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第八章§イレギュラー

 慎也からの連絡は十二時を回ってからだった。

 さすがに寝ようかと考えていたところだったので鬱陶しく思わないでもなかったが、福川の件もある。無視するわけにはいかなかった。


 ワイヤレスのヘッドセットを装着し、できるだけ小声で返事をする。慎也もあらかじめ声をひそめていた。


『文章だと時間が掛かるんでな、悪いな』

「どうなった。そうだな、まず福川は。無事だったか」

『ああ、問題ない。腕だが、綺麗に折れてたとかでな、一ヶ月もかからんそうだ。他には特に大きな怪我はないようだ』

「そうか。それで?」

『……ニュース見たか?』


 重たい声だった。慎也のこれほど深刻ぶった言い方は初めてだ。


「いや見てないが。何かあったのか」

『火災で、香里南区のC&Nビルの地下バーにいた十数名の男女が行方不明になった』

「火災? バー?」

『まず、これは他言無用だ。ついさっき警察から手に入れた情報だからな』


 了解する。そもそも、こんな話、誰かにできるようなものではない。


『間違いなく致死量だと思われる血液が十人分以上、死体は残っていなかった。おそらく、超能力者の仕業だ』

「……なんだと。ただの狂人が引き起こした猟奇殺人の線は」

『若い男女十数人を銃も使わずに一度に殺しきったうえ、大量の死体をどこかに持っていく。そこまでできる凄腕の殺人犯なんてものが存在するなら、超能力者なんかよりもぜひ会ってみたいもんだ。短時間での大量殺人、その手口を大公開、なんて本でも出せばクズみたいな著名人が喜んで宣伝してくれるだろうよ』

「……超能力者とやらは、いつからそこまで大量生産されるようになったんだ」

『あのとち狂った『新緑の従者』はな、大学生やら高校生やらにターゲットを探させ、連れ込んだターゲットに催眠をかけて超能力者をインスタントで作りあげていたんだと』

「……三年でずいぶんと人道的になったものだな。子供の身体を報酬にして、人権団体でも雇ったのか」


 幼い子供を拷問していたなどというよりはよほどマシだと思えてしまうのは、もはや『新緑の従者』という存在をそういう集団だと認識する他ないからだろう。

 害悪という程度ではない、倫理的に言えば、もはや社会的制裁だけで事足る相手ではないことは明らかだ。


『確かに人道的だな、それが時限式殺人でなけりゃな』


 耳を疑った。殺人と言ったのか。


「なんだと、どういうことだ」

『言葉通りだ。あの超能力者、最初は超能力者じゃなく、普通の人間だったらしい。今日のことはほとんど覚えていなかったようだが、暴れていたことはぼんやりと、それこそ夢のような感じで覚えていたようだ。そして、さっきの『新緑の従者』の話をした。「来るべき時の為に君達は芽生えを知るのだ」と言われたそうだ。その後、あいつはとち狂って、また暴れ出した。そして収まったときには昏睡状態、今は警察病院だ。少なくとも、睡眠や気絶という状態ではないらしい。起きるかどうかはわからんそうだ』

「昏睡、だと。……まさか」

『ああ、オレも考えた』


 ドリームキャプチャーは、昏睡事件とは関係ないという可能性。


「木岐原時雨ではなく、『新緑の従者』が真犯人だった、そういう可能性がここに来てでてくるわけだ」

『むしろ、ドリームキャプチャーの配布数とのズレを考えると、そちらのほうがよほど可能性が高いってのがな。奴らは香里駅、教育大前駅、金巻駅周辺でターゲット探しを行わせている。ターゲットってのは、男女グループで、大人数で、あとは詳しくはわからんが、とにかくある程度限定している。そう考えると『新緑の従者』に連れて行かれた人間のほうが、ドリームキャプチャーの使用者数よりも圧倒的に少ないのは間違いないだろう』

「木岐原時雨をすぐに調べる必要はなくなった」

『そう、そして『新緑の従者』を調べる必要ができた。しかも、オレ達の敵になる可能性が高い相手だ。いや、もう敵といってもおかしくないだろうな』


 博信は頭を抱えて、しばらく考えた。


 そして、結論を出した。


「無理だ。相手が悪すぎる」

『同感だ』

「超能力者……それはさておいたとしても、大人数、しかも宗教団体だ。俺達だけでどうにかなる相手ではない」

『ああ、胸糞悪いが、もうここまでだろう』


 沈黙がおりた。どこからともなく幕を下ろされたのだ、後はしずしずと道具を片付ける作業が残っているだけだ。


 そのとき、博信は電話が来るまでに考えていたことを思い出した。


「そういえばな、――ああ、直接今の話と関係があるわけではないが」

『お、なんだ』

「木岐原時雨のドリームキャプチャーの配布が始まった時期と、『新緑の従者』がターゲットとやらを探しだした時期、それが被っていることなんだが」

『ん? ああ、確かに被っているな。ドリームキャプチャーが九月の終わり、いや中旬だったかな。それぐらいで、少し遅れてからターゲット探しとやらか』

「それで、明日はセミナーとか言ってたな。それで思ったんだが『新緑の従者』は木岐原時雨の動きに対してなんらかの反応を示した、ということじゃないのか」

『……どういうことだ?』


 声を鋭くして、慎也が言った。


「単純な話だ。要は『新緑の従者』は木岐原に復讐、もしくはそれに類することを企てているんじゃないかってことだ。普通なら、たかが個人に対して宗教団体が動くとも思えんが、『新緑の従者』は木岐原に対してそれだけの因縁があるだろう。幹部どころかトップの人間も殺されたんだろう」

