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第六章§襲撃者

 土曜日の半日授業を終え、放課後、博信は日野と志築に今日は部活を休むと告げて学校を出てきた。


 今日は慎也から言われていた合コンの日だった。


 一度家に帰り、荷物を取ってから香里駅へと向かう。さすがに他校の制服を家で着てから出かけるわけにはいかなかったので、香里駅のトイレで着替えることにした。


 今日の合コンは、慎也が請け負った他の仕事に必要なことらしいが、その詳細までは聞いていない。

 博信の仕事は、荒事になったときに相手を締め上げるというものらしいので、そこまでやれば十分ということだろう。

 制服と偽の生徒手帳は、警察沙汰になったときの保険として用意したとのことだった。

 つまり、ここまでお膳立てしているのだから、思う存分相手を叩きのめせ、とそういうことだ。

 やっかいな仕事を振ってくれるものだった。


 雛橋大学付属の制服を着て、香里駅北口に行く。時間帯のおかげで学校帰りの生徒が多く、制服姿でも特段目立つということはなかった。

 生徒手帳の名前『渡辺博嗣』を改めて確認し、間違えないように何度かつぶやく。

 思った以上に頭に入って来づらかった。偽名を使うというのは、楽ではなさそうだ。


 やがて慎也とその連れである雛橋の男子生徒がやってきた。

 福川純と名乗った男子は、やけに明るいが気安いというわけでもなく、接しやすそうなタイプの男だった。


「今日はよろしく頼むな。ええと、博信ってのが本名で良かったんだっけか」

「いやいや、こいつは今日一日『渡辺博嗣』で通すからな。そっちで呼べよ」

「おお、『博嗣』な。おーけぃ、事情は聞いてるから、そっちはそっちで心置きなくやってくれ。俺は女の子をしっかり見定めておくことにするわ」


 ぐっと握り拳を作りながら、福川が言った。

 外見からしてさわやかではあるが、しゃべり方もなかなかに爽快で、気持ちの良い男だ。


「慎也、今日の一度で終わるかどうかはわからないんだな」


 慎也が頷く。なにやらこの合コンは撒き餌に過ぎないようで、そこに掛かる奴を狙っているもののようだった。

 最近、男女のカップルを狙った謎の集団が活動しているらしく、その裏にあるものを引きずり出したいらしい。


 複数の男女がいるグループを狙う、奇妙な話だ。

 ただのナンパにしては陰湿ではあるし、なにより犯罪行為に直結しそうなものだが、強盗や強姦といった直接的な犯罪は起きていないとのことだった。

 その為、警察は動いておらず、動きたくても動けないらしい。


 襲撃された男女のグループは別々の場所に連れて行かれ、その後普通に家に帰されているようだ。

 被害者に話を聞いても要領を得ることがなく、何をしていたかわからない。

 だが、特に暴行の後はなく、金銭を奪われた様子もなかったらしい。

 しかも、その後、生活上で何の変化もないという。まるで狐が人を化かすような事件だ。


「俺としちゃ、一度で終わらないで欲しいもんだがね。冬休みいっぱいならいくらでも手伝えるぜ。なあ慎也、他の学校の女子とも合コンできるんだろ」


 満面の笑みといっていいほどわかりやすい顔で福川が言うと、慎也は苦笑した。


「セッティングはまだだが、向こう三回分ぐらいは目星はつけてる。知り合った女とは好きにやってくれて構わんよ。てか、今日解決したとしても、そっちはそっちでお前に紹介してやるから、心配すんな。こんなことに付き合うのを頼んでいるわけだからな、そこまでがお前への報酬だ。だから今日は今日でしっかりやってくれよ」

「お、マジかよ。やべえ、ハーレムいけるわ」


 あまりにコミカルな仕草を加えながら話すものだから、博信も思わず噴き出してしまった。


 明上学院の女子と合流したのは駅構内からアミュプラザに繋がっている入り口だった。

 相手は同い年ではなく全員二年の女子のようで、福川がそのことをネタにして笑いを取っていた。


 適当に店を歩き回った後、一時間だけカラオケに行くことになった。

 慎也が言うには、とにかく動きまわってターゲットが引っかかるのを待つとのことだったが、なぜカラオケにまで行く必要があるのか。

 文句を言うような立場ではないので、黙ってついていくより他ないが、中での女子達とのやり取りにはさすがについていけなかった。

 ただ、慎也と福川が盛り上げてくれるおかげで博信が喋らずにすんでいるのは助かっていた。



 カラオケで手洗いに立ち、男子トイレの鏡の前でため息をつく。想像以上に疲労が溜まる。



 トイレに人が入ってきたのが鏡越しに見えた。福川だ。カラオケの店内では音がうるさすぎて、足音があまり聞こえない。


「『博嗣』疲れたのか。大丈夫か」

「いや、問題ない。どうしたんだ」

「ちょっと遅かったからな。腹でも下して神に祈ってんのかと思ったよ」

「なんだそれは」


 福川は小便器で用を足しながら真面目くさった声で言った。


「え、祈らねえ? 『神は死んだとか言ってマジすんません、もう二度と言わないから許してくれ!』ってな感じで。で、出たら『クソが、神の野郎覚えてろよ』とか言ってんの」


