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第十三章§アウトサイダー

 木岐原時雨を殺したいま、黒幕が次はどう動くのか。木岐原は、これを引き起こした人間は超能力者程度の力の持ち主ではないと言っていた。

 そうなると、もっと巨大で理不尽な力、つまり、木岐原が言うところの『アウトサイダー』に近い存在なのだろう。


 枠組みの外にいる存在。昨日、慎也との会話の中で木岐原の力を神の力のようだという話をした。だとすれば、このアウトサイダー同士の戦いはもはや神同士の争いということになる。 神同士の争いの説話を参考にするなら、神が神を殺す理由としてもっとも多いように思われるのは怒りだ。人の目から見ると、神は非常に些細なことで激怒し、他の神を手に掛ける。


 木岐原が誰かのテリトリーを侵したか、木岐原の行動そのものが目に余ったか、なんらかの行動を経て木岐原が他のアウトサイダーの怒りに触れたと考える。

 そうすれば、そのアウトサイダーから木岐原に近づいていったのではなく、木岐原がそのアウトサイダーに近づいていった、目に届く場所に踏みいれたのだと推測できる。


「ドリームキャプチャーを模倣したぐらいだから、やはりあれが原因か?」


 ――いや、違うな。即座に否定の言葉が浮かんだ。順序が逆だ。


 木岐原は個人的な理由から作ったものだと言っている。慎也の話とも合っていた。やはり、偽物が後で作られたということになる。ドリームキャプチャーが目障りだったという線はない。


 他に木岐原が起こした変化といえば、スクライング研究会を作ったことだろうか。

 学校での部活動が邪魔だったというのは極端すぎるかもしれない。しかし、木岐原が学校でなにか活動をするということに意味があったとすればどうだろうか。


 宗教団体に止まらず、様々な事件の背景に潜んでいた男、木岐原時雨。


 博信達は、その男の存在を知り、事件に関わっている可能性を考えて監視へと移行した。そのタイミングも、ちょうど木岐原がスクライング研究会を立ち上げた後だ。


「……待てよ」


 ふと、引っかかりを覚える。

 どうして慎也は、そして博信は木岐原にたどり着くことができたのだろうか。

 宗教団体だけではなく、行政機関さえ行き着くことができない男が、なぜ一介の高校生である慎也に足取りを掴まれ、『新緑の従者』に動きを悟られたのか。


 博信は携帯を取りだし、即座に慎也に発信した。慎也の応答から察するに、どうやらまだ超能力者による騒ぎは起きていないようだった。


「聞きたいことがある。俺達の調査についてだ」

『なんだやぶから棒に。まあ、構わんが』

「依頼人についてなにかわかることはないか」

『いやいや、そういうのはお互いに不干渉なんだよ。ぺらぺら喋ることじゃない』

「言える範囲でいい。なにか、不自然なところはなかったか」


 慎也はしばらく躊躇っていたが、やがて確かめるように訊ねてきた。


『なにか重大な問題なんだな』

「ああ、どうやら俺達は初めから踊らされていたようだ」

『なんだと……穏やかじゃないな。根拠はあるのか』

「依頼人は偽のドリームキャプチャーをばらまいたうえで昏睡事件を自ら起こし、俺達が木岐原に行き着くように誘導したんだ」

『ちょっと待て、高速展開すぎんだろ、ついていけん。少しは順序立てる努力をしろ』

「簡単なことだ。『新緑の従者』がそうだったように、依頼人は木岐原を脅威と見なしていたんだ。だが、自分が直接監視するわけにはいかない。当然だ、木岐原の力を知っていればそんな危険なことはできない」

『そこで、見も知らぬ他人を使ったというわけか。理屈としてはおかしくない。だが、根拠はどこにある』

「そもそもの発端を考えろ。昏睡事件を引き起こしたのは、偽のドリームキャプチャーだ。本物のドリームキャプチャーの存在を知っていなければ、偽物など用意できん」

『……確かに、その通りだな。偶然、同時期に類似品が出回るという可能性よりは、後で似せて作ったと考えたほうが自然だ』


 慎也が話を整理できるだけの時間を与え、続ける。


「おそらく、偽のドリームキャプチャーを作りあげた理由はこうだ。木岐原の行動に事件性をもたせ、そして木岐原の行動を目立たせる。これを利用して、俺達や『新緑の従者』の目を木岐原へと向けさせた」

