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第三章§オカルト研究会


 時雨はノックの音を聞き、本を閉じた。


 訪問者はまだ扉を開けておらず、その姿は時雨から見えないが、相手はすでにわかっている。


 現実の澱みから流れてくる音が、それを時雨に理解させる。

 生と死を超え、あらゆる因果律を虚ろに帰し、未来と過去が生みだす幻視がそれを可能とする。

 不可能を可能とする現実に時雨の意識は常に漂っている。

 それが、時雨が持つ幻視だ。


「めずらしい客だな」


 机の上に放りだしていた足を床に下ろし、椅子に座り直す。

 訪問者は扉を後ろ手に閉め、ウェーブのかかった色素の薄い髪をなびかせ、小さくお辞儀をした。

 丁寧な仕草だった。制服が浮いて見えるほどたおやかな容姿もあいまって、高校生には見えない女子生徒だ。


「ごめんなさい、急に来てしまって。今、お時間頂いても構わないかしら」

「構わんよ。一体、今度は何を持ち込んできてくれたんだ」

「たぶん、ご期待に添えるようなものではないと思うけれど」

「期待はしていないさ。何があっても、俺は現実を認めてやるだけだ」


 時雨は椅子の肘掛けに腕を乗せ、頬杖をつき、訪問者に視線を向けた。


「オカルト研究会のみんなを、貴方のクラブで預かってもらいたいの」

「ほう、あれほど可愛がっている子たちを、この俺に託そうなどとは……。あの少女になにかあったのか」

「『新緑の従者』に関わっている人がこの辺りをうろついているのは、知ってた?」

「いや、知らないな。ククッ、そもそもまだ信者が残っていたのか。あのとき上層部は消し尽くしたと思っていたが。大ざっぱ過ぎたようだな」

「他校の生徒と偶然すれ違ったときに、『新緑の従者』にいた人間のイメージが流れ込んできて。直接本人と対峙したわけではないけれど、もしかすると超能力者かもしれない」


 『新緑の従者』という名前は、時雨にとってそれほど印象的なものではない。

 ここに来た訪問者がこの邑木弥泉でなければ、すぐに思い出せた名前ではなかっただろう。


 『新緑の従者』から一人の少女を助けだしたい、だから力を貸して欲しい、そう訴えて来たのが目の前にいる邑木という女性だった。


「だが、あの少女――玲実だったか、あの子は今や君の妹であって、『新緑の従者』とはまったく縁のない存在だ。縁は無かったことにした。本来の両親も消えている。もう接点はないように思うが」


 事実は無くなり、記憶も当然のように書き換えられ、縁は消え、そして玲実という少女は邑木弥泉の妹として存在していたことにした。

 時雨の引き起こした『タイムリフレクト』によって三年前に、十年来の姉妹が一組生まれたのだ。

 現実は、そのような形へと変化した。


「そうなんでしょうね。貴方がそう言う以上は。でも、何があっても、あの子には絶対に関わらせたくないの。どんな形であっても」

「まあ、邑木がどう動いても、俺にはさほど影響はない。そのことをどうこう言う気はないさ。さて、それでオカルト研究会か」

「合併という形でお願いできないかしら。あの子達がどう、というわけではないけれど。『新緑の従者』がいるなんて状況で、あの子達を放っておくのも心配だから」

「君がいない間のボディガードが欲しいというわけかな」


 邑木は時雨の言葉に頷いた。『新緑の従者』は人道に悖る行為を重ねていた。

 それを知っている邑木が警戒心を剥きだしにするのは、常識的な反応と言っても良いだろう。


「それなら合併という形を取らなくても良いだろう。四人だったか、その程度なら目を配っておく。むしろ、俺よりも秋人や京雅に一声かけたほうが良いと思うがね」

「あの子達に、それと悟らせたくない。とくに佐穂ちゃんは、何かの拍子に知ってしまうかもしれないから」

「佐穂、……ああ、予知能力者だったか。ククッ、まったくよく集めたものだ。いや、この場合は集まったというべきか。だが、やはり興味がわかんな。ボディガード、これほど俺に似つかわしくない言葉はそうないぞ」