 なんとくなく理解できてしまい、思わず笑いが出た。


「神との最終戦争の日も近いな」

「そんときは先陣を切る覚悟だ。女神に片っ端から飛びついてスリーサイズを測定してやる」

「お前は最後まで生き残りそうだな」

「当然だ。俺の命綱はコイツを経由しているからな」


 と、目線を下に向けて見せる。


「不肖の息子だが、俺の信頼を裏切ったことは一度もない。射的の腕はまったくあてにならんけどな」


 二人して馬鹿笑いした後、部屋に戻っていると合コン相手の女子が一人、廊下の壁に寄りかかって立っていた。


 福川が話しかけると、どうやら『博嗣』に用事があるらしいことがわかった。

 福川は人の良い笑みを見せ、博信に合図でもするように軽く手をあげてから部屋へと戻っていった。


「それで、どうかしましたか」


 できるだけ、愛想良く振る舞う。普段、女子から嫌われることの多い博信だが、できるだけ言葉を丁寧にするだけでも印象は変わるはずだ。

 女子は博信の目を意識して笑ってみせた。どうやら、男を相手にするのはかなり慣れているように見える。


「カホがね、純君のこと気に入ったみたいで一緒に抜けたいって行ってるの。だから、博嗣君、私達も二人で出ない?」


 博信に顔を寄せ、囁きかけてくる。背筋に嫌な汗が流れた。

 博信が女に慣れていない、ということもあるが、非常にやっかいな事態だった。

 どう返答すれば上手く逃げられるのか、まったく思い浮かばない。個人的なものであればどうとでも応えられるのだが、今回は彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。


「……どこか行きたいところでもあるんですか」

「どこがいい?」


 柔らかく笑って、女子が即答してきた。顔だけではなく身体まで近づけてくる。

 危うく舌打ちが出るところだった。この女は頭がおかしいのだろうか。こちらが希望を聞いたのに、なぜ聞き返してくるのだろう。


「……嬉しいお誘いですけど、今日はこのままみんなでというのはどうですか。あまり手持ちにも余裕がないので」

「お金のことなら大丈夫。おごってあげるから」


 なんだこの女は。そこは食い下がる場面ではないだろう。口実だとなぜ気づかない。

 どうするべきか迷っていると、廊下の先から慎也が姿を見せた。博信と女子の状況を見て肩を竦めた。女子は博信に視線を向けているので慎也には気づいていない。


 目で合図を送ると、慎也がこちらに歩み寄りながら言った。


「なに、ユキちゃん、そいつ連れてくの」

「えっ」


 女子は振り向くと、すぐ近くにまで寄ってきていた慎也に驚いて目を丸くしていた。ここで口を出しても意味がない。慎也に相手を任せ、博信は様子を窺った。


「ああ、慎也。出てきたの」


 女子はいかにも迷惑だという声で慎也を迎えた。


「気に入った?」

「どうでもいいでしょ」

「ところが、そういうわけにはいかないんだ。『博嗣』はあんまり女慣れしてなくてね、今日はコイツを慣らすって目的もあるんだよ。悪いけど、今日いきなりってのはね」


 慎也は気安く肩を組んでくる。振り払いたかったが、話の流れを任せているので、仕方なくそのままにさせておいた。

 女子は「ふうん」と楽しげに『博嗣』を見た。


「そうね、じゃあ来週の土曜日にでも。なんなら明後日でもいいけど」


 と言ったかと思うと、携帯の電話番号とメールアドレスを教えるように言ってきた。

 名前はともかく、携帯の予備などない。教えるわけにはいかなかった。


 慎也もその事情を察し『博嗣』は携帯をまだ持っていない、バイト代が入ったら自分で買う予定らしいと説明してみせた。

 女子は驚いていたが、疑っているわけではないようだ。


「へえ、かっこいいね。ちゃんと自分で払うなんて」

「律儀っつうか、気概があるっつうか、大したもんだろ。ま、そういうわけで、不服かもしれんがそれまではオレを通してもらえるかね。ついでにまた他の女の子を紹介してくれよ」

「……すみません、ユキさん」


 慎也が畳みかけたのを見て、博信が続けると、女子はにっこり笑って「いいよ、気にしないで」と答え、部屋に戻っていった。


 廊下を曲がったのを見て、安堵の息をつく。


「……はあ、やれやれ。まいったな」

「おいおい、『博嗣』さんよぉ……」


 慎也は肩を組んだまま、ぼんやりと呟いたかと思うと、空いた手でデコピンしてきた。


「純が俺に伝えて言ってくれなかったらアウトだったじゃねえか。お前は早急に女を扱えるようになる必要があるなあ」

「お前のようにという意味なら、さすがに出来る気はせん」

「オレのようにとは言わんよ。だいたいオレの女の趣味は知ってんだろ」


 慎也の趣味というのは、アニメやゲームのキャラクターを好んでいることを指して言っているのだろう。

 詳しいことは知らないが、慎也は二次元の美少女というものが好きらしい。


「オレが三次の女を扱えるのは、用途に見合った道具としてしか扱っていないからだ。ま、自分で言うのもなんだが、そこまでやるとさすがに非人道的だし、お前にそんなことまで求めんさ。だが、もうちょい立ち回れるようにしとこうぜ。今回の件が終わったら、お前の好みの女でも探すから、ちょっと女で遊んでこい」

