二章(3):沈潜
「しっかし、とてつもなく広いな。この電子レンジは」
「国立電子工学研究所や、輝はん」
俺達は、捕まっていたすぐ上のフロア、尚人が調べたところによると、地下二階を歩いていた。
薄暗い廊下が、どこまでも続いている。
作りは地下三階と同じで、両側に牢。
ただ、見る限り、ハイテクそうな牢じゃない。ただの牢だ。
ときおり、白衣を着た作業員が牢にいた。
「ところで、輝はんに、一つ、聞きたいことがあるんやけど」
「ん? 何だよ、急に?」
「どこかに、注射された針の痕。もしくは、それに近いもんが、体にあらへんか?」
「そんなの、あるわけないだろ。注射も何も……」
あった。
右の二の腕。まだ、真新しい血の痕だ。
だけど、注射なんて、された覚えは……。
「わいにも、注射の痕があるんや。気ぃ失ってた時あったやろ。多分、その時に注射されたんやと思う。何となくやけど、体がだるいんや。おそらく、鎮静剤を打たれたか、血を抜かれたんやと思う。わいとしては、血を抜かれたと思うとるんやけどな」
「なんで、俺達の血を?」
「わからん。そやけど、わいら電磁波の効かない子供の血が、相手さんに何らかの利があると見て、間違いないで。ま、これも、推測の域を出えへんのやけどな」
尚人は、何やら考えている表情をしていた。
俺も、考えてみる。
駄目だ。
何故、血を抜かれたかなんて、全然わからない。
しばらく、無言で、薄暗がりを歩いた。
「……尚人、止まれ」
立ち止まる。
「何や? 輝はん」
「後方から四人。俺達の方へ、駆けてきてる」
尚人は、一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに理解したようだ。
「わいらの脱走が、ついにバレてしもたようやな」
「ああ。そうみたいだな」
「どないすんのや? 撒くんか?」
「いや、ここで迎え撃つ。下手に逃げて挟み撃ちにでもされちまったら、それこそ面倒だ。こっちの位置は、捕捉されてるんだろ?」
「おそらくは。そやけど、丸腰で戦えるんか? 相手は、確実に銃とかの武器持っとると見て、間違いないで?」
「四人ぐらいなら、何とかなる。これでも、武器を持ってるヤツと武器無しでの喧嘩ぐらい、やったことはあるからな」
「ほな、輝はんのその腕前とやら、拝見させてもらいますわ。わいはせいぜい、弾の届かないトコで見守ってまひょ」
「俺がやられたら、構わず逃げてくれ」
「何や、大きいコト言った割に、ずいぶん弱気やなあ」
「ふん。ありえないことを、言ってみただけだ」
「ははは、そかそか。そんならわいは、遠くから高みの見物と洒落こみますわ」
そう言うと、尚人は暗がりへ消えた。
後ろ。
向き直った。
薄暗い闇。
近づく、足音。
笑っていた。
意識せずに、笑っていた。
怖いのか。
俺は、怖がっているのか。
「違う。俺が一番恐れてるのは……」
銃弾。
見えた。
体をずらし、かわす。
プラスチック弾。殺傷能力は低い。だが、当たれば、動きぐらいは止められる。
殺さず、捕まえる気だ。だから、いきなり撃ってきたのだろう。
駆けた。
暗がりに、四人。
見えた。
一斉に、銃弾。かわして、真中へ跳ぶ。
回し蹴り。一人、倒した。
三人が、スタンガンを構える。
泣いていた。
夢の中でも、アイツは泣いていた。
泣かせた。
小さい頃から、アイツは泣き虫だったんだ。
だから、俺は、アイツの笑顔を守りたかった。
守れなかった。
守りたかったのに、守れなかった。
スタンガン。
その腕を取って、背負い投げる。
奪ったスタンガンで、残りの二人を気絶させる。
背負い投げた一人が掴みかかってきた。
また投げ、立ち上がったところを、拳で打った。男が気絶する。
「………琴乃」
必ず、助けるからな。
「クス。随分、あっけないものですね」
音が八つ、消える。
また新しい死体が八つ、出来上がった。
血の匂い。
何故か、心が落ち着いた。
懐かしい、鮮血の記憶を思い出させるからか。
怒号。悲鳴。銃声。炎。血。
思考は、そこで途切れた。
音。
一つの、音。
前から聞こえてくる。
敵意は、無い。
さっき会った二つの少年の音とも、違う。
読ませない、底が深いと言うべきか。
危険な音だ。特定の意思を感じさせる音の方が、ずっと危険は少ない。
人影。
男。
肩に鷹を乗せた、大きな男。
外見を見ると、まだ少年だろうか。両目は、布で覆われている。盲目のようだが、足取りはしっかりしていた。
男が、立ち止まる。
「……何故、殺すのだ?」
「……貴方は?」
「……神眼隠者」
「その隠者さんが何故、このようなところに?」
「……時が、動いた。その流れには、誰も抗えぬ。もう一度問う、何故、殺す?」
「クス、簡単なことです。殺した方が、良いからですよ」
「……我も汝も、他者を殺す権利は持っておらぬ」
「クス、確かに。ですが、殺す権利は持たなくても、殺す手段は持っている。ならば、それを使いたくなる。それを使って、人を殺してみたくなる。人間ならば、至極簡単な欲求ですよ」
「……悲しいのだな、汝は」
「私が、ですか?」
「……そうだ。心の底に、深い悲しみがある。それを、憎悪が覆ってしまっている」
「クス、面白い方だ。神眼隠者という渾名、伊達ではありませんね。その布の下の眼、何でも見通せるというわけですか」
「……大切なものを、奪われた。その復讐のためだけに自らの命があり、その復讐の手段のためだけに、他の命があるのだろう」
「………」
殺した方がいい。
今すぐ。
本能が、そう告げていた。
「……我を殺すことに、意味はないぞ。調律士」
(この男、本当に心が読めるのか!?)
