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第九章§可能性の現実


 『新緑の従者』は漫然と生き延びているだけだと思ったが、想像以上に時雨に対して恨みを抱いているようだった。

 すべて無かったことにしてもよかったのだが、それでは、楽しみがない。あまりに単純すぎる。


 時雨は一人で『新緑の従者』が集まる場所に向かい、姿を見せた。

 パフォーマンスのつもりだったのだが、彼らは時雨歓迎する様子もなく、ただ怯えたような視線を向けるだけだった。

 哀れみすら抱くことができず、このまま問答無用で殺してしまおうかという思考がよぎるが、最低限、最後の言葉程度は聞くべきだろうと自制する。


「……来たるべきときです、あの悪魔を! 愛なきものを! あなたたちの愛をして粛正するのです!」


 そこには様々なモノがいた。


 死体で作りあげられた趣味の悪い展示品、大物振って壇上から時雨を見下す人間、そして多数の超能力者。


 幻視すると、様々な超能力者がいることがわかった。念動力、発火、透視、予知、過去視。

 それらは『新緑の従者』が作りだした、まがいものの濫造品でしかなかったが、少なくとも彼らの現実はそれでいくらか変化したようだった。


 だが、これは違う。


 こんなものは、理不尽な現実を傷一つつけることはできない。現実を覆すのは、たとえばそう、折橋博信のような、何の変哲もなく歪みきっている力だ。


 超能力が迫り、時雨の身体に襲いかかった。動かなかった。動くまでもなかった。

 時雨という一人の人間を殺す力として、その程度では足りない。


「ふむ、せめてもの手向け、……ククッ、いや馬鹿馬鹿しいな、やめておこう。もともとは邑木たちのようなオリジナルの力を求めたのだろうが、所詮はこの程度だ。あまりに滑稽だな」