「いらん。だいたい、お前が俺に回す仕事を考えればいいだけだろう」

「そりゃそうだけどさ。よくよく考えてみろよ、世の中には男と女が存在して、しかも割合は似たり寄ったり。上手く女だけを避けられる仕事があると思うか?」

「……わかった。次からは改めよう」

「お、じゃあ、紹介するか。それともさっきの子にしとくか」

「いや、次からは女が相手でも的確に実力行使に移る」

「アホかお前は」


 慎也が盛大に肩を落とした。

 敵を敵として見極めた上で、女が相手でも叩き潰すというつもりだったのだが、何か問題があるのだろうか。



 カラオケから出た後、女子の希望でアミュプラザの店舗をしばらく回り、最後は慎也の提案で喫茶店に向かった。

 さすがというべきか、慎也の選択だけあって、その喫茶店は上品で洒落た、女子が好みそうな雰囲気だった。


 福川は上手くやったらしく、一人の女子とかなり仲を深めたようだった。

 しかし、かといってその一人に集中するでもなく、全体の盛り上げを忘れないようにしていたあたり、とても博信には真似できない立ち回りだった。


 喫茶店を出たときには午後五時半近くなっていた。慎也の合図で少し遠回りをして香里駅へと向かう。

 しばらく歩いたところで、博信は背後に気配を感じた。

 肩越しに視線だけで確認すると、どうやら制服を着た高校生から尾行されているらしいことに気づく。


「慎也、釣れたようだ」


 博信の言葉に全員が注視したが、理解できていたのは慎也と福川だけだった。


 慎也はルートを変え、表通りから外れた道へとそのまま向かった。人の通りが少なくなる。 慎也はだんだんと歩くペースを落としていた。

 後ろから男達が迫るのがわかった。


 そろそろか、と思ったとき、後ろから威圧的に「おい」と声がかけられる。


 いつでも反撃できるように身体を半身ずらして警戒していたが、いきなり殴り掛かってくるわけではないらしい。ずいぶんと甘いやり方だった。


「ん、なにか?」


 慎也が冷静な調子で答えた。


 男達は四人で、見覚えのある黒い学生服を着ていた。

 確か、どこかの工業高校の制服だ。だらしなくズボンを下げているところと、整髪料でがちがちに固めたと思われる髪が特徴的だった。

 背は似たりよったりで、平均はやや低いようだったが、一人だけ一八〇を超えていると思われる男がいた。

 腕も太く、筋力がありそうだ。もっとも警戒するべきはこの男だろうか。


 煙草を吸っている男が二人いた。

 そのうちの一人が、慎也に因縁をつけて迫ってきた。


「女ぞろぞろ連れていいなあ、おい。ちょっとこっちにもくれよ」


 凄まじい口上だった。思わず目が丸くなってしまった。

 慎也の傍にいた女子は福川のほうに逃げ、一番後ろに回っていた。

 こういういかにもな口上を恐れるのは、ある意味お嬢様らしいということだろうか。


 慎也はふっと笑って答えた。


「ええ、構いませんよ」


 噴きだすところだった。何を言っているんだこいつは。

 戸惑っているのは博信だけではない。女子も信じられないといった顔で慎也を見ており、それどころか絡んで来た男達まで唖然としていた。


 慎也に目で問うと、どうやら少し待てと言っているようだった。何か考えがあるらしい。


「ナンパしたいってことでしょう。じゃあ、彼女達に直接声かけてみたらどうですかね」


 慎也がそう言うと、男は「お、おう」と返答に困りながらも頷いていた。


 因縁をつける為に一人で前方に出てきた男は、後ろに下がって他の男達と相談しているようだった。

 内容はわからないが、どうすればいいんだと困惑しているようだ。


 博信の隣にいたユキという女子は不安そうな顔で「ねえ、逃げようよ」と小声で言ってくる。後ろに下がっているように指示すると、黙って後ろにいた福川の背後へと回った。


 男達のほうでは話がまとまったらしく、先ほどとは別の男が前に出て言った。


「いいから、テメエら全員ちょっと来いや」


 女が目当てではなく、男にも用がある、と。

 財布を要求しないところを見ると、金目当てでも無さそうだ。


「ビンゴ、だな」


 慎也が博信に視線を向けた。制服の中に仕込んでいる棒に手を掛ける。


「じゃ、ちょっくら話を聞かせてもらおうかね」


 慎也が歩み出ると、前に出てきていた男がその胸ぐらに手をのばそうとする。

 しかし、博信の攻撃のほうが圧倒的に早かった。博信は真正面を向いたまま左手に持った棒で男の真横からふくらはぎを突き、右手に棒を持ち替えて足を引っかけ男を転ばせた。

 慎也が悠々とその男を確保する。


 後ろにいた三人は、何が起きたか理解するまでに時間を要していた。彼らの意識は話を受けていた慎也にしか向かっていなかったのだ。

 それはあまりに無様で、あまりに不用意な認識の遅さだった。


 博信は男達の横に回るように軽く外側へと一歩を踏みだし、右手に持った棒をそのまま薙いだ。右手側にいた男の胴体をはじくと、博信のほうへと身体が倒れこんでくる。

 そこに足刀蹴りをたたき込んで男を吹き飛ばした。残り二人になり、やっと男達は自分の状況と敵の状況に気づいた。

 構えたのは最初に因縁を吹っかけてきた男だった。空手だろうか。堂に入った構えだった。

 もう一人の、背が高い男はそのまま突っこんでくる。助走をつけて右手で殴りかかるつもりのようだった。

 男の攻撃を待ち、左手で軽くいなし、棒を一端離した右手で顎に熊手を打ちこむのと同時、左手で棒を持ち直す。倒れかかっていた巨体の手首を右手で掴んで捻りあげ、腕に一撃を加えて地面に転がした。


 残った一人は、慎重ではあったが、それだけだった。構えを取ってはいるものの、棒を握っている博信のどこに気をつければいいのか、どう動けば博信に攻撃できるのか、それがまるでわかっていない。

