思い出すのだろう。
きっと、これからも。
「だったらさ」
なら、私は。
「私が、来年も。アナタに作ってあげる。美味しいシラタマを、ずっと」
そのとき食べた以上の美味しさで。
儀式のことより、そのとき食べた美味しさより、私の作ったシラタマが一番最初に思い出せるように。
「……そりゃ、楽しみだな。期待はしないけど」
「あ?なんですって?」
「失敗する未来しか見えないんだって」
「どうみたってこれ失敗してないじゃない!」
「床に落としたくせによくいうよ。気付かないとでも思ってたのか?」
「ぐっ、そ、そんな失敗次は犯さないに決まってるでしょ!」
「ほんと?」
「当然よ!」
胸を叩いて大見得を切る私に、相方はカラカラと笑って言った。
「それじゃ、期待してる」
「うん、任せて」
絶対に、美味しいのを作るから。
最後に食べた、シラタマは。
これ以上なく、甘い味がした。
「あのさ」
「なにさ」
「アナタの女装、絵かなにか残ってない?」
「……ノコッテナイヨ」
「よし、探すか」
「俺の実家の場所わかるんですかねぇ」
「チッ」
「本気だったのかよコイツ」
「なら仕方ないわ。ちょっと今度衣服店行くわよ」
「ならって……え?」
「大丈夫。今でもきっと似合うわ。ええ、似合うようにしてあげる」
「かつてない理不尽が始まるッ!?」
地方によって中秋の名月に供えるものや個数なんかは変わるようですね。由来とか聞くと面白そうです。
次回は、十月を目安にします。大分不安ですが。