「でも、貴方なら彼女の知らない未来を持っている」

「いいや、本来それは誰でも持っているものだ。彼女自身ですら例に漏れない。未来を持たない人間がどこにもいないようにな」


 邑木を視界の外にやり、閉じていた本を片手でめくり、先ほどまで読んでいたページを開く。足を机の上に放りだして読書の体勢に入った。


「他を当たれ。『新緑の従者』の残党を見つけたら殺しておく」

「お願い。木岐原君、貴方しか頼れないの」


 邑木は机を回り込み、時雨の横に立った。

 そして時雨の首筋に指を置き、手のひらをゆっくりと肌に合わせ、哀願するように口づけてきた。

 時雨の視界が邑木の横顔で埋まる。邑木は目を閉じ、舌を時雨の中に預けていた。

 数瞬が息遣いだけで過ぎた。邑木は唇を離し、わずかに顔を下げた。


「他所でやってくれないか。邑木、君の話を聞いてやっているのは、あくまで――」

「私は、貴方にすごく感謝しているのよ。玲実の事もそうだけれど、私があの子達と一緒にいられるのは、貴方が背中を押してくれたおかげなんだから」

「違うな。今し方言ったばかりだろう、本来、現実とはそういうものだ」

「違っても違わなくても、よ。心は私の専門だもの。あの子達と一緒にいたい、あの子達を守りたいなんて私が思えるようになったのが貴方のおかげだということは、貴方にも否定できないわ」

「そこまで否定する気はないさ。好きにしたらいい」

「好きにするわ。貴方が頷くなら、私は身体だって差しだすし、私自身で『新緑の従者』の人間を探しだして殺してもいい。差し違えてでもね」

「勝手に死ぬのは構わんが、俺は後処理などやる気はないぞ。そうなったらなったで君の死を消して、それでおしまいだ」

「じゃあ貴方が満足するまで、ここで身体を重ねましょう。何日でも、何週間でも構わないわ。貴方が飽きるまでずっと」


 ブレザーのボタンを外し、さらには自らのスカーフを外そうとしていた邑木を鬱陶しげに振り払い、本を再び閉じ、邑木を遠ざけるように椅子から離れた。


「君の身体に俺を動かせるだけの価値があるとでも思っているのなら、それは思い違いというものだ。俺を動かすのは不可能と幻視のみだ。交渉をしたいのなら、それに足るものを。依頼をしたいのなら、状況を持ってくることだ」

「交渉でも依頼でもないわ。私は貴方の元に、あの子達を置いて欲しい、そう思ってるの。貴方があの子達と一緒にいてくれたらいいの」

「意図がわからんな」

「後四ヶ月で私は卒業して、あの子達と一緒にいられることがなくなるし、貴方とも会える回数が減るでしょう。それまでに、安心しておきたい」

「そんなに彼女達が心配なら、君の力で融通を利かせればいい。人の心に作用する程度、君の――よく知らんが、精神感応とかいうものでよかったか、とにかく心を操る力を持っている君なら容易いことだろう」

「あの子達だけじゃない、私は貴方のことも言っているのよ」


 時雨は久しく得られなかった感覚に襲われた。

 虚を突かれたのだ。

 次に腹の底から込みあげてきた笑いをそのまま、口元に引きあげた。

 皮肉でもなんでもなく、ただ純粋に笑ったことを実感しながら邑木の目を見る。


 相手が常人であれば、心を操ることをできる邑木の力は、時雨には何一つ影響を与えることができない。

 心を読み、心に作用し、心を破壊することすらできる超能力者。そんな彼女は、時雨の前ではただの無力な少女に他ならなかった。

 邑木は時雨を捉えきれなかった色香を、その目に宿し、じっと見つめてきていた。


「そうは言うがな、俺の何を危惧する。俺が君の大事な子達を殺すとでも思っているのか。たとえば――君がいなくなった後、俺がある日突然、まったくの気まぐれでこの学校の人間をすべて殺してしまうのではないか、などと。ククッ、そんな簡単なゲーム、つまらなさすぎてやる気にはなれんよ」

「違うわよ、そんなこと今更心配するわけないじゃない」

「なら、何が心配だと言うんだ」

「貴方を一人にしてしまうことがよ」

「つまり、君はこう言いたいわけか。オカルト研究会の彼女達を俺が守る対象にし、そして同時に彼女達を俺の隣人にする。そうすることで関係性、絆のようなものを作るための状況を作り、充実した学生生活とやらを送らせよう、と」