 足は固まっており動く様子はない。半歩進み、棒を地面に叩きつけて激しくうち鳴らす。

 男がびくりとその肩を震わせるのを見て、一気に踏みこみ、胸元を取って身体をねじり上げ、ビルの壁に向かいあうようにその身体を押しつけた。

 悪態をつく言葉がその口から漏れる。そのまま技を変え、喋ることができないように顎を拘束する。


 周囲をざっと確認した。慎也が倒れた男達を縛りあげている。後ろには福川、女子三人。

 他には敵はいないようだ。


「純!」


 慎也が声をあげると、福川は頷き、手を広げて女子達を押すようにして人通りの多い場所へと案内し始めた。


「さあさあ、こっちこっち。血に飢えた猛獣共は放っておいて、お家に帰ろうじゃないの」


 誰が猛獣だ。馬鹿らしいことを言う背中を見送っていると、福川は肩越しに振り返り、博信に向けグッとガッツポーズをしてみせた。なんのつもりだろうか。

 慎也が男達を縛り終えるのを待ち、残った一人に質問することになった。

 身体を壁に押しつけたまま、痛みがないように左腕を捻りあげる。


「んじゃ、質問するが構わんかね」


 慎也が言うが、返事がない。唸り声が聞こえるだけだ。

 そうだろう、喋ることができないようにしている。


「喋らせたほうがいいのか」

「ああ、ちょっとな。取っかかりが欲しい」


 慎也の了解を得て、顎を解放する。壁に顔面を押しつけている為、こちらに目を向けることはできないので、男の方から博信達の顔を確認することはできない。


「クソッ、クソ! お前らなんなんだよ!」

「……答えれば何もしない」


 そういうことでいいだろう、と慎也に目で尋ねると、慎也が頷いた。

 博信は抑揚のない声で告げる。


「今、左腕にさほど痛みはないだろう」

「……」


 男は黙り込むが、それが何より雄弁と答えを示していた。腕の軸をずらし、痛みをだんだんと加えていくと、男が悲鳴をあげた。

 これ以上やれば骨に影響がでるというところまで曲げる。一段と、悲鳴が大きくなった。そこで止め、ゆっくり戻す。

 男が荒い息を吐いていた。


 そして、博信は同じ台詞を繰り返した。


「答えれば何もしない」


 もう抵抗はなかった。


 なぜこんなことをしでかしたのかはわからないが、これ以上は彼自身に危害が及ぶことになる。

 どんな人間でも、自分自身がターゲットにされ、自分が痛めつけられるという事実を目の前にすれば、どんな形であれ、状況に応じるようになるものだ。


 男の様子を見て、慎也が質問をはじめた。


「さて――お前達は何度こんなことをした」

「……これで十回ぐらいだ」

「お前達以外にも同じことをしている人間がいるのか」

「知らない、俺達は俺達だけでやってた」

「ほう。いつからやっていた」

「十月の……半ばあたりからだ」

「どれぐらいの規模でやっている。お前達と同じことをしているグループの数はどんなもんだ」

「わからねえよ……この辺りで何度かそれっぽいのを見かけただけだ。本当だ、信じてくれ」


 疑ってもいないのに、男は懇願するように言う。


「なぜこんなことをした」

「……」


 返答が滞った。博信が左腕を軽く傾けると、男が痛みに呻き、やめてくれと叫んだ。


「頼まれたんだよ、やりたくてやってたわけじゃない」

「やりたくてやったわけじゃない? 脅迫されていたとでも言うのか」

「そうだ」


 慎也がため息をつき、博信に合図をしてくる。どうやら痛めつけろ、ということらしい。

 先ほどより強めにやると、男はいきなり謝りだした。


「話せねえんだよ、頼むから許してくれ。話したりしたら俺、ぶっ殺されちまうよ」

「なあ、こんなことにオレは時間を費やしたくないんだよ。お前もそうだろう。嫌な事はとっとと終わらせちまおうぜ」


 慎也が男の髪の毛を掴み、頭を持ち上げる。男が苦痛を訴えた。


「心配しなくても他言したりしない。お前のお仲間の、こいつらのこともだ。オレが用事があるのは、お前らみたいな奴じゃなく、お前らの後ろにいる奴なんだよ。わかるだろ」


 その口振りを聞く限り、どうやら慎也には後ろにいる奴とやらに見当がついているらしい。

 なら、なぜこんな回りくどいことしているのだろうか。想像を重ねながら、黙って慎也のやることを見守る。


「っち、しゃーねえな、質問を変えてやる。お前らはいつまでこれをやり続ける、いや、いつまで続けろと言われたんだ」

「そんなの、言われてねえよ。知らねえよ」

「こうやってグループを襲撃してどっかに連れて行くこと以外に、頼まれたことはあるか」

「ねえよ……俺達がやってるのはこれだけだ」

「お前の明日の予定は」

「何だよ、それ」

「何も聞いてないか」


 慎也は息を長く吐きだした。


「一応アドバイスしといてやるけどな、とっとと手を引いたほうがいいぞ。お前、いや、お前らの雇い主はお前が考えている以上に危険な相手だ。まあ、お前らのことなど知ったこっちゃないし、無視しても構わんがね」


