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第三話


 二人の出会いから約半月ほど経過した、ある晴天の日のこと。

 粉塵舞い飛ぶ戦場の、その遥か上空に魔女は静かに佇んでいた。


 彼女を魔女と呼び助力を乞うた身でありながら、領主はルヴィの性別が女だというだけで、戦いの場に連れることを厭った。

 守られる立場である女子供を戦場に置くなどとんでもないと、そんな人間用の理屈を彼女相手に躊躇なく振りかざしたのだ。

 ある意味では、非常に勇気のある行動である。

 しかし、少なからず距離の開いた領主館に待機させていたのでは、孤児院から連れ出した意味も何もない。

 苛立つ魔女に滔々と諭され、領主はやはり渋りつつも最終的にひとつの妥協案を飲んだのだった。


「……ふん。とことん見くびりおって、人間風情が」


 翼持つ魔獣すら寄ることのない、雲さえ見下ろそうかという空の彼方で魔女が呟く。

 地上では今、数多の魔獣と人間たちとの生き残りをかけた凄惨な殺し合いが繰り広げられていた。

 魔獣は全て平原に誘き寄せたため、人間側に地形的な不利は無い。

 領主パダラムは、その最前線に立ち血と泥に塗れながら怒号を上げ剣を振るい続けている。

 相変わらず己の立場を顧みない男だ、と魔女は思った。

 彼が死すれば、今は有利に見えるこの戦況も一気に瓦解するであろうことは想像に難くない。

 よしんばこの戦いで勝利を収めたとしても、兵を纏め率いる者がいなくなったのであれば、それはもはや烏合の衆であり今後の行き着く先は目に見えている。

 いくら兵の士気が高まろうと己の腕に自信があろうと、そのようなリスクのありすぎる策を選ぶなど正気の沙汰ではないと、とかく理解しがたい領主の行動に魔女は眉を顰めていた。