「貴方自身を変えることは、私にはできなかった。だから、貴方の傍に変化を与えるべきだと思ったの」

「しかし、それは本当に本心なのか。それにしては、どうにも迂遠すぎるやり方のように思うんだがね。ククッ、生憎、普段、俺は君のように相手の心を読んだりできないし、面倒過ぎてやる気も起きない。それに女性の心境など察し方を知らん。まあ、他ならぬ君の言うことだ、この場は言葉通りに受け取ることにしておくが」


 邑木の身体を引き寄せ、スカーフに手を伸ばし、結び直した。


「この俺を外部から変えて見せようという意気込みは買わせてもらう。彼女達のことは引き受けよう。だが、君の身体まで売りつけないでもらいたいね」

「そんなつもりはないんだけど。これはついでよ」

 時雨にされるがままになりながら、邑木は目を細めて笑う。

「私なりの愛の告白も兼ねてたつもり」

「ククッ、それは男冥利につきるな、とでも言っておく」

「女としては恥をかかされたって激昂するところよ」

「埋め合わせならいずれしても構わんが」

「そう? じゃあ、お願い。二人で遊びにでも行きましょう」

「覚えておこう」


 そのとき、まったくの唐突に扉が開かれた。

 邑木だけでなく、時雨でさえもわずかに反応が遅れ、二人は寄り添っているまま訪問者を視線で迎えることになった。


「こんばんはー」「ばんはー」


 開かれた扉の先には、見知った顔が二つ並んでいる。


「木岐原君、お菓子食べ――」

「わーお」


 そこには袋を持ち上げて固まる蜷原と、両手で口元を押さえる梶原恵梨奈の姿があった。


「今日は来客が多い日だな」


 邑木から身体をゆっくり離しながら、時雨は蜷原と梶原にそれぞれ視線を向けた。

 蜷原は慌てて謝りながら部屋を出ようとしていたが、横にいた梶原が腕を捕まえて止めていた。


「木岐原君、この子達は?」


 邑木はブレザーのボタンを留めて訪問者に向き合い、落ち着いた様子で挨拶を返した。


「生物部の二人だ、隣人だな」

「ああ、生物部の。隣は生物実験室だったわね」


 頷いた邑木が観察するような色をその目に宿したのを、時雨は見逃さなかった。

 おそらく、二人の心を読んだのだろう。

 沈黙が馴染む前に、時雨は口を開いた。


「必要かどうかは知らんが、一応紹介しよう。彼女はオカルト研究会の元部長だ」

「三年の邑木弥泉です。よろしくね」


 梶原が朗らかに笑いながら「そうなんですかー。よろしくお願いします」と挨拶する隣で、蜷原は「え、あ、はい」と動揺を繕うこともせずに頭を下げていた。


「あたしは梶原恵梨奈、生物部の一年生です」

「ええっと、私は生物部の部長で、蜷原雫です。あ、二年生です」


 邑木はそのたおやかさに相応の微笑を二人に返し「これで失礼するわ。私の用事はもう終わっているから」と誰にともなく告げ、部屋を後にしようとした。


「オカルト研究会は今日も活動しているのか」


 時雨が声をかけると、邑木は扉に手を掛けて肩越しに振り返る。


「ええ。三人は来ていると思うわ。よろしくね」


 邑木は全員と再会の約束を交わすかのように、親しげに手を軽く上げて去っていった。


「びっくりですね」


 開かれたままの扉を見ながら梶原が言うと、蜷原が「うんうん」と頷き、理不尽を訴えるように呟いた。


「日陰の中の日陰なこんな場所に、あんな綺麗な人がいるなんて思いもしなかった……」

「校舎の一室にこんな場所もなにもあったものではないと思うがね」


 本を片付けると、時雨は二人に向き直った。


「俺は今から少し出てくるが、君らはどうするんだ」

「お菓子持ってきたのがメインだったし。これ置いておくね」


 蜷原は手に持っていた袋を机の上に置き、早口でそれだけを言うと、何かを口にするのを躊躇うような、あるいは時雨が何かを言うのを待つかのような目を向けてきた。


「どうかしたか。他に用事でもあるのか」

「いや……ええと、もしかしてお邪魔だった、とか思ったり」

「あの方、木岐原センパイの彼女さんですか」


 言葉を濁した蜷原に続けて、梶原は逆にはっきりと質問を投げかけてきた。

 梶原の言葉を聞いた蜷原の様子を見ると、どうやら同じようなことを疑問に思っていたであろうことが想像できる。

 状況を考えれば、そういった想像が走るのはなんらおかしくないだろう。


「いいや、ただの知り合いだ。友人と呼べるかすら怪しい」

「服、脱がしかけてませんでした?」

「着せていただけだ」

「え、それって事後――」

「ちょーちょととと恵梨奈ちゃん待って」


 何事か言いかけた梶原を蜷原が部屋の隅にまで引っぱり込んでいき、時雨に背を向けた。

 声をひそめて話し出したが狭い部屋の為、時雨からもまったく聞こえないというほどではないのだが、二人はそんなことにも気づかず、二、三、短く会話を交わした。

 どうやら、蜷原が梶原に対し、余計な詮索をしないようにと注意したようだ。


 二人は再び時雨に相対すると、話はまとまったと言わんばかりに微笑みかけてきた。


「で、リアルタイムでヤッちゃってたんですか」

「やめてって言ったよねぇっ!」


 蜷原が慌てて梶原の口を押さえようとするが、梶原は身軽な動作でその手を避けた。


「だって、こういうことははっきりさせておかないと、この部屋が木岐原センパイ専用の愛の巣みたいになっちゃったりしたら、あたし達、部室に居づらくなると思いませんか」

「な、なんでよぉ……。ご近所付き合いはもっと軽く行こうよ」

「考えてもみてくださいよ。部室の前、廊下を奥に進んでいく女の子の姿を見る度、あたし達は夜伽の仰せを受けて主人の下に向かう女中の姿を見送る気持ちにならなくちゃいけないんですよ」