 男は何の反応も示さなかった。

 その沈黙には、敵意しか感じられない。慎也のアドバイスは男に届かなかっただろう。


 慎也が紐を取りだそうと鞄に手を入れたときだった。


「『博嗣』君!」


 叫び声が聞こえ、そちらに目をやるとユキが姿を見せた。一人だった。


 慎也が「どうして戻ってきた」と厳しい口調で言うも、ユキは焦った様子で息をつき「純君が……」と悪夢にうなされるような声を出した。


 尋常ではない事態が起きた、そう感じさせるには十分だった。


 慎也もそれを察し、博信に「そいつはもういい」と告げ、ユキに福川のところまで案内するように言った。

 ユキが肩で息をしながらも走り始めると、慎也がすぐに後を追う。


 博信は男を地面に転がし、起きあがろうとしているところに「構えて迷ったら、自分の動きだけ繰り返せばいい」とだけ言い残して、慎也達に遅れないように走りだした。


 よけいなお世話だろうか。

 そうだろう。だが、相手を倒せるかどうかよりも、一撃を放てるかどうかのほうがよほど重要なのだ。

 彼はそこで手を止めてしまった。

 博信に届かなくても、一撃を放つべきだった。

 でなければ、自己にさえ肯定されなかった力は、無力となって本人にのしかかってくる。

 そういうものだ。



 まもなくそれらしい場所に来ると、ざわめきに不気味な感情が渦巻いているのがわかった。

 人だかりにすら成りきれていない奇妙な列は複数の方向にわかれており、それは居合わせている人々の胸中を正確に表現しているように見えた。

 博信達が走る方向とは逆へと走っていく人がいる、遠巻きに見ながら、少しでも目の前の出来事を知ろうと顔を突き出す人がいる、足を止めて呆然とする人がいる。


 その中心に、大きな空白があった。


 人が一人、立っている。細身の男だった。

 一見、何の変哲もない、それこそ博信と同じ制服を着ていれば当然のように学校に通っていそうな若い男が、白い僧衣のようなものを着て、へらへらと笑っている。


 その視線の先。福川が中空に浮かび上がり、だらんと腕をぶら下げていた。

 人間ではなく糸繰り人形だと言われれば、信じざるを得なかっただろう。

 それほど信じがたい現実が漂っていた。


 だが、今、博信は驚くほど自然にその光景を捉えていた。

 超能力――受け入れる。あの男が何かをしている。人の姿に在り、人に在らざる力を振るっている。

 ほどなく、慎也も同じ結論に達したようだった。


「博信!」

「わかってる」


 真正面を取らず、男の右側面から背中に回り込むように走る。

 しかし、男も当然気づいていた。右手に持った棒を振りあげながら前方へと受け身を取り、一気に距離を詰め、すれ違いざまに身体を右回りに半回転させ膝を狙う。


 避けられる距離ではなかった。男は避けなかった。


 追撃に移るはずの手足が鈍い空気に包まれ、勢いが消えた。棒も届いていない。

 反撃に対応する為、とっさに身を引く。手応えの無さから、男に防御されたのだろう、そう考えたのだ。


 だが、男は一歩も動かずその場に立っている。


「なんだよぉ、お前は……」


 焦点の合っているかどうかわからない、血走った目が博信を捉えていた。そんなものを受け取ってやる必要はない。

 即座に軸をずらし、中段回し蹴りを放つ。


 当たる――しかし、今度も届かなかった。


 まるで見えない壁に阻まれるように勢いが殺されていた。足を戻し、体勢を立て直す。


 身体を動かしながら、同時に頭の中で知っている限りの超能力についての知識を総動員する。


 すぐに思いついたのは、念動力というものだった。

 手に触れずに物を動かす。空中に浮かせる。何が出来るかは問題ではない、問題は、それがどのように作用し、物を動かしているかだ。どうやって攻撃を弾いているのか。


 背後で、どさっと音がした。意識が逸れようとするのを抑え、左足を半歩前に出して受けの構えのまま、目の前の男が向けている意識に集中する。

 人の声が邪魔だった。


 どこから何が来るのか、それを見極めようとした瞬間――それはまったくの不意打ちだった。


 真横から、胴から上半身にかけて掛かる衝撃があった。身体が浮かび上がる、そう直感する。


「邪魔なんだよぉ……」


 男は博信を見下すように突っ立っている。へらへらと笑いながら。


 空を左手で切る。

 何もない。衝撃は消えない。

 身を引いて距離を取る。身体が解放される。