『確かにそうだが……』

「それと、さっきも言った時期だな。『新緑の従者』がなぜ今になって活動を活発化したのかだ。それも、こんな雑なやり方をとってまで。大学生、高校生を雇って探させる? 馬鹿馬鹿しい、男女のグループを集めたいのなら芸能人でも使えばいい。宗教団体、しかもバックになにやら蠢いてるならそれぐらいできるだろう」

『奴らには確かにそれぐらい可能だろう。……だが、しなかった……なぜだ』

「お前もなかなか察しが悪いな。お前が言ったことだぞ、木岐原は常軌を逸していると、平然と日常を過ごせることがおかしい、と。それはつまり、『新緑の従者』は木岐原の足取りを掴めていなかった、どこにいるのかすら知らなかった、ということじゃないのか」

『――そうか、ドリームキャプチャーか! 奴らはそれで木岐原の存在に気付き、そして復讐を企てた』


 にわかに慎也の声が大きくなったが、慎也はすぐに声量を落とした。


「おそらく、だがな。木岐原がどんなマジックを使ったのか知らんが、超能力がどうのとべらべら話すような奴だ、自分の存在を隠すことぐらいわけないんだろう。そして『新緑の従者』が高校生やら大学生やらを雇ったのは、あわよくばその雇った人間達が木岐原に辿り着けるかもしれないと思っていたからじゃないか」

『おい、おいおいおいおい、これはいけるんじゃないのか』


 慎也の声は小さいままだったが、そこには興奮の響きがあった。


「いける? なにがだ」

『『新緑の従者』を潰す』


 思わず、眉根が寄った。


「お前、まさか木岐原に? 正気か?」

『オレ達だけでは無理だ、警察でもわからん。だが、いるじゃないか、過去にその団体を相手取って潰した人間が。なら、そっちを引き込む、ってのが道理だろう。しかも、その人間はオレ、いや、お前と今近い関係にあるわけだからな』


 博信はため息をついた。


「わかった。もう自棄だ、少しの間なら、付き合ってやる。追加料金はちゃんと用意しろよ。で、俺はなにをすればいい」

『明日の朝、そうだな、十時ぐらいに矢那慧の学校にいてくれりゃいい。追って連絡する。ああ、そうだ、木岐原の連絡先の確認をしたいんだが』

「知らんぞ」

『えっ』

「知らん」

『マジかよ。同じ部活なんだから電話番号ぐらい知ってるんじゃないのか』

「木岐原どころか、他の誰も知らん」

『マジかよ……。番号とメアドぐらいやり取りしろよ……。いざってとき役に立つかもしれんだろう。まあいいや、木岐原時雨の連絡先は一応調べてあるからな。よし、じゃあ頼むぞ』


 通話が切れたのを確認し、椅子にもたれかかる。本気で疲れてきた。

 日曜日を返上してまで、いったいなにをやっているのだろうか。


 最初は目覚ましのタイマーを八時半にセットしようとしたが、明日の夜セットし直すのを忘れることを危惧して、明日は携帯のアラームを使用することにした。

 起きられなかったらそのときはそのときだ、そのまま寝過ごしてやろう。




 翌日、朝十時きっかりに矢那慧についた。

 警備員が校門前に立っていたが、制服を着ていれば見咎められることもない。

 そのまま校門から校舎に入り、どうするかと辺りを見回す。なにもやることがない。


 ふと思い立って、スクライング研究会の部室へと向かう。

 校舎にはやはりほとんど人はいなかった。吹奏楽部の演奏は聞こえてくるが、せいぜいそれぐらいで、廊下で誰かとすれ違うこともなく、気配というものがおおよそ感じられない。