「……では、窺いましょう。私の殺すべき者は、いつ現れるのです?」
「……そう遠くない、未来」
「それは、誰ですか?」
「……お前は、すでにもう知っている。いや、感じていると言うべきか」
「想いは、遂げられますか?」
「……未来は、誰の手にも無いのだ。ただそこに、未来があるだけだ」
眼を、閉じた。
あの記憶が、蘇ってくる。
忘れられなど、出来はしない。
この男、やはり殺した方がいい。
このまま話していれば、何かが変わってしまう予感がある。
それだけは、避けなければならない。
息を吸う。
眼を、開けた。
男の姿は、消えていた。
薄暗い部屋の一室で、玄蔵さんがものすごい速度でキーを叩いていく。
「よし。準備はいいぞ、鬼村。だが、このプログラムには声紋ロックが施されている。それをどう解くかが、問題だな」
玄蔵さんが、目の前のパソコンのディスプレイを見ながら、お父さんに言う。
「問題無い。奏、パソコンに向かって、何か言え」
「は、はいっ!」
僕はお父さんに言われるまま、パソコンに話しかける。
(音声照合、五色奏と確認、プログラム起動)
「ほう。鬼村。お前、声紋主の大体の見当はつけていたな?」
「それぐらい、わからなければな。杉原のコトだ、プログラムに多少の細工はしてあるだろう。それだけ、このプログラムにはヤツが隠しておきたいデータがあるということだ。電磁波の効かない子供について、ヤツは何か知っていた気配がある」
ディスプレイに、部屋が映った。
その部屋の中央。
僕がよく知っている人物が、佇んでいた。
「!? 貴様!?」
「久しぶりだな、鬼村。それに、奏君も。元気にしているようだね」
画面から、柔らかい笑みが、僕を見た。
「まさか、杉原め。自分自身を、データ化したのか!?」
「………杉原、どういうつもりだ?」
「驚いたかい? 私が苦心して作りあげたプログラムだ。このプログラムには、私自身が知っているあらゆる知識はもとより、思考方法なども組み込んである。言わば、AIの発展系かな」
そう言って、ディスプレイの中の杉原さんが、悪戯っぽく笑う。
生きていた時と、そっくりな笑い方だった。
「それで、このプログラムが起動されたと言うことは、私はもう生きていない。そういうことだろ、鬼村?」
お父さんは、少し不機嫌な顔で、杉原さんを見た。
「ふん、推察の通りだ。お前は車の転落事故で、死んだ」
「殺された、の間違いではないのかな、鬼村?」
「!? 何を馬鹿な……」
「計画の邪魔になった。それで、殺した。だが、予想外の事態が起こり、私が残しておいたデータを調べて、対策を講じる必要が出てきた、まあ、こんなところかな」
不快感を露にした顔で、お父さんが言う。
「頭の回転は、生前と何も変わらんな。その通りだ。お前に、一度だけ聞いておく、電磁波の効かない子供について、知っていることを話せ」
「例え知っているにしろ、お前に殺された私が、素直に言うとでも?」
「だろうな。まあいい。すでに、その子供らは私の手の平の上だ。すぐに捕縛して、貴様の目の前で殺してやろう」
その時、息を切らせた沼丘さんが、駆けこんできた。
「そ、総理! 少年達は警備の手をかいくぐり、なおも逃走中! このままでは、建物の外に逃げられてしまいます!!」
「貴様と同じで、役に立たん連中だ」
「いかがしますか、先生?」
「強護と巧に連絡しろ。奴らであれば、少年達を捕まえられるだろう。玄蔵、お前も行け」
「やれやれ、人使いの荒い総理だな」
「杉原に、早く見せてやらねばなるまい? 希望が、絶望に変わるところをな」
地下一階を、尚人と歩く。
もう、出口は近い。
だが、本当に脱出していいのか。
おそらく、琴乃はヤツらに捕まったままだ。
琴乃を置いて、自分だけ逃げるのか。そんな自問自答が、俺の中で繰り返されている。
「いや、それにしてもすごかったで。輝はんがこう、バキバキバキーっと。あっという間に警備員のした時は、夢でも見てるんかと思ったで」
「ん? ああ、……そうだな」
「なんや、元気無いなあ。なんか考え事か?」
尚人が、両手の銃を器用に回して見せた。
さっきの警備員から奪った銃だ。銃が得意らしい。
「なあ、尚人。お前、さっき救わないといけないヤツがいるって言ってたよな。そいつを残して、このまま逃げちまっていいのかよ」
尚人が一瞬、考え込む。
それから、真顔になって答えた。
「確かに、輝はんの言うことは正しい。そやけどな。わい一人がいくら頑張ったって、総理、言わば、国やな。そんなトコと戦おうとしたって、無理があるやろ」
「俺もいる」
「だとしても、二人や。二人で、何が出来る? いくら輝はんが喧嘩が強うても、警備員のすぐらいがせいぜいや。もっと強い敵、そうやな、例えば戦車とでも戦えるんか?」
「戦う。琴乃を救うためなら、俺は何だってやってやる」
「立派な心がけや。そやけど、犬死にしかならん」
「俺は」
「時期を待つ。それも大事やと思うで。悔しいけどな。どう考えたって今のわいらでは、大人には勝てへんのや。いくら、正しくともな」
「………」
何も、返せなかった。
俺は。
俺は、どうしたらいい。