 見えない位置からの攻撃、気配のない攻撃、その程度は何度も受けたことがある。身体がすぐに反応する。

 だが、実体のない攻撃、そんなものが存在するのだろうか。


 ――今のは何だ、何に攻撃された。


 にわかに意識が男のことではなく、男の武器へと移る。少なくとも男の動きに不自然なところはなかった。

 念動力、見えない力。空気の固まりのようなものが飛びかって博信を狙っている、そうなのだろうか。


 数瞬のちに襲ってきた衝撃を、もう一度手で斬り払おうとしたが、やはり出来なかった。

 身体を逃がす。触れられるものではない、それは確実のようだ。


 男の向こう側、後ろから大声を上げながら人の波をかきわけてくる姿が見えた。警察だろうか。

 先ほどから集っている人達の誰かが呼んでいたとしてもおかしくはない。


 もう一度、男へと距離を詰める。


 打撃が阻まれるのであればその身体を直接抑えるまでだ。

 男の視線に気をつけながら見えない衝撃を逃がし、上腕を捕まえようとする。しかし、届かない。身体に触れることができなかった。

 手に衝撃が襲いかかったというわけではない。まるで、男の回りに何か身を守っているものがあるとでも言うような……。


 ふたたび、すぐに身を引く。棒を持ち直して、棒のロックを外して畳む。


 ここまでだ。


 これ以上の騒ぎの中では、警察にまとめて捕まる可能性がある。


 男の意識に注意しながら人混みに飛びこみ、その場を離れた

 肩越しに振りかえる。警察が三人、男に迫っている姿が見えた。


 慎也の下に行くと、ユキや他の女子と一緒に、壁際で倒れた福川を寝かせていた。


「逃げるぞ、警察が来た」


 慎也に寄り、すぐに告げる。慎也は頷いた。

 慎也が女子達に帰るように指示する、今のうちなら無事に帰れるはずだ、と。

 駅に行くように言うと、女子達は混乱しながらも言うことを聞き、人混みから離れるように駅へと向かっていった。


 慎也をどかし、福川の調子を見る。

 博信が男と交戦している間に解放され、地面に落ちたところを慎也がここまで引きずって連れてきたらしい。

 意識は無いが、脈は問題ないようだ。

 右腕が折れていることが一目でわかった。だが、それ以上の傷はわからない。少なくとも、左手と両足は問題ないようだ。


 どのみち、ここにいる意味はもうない。慎也が福川の左手を取り、担ぐようにして移動を始める。

 博信は人をどけ、道を確保した。救急車の手配は、慎也がすでにすませている。大通りにまで出れば、救急車にもすぐ運び入れることができるだろう。


 問題は――後ろを意識する。


 あれがすぐに抑えこめられるかどうかだ。警察三人なら大丈夫だろう、そんな感覚はあった。

 実態はよくわからないが、少なくとも念動力とやらにはそれほどの脅威はないように思えた。

 博信一人でも立ち回れたのだから、捕縛のプロである警察三人掛かりなら、最初は戸惑ったとしても問題ないはずだ。

 理屈の上では、そう思っていた。だが、どこかから、その結論に警鐘が鳴らされていた。


 福川を見る。見た目には右腕だけだが、気絶までしているのだから、体内にどんな怪我があるとも限らない。


「慎也、あれは『新緑の従者』の人間なんだろうな」

「だろうな」

「なぜここにいる」

「この場合、オレの予想が当たったってことだろうな」


 慎也はしばらく言葉を整理するように空を仰ぎ見て、やがて息をついた。


「奴らの雇い主は『新緑の従者』だろう。その使い、駒、なんでもいいが、そんなのがちょうどこのタイミングで出てきたわけだ」


 慎也が先ほどの男に告げた言葉を思い返す。なるほど、あれはそういう意味だったのだ。


 人の波が割れるように、また、散らばるように人がばらけていく。

 固まりが剥がれていき、その中から警察官の一人が宙を舞い、ビルの窓ガラスを突き破って建物の内側に何らかの力によって叩きこまれている姿が見えた。


 人混みの中に、先ほどの工業高校の男達がいることに気づく。紐を解き、こちらまで出てきたようだった。

 よくよく運が悪いのか、間が悪いのか。

 自らエサになりに来ている小動物の姿を見ている気分になった。


 棒を構え、伸ばした。

 時間を稼ぐだけだ、そう自分に言い聞かせる。


 博信が臨戦態勢に入ったのを見て、慎也が言った。


「お前、正気か」

「残念ながらな」


 慎也に福川を連れてすぐにこの場を離れるように告げると、慎也が舌打ちした。