 生物部の部室前を通ると、中に人がいるのがわかった。

 とりあえず無視して、先に最奥に行く。手を掛けてみるも、開く様子はない。ここにいないということは、木岐原はいないということだろうか。


 携帯を見るが、慎也からの連絡はまだ入っていない。

 戻り、生物部の部室の前で開けるかどうか迷っていると、中から扉が開いた。


「それじゃ、ありがとうございました――」


 目の前で志築が博信に背を向け、中に向かって挨拶していた。どうやら生物部員に言っているらしい。

 そのまま、志築は博信に気づくことなく、前を見るのと同時に足を踏みだしてきた。


 危うくぶつかるところだったが、志築の肩を軽く押さえてそれを止める。


「っ……あ、え」


 驚きの表情で、目を何度か瞬かせながら志築が見上げてきた。


「前を見て歩いたらどうだ」

「は、はい……」


 博信が後ろに下がると、志築も廊下に出てきた。


「今日も活動しているのか。休みだと聞いていたが」

「いえ……あの、わたし、昨日携帯忘れちゃって……」


 両手を胸元で組み、指をいじりながら志築が言った。


「それは難儀なことだな。休みの日にわざわざ出てくる必要があるとは」

「生物部の人と、あと日野君と、番号交換してて……それで、あの……」


 そう言って、志築は博信を見上げてきた。博信に番号を交換しろ、そう言っているのだろうか。

 木岐原時雨との付き合いも切れることがわかった今、スクライング研究会の面々と馴れあう必要はなかった。


「それで、俺はそのことにどう感想を言えばいいんだ」

「……いえ、そんなことは」

「もう用事はないんだろう。帰るんじゃないのか」

「……はい」


 志築は頷いてみせる。しかし、動く様子がない。

 博信のほうに身体を向けたまま、俯いていた。何か言いたいことがある、そういう態度だった。


「なんだ、俺に用事でもあるのか」


 志築はびくりと身を震わせた。威圧的になってしまっただろうか。


「あ、あの……なにか用事があるのかな、って。学校にいるから……」

「ああ、そのことか」


 と言っても、説明できるようなことではない。

 そもそも、説明したくても、博信自身、なにを説明すればいいのかわからなかった。

 木岐原の力を借りる為に慎也に言われたとおり学校に来た、これは一体どんな状況だろうか。


「休日出勤、とでも言えばいいのか」


 窓からなんとはなしに見ていた中庭の風景に、出しぬけに違和感が紛れこんだ。最初はなにかわからなかった。


 しばらくし、それが制服姿でもジャージ姿でもない男が立っていることに気づいたからだということがわかった。


 妙な格好の男だった。黒い、奇妙な服を着ている。

 どこかで見た服だと引っかかりを覚え、目を細める。

 隣に志築が来た。横目で見ると、博信が何を見ていたのか気になったようで、不思議そうに外を眺めている。


 そして、志築が悲鳴をあげた。


「……どうした」


 志築は小さく首を振る。中庭に人が動く気配があった。

 男に誰かが近づいていく。確か、体育教師だ。

 何かを言っているようだった。制服を着ろ、なんだその格好は、と言ったところだろうか。


 演劇部の衣装である可能性もありそうだが、いったい何の服だろうか――その瞬間、教師の身体が吹き飛んだ。


 超能力、その言葉が脳裏に浮かんだ。

 矢那慧、木岐原時雨、そして『新緑の従者』。


 よもや、このタイミングで始まったというのだろうか。『新緑の従者』による復讐が。


 瞬時に全体を確認する。他に何かおかしな風景はないか、他にそれらしい人間はいないか。少なくとも、目に見える範囲ではいないようだ。


「伏せて!」


 志築が叫んだ。


 博信の視線が中庭にいる男とかち合う。

 すぐに伏せて、頭をかばった。直後、耳をつんざく轟音が鳴り、博信の目の前にあった窓ガラスがすべて割れた。


 数瞬、志築と二人で伏せていた。目の前の教室から人が飛びでてくる。生物部の蜷原だ。


「どうしたの……って本当にどうしたのこれ! なな、なにがあったの?」


 蜷原は廊下の惨状を見ると、混乱した様子で志築と博信を交互に見た。


「いいから部室に戻ってじっとしていろ! 鍵もかけておけ!」


 あれを放置しておくわけにはいかない。今日は葉子も学校に来るはずなのだ。あんな化け物と会わせるわけにはいかなかった。

 ガラスに気をつけて立ちあがり、中庭を確認する。

 男は姿を消していた。すぐに追いかけなければならない。


 踵を返し、階段へ向かおうとした矢先だった。志築が静止の声をあげる。


「待って! 折橋君、わたしも」

「なにを言っている」


 予知能力、そんなものがあったところで役に立つとは思えない。

 あの化け物を倒すことができるとでもいうのだろうか。


「助けたいの。見過ごすなんて、できない」

「助ける? 誰かが死ぬということか」


 志築は頭を振って答えた。


「それは、まだわからないけど……。あ、あの、こんな能力でも、今まで役に立ったから。わたしにも、なにかできるかもしれないから」

「お前に出来る事などない。そこの生物部と一緒に黙って隠れていろ」


 蜷原が「生物部ってわたしのこと?」と不満そうに言ってきたが、無視する。


「でも、折橋君に何かあったら……」

「それは俺が決めることだ。そもそもお前には見えないんだろう、意味はないはずだ」

「あの人がなにをするか、それはわかる」

「……」


 確かに、それは大きなアドバンテージになるかもしれなかった。

 少なくとも奇襲には遭わないということになる。


 なんにしてもいまは悠長に作戦を考える時間などない。こうしている間もあの男は動いている。


「いいか、自分の身の危険を察したらすぐ逃げろ。お前を守ってやる余裕などないからな」


 志築は力強く頷いた。教室ではあまり目立たず、ともすればいつ来ていつ居なくなったのかすらわからなくなるような女子だ。

 しかし、この事態におけるその力強い態度は、頼もしさを感じさせた。


 志築の指示によると、男は東棟から上ってきているとのことだった。階段を探すのに手間取っていたらしい。二階からこちらに向かうようだ。


 すぐに三階に昇り、東棟へと向かった。背後を取るのだ。


 棒を伸ばし、右手に持つ。三階から下を覗き、様子を窺う。まもなく男の姿が見えた。パーマが掛かっている。


 どこかで見た顔だと、そう認識した瞬間、慎也に見せられた写真の男であることに気づいた。信者のリーク写真に載っていた顔だ。