 時雨は両手を広げ、言った。


「まあ、もっとも――化け物であればあるほど、この俺を殺すことは敵わなくなるわけだがな」


 全員を見渡し、それがただの歪な現実の一つでしかないことを確認する。このようなものはあってもなくても構わないのだ。


 ただ、『新緑の従者』はもうすでに敗北してしまった。三年前は時雨と京雅に、そして今度は折橋博信、滝慎也に。


「敗者は、おとなしく退場するものだ。もう君達の出番はない」


 超能力を目指して作られたのであれば、超能力によって終わるというのが、妥当だろう。そう考え、時雨は超能力を持っていないという現実を失わせ、超能力を獲得した。


 そして一瞬後、すべてを死に変えた。


 百を超える死体を作りあげ、その事実ごと消した後、時雨はその場を去った。




 §




 慎也と合流し、木岐原が待つ倉庫部屋のほうの部室へと向かう。

 中には左京秋人、月見里京雅もいた。博信達を迎え入れると、木岐原が柏手を打ち、注意を促した。


「ククッ、博信、先日君は俺に質問したな。お前は超能力者なのか、と。この場で、その質問に改めて答えよう」


 にゃあ、と猫の鳴き声がした。

 いままで気づけなかったことが嘘のように、木岐原の前にあるシステムデスクの上に猫が横たわっていた。

 木岐原と初めて遭遇したときに見た猫の模様と似ている。猫は気持ちよさそうに自分の体を舐めていた。生きている。

 ただの、なんの変哲もない猫だ。


 そして瞬き一回ほどの時間が流れ、猫が死体と化した。


 まるで、いままさにセダン車に轢かれたかのように、生臭い血と内臓をぶちまけ、ぴくりとも動かずに横たわっていた。


「本来、この世界は可能性からは出来ていない。ただ、現実と、枠組みだけが存在する。生死や超能力など、所詮はその中にしか存在しない要素でしかない」


 猫の死体が消え、再び生きた猫が机の上に姿を現した。


 そして、その猫は唐突に姿を消した。


「その枠組みの外にいる人間、それが俺だ。そうだな、便宜上、アウトサイダーとでも名乗っておこうか」


 アウトサイダー。既定の枠、法の外にある存在。


「枠組みの外……?」

「そうだ。君には何度か披露したな。君は確かに、俺ですら見たことの無かった現実を、共に見たはずだ。『タイムリフレクト』を」


 その言葉は、博信が奇妙な事象を見る前に木岐原が発していた言葉だ。

 猫の事故のときも、校舎を元に戻したときも、男を消したときも確かにその言葉を発していた。


「現実は常に君達の認識を反映することで成り立っている。言うなれば、現実とは人の営みが作りだした歪んだ鏡のようなものなのだよ。俺は、その鏡に対して色や角度をつけることで、現実を正しくあるべき普遍の姿として映しだすことができる。それが、俺の現実だ。いまの君なら、理解できるのではないだろうか」


 ふいに、博信の中に巣くっていた、混乱を引き起こす霧が晴れたような気がした。


 人の営みが作りだした鏡、それこそが現実。


 常識を越えた宗教団体、超能力、生死の超越、それらは博信にとってまったくあり得ない現実だった。

 少なくとも、『博信の現実』を反映した現実ではない。


 だが実際に、博信がそれを知る前から、この現実はそれらを許容していた。

 博信の認識は現実を捉えていなかったのだ。超古代文明が古代人にとってはただの現実であったように、その場にいる人間の認識と、外から見た人間の認識はまったくの別物だと言える。


 博信は、その事実を認識しないまま内側に入りこんでしまった為に、迷いこんでしまったのだ。

 本来なら起こり得ないはずのこと、そんなものは現実を正しく認識していなければわかりようもない。


「鏡、ルール裁定者、ワイルドカード。……なるほど、そういうことか」


 前提として、木岐原の言葉がすべて正しく表現されたものだとすれば、という仮定が必要になる。


 しかし、そう仮定するのであれば、木岐原の不可解な言動や過去は、すべて現実として起こり得る。


 現実に、ルールを規定し、いかなるゲームをも可能とする。

 それが木岐原時雨が不可解たる所以だということだ。この理不尽で、不規則な世界に、判然とルールを敷いているのだ。


 サッカーコートでバスケットのルールを規定したとすれば、ボールを蹴って移動することができなくなる。

 同様に、バスケットコートでサッカーのルールを規定すれば、ボールを手に持つことができなくなる。


 では、この現実において本来不可逆であるはずの生死という状態に対し、可逆のルールを与えたとすれば、どうなるだろうか。

 博信が認識している現実の生死とはまったく別の状態が起こり得る。生が死に変化するだけではなく、死も生に変化するのだ。


 校舎にしても、男にしてもそうだ。そんなことが可能であるなら、いかなる変化も現実に起こるということになる。

 そんなことは起こらない、という認識によって成り立っている現実そのものがおかしい。


 博信もそうだが、慎也はすっかり木岐原に呑まれたようだった。とち狂ったパフォーマンスがあったものだ。


 木岐原は博信と慎也を順に眺め、鷹揚に頷いた。


「君達の要求はわかっている。だから、こちらから先に条件を出させてもらおう」

「聞くだけなら構いませんよ」


 慎也が答えた。木岐原はさらりとその名前を口にする。


「俺が君達に望むのはドリームキャプチャーの回収、それだけだ」


 博信は黙っているつもりだったが、その言葉に疑問を抱くと同時に、木岐原に問いを投げかけてしまっていた。


「ドリームキャプチャーとはなんなんだ。なぜ回収する」

「ドリームキャプチャーの性質が気になるのか。あれは、ただの個人的なお遊びなんだが……」

「お遊び? まあいい、あれは昏睡事件となにか関係があるのか」

「昏睡事件?」

「いぃッ!?」


 木岐原がわずかに目を細めたと同時に、慎也が奇声をあげた。慎也が肩を小突き、耳を寄せて来た。ささやき声で怒鳴りつけてくる。


(このドアホ! お前、聞き方っつうもんがあるだろっ。んな直球で踏みこんだらオレ達の動きがバレるだろうが!)


 慎也のあまりの剣幕に、思わず息を呑む。


(……まずかったか?)