「おっと、いかん」


 思わず零れた呟きと共に彼女がほんの少し指を動かせば、地上で猛威を振るっていたとある魔獣の動きが極僅か鈍る。

 紙一重で魔獣の攻撃を躱した老兵は、すぐに体勢を立て直し斬撃を見舞った。


「……よしよし。さすがはナグファズだ」


 その様子を、ホッとした様子で見守る魔女。

 彼は遠い昔、彼女の元から巣立っていった息子の内の一人だった。

 世界中に何百何千と存在していようが、何十年もの時が流れていようが、魔女は我が子を忘れることもなければ、見間違えることもない。

 一人前に育ったからには不干渉を貫く姿勢でいる彼女だが、目の前で傷つこうとする子がいれば、やはり親として見過ごせぬ感情があったのだろう。

 あからさまな救助こそ行わないが、先程からこうしたささやかな支援を何度と繰り返していた。

 魔女に関する全ての情報は一般兵には伏せられているため、おそらく老兵が彼女の存在に気が付くことはないだろう。

 一人前に育った息子に恥をかかせるのは本意ではないと、母親は過保護な自分自身を薄く笑った。




 やがて、少なからぬ被害を出しながらも勝利を手にした領主軍。

 怪我人を連れ出し死骸を片づける兵達の傍らで簡易的な休息を取っていた領主パダラムの元へ、魔女がふわりと降り立った。


「やる」


 彼女はたった一言そう告げて、ワインボトル程のサイズの瓶を無造作に放る。

 どこから出したのかなどとは彼は思わない。

 手ぶらで院を発ったはずの魔女が毎日のように異なる衣装を身につけている時点で、そのような思考は捨て去った。

 飛来した瓶を難なく片手で受け止め、領主は濃紺のソレを物珍しげに眺める。

 そして、問うた。


「これは……?」

「手製の秘薬だ。

 死人には効かぬが、傷も病もたちどころに癒す。

 好きに使え」


 答えを聞き数秒何かを考える様に沈黙した領主は、次いでチラと重症者を収容した簡易テントへと視線を流してから、魔女へ真剣な眼差しを送る。


「失った手足などはどうなる」

「かなりの痛みを伴うが、患部に塗布しておけば半日ほどで再生する」


 にわかには信じがたいのか、彼は懐疑的に顔を顰めた。

 だが、瞼を閉じ軽く頭を振ると、再び彼女の方へと目を向け質問を続ける。


「助かるが……しかし、なぜ」


 魔女の人間嫌いは、たった半月ほど同じ館内で過ごしただけの領主にも分かりやすいほどに徹底されていた。

 それこそ到着初日、世話役だろうが護衛だろうが監視者だろうが、そんな輩を自分につければ有無を言わさず殺してやろうと堂々宣言された程だ。

 物騒に過ぎる発言だが、それが本気であることは纏う空気ですぐに分かった。

 だからこその疑問だったのだが、彼女は嫌なことを尋ねられたとばかりに唇の端を小さく歪め、視線を逸らして黙り込む。

 傷つき痛みに喘ぐ同僚を息子があまりに痛ましげに見ているから、だとか、そんな溺愛に過ぎる母の事情など魔女であるルヴィが口に出来るはずもない。

 やがて、彼の耳にギリギリ届くか届かないかという微妙な音量で彼女は呟いた。


「…………ただの気まぐれだ」


 その回答がしっくり来ず、領主は小さく首を捻る。

 だが、あまり彼女の機嫌を損ねて取り上げられても勿体無いと、それ以上質問を重ねることはしなかった。


「そうか。ならば、ありがたく頂戴しよう」


 頷きと共に礼の言葉を述べれば、魔女は何かを思いついたかのような仕草で視線を戻し、嘲るように笑い出す。


「くくっ、そう簡単に信用して良いのか?」

「どういう意味だ」


 即座に問い返す領主。

 すると、彼女は己が渡した瓶を指さし、演技がかった声でセリフを紡いだ。


「私は魔女だ。薬は薬でも、魔女の専門は毒薬だと相場が決まっている。

 その瓶にも、実際何が入っておるか分かったものではないぞ。

 例え治癒の効果があったとして、どのような副作用があるかも知れぬ。

 それでも領主殿は、守るべき民とやらにその薬を使うつもりか?」


 クスクスと魔女は愉快そうに含み笑いを溢す。

 領主はそれを数秒ほど呆けたように眺めた後、ハッと意識を戻して瓶を見つめた。

 それから、どこか達観した笑みを彼女へ向けた後、おもむろに自身の左腕の包帯を解き始める。


「っ何を!?」


 おそらく次に取るであろう領主の行動を予測して、魔女はその愚昧すぎる決断に驚愕し、そして恐怖した。

 止めようと腕を伸ばすが、それより一瞬早く彼は瓶の中身を傷口に塗りつけてしまう。

 すぐに皮膚が動き出し、まるで傷などどこにも無かったかのようにピタリと塞がった。

 いくつかの確認作業を行った領主は、完治した部位を見せつけるかのごとく、左腕を魔女の目線の先へと持っていく。


「これで効果は証明されたな」

「っ…………領主殿は気狂いであらせられる」


 そう吐き捨てて、魔女はその場から掻き消えた。

 苦虫を噛み潰したかのような表情だった。


 正体不明の薬品をいちいち領主自らの肉体で試していたのでは、命などいくつあっても足りるものではない。

 通常贈られるどんな品も、家臣が時に下々の犠牲を払いながら確実な安全性を認めた上で、ようやく彼の元に届けられるべきものであるのだ。

 それは当然パダラムも知っていたし、常日頃から例に洩れるようなことはしていなかった。