 あれは三年前に載せられていた写真だったはずだが、雰囲気はあまり変わっていない。どこか不安定そうな、気味の悪い男のままだった。


 志築に男が次にどう動くか聞くと、渡り廊下を抜けて行く、ということがわかった。

 真上からの奇襲はどうだろうか考えたが、渡り廊下の三階から二階に移るのは難しい。攻撃を当てることもできない。

 背後から忍び寄って一撃で叩くのが、最善の選択だろう。


 志築には二階の踊り場で待つように言い、博信は慎重に男へと近づいた。

 あまりに無警戒な男は、博信の接近に気づく気配はない。

 間合いに入る。踏みこみ、突きを打てば確実に入る位置に来たとき、一瞬の躊躇いもなく博信は一撃を放った。

 背中から脇腹を打つ。


 確実に、入った。

 やはり完全な死角からの攻撃は防げないようだ。


 男が吹き飛び、倒れかけた。

 壁にもたれかかるようにして起きあがり、博信を睨みつける。

 追撃ができる距離ではなかった。吹き飛ばし過ぎている。かといって、下がることもできない。

 博信は一瞬迷ったが、すぐに渡り廊下の塀を跳び越え、下の中庭に向けて飛んだ。


「貴様ぁ、よくもよくもよくも! いてえ、イテぇえんだよクズが!」


 博信が着地した直後、上方からあまりに奇妙な音が鳴り響いた。鉄が、歪んだような音だった。振り返って見上げる。


 渡り廊下が、崩れ落ちようとしていた。とっさに転がって遠ざかる。瓦礫に巻きこまれずにすみ、息を吐いたのも一瞬だった。

 崩れた渡り廊下から男が飛びあがり、ゆっくりと落ちてくる。滞空時間がおかしい。あれも超能力を使った移動ということだろう。


 すぐに脇にあった草陰に隠れる。

 位置関係を考えると、おそらく、こちらには気づいていないはずだ。

 このまま隠れてやり過ごし、また不意を打つ。それを繰り返せば相手を確実に消耗させられる。


 だが、そのとき。携帯が鳴った。慎也から連絡が入ったのだろうか。


 男の気配が動いたのがわかった。すぐに携帯を地面にすべらせ、反対側へと放りだす。

 そこには、遠目に教師の身体が横たわっているのがわかった。先ほど中庭から見えた教師だった。

 明らかに、死んでいた。頭と身体の左半分が潰れている。


 携帯の着信音は鳴り響いている。壁際まで行ったようだ。

 背後への一撃、携帯による誘導。上手くやれたと、そう感じていた。

 だが、次の瞬間、それは覆された。

 携帯が鳴り響いていた壁際が、ぎしっ、と音を立てた。そしていともたやすく崩れ落ちた。


 言葉を失った。

 教師の死体の時点で気づくべきだった、いや、渡り廊下……あるいはもっと前かもしれない。昨日、博信が戦った超能力者は、ただの濫造されたものにしか過ぎなかったのだ。


 だが、今、博信が相対している男は違う。

 少なくとも、三年より前から『新緑の従者』にいた、本物だった。昨日の超能力など、児戯でしかない。それは人を超えた破壊、人を超えた化け物だった。


 死を隣に感じた。

 そこに絶対の存在感をもって立ちはだかっている。お前を受け入れる準備は出来ているのだ、そう言って扉を開けている。悪い冗談だった。


「……やれやれ」


 最初はただの調査だった。それが、気づくと化物と命をやり取りするようになってしまっている。

 平凡な高校生を自負し、そのつもりでここまでやってきたのだが、この状況ではそうも言っていられないようだ。


「あぁ、もう死んだか、おい、死ぬなよお。貴様らは、このボクに触れちゃったんだから、罰を受けなくちゃならないんだよお、わかるかなあ、わからないよねえ、ゴミクズ共だもんねえ」


 声を聞きながら、距離と位置をはかる。携帯に近づくように歩いているようだ。

 こちらからは遠ざかる形だ。攻撃に踏み切るのは難しい位置関係だった。


 携帯のところまで行けば、あの男は死体がないことに気づく。

 そうなったらこちらの場所に気づく可能性は高い。それまでに移動しておく必要がある。


 ざっと周囲を見渡し、移動中に見つからないルートを探す。


 そのとき、志築の姿が視界に入った。階段から下りてきている。まだ男からは気づけない場所にいるが、あのまま一階に入ればすぐに気づかれるだろう。


 しかし、教えることはできない。志築が予知でそのことに気づいていれば良いのだが、こちらからは判断をつけようがなかった。


「ほらほら、もっといっちゃうよお」


 中庭の木が二本掘りかえされ、博信の携帯がある位置に向かって飛んでいく。鈍い音が地面を何度か鳴らした後、携帯の音は止んだ。壊れたのだろうか。


 そろそろ校舎の異変に気づいた人間もいるだろう。

 うかつな教師や生徒が様子を見に来るかもしれない。早めに何とかしたいが、突破口が見つからなかった。


 攻撃の当て方は、わかるようになっている。

 昨日の相手が良い練習台になっていた。

 だが、それでもあまりに機会は少ない。確実に一撃をものにする、それはつまり一撃の威力を上げるという事だ。

 一撃で殺せば、たとえ化け物が相手でも関係ない。


「どこの誰が相手でも、なにがなんでも殺されてやるな」、そんな言葉を師範から言われたことがあった。

 相手が殺す気で来ているなら、なにがなんでも死ぬな、と。

 それはつまり、相手を殺してでも生きろと、そういうことだ。


 だが、そんな覚悟など出来るはずもない。

 博信はそんな世界に生きていない。そしてなにより、恐ろしい。

 殺してしまうことが、ではない。本当に殺せてしまったときの自分が、だ。

 それを想像すると、胸が悪くなるような気がしてならなかった。


 棒を握ったまま、男へと意識を向け、精神を集中する。

 相手は化け物だ。

 それを理解、認識する。殺せないのであれば、徹底的に叩き伏せる他ない。


 志築の姿を確認すると、階段から下りて、廊下を進んでいた。

 男がいる方向とは反対方向とはいえ、あまりに危険な行為だった。

 直後、もっと危険な行為に出ている人間を見つけた。廊下から出て、中庭の惨状を見ながら呆然と突っ立っている女性教諭だった。博信のクラスで担任をしている茅原だ。


「な、なんなのこれ!」


 そして、うかつにも叫んでみせた。あまりの馬鹿げた行動に、いっそ、見殺しにしてやろうかと思ったほどだ。

 男を注視する。男は茅原の声に気付き、振り返って茅原の姿を認めると、残忍な笑い声をあげた。


「パーティのはじまりですよお、おねえさん。ボク、気がはやってはやって、もう殺したくてたまらなくて来たんだけどお木岐原時雨さんいないかなあ。まあいなければ全員殺してここでじっくり待つけどねえ」