「……今日の仕事はもう終わってる。後は好きにしろ」


 周囲の様子を窺いながら、男の下へと向かう。


 似たような服装の人間、他に超能力者らしきものはいないかどうか確認する。

 敵がアレ一人であれば、やりようはある。


 工業高校の制服を着た男達はすでに超能力者に補足されていた。

 全員、超能力によって押さえつけられているのか、身体を動かせずにいるようだった。

 やはり、同時に複数が相手でもあの力は有効なようだ。


 しかし、博信が攻撃を仕掛けたとき、あの男は福川を解放した。おそらく、意識が向いている対象への問題なのだ。

 そうだとすれば、あの指向性にも説明がつく。

 それを、どう避けるか。


 博信は男の下へ駆けた。


 途中、棒を地面に叩きつけてうち鳴らし、注意を促す。


 そのまま脇を走り抜け、「阿ッ!」という発声と共に上段から棒を打ち下ろし、男本人ではなく横の地面に落とす。


 棒の勢いは消えなかった。

 その棒を支点にし、男に飛び蹴りする。


「うわぁぁああッ!」


 男が叫ぶ。途端、身体に力がのしかかった。

 勢いが減衰する。蹴りが届かない、即座に理解できた。

 そのまま、空中で身体が止められる。

 ここまでは想像通りだ。


 スッと身体から力を抜いて超能力を足場にし、身体をひねって棒を回す。

 男の頭の上から叩き落とす。

 頭上――もっとも単純な死角だ。


 男の肩で棒が激しく鳴った。

 手応えと共に、身体にまとわりつく力が消えた。着地し、距離を取る。

 男は肩を押さえて蹲り、痛みを訴えながら呻いていた。


 やはり、男は超能力を全方位に展開しているわけではなく、意識が捉えられる範囲だけに展開しているようだ。


「おい、とっとと逃げろ」


 倒れこんでいた男達に声を掛ける。超能力者の意識が博信に向いたのか、男達は解放されていたようだ。

 返答は聞かず、超能力者を抑えにかかる。痛みに気をとられている今がチャンスだろう。


 しかし、腕を捕らえようとしても手が届かなかった。見えない力に阻まれる。

 どうやら、痛みに呻きながらも、自分に近づくものを排除する壁のようなものを作っているようだ。

 柔法は掛けられそうにもない。打撃だけで展開する必要がありそうだ。


 攻従一体の技を主体としている博信にとって、それは簡単な話ではなかった。

 相手の力を利用することを踏まえた技が使えないとなると、急所にかなり強めの打撃を入れなければいけない。

 力を削ぐということは、そういうことだ。


 躊躇いが出た。相手は超能力者とはいえ、その身体はただの人間のように見える。

 急所狙いではない棒の一撃で肩を押さえるのだ、身体が鋼で出来ているというわけではない。

 もし、急所を狙い、的確に打撃を入れたなら、大ケガをさせてしまう危険性があった。


 男が立ちあがり、博信を睨みつけてくる。先ほどのような見下すような笑みではない、その視線には明確に敵意があった。


 右手、右足を前に出して男から見て線の形になるように構え、左手に棒を持って身体で隠す。

 わざわざ隠すことで、男の注意を棒に誘導する。


 全身に神経を張りめぐらせる。

 攻撃がどこから訪れるのかわかれば、男がどのように超能力を動かしているのかわかるはずだ。


 男が博信に届かないような声でぶつぶつと何か言っているのがわかった。


 直後、右側面下方から胸元に掛けて衝撃が襲いかかる。

 手足での防御は捨て、身体の軸を動かすことで回避する。触れられないのであれば防御のしようなどないのだ。


 そのまま男の周囲を慎重に回りながら周囲の状況を確認する。博信達の回りに残っている人間はいなかった。

 工業高校の男達も逃げたようだ。

 遠目にこちらの様子を窺っている人が数人と、倒れている警官が二人。もう一人は先ほど建物の中に放りこまれ、まだ倒れているのかもしれない。


 あまり良い状況ではなかった。人混みに紛れて逃げる手は、もう使えないかもしれない。背後から攻撃されてはたまらない。


 ふいに、男がゆらりと動いた。


「ムカつくんだよ、お前らさあ……邪魔すんなよ……」


 誰に向けたのか、積みかさねられた感情の色が見えた。漫然とした怒りが周囲に散らばっている。


 そのとき、男の様子のおかしさに今更気づいた。

 慎也の考えなら、この男は『新緑の従者』が事情を知る男達、つまり男女のグループを襲撃させている男達の口止め、始末、そういったことをするものなのだろう。