(どっちにしろ後で聞きだすつもりではあったが。ああもう、しゃあねえな――)


 慎也が「いやあ、すみません。最近、ちょっとばかりそういう噂を耳にしまして」と軽い調子で話し出した。


 しかし、それをさえぎる形で、木岐原が左京に声を掛ける。


「昏睡事件とか言うのは、秋人、お前が言っていたあれか? 十月ぐらいから発生しているという」

「それ以外には浮かばないな。ここらの高校で発生してる病気、事件か? まあよくわからんが、それだ。うちの学校でも、全学年合計で二十人でてる。原因は一切不明、お手上げだ」

「京雅、お前も調べたのか。なにかわかったのか」


 月見里は腕を組んだまま答える。


「不明だ」

「ほう、京雅すら欺くか。かなり入り組んだ仕掛けがありそうだな」


 木岐原は机に両肘をつき、手を組んだ。


「秋人達が言っている昏睡事件と、君達が話す昏睡事件は同じものなのか」


 博信は黙って慎也の答えを待った。また下らない失言をするわけにはいかない。


「おそらくは。高校生ばかりが昏睡する事件は、オカルト、まあいわゆる都市伝説みたいな感じで最近広まりつつありますからね。他に似たような話は、いまのところない。さきほど博信がドリームキャプチャーの件を話したのは、噂があるからです。一部の高校生の中で出回っているドリームキャプチャーという謎のアクセサリ、それが昏睡事件となんらかの形で繋がっているんじゃないか、とね」

「都市伝説が複合するか。よくある話だな」


 博信の問いをのせた視線に肯定を示し、木岐原が頷く。


「結論から言うと、その昏睡事件に俺は一切関わっていない」


 そして「ドリームキャプチャーについてだが――」と続ける。


「あれは所持者が抱く願望や夢を俺が幻視する為のものだ。そうだな、具体的に言うなら俺しか読み込むことのできない記憶デバイスだ。人体に悪影響を与えるようなことはまずない」


 慎也は一瞬、考え込むような仕草を見せて答えた。


「なるほど。しかし、木岐原さんが意図していなくても、たとえば、副作用のような形で昏睡に関わるということはないですか」

「俺の力で作られたものは、無限回数の試行に耐える完全な物質だ。俺が意図していない動作をすることはない。ルールとは、そういうものだ」


 木岐原はそう言い切り、わずかな間を置いた。


「これで説明は十分か」

「ああ。それで、回収する理由は?」

「ククッ、無論、この現実を塗り潰す為だ。所持者の願望をもってな。そうして舞台を整え、彼らの認識を正す。公正な機会を与えるんだよ。理不尽な現実を討ち滅ぼし、幻視世界を現実に昇華できれば、彼らは歪んだ現実に勝利するということになる」

「……時雨、お前は普通に喋れないのか」


 唐突に、左京が横から口を出す。その意見には博信も同感だった。言わんとするところがまったくわからない。


「ふむ、わかりにくいか。そうだな、これは例え話だが――」


 そう言うと、木岐原が博信にちらりと視線を寄越してきた。


「過去に、とある事故があったとする。その事故で誰かが死に、誰かが生き残った。生き残った人間が望むのであれば、その死んだ誰かが生きていたことになる現実を獲得できる。俺は、そういうことをするためにドリームキャプチャーを作り、回収することにした。自らの無力を知る人間達が、理不尽な現実に対抗するための手段の一つとしてな」


 博信は思わず目を大きく見開いた。


「過去ですら変えることが可能だというのか」

「変わるのは過去ではない、現実だ。過去を内包する現実が変化する。同様に、未来でも可能だ。誰かがそれを望むのであれば、ただの人間が不老不死になることもできる。現実によって、願望が狭められてはならない。俺は、現実とはそうあるべきだと考えている」

「それが……、それが、お前の目的か」


 木岐原は、不敵に笑って応じる。


「そうだ。この理不尽で、歪んだ、擦り切れた現実を破壊する。そして、正しい現実の在り方というものを、知らしめる。認識させる。それが、この木岐原時雨という人間にとっての、唯一絶対のルールだ」