 やはり、木岐原時雨はずいぶんと恨まれているようだ。

 パーティなら他所でやれと言いたいところだが、とち狂った集団に所属するとち狂った男に言ったところで梨の礫だろう。


 男が茅原を殺す前に飛びだそうとすると、そのとき、茅原の身体が別の小さい身体に押し倒された。

 二人が渡り廊下の瓦礫の影に隠れる。


 その影は、一瞬だったのでわかりづらかったが、志築のものであるように見えた。


 先ほど一階に下りてきたのは茅原を助ける為だったのだろうか。


 しかし、男の注意は茅原達が居る場所に向かっている。どちらにせよ、今のうちに抑えておかなければならない。

 すぐに背後に回り、棒を構え、次は頭を横から叩きつけようとした。脳震盪を狙えるかと思ったのだ。


 だが、その攻撃が止まる。その感触は、超能力によって止められたものだった。


 男が勢いよく振り返ったので、即座に身をかわした。男が不満げに眉をよせる。

 おそらく、振り返ったのと同時に攻撃したつもりだったのだろう。

 こちらの攻撃が読まれていたようだ。不意打ちを警戒したということだろうか。


 左足を半歩出し、棒を左手に持ち替える。


「めんどうくさいなあ、ほんとう、うっとうしいいなあああ、なんだろうなあこれはあ」


 ふと、男の顔に意識がいった。鼻の形がおかしい。いや、形というよりは、方向がおかしい。折れているようだ。


「おい」


 博信が呼びかけると、男は居丈高に見返してきた。


「ああ、なんだあ」

「男前だな。パーティ用のファッションか?」


 博信は自分の鼻を指し示しながら言った。


「あァああっ、死ね、死ねよクソがぶっ殺しちゃあああ」


 身体を線に保ちながら大きく左右に動く。攻撃が見えないのでかなりいい加減だが、それでもやはり避けることはできている。

 この超能力は一体なんなのかはわからないが、まったく対応できないというほどのものではない。


 隙を見て棒を使って突き攻撃をするが、届かない。

 真正面からどれぐらいやれるのか、一気に畳みかけたいところだが、目の前の男はとんでもない超能力を振りまわしている。

 こんなものに直撃したら半端な怪我ではすまないだろう。


 男の背後で、茅原が逃げていく姿が見えた。志築が上手くやったようだ。


 男を牽制しながら、じりじりと距離を詰めていく。そして正確に急所を狙える距離まで近づく。

 狙うのであればやはり胴体だった。もっとも当てやすく、もっとも危険が少ない。


 しかし、超能力が相手だといのは、やはり厄介だ。腹の部分というのは、身体の中でも意識しやすい。

 ということであれば、普段は意識しにくい場所に攻撃し、そちらに意識を集中させているうちに次の攻撃へと移ることになる。簡単ではないが、それ以外に手がない。


 地面が土なので棒をうち鳴らすことができなかった。大きな音は威嚇として優秀なのだが、場所を選ぶという欠点がある。

 小さく息を吸い込み、気合いの発声を放つ。


「阿ァッ!」


 踏みこみながら、棒を頭部よりさらに上に向けて突き出す。男はわざと外された攻撃に明らかに驚いた様子で、棒に意識を取られていた。

 同時に、鳩尾に前蹴りを入れる。直撃し、男ががくりと膝を突いた。そしてすぐに顔を上げ、博信を激しく睨みつけた。


 あまりに早かった。かなりの痛みだったはずだ。耐えたというのか。

 避けることはできなかった。真正面から見えない力で激しく吹き飛ばされる。


「ふっ――!」


 凄まじい勢いで後方に飛ばされ、博信は地面に背中をこすりつけられた。頭部を守るよう受け身を取り、体勢を立て直す。後ろにコンクリートが無かったのは幸いだった。

 十メートルと言ったところだろうか、身体が浮いたのは一瞬だけだったはずだが、浮遊感が身体にまとわりついている。


 だが、とっさに腕を前に出してしまい、棒が折れてしまった。完全にひん曲がっている。これではもう使えないだろう。


 棒を捨てて立ち上がると、男が蹲って腹を押さえている姿が見えた。今なら追撃もできる。

 一路駆けだすと男が反応し、顔を持ち上げた。

 すぐに回避姿勢を取るが、男は直接博信を狙うのではなく、男の近くにあった瓦礫を持ち上げて博信に向けて投げとばしてくる。牽制のつもりのようだ。


「ちッ、小細工を」


 脇にあった入り口から校舎に飛びこむ。瓦礫は壁に突っかかり、その場に落ちた。

 入り口が瓦礫で塞がれてしまった。ここから瓦礫をよじ登ってのこのこ出ていこうすれば、すぐに殺されてしまうに違いなかった。


 壁に身を隠すのは危険だ。あの男なら校舎を崩すことなどわけないのだ。


 ならば、上だ。


 すぐに二階へと移動する。すると、そこに志築がいた。


「無事だったか」


 志築は息を切らしていた。知らないうちに、走りまわっていたらしかった。


「あの人が、来る」


 息も切れ切れだったが、それは確実に危機を示す言葉だ。志築を窓際から遠ざけ、前に出る。


「どっちだ。上か、下か」

「中庭から直接」


 窓を覗くと、男は中庭で瓦礫の上に乗って辺りを見回していた。どうやらまだ博信を捜しているようだ。余裕があるからなのか、それとも単純に頭が悪いのか。動きが遅すぎて逆に読みにくかった。


