一章(1):日常
「お前の授業、つまんねえんだよ。出てけ、このクソ先公が」
「自習にしろ、俺たちはお前がいなくても、勝手に授業やってるからよ」
黒板消しが、教壇に立つ教師の顔面にクリーンヒットした。
同時に、クラス中に笑いが起こる。
「あの、……静かに」
気弱で真面目な教師らしい。
何とかこの場を収拾しようと、粉まみれの白い顔で懸命に説得しようとしている。だが、無駄だろうな。
「ほら、早く出て行けよ。さもないと……」
野球部の男子か。持ってるのは硬式のボールだな。
アイツ、ピッチャーだったような気が。
風を切る気持ちの良い音がし、次に、木に何かがめり込む派手な音が聞こえた。
その音と同時に、教師が慌てて教室を飛び出す。
避難場所は、職員室辺りだろう。
別に、こんな光景は珍しいものじゃない。
どの学校、どの学年のどのクラスにも、当たり前にあることだ。
こんな感じになったのは、相次ぐ教師の不祥事とか、マスコミの子供の人権保護のための報道の結果なのかもしれない。俺は考えるのは苦手だから、それ以上のことはわからない。
まあどうあれ、見慣れた光景、ありふれた日常。全くもって、日本は平和らしい。
チャイムが鳴るのを聞くとすぐ、教室を後にした。
廊下を歩いていると、同学年のヤツだろうか、何やら俺の顔を見てニヤつきながら近づいてきた。
「おい、輝。今日も、彼女がいつもの場所で待ってるぞ」
いいかげん、毎日同じセリフを聞く俺の身にもなってくれ。
「だからな、アイツはそんなんじゃないって」
「ちっ、余裕だな。悔しいが、羨ましいぜ……」
「聞けって」
昇降口で靴を履き替えていると、また同学年のヤツから声をかけられる。
「あ、輝君。君のかわいい彼女、校門に立ってたよ。早く行ってあげれば?」
どうしてこうも、こういう話が好きなヤツが多いんだろうな。
年頃だとか言ってしまえばそれまでなんだが、標的にされる人間の感情、その他もろもろも多少は考えて欲しいもんだ。
「期待に添えなくて悪いが、アイツとは本当に何も無いからな」
「えー、何も無いわけないじゃない。それは、事実でしょ?」
痛いところをつかれる。
ああ、そうだよ。
何もなさそうで、事実あるから、こんなにも変に有名になるんだよな。
「それじゃ、頑張ってね。下校デート」
俺がこんな感じでいじられるようになったのは、アイツが俺の高校に入学してきてからだ。
できれば、別の高校に入学して欲しかったが、何故かアイツはこの高校に行きたいと言って聞かなかった。アイツの学力なら、地元の名門私立だって楽勝に行けたはずなのにな。
最近、アイツの考えることが、時折わからなくなる。
校門に行くと、見慣れた姿が俺を出迎える。アイツは、俺の姿を認めると、駆け足で俺に駆け寄ってきた。
「久しぶりだね、兄さん」
「朝、ここで別れたはずだが」
「ふふ、冗談だよ。兄さんが帰るの、ずっとここで待ってたんだ。兄さんは、今日も早いんだね」
「悪いな、どうせ俺は暇だよ」
「いいの。だって、こうして一緒に兄さんと帰れるんだもん」
下校する数人の生徒の視線を感じる。
今の妹の言葉を聞いていたんだろうな。驚いてるヤツ、生暖かく見守るヤツ、あきれるヤツ。
果ては何だか、殺気のようなものも感じてならないんだが。
とにかくも、校内でそういうある意味問題発言は止めて欲しいな。
「さ、帰ろ、兄さん」
「おい、待てよ、琴乃。そんな、腕引っぱんなって」
琴乃は俺の妹だ。
だが、本当の妹ではない。
琴乃と琴乃の両親が、身よりもなく街を彷徨っていた俺を、養子にしてくれた。
あれは、八歳の頃のことだ。その時のことは、今でも鮮明に覚えている。
「ん、兄さん、どうかした?」
「……いや、何でもない」
だから、琴乃とは血が繋がっていない。
それでも、琴乃は俺の大事な妹だし、家族でもある。
俺の命に代えても、守らなくてはならないもの。
いつからか、自然とそんな風に考えるようになっていた。
それは、俺を養子にしてくれた、琴乃の両親に報いることにもなる。
「ねえ、兄さん、帰りにどこかに寄っていこうよ。駅前に、良い店見つけちゃったんだ」
「ああ。良いけど、あんまり遅くなると母さんが心配するからな。ちゃんと暗くなる前に帰るぞ」
「もう、兄さんは変なトコお堅いんだから、……っ!」
琴乃が、途中で不意に言葉を切る。
「ん、どうした!? 大丈夫か、琴乃!」
「わかんない、でも何だか急に頭が痛くなって、……痛っ!」
「待ってろ! 今、保険医を呼んでくるからな!」
焦って周囲を見回すと、全ての生徒が、琴乃と同じように頭を抑えて苦しんでいた。
何だ、これは?