 まるで、それは宗教家の台詞のようだ。だが、木岐原がなにを信仰しているわけでもないことは、その傲慢な態度を見れば十二分にわかった。


「……だが、なぜこんな周りくどいことをする。お前のその力を使えば、この国、いや、世界ですらもおびやかすことができるはずだ」


 木岐原はあっけに取られたような顔をして、楽しげに笑いだした。博信はその笑い声に羞恥心を煽られ、腹立ち紛れに声を低くする。


「なにがおかしい……」

「いや、失礼。君は思ったより野心家だな。君が想像するようなことは可能ではあるし、事実、国――ああ、別の国ではあるが、動かしたことはある。歴史が変わるレベルで。そうだな、やろうと思えば宇宙規模で変革を起こすこともできる」

「なら、なぜわざわざこんな回りくどいやり方をした。一度にもっと大きな単位で動かせるはずだろう。現実という、システムそのものを変えるような」

「俺は世界を変えたいわけではないんだよ。そんなものにはまるで興味がない。それぞれの人間が抱いている現実に対する認識というものが変わる瞬間を、知りたいんだ。俺がそうあるべきだと思う現実を拒否して、自らの現実に戻る人間がいるのも、それはそれで面白いと考えている。つまり俺にとって、このやり方はただの――」


 出し抜けに扉が軋むほどの盛大なノックが鳴った。

 博信は即座に構えていたが、それは月見里も同じようだった。つい先ほどまで超能力者と戦っていたからか、まだ警戒心が残っている。


 一瞬、室内が静まり返る。


 まもなくして木岐原が訪問者に入室を促すと、勢いよく扉が開かれる。


「生物部急便、担当の恵梨奈ちゃんからお届け者でーす。生徒会の二ノ宮葉子ちゃんでーす、ハンコかサインを……うわっ、なんて人口密度。しかもおっきい男の人ばっか」

「ククッ、ハンコは持ち合わせていなくてな。手を出せ、油性ペンでサインしてやろう」

「いやーッ! 水性ペンへのイジメが横行してるっ!」


 姿を見せたのは梶原恵梨奈だった。隣には葉子が立っていた。


「あの、会長……あ、ノブ君。あ、あれ、どうしたの」

「……どうしたの、と言われてもな」

「あ、そっか。ノブ君が入った部活、ここ……あれ、部室って隣じゃなかった?」


 首を傾げる葉子に、左京が慌てて割って入った。


「ああ、いやいやいやいや、まあ、あれだ。ところで、どうしたんだ。なにかあったのか」

「……会長、なんか隠してませんか。副会長に言いつけますよ」

「なんでもないから、なんでも。うん」


 取り繕うように笑顔を向ける左京に、葉子が目を細くする。そして、そのまま博信へと顔を向けた。


「……ノブ君?」

「知らん。そもそもなんの話をしているかわからん」

「うわー、折橋君、あやしーなー」

「なにがだ……」


 梶原は葉子の後ろに立ち、ひょこひょこと左右に揺れながら博信に「あやしーあやしー」と言い続ける。非常に鬱陶しい。


「……葉子、用事があるのは生徒会長なんだろう。連れていったらどうだ」

「う、うん。会長もだけど、月見里先輩もいいですか?」


 左京達が生徒会室に戻るのに合わせて、木岐原も用事があるとのことで、その場は解散となった。


 別れ際、ドリームキャプチャーの回収は今日の夜に実行すると、木岐原に告げられた。




 § §




 『不思議の国のアリス』を初めて読んだとき、アリスがどうしてあんな夢を見たのかと首を傾げたことがある。

 どうせ夢なら、自分が女王様になってしまえばいいのにと思った。

 聞き分けのない、ヘンな女王様なんかいらない。自分だけが女王様になって好きなように毎日おもしろおかしく過ごせればいい。

 もちろん女王様になったからといって「あの子の首を切りなさい!」なんて言うつもりはない。言う必要はない。

 なぜなら、彼女は誰よりも自由だったから。

 なんでも許された。可愛い振りをしなくても、良い子にならなくても、言うことを聞かなくても、自分の思う通りの日々が訪れた。