 このままでは消耗戦になってしまう。渡り廊下を見る。途切れた廊下、そこから飛びおりればいい。あの男を一刻でも早く止めるべきだ。


 決断し、そちらに視線を向ける。


「わたしも、行っていい?」

「なにを言っている。駄目だ。お前を気にしながら、アレの相手はできん」

「大丈夫、なんとかするから。わたしには予知が――」

「うぬぼれるなよ、志築」


 博信は自分でも驚くほど突き放した声を出していた。


「お前はその力を使って人を殺せるのか。あの男のように」


 志築は目を泳がせた。


「そ、それは……だって、そんなこと……そういう力じゃ、ない……」

「アレとお前は、確かに超能力者なのかもしれない。普通の人間とは違うものが見えてるんだろう。だが、お前がアレと同じ場所に立つ必要は、まったくない」

「だったら、どうして折橋君があんな人を止めようとするの。折橋君は、普通の人なのに……」


 考えるまでもない。異常なものを正す、それこそが博信の求めるところだった。そして、それがあらゆる物事に取り組む動機だった。


「理不尽な暴力、そんなものが存在する世界は公正とは言えない。性分でな、俺は、そんな理不尽には、納得しないようにしているんだ」




 博信は渡り廊下に移り、下にあの男がいることを確認して飛びおりた。着地し、すぐに距離を取る。


「ああぁああよかったああ、めんどくさいことにならなくてよかったああ。貴様を殺すために全員殺してからあああさがさなくちゃああっておもってたんだよお」


 もう棒はない。不意打ちも、この状況では難しい。


 化け物相手に素手で立ち向かう、そんな事態が訪れる日が来るとは思っていなかった。


 足を軽めに動かしながら、精神を研ぎ澄ませる。


 本当なら合掌礼から始めたいところだが、そんな悠長なことを許してくれる相手ではないだろう。

 胸中で、礼の作法を行う。

 そういえば、誰かとやり合う前に合掌礼をするのは久しぶりだ。


 右足を前に出し、半身に構えた。


 男が不満を押しつぶすように歩み寄ってくる。博信を殺したくてたまらない、そういう顔だった。

 それはもはや殺気ですらない。ただの、純粋な欲求の発露だ。研ぎ澄まされているようなものではなかった。

 無骨な、幼稚な、ただの我が儘だ。


 本来なら、こんな馬鹿げた相手と戦うなど、あまりにおかしな話だ。相対することすらするべきではない。


 しかし、だからこそ、その理不尽な大きな暴力に対し、礼をしたのだ。男に向けてではない、あくまで男が持っている力にだけだ。


 持つべきものが持たない、持たざるべきものが持つ。

 力だけではない、そんな現実はどこにでも転がっている。

 だからこそ、正すのだ。

 現実がそうだからと、すべて受け入れることなどできない。


 男の全身から、意識が漏れでた。

 避ける。踏みこみ、突きを打ちこむ。届かない。

 もうそれはわかっていた。さらに、深く踏みこむ。真っ直ぐに手を伸ばすだけで届く、その場所にまで入りこむ。


 男はケラケラと不気味な笑い声をあげた。


「ばらばら、ばらばらにされたいいのおおおお。どうせ死ぬけどさああ、はやくボクの前で泣き叫ん――」

「阿ッ!」


 左手で熊手を胸に打ちこむ。男は呼吸が切れ、息苦しそうに顔を歪めた。


「がっ、あっっあっああっ」


 残心、構えを取る。右手の力を抜き、中段構えに移る。


「セッ!」


 即座に右手を引きながら流し、左足で中段回し蹴りをたたき込む。


 男が身悶えた。その目が理不尽を訴えるように嘆いていた。涙すら浮かんでいるように見えるのは、気のせいではないはずだ。

 暴力、それだけを持つ人間が、自分の痛みまで知っているとは限らないのだ。だが、まだ止めるわけにはいかなかった。


 攻撃の直前に、反撃する。それだけのことをただ続けた。


 思えば、おかしかったのだ。超能力でいくらでも攻撃し続けていれば、相手に反撃する余地など与えることは決してない。


 しかし、超能力者はそれをしようとしなかった。できなかったのだ。

 意識していない一撃が防御できないように、攻撃と防御を同時に意識することができない。だからこそ、攻撃を立て続けに行うことをしなかったのだろう。


 博信は、攻撃と防御を同時に行う技で男を叩きのめす。そして数回の一方的な殴打の後、男は仰向けに倒れ伏した。


 合掌礼を行い、構えを解いた。


 携帯はまだ生きているだろうか。壊れていたら仕方ないが、そうでなければすぐにでも慎也に折り返し連絡を取らなければならない。

 よけいな時間を食ってしまった。邪魔な木を潜り、携帯を探す。まもなく、丁度壁と木の根に挟まれる形になっていた携帯を見つけた。

 筐体に損傷はない。問題なく動いている。


 慎也に発信し、コールを鳴らしているときだった。


 男がふたたび立ち上がっていた。


「くそ、くそクソクソッ、なんなんだよ、なんだよお前はよおぉおおおお、ボクがボクがぼくがいてェえあああ死ねよぉおおとっとと死ねえ死んでくれよぉおおたのむよおおお!!」