『ドリームキャプチャーが大規模な噂になっていたから、オレが気づくことができた。そして木岐原時雨と結びつけることができた。それは間違いない。お前の推論は、筋は通っている』


 言葉尻を言いよどませながらも、慎也は静かに肯定した。


「依頼人に直接関わることでなくてもいい。なにか、お前が感じた、抽象的な印象でも構わん。それだけでいい、なにかあれば教えてくれ」


 慎也は長く細い息をついた。


『これはちょっとした独り言だ。内容の保証はせん』


 声を低くしながら続ける。


『オレは基本、文面でしか仕事の請負をしないようにしている。直接会うのは、お互いにデメリットが多い仕事ばかりだからだ。そんときは手を組んだとしても、次に同じ立場にいるとは限らないからな。だから大抵の場合、相手の顔どころか、相手の情報をなにひとつ保有していないことが多い。……だが、文面を見ることに慣れたせいか、仕事の依頼文と進捗の報告でのやり取りだけで、おおよその年齢と性別が判別できるようになった。あくまで、おおよそであって確実ではないけどな』


 普段の慎也を考えると、それは意外な事実だった。てっきり実際に会ってから交渉を上手く運んでいるものだと思っていた。仕事は仕事でやり方を変えているのかもしれない。


『昏睡事件の調査報告は何度か催促があった。その催促だが、男の場合、催促は進捗状況を求めるものが多く、女の場合、途中までの調査から得られた情報を早急に求める傾向にある。つまり、男は最終的に百パーセントを求め、女は自分が納得できるのであれば、それが半分でも三十パーセントでも良いと考えるわけだ。昏睡事件に関しては、後者だった。それから、今回はやたらと学校にまつわる調査が多かった。限定的なぶんやりやすくはあったが、調査の精度という意味で、大ざっぱなやり方になってしまった。不本意な報告をしなけりゃならんことはあるが、今回の件は環にかけて多かった。それぐらいだ』


 性別は女で、学校の関係者。高校生か、教師か。周囲を警戒させないという意味では、おそらく女子生徒だろう。


 慎也に短く礼を述べ、通話を終える。博信は木岐原が根城にしていた部屋へと向かった。


 まだ始業にまで一時間以上ある。校舎にいる生徒はかなり少ない。教師もまだそれほど揃ってはいない。この中に犯人がいるはずだ。


 北棟二階の廊下を歩いていると、生物実験室の中に人の気配があることに気づいた。生物部の部員だろうか。

 文化系の部活が朝から活動しているとは思えなかった。博信が気になって扉を開くと、教室にいた女生徒がびくりと身体を振るわせ、勢いよく入り口へと視線を向けてきた。生物部の部長をやっている蜷原だ。


「……なにをしているんですか」

「あ、ああ、折橋君じゃない。朝はやいんだね」


 蜷原は博信の姿を見ると、安心したように息をついた。


「屋上で育てる花の選別をね。今週中に準備を終わらせておかないといけないから」

「なにも、こんな早くに来なくてもいいんじゃないんですか」


 彼女は窓際へと鉢を動かしていた。どうやら花に陽を当てているようだ。


「朝早くしないと、ちゃんと日光を当てられないからね。ほら、君達が手伝ってくれた、屋上の花壇の準備もしなくちゃならないし。あのときは本当にありがとうね、助かったよ」


 重たそうに鉢植えを抱えながら、彼女は朗らかに笑いかけてきた。


「そういえば折橋君はどうしてここに? 部活? 木岐原君は来てないみたいだけど」

「いえ、……部室に忘れ物をしていたことを思い出したので、ホームルームが始まる前に取りにきたんです。そうしたら、この教室でなにか作業する音が聞こえたので」

「そうなんだ。準備室なら空いてるよ」


 忘れ物があるなどと言ってしまった手前、行かないわけにはいかなかった。

 部室である準備室に入り、適当な時間を作ろうとあたりを見回していると、テーブルの上にMP3プレイヤーが置かれてあることに気づいた。誰かの忘れものだろうか。


 カバーはつけられておらず、持ち主を特定できるようなアクセサリもつけられていない。有名メーカーのカナル型イヤホンが差しこまれている。

 再生ボタンを押してみると電源が入り、メニューが開かれる。曲を探してみるが、どうやらなにも入れられていないようだ。動画が入っているわけでもなさそうだった。初期化したのかもしれない。