「なんでそんな具体的で直接的で古風な表現なの!」


 目の前に当人である時雨がいるにも関わらず二人で勝手に盛り上がっている様子は、いかにも女所帯の生物部の部員らしいやり取りだった。


「水を差すようで悪いが、彼女はクラブ活動の話をしに来ただけだ。服は事故のようなもので特に意味はない」

「んー、あの人はオカルト研究会の元部長さんで、オカルト研究会がどうのって言ってましたね。木岐原センパイのクラブと何か関係があるんですか」

「訳あって、オカルト研究会とスクライング研究会が合併することになった。今からその話を現部員にしてくるつもりだ」

「え、合併? なにそれ」


 蜷原が素っ頓狂な声をあげた。


「何と言っても、言葉通りだが。オカルト研究会の部員は今後、スクライング研究会に移るということだ」

「へー、クラブの合併なんて本当にあるんですね」

「私も初めて聞いたわ。面倒そうだけど、そんな簡単にできるものなの」

「顧問が同じだからな。後は部員間で適当に話を合わせればすぐに終わる」


 話しながら廊下に出ると、蜷原達も一緒に部室を出てきた。

 鍵を閉めずに二人の元を辞去し、そのまま階段に向かって行こうとしていたところで、後ろから梶原が駆け寄ってくる。

 時雨の横に並び、歩幅を合わせてきた。


「オカルト研、友達がいるんですよ。あたしも行っていいですか」

「ああ、構わんよ」


 梶原はくるっと身体を半回転させ、器用に後ろ歩きをし始めた。


「そういうわけで雫センパーイ、ちょっと下に行ってきますー」


 手を前に突き出して小刻みに振りながら、梶原が大声をあげる。後ろで、蜷原が了解の返事をしているのが聞こえた。


 オカルト研究会の部室は東棟の一階にある。それなりに広く、少なくともスクライング研究会よりも一回りは大きかったはずだ。

 ふと、そのことに思い当たり、東棟へと抜ける渡り廊下の前で足を止めた。


「失念していたな」


 今更だが、合併するということは活動場所は同じということになる。

 女子四人に備品が増えれば、いま時雨が使っている部屋では明らかに容量が足りない。


「どうかしたんですかー」


 時雨が足を止めると、先行していた梶原が振り返った。


「いや、俺は寄るところができた。行くなら先に行っているといい」

「わかりましたー」


 軽快な返事に背を向け、降りてきた階段を昇り直し三階に向かう。向かう先は生徒会室だった。

 この時間であれば秋人か京雅が居るだろう。



 北棟三階廊下を進み、生徒会室に着くと、時雨はノックせずに、そのまま扉を開く。

 生徒会室には秋人しかいなかった。

 書類に視線を落としていた秋人はとっさに顔を上げたが、そこにいたのが時雨だということに気づくとため息をついて椅子に背を預けた。


「わざわざこっちに来るってことは、なんか用でも出来たのか」


 座ったまま腕のストレッチを始めた秋人に、オカルト研究会との合併に至る経緯をかいつまんで説明する。

 最後に部室について話すと、秋人は驚いた様子で時雨をまじまじと見てきた。


「本気で部活動をするつもりになったのか。てっきりただの暇つぶしだと思ってたが」