 避ける暇がなかった。とっさに右腕で受け身を取ろうとしたが、その腕を木に抑えつけられ軋んだ。

 木が鳴る音と、骨が擦れ合う音が耳元で鈍く囁いていた。


 そして、一瞬後、骨が折れたのがわかった。

 即座に身体を木の下に滑り込ませる。逃げることができたようだった。


 殺しておくべきだった、一瞬だけそんな思考に染められる。

 いまのは、運良く助かっただけだ。殺されるぐらいなら、殺さなければならない。

 だが、それでは博信の力が理不尽を振りまくことになってしまう。それだけは、認められなかった。


 立ち上がる。相手は、ただ超能力を持っているだけの子供だ。

 年の頃は博信達と同じでも、まるでそこに至るまでの精神をもっていない。自分自身との力と向き合っていない。

 少なくとも、志築は超能力をもっていても、それを受け入れ、向き合っている。


 圧倒的な暴力、すべてを可能にする、あらゆるものを退ける力。憧れる奴がいるかもしれない、称える奴もいるだろう。

 『新緑の従者』はそうしてこんな子供を作った。


 だが、その結果がこれだ。

 たった一撃で砕かれる万能感、そんなものは虚構にすぎない。


 男はあの鼻が誰かに折られたとき、もう終わっていたのだ。


 力だけでは足らず、精神だけでは足らず。だからこそ、それを知らなければならない。

 死んでしまう前に。

 それが、理不尽ではなく、公正であるということだ。


 男の攻撃を足運びだけで避けながら、歩み寄る。


「つつぎは、左腕だああ、左腕ぶっ飛ばすぞおおいいのかああ」


 男が叫び声をあげる。


「心配するな、足があれば十分だ」

「くくくそ、クソ! あわあぁああああ」


 男はなりふり構わずといった様子で走り去ろうとしていた。


 まずい――このままアレを放りだすわけにはいかない。

 すぐに追いかけようと、足に力を込めたときだった。


 男の身体が吹き飛び、中庭に戻されていた。


「あ、あばああばあああが」


 呻き声のようなものをあげながら、男が顔面を押さえてその場でのたうち回る。


 男が逃げた方向、そこには、月見里京雅が立っていた。

 三年の昇降口方向、つまり、今登校してきたのだろうか。月見里は中庭に入り、周囲を見渡した。

 校舎の惨状になにかの反応を示すかと思ったが、とくに大きな反応はなかった。やがて博信を見て一度視線を止め、次に東棟二階を見上げていた。


 視線を追うと、そこには志築の姿がある。志築は博信を見ているようだった。

 窓越しに、視線がかち合う。左手で、奧に引っ込んでいるように合図した。


 ふいに、ずんと重い音がする。月見里の方からだ。身体を構える。


 男は倒れたまま、月見里をにらみつけていた。


「どけよどけよどけよどけよおおお死ねええええ!」


 月見里が標的になったのだ。とっさに、博信は大声をあげる。


「気をつけろ月見里京雅ッ! そいつは超能力を――」


 だが、すぐに気づいた。気づかされた。そんなものはまるで意味がないということに。


 月見里は何の痛痒もないことを示すように、ゆったりと、男に向かって歩き始めた。

 超能力を向けられたのではないのか。まだあの男が発動していないだけなのか。


「な、なんだよなんだよ、なんだよおおお、倒れろよおおシねよおおおお」


 いや、先ほどの音、あの男の調子からして見れば何かはしているはずだ。月見里を遠ざけようと、しているはずだった。

 だが、月見里はまっすぐ歩いて行く。ゆっくりと。


「まさか……」


 ゆっくりすぎる、遅すぎる。あの体格の男が歩くペースではない。

 月見里京雅の周囲にあるものがびゅうっと奇妙な音を立てて軋んでいく。


 月見里京雅はただ歩いているのではない。

 月見里京雅は超能力を受けている状態であるにも関わらず、普通に歩いているのだ。あの恐ろしい暴力を、身体をひたす水を掻き分けるだけだとでもいうように。


 巨体が、泣き叫びながら力を振るっていた男の身体を持ち上げようと手を伸ばす。触れることはできていない。男の意識が自分の身体を守ることに集中しているのだろう。


 だが、月見里のその腕が見えない力をねじ切るかのように、じわじわと男の首元に近づいていく。


 男の声から、かん高い悲鳴があがった。

 それは恐怖に他ならなかった。そして、男が感じていた恐怖の半分、あるいはもっと少ないのかもしれない、それを博信も感じていた。


 初めて、人間に怖気だった。

 直接、月見里と対峙しているわけではない。

 月見里と敵対している人間を見ている、それだけのことで途方もない恐怖を感じた。


 あの超能力者、男の力は化け物だと、博信はそう思っていた。とんでもなかった。


 今、その見えない力を抑えつけながら男一人を悠々と持ち上げている巨体の男と、普通の人間なら簡単に殺せるであろう超能力をもった男と、そのどちらが化け物だろうか。


 次の瞬間、持ち上げられていた男の身体が中空から殴り飛ばされた。

 地面と平行にその身体が飛んでいき、数メートル先にその身体が落ちた。もう意識があるようには見えなかった。