「忘れ物見つかった? 見つからないなら、手伝おうか」


 準備室を覗きに来た蜷原に声を掛けられ、博信はMP3プレイヤーを差しだした。


「こんなものがあったんですが、誰のものかご存じですか」

「うーん、見覚えがあるような無いような……ああ、そっか、これ木岐原君のだ」


 思いがけない名前に目を見張る。木岐原がこんなものを所持しているとは思わなかった。蜷原はMP3プレイヤーに顔を近づけながら頷く。


「うん、やっぱりそうだ。あっちの、奧の教室で木岐原君が机に放りだしてるのを見た覚えがある。でも、これなんにも曲入ってないらしいよ」

「曲が入ってない……、どういうことですか」


 先ほど確認した限りでは、確かに入っていなかった。消したのかと思っていたが違うらしい。


「んー、どういう曲を聞くのか気になって見せてって頼んだんだけど、曲は何も入ってないんだって。なんかラジオを聞くのに使ってるとか」

「ラジオ?」

「そう。好きなんじゃないかな」


 あの木岐原にそんな趣味があったとは意外だった。常識や世俗という言葉からはかけ離れている人間だが、普通の人間らしいこともするようだ。


「探しものはそれじゃないよね。見つからないの?」

「いえ、ありました。これも後で俺から木岐原先輩に渡しておきます」


 MP3プレイヤーを内ポケットにしまい、準備室を出る。生物実験室に戻ると、蜷原はまだ作業があるようで、ふたたび教室の端へと向かっていった。会釈をして教室を出る。


 すると、廊下に梶原がいた。

 誰もいないものと思っていたせいで、思わず身構えてしまう。


「あー、折橋君だ。おはよー、なにしてるの」

「……」


 以前から、梶原の行動には奇妙な気配を感じていた。それを改めて強く感じさせられた邂逅だった。

 彼女は、あまりに気配が薄すぎる。そこにいることを意識させずに、急に懐にまで潜りこんでくるような突飛さを感じさせるのだ。


「なにしてるの?」

「俺はただ忘れ物を取りに――」


 返答しようとして、違和感に気づく。博信は普段、それなりに早い時間に教室に来ている。

 クラスメートがまだ四分の一も来ていないような時間だ。その四分の一の面子はたいていの場合決まっている。


 しかし、梶原はその四分の一に含まれている生徒ではない。これは偶然だろうか。


「梶原、住井はもう教室に来ていたか」

「えっ。住井君? さあ、どうだろう」


 梶原はいま鞄を持っていない。にも関わらず、教室には寄っていないのだ。博信が知る限り、クラスメートである住井はこの時刻には教室に来ている。それを知らないということは、梶原はいままで教室ではないどこかにいたということになる。

 そのとき、博信がスクライング研究会に潜りこむ直前のことを思い出した。博信がここに来たとき、梶原と遭遇したのだ。あのときの梶原の言動を思い返す。


「……以前、ここでお前に呼び止められたことがあったな」

「ん、そうだっけ」

「オカルト研究会の荷物を運んでいたときだ」

「ああ、そうだったね。なんでこんなところいるのって訊いたかな」

「あのとき、どうして俺に生物部の場所を教えた」

「どういうこと?」


 梶原は不思議そうに首を傾げる。


「なぜお前は、俺が生物部の場所を知らないと決めてかかった。あの時点では、俺が生物部を訪ねてきたという可能性もあったはずだ」


 いつも楽しげに笑顔を振りまいている少女は、博信の言動を不可解に感じているようだった。博信は自分の思考をまとめながら、彼女と向かいあう。まだ確信を持つことができずにいた。


「なに言ってるの。あのときはただ話の流れで……」


 だが、ただの雑談だからこそ、思い込みや既知の事実を口にしてしまうものだ。


「あのとき、お前は生物部の活動について触れたな。そして俺にこういった、『生物部だけど実際には生物は扱っていない』と」

「うん、そんな感じのこと言ったね」

「こういった活動の内状は、実際に聞かない限りはわからないことだ。生物部などという名前の部活があれば、当然、生き物を扱うものだと認識する。その認識を正すためにそう説明したんだろう」