 しかし、それにしてはあまりに大ざっぱすぎる。

 最初からあの男達を狙っていれば、これほど大事にならず、警察が動くことはなかったはずだ。

 これでは、まるで騒ぎを起こしたがっているように見えるのだが、それなら他の人間も巻きこんでついでにあの男達を処分すればいいはずだ。


 なぜそうしなかったのか。これではまるで理性を失った人間の暴走だ。


 男との間合いを取りながら、超能力を回避する。これまでのゆったりとした攻撃からは一転して、頻度が多くなっていた。

 素早く身を動かしながら反撃の機会を窺う。男は距離を詰めてくるわけではないが、ゆらゆらと歩き回り始めていた。


 一撃、左足で回し蹴りを放ち、それが弾かれる前に「阿ァッ!」と気合いの一声と共に前蹴りを入れた。

 左側面から重みがのしかかってくるが構わず前蹴りを水月に入れる。

 直撃、すぐに身を下げる。

 男が横腹を押さえてくの字に身体を曲げているが、構わずそのまま肉薄し、右手を伸ばして腕を取るように見せかけ、棒を肩口目がけて突いた。

 見せ技を入れながら連続で突きと蹴りを重ね、畳みかける。


 男が痛みに震え、身体をよろめかせた。


 ――いける。そう確信した。


 足を払い、男を地面に叩きつける。

 俯せに倒れた男の背中を膝で押さえ、手を捻りあげた。

 もう身体を保護できるほど意識が外に向いていないようだ。よほど痛みに悶えているらしい。


 そのまま頭を地面に押しつける形を取り、胴体を動かせないように技を掛ける。


 男は痛みを訴える声をしばらくあげていたが、しばらくするとその声も小さくなり、やがて消えた。

 わずかに力を抜き、様子を窺うとかすかな反応がある。気絶しているわけではないようだ。


「おい、話はできるか」


 声をかける。反応はない。


「答えられるなら返事をしろ。そうすれば解放してやらんでもない」


 だが、やはり反応はない。唸り声も、怨嗟の声もない。

 相手がただの人間であるならこれで戦闘は終わりなのだが、この場合は超能力だ。どこまでやれば無力化といえるのか、それがわからない。

 博信は、腕にだけ技を掛けたまま、頭を解放した。腕をしっかり掴んでいれば技はいつでも掛けられる。


 立ちあがり、男を仰向けにひっくり返す。男はやはり起きていた。

 しかし、仰向けになっても、何の反応も示さない。博信を見るでもなく、ぼんやりと空を見上げているだけだった。


 腕を取ったままその様子を窺っていると、慎也がやってきた。


「お前、どうして来たんだ」

「そりゃあ、な。お前になにかあると正直困る。仕事にかなりの支障が出るからな。で、どうなったんだ。倒したのか」


 慎也は男の顔を覗き込む。普通に起きていることに驚いたようだ。


「……大丈夫なのか。超能力を使われたら腕を掴んでてもやられるんじゃないのか」

「わからん。捕らえて地面に押しつけてから、様子がおかしい」


 慎也はしばらく男の様子を窺うと、顔に近寄って腰を下ろし、目に手を伸ばした。

 しばらくそうしていた後、慎也は目を細めた。


「半覚醒状態だな。このご時世に麻薬でもやってんのか」

「麻薬?」


 唐突に暴れだし、唐突に大人しくなるという状態。詳しくはないが、そういえば麻薬にはそんな症状を起こすようなものがあったはずだ。

 この男は最初から酩酊状態にあったということだろうか。


「……大丈夫そうだな。この調子だと、しばらく意識ははっきりしないだろう」


 慎也は一度頷いてそう言うと、縄を取り出して男を縛りあげた。周囲が見えないようにと目が隠れるように布を顔に巻いている。


「よし、後はオレがやっておく」


 このまま警察に預ける、慎也はそう言った。

 博信がこの制服を着た状態で警察に連れて行かれるのはまずいのだ。それが一番妥当ではある。


「しかし、いいのか」

「もともと今回は荒事も考慮してたからな。心配すんな、こっちの警察にはちょっと伝手があるんだ。だからお前にも迷惑は掛けんよ」


 慎也に後を任せその場を離れて駅に向かっていると、やっと人の流れというものに混ざることができた。

 なにもおかしなところのない、ただの人の流れだ。


 博信は、自分でも気づかないうちに安堵の息をついた。


 身体の緊張をほぐすように、手で肩から腕を何度か撫で下ろす。広場で何度か腕のストレッチをしながら、駅構内へと向かった。



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