 しかし、月見里は殴った方の左手首をさすりながら、男に向かって近づこうとしていた。


 恐怖に打ち震える足を叩きつける。たとえあの男が相手であっても、これ以上はやらせるわけにはいかない。


「月見里京雅!」


 近づき、呼びかけると月見里は立ち止まって顔だけをこちらに向けた。


「そいつをどうするつもりだ」

「然るべき処置だ」

「誤魔化すな、はっきりと言え」

「ここで殺しておく」


 言葉を失った。殺すといったのか。


「……なぜだ。もうその状態だ、警察にでも突き出せば問題ないだろう」

「いくらどのような状態でも、この手のイレギュラーは生きている以上何をするかわからん」

「イレギュラー、だと」

「お前や、時雨のような人間だ。そして、そこの化物もな。お前達は秩序に影響を与えすぎる」

「――俺と木岐原が?」


 なぜそこで自分までやり玉に挙げられるのか。しかし、月見里はそう言いながらも博信に対して敵意を向ける様子はない。

 ただ、博信の意志を確かめるように見下ろしてくる。短いにらみ合いの後、月見里は男へと向きなおった。


 男は完全に意識を失っていた。

 あの一撃を受けて意識を失わないほど鍛えているのであれば、博信に負けることなど決してなかったはずだ。

 この状態の人間を手に掛けると言うのであれば、黙って見過ごすわけにはいかない。

 博信は片手で構えを取ろうとした。


 そのとき、大きな柏手が二回鳴った。上方からだ。きゃっ、と女子の悲鳴が上がる。志築の声だった。


 声につられて上を見ると、男子生徒が降ってくる。木岐原だ。


「まさかこんなことになっているとはな」


 木岐原は博信に身体ごと振り向いた。


「すまないな、もう少し早く来ていれば良かったのだが」


 そう言って、博信の腕を見る。


「死んでいないことにも驚きだが、よもや腕一本とはな。対超能力者戦を行った結果とは思えん。これで歪んだ現実の中で生きている人間だというのだから、恐れ入る」


 言動とは裏腹にまったく驚いた様子もなく、木岐原は楽しげに笑う。


「……慎也から話は聞いているのか」

「そうだとも。それを聞いてきたんだ」


 そして、木岐原が月見里に向き合った。


「さて、京雅。こちらから頼んでおいて悪いが、事情が変わった。後は俺がやっておく。問題ないな」

「……いいだろう」


 頼む、その言葉には聞き覚えがあった。木岐原が京雅に頼んだという犬の処分というのは、この男のことを指していたのだろうか。


「まずは校舎と博信か……ククッ、ハデにやったものだ。博信も噛んでいるのか?」


 二階渡り廊下全壊、一階東棟への入り口付近の壁が半壊、二階東棟、窓ガラス数枚が割れ、さらには中庭には瓦礫と木がひっくり返っている。

 よくよく見ると凄まじい状況だった。これをたった一人の男がしでかしたことだと、誰が信じるだろうか。


「『タイムリフレクト』」


 木岐原がそう言うと、一瞬、世界が暗転したように思えた。気のせいだったのかもしれない。しかし、その次の瞬間、渡り廊下が元に戻っていることがわかった。

 目を疑う。目を細め、一度閉じてからふたたび見直す。やはり、完全に戻っている。壁や木、ガラスも元通りだった。


 そして、博信の折れた腕、すり傷までも治っていた。


「……お前、何をした」

「以前、話しただろう、世界の塗り替えだ。いまのところ世界は一つだけだからな、大事にしなくてはならんだろう」


 木岐原は意識を失って倒れている男を見下ろした。


「もはや虫の息だな、これは」


 ふたたび、木岐原が『タイムリフレクト』と呟くと男が目を覚ました。かっと目を見開き、周囲を見渡す。すぐに木岐原と博信に焦点を合わせ、叫んだ。


「貴様ぁああららああああ、木岐原ぁあああっああ」

「なんだ、いったい」


 木岐原は男の敵意を訝しげに受けとめた。


「お前を痛めつけようなどという気はない。話があるなら聞いてやらんでもないぞ」

「かえせええええ、妹をかえせよおお」

「妹?」


 心底わからないといった口調だった。男が返せ返せ、とわめき立てる。

 木岐原はしばらく考えるような仕草を見せて、やがて言った。


「ああ、あの子か。残念ながらそれは無理だ。諦めろ」


 しかし、男は木岐原の言葉をまるで聞かずに叫び続けるだけだった。超能力はどうしたのだろうか。

 木岐原にも、博信にも意識が飛んでくる様子はない。ただのごく普通の青年のように、降りかかってきた理不尽な力に対して叫んでいるような姿だった。


「まあ、これ以上は意味がないか。君に喜ばしい現実が訪れることを祈っているよ、ではな」


 木岐原が指をパチンと鳴らすと、超能力者の男は一瞬のうちに姿を消した。

 いったい、何が起きているのか。

 博信は言葉も出せずに呆然とその様子を見ていた。校舎は一瞬で修復される、傷は治る、男は消える。気でも触れてしまったのだろうか。


「ククッ、心配するな」


 混乱する博信の肩に、木岐原が馴れ馴れしく手を乗せてきた。


「おかしいのは君ではない、この現実そのものだ」



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