「なにが言いたいのか、ぜんぜんわからないんだけど。どうしちゃったの、折橋君」


 困惑の視線が投げかけられる。博信は真正面から見返した。


「オカルト研究会と合併する前までのスクライング研究会……つまり、木岐原の活動をお前は知っていたな」

「そりゃ、そうだね。だって隣の部活だし。雫センパイ、あ、部長のことね。センパイといっしょにときどき様子を見に行ってたから。なんかずっと本読んでただけみたいだよ」


 そう、知っていたはずだ。


「お前は、スクライング研究会がただの張りぼてで、実際は何の活動もしていないことを知っていた。しかし、そこに入部すると言った俺に対して、なんの疑いも抱かなかった。どうしてあんな部活に入ろうとするのか、疑問を抱いてもおかしくなかったはずだ。だが、あのとき、お前はここにいたことを訊ねただけで、それ以上の追及はしてこなかった。なぜだ?」


 梶原の表情がはじめて固まった。なにかを言おうと一度口を開きかけていたが、すぐに閉じられる。


「お前は、木岐原に接触してくる存在をあらかじめ知っていたんだ。そういう人間がいることを、認識していた。当然だ、その為に木岐原と同じ行動を取り、わざと木岐原の行動が目立つように仕向けたんだからな」

「……意味わかんないなあ。どうして、あたしが木岐原センパイにそこまで執着してるみたいに言うの? あ、そっか。なんか勘違いしてるんだ。あたし、べつに木岐原センパイのこと好きだったりしないよ。そうだね、あたしはどっちかというと、折橋君みたいな人のほうが――」


 彼女は話しながらだんだんと興に乗ってきたように、悪戯っぽい笑みを浮かべはじめる。


「木岐原時雨は死んだ」


 博信はそれを強い語調でさえぎった。


「お前が、そう仕向けた」


 博信が言い切ると、梶原は曖昧に笑いながら、左手で梳くようにして髪をいじった。

 しばらく経ち、梶原が微笑みかけてくる。


「折橋君って、神様にいてほしいタイプ?」


 一瞬、博信は呆けに取られた。


「なにを言っている」

「あたし、神様って嫌いなんだよね」


 梶原は博信の後ろ、生物実験室の扉に視線を向けている。釣られるように博信もそちらを肩越しに確認するが、なにもない。すぐに意識を梶原へと戻す。


「この世界のなにが理不尽って、神様がなにも仕事していないことなんだと思うよ。欲しいものが欲しいときにみんなのところにちゃんとやってくるなら、誰も理不尽だなんて思わない」