「俺もそのつもりだったんだがな。邑木の考えは考えで、なかなか興味深かった」

「時雨に変化、ねえ。お前、ぜんぜん変わらないしな。考え方というか、やることなすこと全部。中学のときから何一つ変わったように思えねえわ。まあ、そこは京雅もだが」


 秋人は席を立ち、壁際にある棚の書類入れを探り始めた。


「で、部室か。まー、ぶっちゃけ、文化系部室に使える教室って結構あまってんだよなあ。設立自体はそれなりにあるんだが、あっという間に潰れるし」


 なんとはなしに机上に広げられているものに目を配っていると、秋人が何かに気づいたように「あれ」と疑問の声を挙げた。


「なあ、時雨。お前のところの隣の教室って空いてるんじゃないのか」

「隣? 空いているはずだが。放課後に人が入っているのを見た覚えはないな」

「ああ、やっぱりそうか。フォークソング部、今学期が始まったときに活動止めたんだったな。んじゃ、お前のところの隣でいいだろ。生物実験室の準備室な。生物実験室は生物部だったよな」

「ああ、準備室か」


 生物部に特に思うところはないが、あまり外からの干渉が増えるのも困る。

 それこそ、生物部の部員を巻きこむような事態が起こる可能性すらあり得るのだ。

 それでは余計な手間が増えるばかりだ。


「何か問題でもあるか」

「問題というほどでもないんだが……そうだな、できれば、今俺が使っている部屋もしばらく使わせて欲しいんだが、それはできないか。来学期が始まるまで……いや、二週間ほどでいい」

「あー」


 秋人は髪をかき上げ、しばらくそのまま書類と向き合ってから頷いた。


「まあ、いいかね。とりあえず書類上は移動したってことにしとくが、部室数が足りなくなるまではそのまま使ってても良いぞ。そのときが来たらお前に伝えるから、言ったら物を撤去しろよ。お前が持ち込んでるのは本だけだし、すぐ動かせるだろう」

「悪いな」

「構わんさ。ま、三学期一杯、新年度までは問題なく使えるだろう」


 書類入れから新しい紙を取りだし、特に手間取るでもなく手慣れた様子で秋人はささっと何事かを書きあげた。


 手続きが終わったことを時雨に告げ、秋人は「それで?」と話を促してきた。


 秋人が『新緑の従者』のことを言っていることはわかっていた。

 三年前、邑木から『新緑の従者』の話を聞き、その実態を知ったとき秋人がすさまじい憤りを見せたことはよく覚えている。

 しかし、秋人に彼らを相手取るだけの力はなかった。

 相手は人を容易く握りつぶせる超能力者と人を人とも思わない狂信者達だ。

 ただの中学生の域を出なかった秋人では、あまりに荷が重すぎる相手だった。


「今のところは何とも言えんな。少なくとも、不審な人死にも暴行事件も出てきていないようだからな。奴らの目的がわからない以上、わざわざこちらから出張ることもない」

「藪をつつくなってことか。だが、相手が明確にこっちを狙っている――つまり、お前への復讐って線はないのか」

「ないとは言えん。まあ、そう焦るな。どちらにせよ、二週間後には終わることだ。俺の事情のついでに、ということになるが、片付けておくさ」


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