 純粋に、理不尽に、狂騒を繰り広げる歪みきった現実。彼女はそこから綺麗な場所だけを両手ですくい上げ、少しずつ小さな瓶にためていく。

 そうして、外側からその瓶を眺めて楽しむ。


 彼女が知る世界とは、ずっとそういうものだった。




 『新緑の従者』のセミナーが開かれていたはずのホールを、こっそりのぞき込む。先ほどまではうじゃうじゃと変な人間たちで賑わっていたのだけれど、いまは影も形も無い。

 木岐原時雨はすでに去った後だ。お昼どきなので、今頃、彼もどこかで食事を取っているのかもしれない。 

 人っ子ひとりいないホールに足を踏みいれ、適当にぐるぐると歩いて回る。


「お腹空いたなぁ」


 タイミング悪く、学校を出てからここに来るまでに食事を取ることができなかった。

 もっと早く事が進んでいれば先に昼食を済ませられていただろうけれど、下手なことをして木岐原に感づかれてしまっては元も子もない。

 死体の山があったはずのホールには、なにもない。ただ『新緑の従者』がセミナーを開いていた痕跡だけが残っている。全部で百五十人ほどいたようだ。全員、もう殺されてしまったけれど。


「かわいそうだねえ」


 壇上に立ち、マイクを手の中で転がしながら、思ってもいないことをつぶやく。最初から数百人単位の死者が出ることはわかっていた。

 彼女にとって、なんの変哲もない歪んだ現実の未来を見ることは簡単なことだ。

 矢那慧の生徒からは死者は出ないようにしたので一人も死んでいないが、ここ一週間程度でこの地区の学生からはかなりの数の死者が出ている。

 ほとんどは高校生で、大学生と中学生が混じる程度だ。正確な数字もすぐに出すことができるが、とくに興味もない。どうせ現実を見ることができなかった人間だ。


 それらはすべて彼女の干渉によって引き起こされた結果ではあるが、彼らが避けようと思えば、間違いなく避けられたはずの結末だ。

 現実に対する認識の確かさが、彼らを死に導いたといっても過言ではない。

 現実がもっと正しく曖昧なものだと認識できていれば、死なずにすんだのだ。

 歪んだ現実を信じ切ってしまったが故の、普通の人間が当然のように行き着く末路がこの死なのだ。


 そういう意味で、折橋博信と滝慎也が死ななかったことは例外的な出来事だった。


 特段殺すつもりがあったわけではない。しかし、死ぬだろうと思っていた。

 超能力者が存在するという現実を認識したうえで、それを退けることができるとは思っていなかったのだ。

 彼らはあまりに、正しい現実の在処に踏みこみ過ぎていた。


 普通の人間――この歪んだ現実をなんの疑問もなく受け入れる人間――であれば、自分の現実以外の存在を認めることができず、他の現実との邂逅に為す術もなく立ちつくし、そのまま死ぬ。

 言うなれば、死から逃れられない生をただ漫然と受け取るだけの存在でしかない。


 それを覆すというのであれば、彼らは普通の人間ではない。

 いや、この場合、それに当てはまるのは超能力者を退けた折橋博信だけだろうか。プレゼントでもあげて、思いきり褒めてあげたい気分だった。


 しかし、彼らが生き残ったのも微々たる可能性のバウンドに過ぎない。もう布石はきっちりと打ち終えた。


 ここからは、彼女の目では見通せない現実が広がっている。


 そして、それはあの木岐原ですらも知り得ない現実となるだろう。


 彼女の力は、木岐原に劣る。だからこそ、彼女自身の手にも終えない現実が発生する必要があった。


 自分の為だけの現実、自分の為だけの未来。そこに、誰の手も加えさせるつもりはない。


 アリスの夢を、夢のままでは終わらせない。


 揺り動かされて目を覚ましたとき、その夢は永遠を照らす、穏やかな現実となる。


 鈍い音を立て、マイクが床に転がった。

 彼女は消えたウサギを追いかけるかのように、あるいは決して目的地を知ることのない迷い子のように、異空間の中に消えていった。




 § §



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