「神に、そんな仕事をこなせるほどの能力があるとは思えんがな」

「えっ、そこ疑っちゃうんだ。そんなこと考えたこともなかったなぁ。神様って言ったら、なんでも出来るから神様だって思ってたよ」


 梶原はくすくすと愛らしく笑う。同い年とは思えないほど、あどけなさを感じさせる笑い方だった。

 博信はまとわりつく不快感に耐えながら、努めて冷静にあろうとする。梶原の仕草は、いちいち博信の不快感を煽る。


 いままでその理由がわからなかったが、いまになってやっと気づくことができた。

 梶原は普通の女子を振るまいながら、どこか超然としているのだ。こうして博信から疑いをかけられても、それを歯牙にもかけていないことが、はっきりとわかった。

 木岐原を相手にしているときのような苛立たしさがある。

 博信は胸中で、どいつもこいつもふざけた真似ばかりしてくれる、とここ数日で何度目かわからない悪態をついた。


「だからね、あたし神様なんていないほうが良いと思ったんだよ。この世界には、わがままな女王様だけがいたらいいと思うの」


 梶原は自分の頬に指を添え、同意を求めるようにわずかに首を傾げた。


「お前の思想も、思惑もどうでもいい。俺の知ったことじゃない。この馬鹿げた劇に、すぐに幕を引け」

「引かなかったら、どうするの?」


 博信は一瞬、返答を躊躇った。それはおそらく、恐怖によるものだった。しかし、すぐに、衝動が沸きたってくる。博信の根元には、すでに怒りが巣くっていた。


「そのときは、実力行使でお前を止めるまでだ」


 彼女は笑顔をまったく崩さなかった。それはまるで、路傍の花を見守るような、無邪気な笑みだ。わかっている。わかりきっていた。


「ごめんね、それはさせてあげられないよ」


 そう、許されないのだ。そんなことは許されない。許されなければ、博信はなにもできない。

 人間として、生物として、一個の存在として、圧倒的な差がそこにあることがわかっていた。

 時間を操り、出来事を操り、宗教を操り、テロまで引き起こせるような少女だ。


 目の前にいる、たったひとりの少女を止める力を博信は持っていない。

 木岐原やこの少女のような、現実にはありえないイレギュラーな相手と、同じ舞台に立つことは博信には許されていなかった。


「それでもだ。俺はやらないわけにはいかない」


 理解はしていた。だが、もはや黙って客席を立つことはできない。


「理由を教えてもらってもいい?」


 幾分か真面目な顔つきで梶原が言った。


「……理由を話せば引くのか」

「ううん、それはないけど」


 あっさりと答え、梶原は続ける。


「あたし、これでも折橋君のことすごいと思ってるっていうか、なんか尊敬しちゃうっていうか。頭も良いし、ケンカ、えーと殴り合い? も強いし。こんなヘンなことに関わらなくても、この歪んだ、普通の現実の中で生きていけば、いろいろ楽しめると思うんだ。ほら、良い高校生活送って、良い大学行って、大企業に入って素晴らしい人生まっしぐらー、みたいな」

「なにが言いたい」

「だから、不思議なの。昨日だって、今日だって、それに今だって。どうして、わざわざ死ぬかもしれないようことするの? そこまでやる必要あるの?」

「……」


 死ぬかもしれない出来事を前にして、常に死を意識しているわけではない。今のこの状況にしても、彼女がその気になればいつでも博信を殺すことができるはずだ。


 しかし、博信は漫然と、彼女の会話に答えている。死など遠い存在でしかないとでも言うように。

 それは、ある意味で死から目を逸らしていることなのではないかという考えが脳裏を過ぎった。


「これは冗談でもなんでもないんだけど、あたし、いまこの世界で一番あぶない人間だよ。なんていうか、世界中を敵に回しても、一瞬も掛からずに世界滅ぼしちゃえるみたいな。木岐原センパイはもうこっちにいられなくしちゃったから、なんでも好きなようにできちゃうの。宇宙だって支配できちゃうよ。世界征服完了しちゃった」

「俺に力自慢をすることが、いまさら脅迫になると思ってるのか」

「思ってないよー。不思議なだけ。興味、好奇心、アイライクユー。なんでもいいけど、とにかく気になってるの。良かったら教えてくれないかな」


 梶原の言葉に重みはまるで感じられない。ただの相槌を求めるかのように、朗らかに語りかけてくる。


 博信はポケットから偽のドリームキャプチャーであるヘアピンを取り出し、梶原の前に差しだす。そして、それを握りつぶし、床に捨てた。


「俺の目の前で好き勝手にやられるのが気に食わん、それだけだ」

「へえ」


 梶原は手を合わせ、楽しげに微笑んだ。


「折橋君って、結構子供っぽいところあるんだね。いつも落ち着いてるようなイメージだったけど」

「なにが落ち着いてるだ。ここ数日、お前らのような異常者が暴れまわってくれたおかげで、俺には落ち着くヒマなどまるで無かった。有休を請求したいぐらいだ」

「異常者だって。ヒドいな。でも、いいなあ、そういうの。すごくいい。ちゃんと相手してくれる感じがする」


 嬉しそうに息をつきながら、梶原は撫で下ろすように胸を抑えた。どうやら、演技ではなく、本気で喜んでいるようだった。


「勝手な解釈をするなよ。お前の相手をしたいわけじゃない」

「どっちでもいいよ。あたしにとってはいっしょのことだからね」


 博信は、いい加減うんざりし始めていた。梶原を喜ばせる為に、こんな下らない会話に付き合っているわけではない。

 博信は彼女に仕掛けようと、拳から一瞬力を抜いた。この間合いなら、手を伸ばすだけで技を掛けられる。


「ダメだよ、折橋君。それはルール違反です」


 ささやき声が、耳元から掛けられる。


「ちぃッ!」


 梶原に後ろから抱きつかれていた。いつの間にか、博信の首もとに手を回している。とっさに掌打と追撃の蹴りを構えようとする。が、初撃の掌打すら当てることができなかった。振り返った博信の前に、梶原の姿はない。テレポーテーションだろうか。