 魔女が領主を傷つけないと、白痴のように信じていたわけではない。

 現実を知らぬ子どものように、部下を危険な目に合わせまいと幼い正義感に目覚めたわけでもない。 

 彼は己の命を賭けて、彼自身と彼女を試したのだ。

 治癒薬が偽物であるのなら、以降彼は魔女を信頼することが出来なくなるだろう。

 そうなれば、魔女も敢えて彼に力を貸すことはない。

 魔獣の被害は今なお拡大の一途を辿っており、彼女が去ってしまえば、他に有用な手を持たないテゲンの未来は閉ざされたも同然。

 例え領主がこの場で死に瀕してしまったとしても、滅びの時が少しばかり早まるというだけの話だ。

 そして、治療薬が本物であったのなら、パダラムは二度と魔女の何もかもを疑うまいと決めていた。

 結果、彼は賭けに勝った。


 聡明な魔女ルヴィはその人生の長さ故に、領主が一瞬で下した決意の何もかもを見通してしまう。

 だからこそ、彼女は彼を恐れたのだ。

 嫌悪の対象である人間から、全幅の信頼を寄せられる。

 それは彼女にとって、容易に受け入れられる事実ではなかった。



 この日を境に、領主は己の瞳に宿る熱を隠すことなく、真っ直ぐと彼女に向けるようになる。

 そんな彼の態度が、更にルヴィを困惑せしめた。

 ただ、プライドの高い彼女がその感情を表に出すことは、けして無かったのだが……。






「もし、ナグファズという男が私を訪ねて来たら、構わず通せ」


 数日後、領主館に戻った魔女ルヴィは、与えられた部屋の一室で革張りの椅子にゆったりと腰掛けながらそうのたまった。

 状況報告に訪れていた領主が、書類の束から顔を上げて眉を顰める。


「ナグファズ?

 魔女殿、その男と貴女はどのような関係だ」

「ふん。教える義理も義務もなかろうよ」


 尋ねる領主へ、魔女は嘲笑するように鼻を鳴らした。

 身元も知れぬ男を無条件で館内に入れろというのは、常識的に考えればかなり無茶な要求だ。

 だとすれば、領主がそう問い質したことは何らおかしなものではない。

 それを理解しつつ、彼女は自らの立場を盾に敢えて口を噤む。

 ただ、彼自身はそういった意図とは全く無関係に発言していたため、追及の手を強めることは出来なかった。


「それは……そうだが……」


 反応が予想外だったのか、魔女はおやと片眉を少しばかり上げる。

 あっさりと引かれたことで逆に気を削がれた彼女は、領主の立つ位置とは反対の窓の方向を眺めながら、ため息まじりに声を吐き出した。


「案ずるな。テゲンに害成すつもりなど毛頭ないわ」


 が、領主は即座に首を横に振る。


「そうではない。そんなことは分かっている」

「では、何だと言うのだ」


 魔女は苛立つ感情を隠しもせずに言った。

 しかし、彼は苦しげに顔を歪めた後、情けなく笑みを浮かべて僅かに頭を下げ、次いで了承の意を示す。


「…………いや、すまない。忘れてくれ。

 男の件は確かに伝えておく」

「……」


 魔女がそれに返事をせずにいると、やがて領主はのろのろと彼女に背を向け歩き出した。

 退室しようと手を扉にかけたところで、彼の耳にポツリと彼女が発したらしき呟きが届く。

 ともすれば聞き漏らしてしまいそうな小さな声だったが、幸運にも領主がその内容を取りこぼすことは無かった。


「息子だ」


 振り返る領主。

 視線の先では、どこからともなく出現した赤ワインで魔女が喉を潤していた。


「ナグファズは私の息子だ。

 今はテゲン領主軍の一兵として雇われている。

 もし、義理堅いアレが私に気付いたのなら、顔を見せに来る可能性も皆無ではなかろうと思うてな」

「むす……そ、そうだったか」


 魔女の説明に、彼の顔の強張りが分かりやすく解れていく。

 彼女が領主に渡した妙薬は、そのまま重症者を優先に全て使用された。

 異常なまでの効果を発揮するその薬の存在を知れば、仮にも息子であるナグファズが母の姿を思い出さぬことは無いだろう。

 帰還から数日は事後処理で忙しくもあろうが、その後は幾ばくかでも時間を取ることが出来るようになるはずだ、と魔女は見当をつけていた。

 ゆえに、門前払いなど万一にも息子に不愉快な思いをさせぬため、事前に許可を取り付けようとしていたのである。

 どこまでも子煩悩な母だった。

 話を終え黙りこくる魔女へ、冷静さを取り戻したらしい領主がある提案を口にする。


「あぁ。だが、それならば、どうだろう?

 その息子殿へ、こちらから……」

「余計な手出しは無用だ。

 巣立ちを終えた雛に、なお干渉する親など居らぬわ」


 息子の負担になることを良しとせず、来ないのならばそれはそれで構わないと考えていた彼女は、即座に彼の申し出を突っ撥ねた。

 実情を知る者からすれば、どの口がと言いたくなるようなセリフだが、領主にその様なことが分かるはずもない。


「……そうか。すまん」


 気分を害したらしい魔女から視線で促されれば、彼はそれに逆らわず退出して行った。

 彼女の予測通り老兵ナグファズが領主館を訪れたのは、それからわずか一日後のことだった。





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