「ねえ、折橋君。あたし、すこしだけ気が変わっちゃった。ゲームならしてもいいよ」


 今度は真横からだった。気配を感じられない。そもそも、動きの軌跡がまるで存在しないようだった。身体どころか、空気すら動いていないように思える。


 梶原は博信の真正面から懐に潜りこんできた。反射的に動いていた手を止める。


「ゲームだと」

「うん」


 顔を寄せて来る彼女から逃げるように、身を後ろに反らす。


「ホントのところを言うとね、あたしは木岐原センパイさえいなくなればそれで良かったの。その目的はちゃんと叶った」


 梶原は満足そうに笑みを浮かべた。


「だから、あたしが作ったドリームキャプチャーは、もうあってもなくてもいいんだよね。でも、あれがあったら、これからこの世界がとても面白い、刺激的なものになるんだよ。一週間も経てば、この世界はいろんな夢を手に入れる。みんなが思い描いた夢の世界になる」

「夢?」

「そだよ。超能力なんて、ただの始まり。折橋君、空を飛びたいって思ったことないかな。過去や未来に行きたいって思ったことは。剣や魔法を扱いたいって思ったことは。見たいもの、やりたいこと、でも、この現実では叶わないこと。それを叶えたいと思ったことないかな」


 雄弁に語る彼女の手がすっと伸びてきた。細い指が博信の頬を捉える。逃げられないように、はっきりと目を合わせられた。


「世界が変わるよ。これまでのなにもかもが。なにをしてもひっくり返せなかったものが、ぜんぶひっくり返せるようになる。夢が現実になるんじゃなくて、夢のような現実が現実になるんだよ。神様が決めたルールに縛られない、幻想的な世界」

「……」


 ふと、木岐原が言っていたことを思い出す。認識によって現実が変えられる瞬間を見たいと木岐原は言っていた。

 ドリームキャプチャーを作ったのは、その機会を与える為だった、と。


 個々人に機会を与える。それならば良い。


 だが、彼女が言っていることはそういうことではない。世界を変えると言っているのだ。それは、これまでの世界との断絶だ。

 認識が変わるのではなく、世界が変わる。そうなれば、その変革に取り残された人間は、悲鳴を上げることすらできずに死んでいくはずだ。超能力者に殺された警官や、学生達のように。


「それがイヤだっていうなら、あたしとゲームしよ。折橋君が勝ったら、やめるよ。ぜんぶ、折橋君の言うとおりにする」

「……いいだろう。ルールを話せ」

「えっ、いいの。折橋君が負けたときのこと聞いておかなくて」


 梶原を取り押さえることは、博信の力では出来ない。ならば、いくら気まぐれな提案であっても、それに乗る他はない。たとえ、勝ち目がないとしても。


「どんな条件であっても、大して変わらん。世界を掌中におさめたんだろう。いまさら俺一人殺す程度、造作もないはずだ。なら、その提案に乗らない理由がない」

「あたしをなんだと思ってるのよー。殺したりしないよ。言うことは聞いてもらうけどね」


 不満そうに唇を突き出してつぶやいてから、彼女は続けた。


「ルールはすごく簡単。時間内に……あ、時間ってあたしのこの時計でね。はい、渡しておくけど、傷つけたり、壊したりしないでね」


 梶原はスカートのポケットからゴールドの懐中時計を取りだし、博信に差しだしてきた。慎重にそれを受け取る。開いてみると、針は三時丁度で止まっている。


「その時計はね、あたしが時間を止めたり、別の空間を渡っているときだけ動くんだよ」

「……お前は、なにを言っているんだ」


 まるで馴染みのない技術をさらりと口にされ、思わず素で返してしまった。梶原のゆるい応対のせいか、異常な能力者を前にしているという感覚がすぐ薄れてしまう。


「ええとね、さっき見たよね。あたしはああいう、時間を操ったり、空間を操ったりってことが簡単にできるの。だけど、アレ使っている間、あたしは時間の感覚が無くなっちゃうから、迷子みたいになっちゃうんだよね。童話に出てくる女の子みたいに」


 そう言って、恥ずかしそうに笑う。時間と空間。先ほど、博信達に起きた現象は、やはり彼女の仕業だったようだ。


「だから、その時計が零時になる前に、迷子のあたしを見つけてね。捕まえてね。――そうしたら、折橋君の勝ち。待ってるからね」


 捕まえるという言葉に違和感を覚え、時計から視線を剥がして顔を上げると、梶原の姿が消えていた。ゲーム開始ということらしい。


 ふたたび時計に視線を戻すと、針が動き出している。それも、一定の速さではなかった。

 がくがくと、奇妙なサインでも描くように針が不安定な動き方をしている。かなり早い。三時から零時とは言っても、現実での時間の流れとはまるで関係がないようだ。


 博信が携帯を取りだし、いまの時間を確認しようとすると、後ろで扉が開かれる音がした。


「あれ、まだいたんだ」


 蜷原が廊下に出てきて、扉に鍵をかけていた。もう作業は終わったようだ。


「なんか、恵梨奈の声がしたような気がするけど、ここに来た?」

「……いえ。俺だけです」


 姿を消した梶原のことを思い浮かべる。あの規格外な少女は、いったいなぜここに来たのだろうか。少なくとも、博信に会う為ではなかったように思える。


 ここには生物実験室とその準備室、その奧に木岐原が根城としている小部屋があるだけだ。

 木岐原がいない今、梶原がここに来た理由は、ひとつしかない。


 すなわち、博信がいま相対しているこの女生徒、蜷原に会いに来たのだ。


「蜷原先輩、ひとつお尋ねしたいことがあるんですが、よろしいですか」

「なに、あらたまって」

「梶原が生物部に入った時期と、その理由を教えてもらえませんか」


 蜷原は博信の唐突な質問に、短く驚きの声をあげたが、まもなく答えてくれた。


「恵梨奈が入部したのはわりと早くだよ。ゴールデンウィークに入るすこし前、四月の下旬ぐらいだったかな。ほら、屋上の花壇あるでしょ。今年の春のは結構上手くやれててね、恵梨奈がそれ見て気に入ってくれたみたいなのよ」

「花壇? 先日、土を入れ替える前はなにも植えていなかったようですが」

「夏休みの最初に移し替えたからね。真夏は、学校の屋上だとちょっと条件が良くなくて、花がすぐ枯れちゃうの」

「なるほど。それで、梶原はその四月頃の花壇を気に入って入部すると、そう言ったんですか」

「『あたしもこういうの作りたい』って。もう殺し文句だね。全員ですっかり舞い上がっちゃったよ」


 そのときのことを思い返しでもするように、蜷原は目を細めて頬を緩めた。


「そうだったんですか。すみません、急に変なことを聞いて」

「ううん、いいんだけど。あ、そういえば、花壇って言えば」

「どうかしましたか」

「木岐原君も褒めてくれたんだよね。すごいって。あれは梅雨に入る前だったかな」

「木岐原先輩が、そんなことを」

「うん。でも、なんかヘンなことも言ってたなぁ。『正しいものばかりが現実を作りあげているわけではない。玉石混淆だからこそ面白い』とかどうとか」

「……」

「木岐原君はちょっとアレな人だけど、たぶん、基本的には悪い人じゃないと思う」


 感情的には、その言葉には賛同できなかった。木岐原がこれまで殺してきた、消してきた人間の数を知れば、蜷原もそんなことは言えないだろう。

 彼女の知る木岐原時雨という男は、この歪んだ現実の中で、ただ異質な言動を繰り返すだけの男子生徒に過ぎないのだ。

 あるいは、彼女は木岐原に対して友情のようなものを抱いているのかもしれない。


「基本的には悪い人じゃないと思う」、なんて曖昧で益体のない表現だろうか。本来なら、博信が嫌う言い回しだ。

 しかし、いまは自然に受け入れることができた。

 超能力や化物の間で走りまわっている博信から見た木岐原時雨という存在よりも、ただの同級生の一人が認めていた木岐原時雨という存在のほうが、よほど本質に近いように感じられたのだ。


 博信が肯定を返すと、蜷原はホッと息をついた。


「もし木岐原君がヘンなこと言いだして困るようなことがあったら、私に相談してくれていいからね」



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