いきなり、これほどの人数が同じ症状になるなんて。
全速力で駆けた。
考えるのは止めにした。俺は自慢じゃないが、頭はそんなに良くない。成績も、下から数えたほうが数えやすい。考えるのは、インテリぶった奴らの仕事だ。俺は、今の自分に出来ることをするだけだ。
保健室が見えた。
駆け込む。
保険医は、平気な顔をして座っていた。
おかしい。何故、生徒だけがあんな症状になるんだ?
だが、今はそんなこと、どうでもいい。
「先生、妹を、助けてくれ!」
薄暗い路地裏。
大通りから少しわき道に入った、雑居ビル。
所有者がどこかに姿をくらましたのか、今や窓ガラスも割れ、単なる廃墟と化してしまっている。
「チンピラ共の取引の場には、もってこいの場所ですね」
黒手袋を両手にはめる。
不衛生極まりない場所だ。
本来、一般人はこんな場所に近づきもしない。
「仕方ありませんね。なにせ、数億単位の金が動くというのですから」
暗闇の中を、静かに進んでいく。
前方に、人相の悪い男が立っていた。
おそらく、見張りだろう。手には、拳銃らしきものも見える。
「おい、小僧。テメエ、こんなトコで何してるんだ? さっさと失せな。じゃねえと、殺すぞ」
「貴方こそ。いえ、貴方達こそ、何をしているんでしょうね? もしかして、麻薬の取引ですか?」
チンピラの顔色が変わる。
全く、馬鹿な男ですね。扱いやすいこと、この上ないですが。
「なっ? テメエ、何で、そのことを知ってる!? さては、サツから依頼を受けてんのか? なら、仕方無えな。ここで、死んでもらうぜ」
そう言って男は私に銃口を向ける。
「クス、残念ながらハズレですよ。私は、誰の命令も受けはしない」
「死ねや!」
唇を尖らせ、音を奏でる。
おぞましい恐怖へと誘う、旋律。
「ぐ、ぐああっ! き、貴様っ! 一体何をっ!?」
男の銃口が私ではなく、男自身の頭部に当てられる。
男の腕が、必死に抵抗しているかのように、小刻みに震えていた。
引き金に、指がかかる。
「い、嫌だっ! 俺は、まだ死に……」
「死になさい、下衆」
爽快な破裂音と共に、液状の赤い物体が、派手にその場に飛び散る。
中には、固形のものも混じっているようだ。
靴の底についた血を、男の半壊した顔で拭いながら、ため息をつく。
「全く、手間をかけさせてくれますね。今の銃声で気づかれてしまったではありませんか」
ざわめき声が、目の前の扉から聞こえてきた。
仕方ないですね。
私としては、もっと穏便に事を済ませたかったのですが。
扉を、開ける。
想像通り、薄暗い部屋には数人の男がいた。
中央のテーブルには、二つのアタッシュケースと高価な背広を着た二人の男。
アタッシュケースの一方。
白い粉末の入った袋。
もう一方には、隙間なく札束が詰め込まれている。
チンピラ達は一瞬驚いた顔をしたものの、私の姿を見た途端、一様に安堵の表情を浮かべた。
「何だ、サツかと思ったら、ただのガキか。構わん、殺せ」
中央に座している二人の男のうち、一人が周囲のチンピラに指示を出す。
即座に、数人のチンピラの銃口が、私を捉える。
口笛を、吹いた。
燃え上がる、殺戮への本能を呼び覚ます旋律。
「な、何だこれは!? あ、頭があっ!!」
さようなら。
痛みすら心地良き狂乱の宴で、果てなさい。
「「「「「があああっ、死ねしねシネ死ねしねシネえええぇっ!!」」」」」
狭い室内に、無数の銃声と叫び声が木霊する。
騒音が、静まる。
血煙の中に、立っているものは誰もいなかった。
アタッシュケースへと歩み寄り、中身を確認する。
「この質と量なら、二億といったところですか。キャッシュも、ほぼ同額のようですね。クス、こんな汚らしい場所に来た甲斐があったというものですよ」
現金の入ったアタッシュケースを、手に持つ。
麻薬の入った方は、無造作に宙へ放り投げた。
「おっと。ずいぶん乱雑に扱うじゃないか、司」
それを待っていたかのように、暗がりから人影が飛び出し、アタッシュケースを抱きとめた。
「それは、貴方の今回の取り分ですからね、私のとなれば、話は別ですが」
「たく、ひどいな。ここが取引の場所だってわかるのに、どれだけ苦労したのか知らないから、こんなことができるんだ。本当に苦労したんだぜ」
そう言って、男はニヒルな笑みを浮かべる。
雪月巧、二十九歳。
私とは、年が一回り近く離れている。
私は、別に巧を気に入っているわけではない。かといって、嫌っているわけでもない。
だが、私は、何故かこの男に、惹かれる「音」を聞く。
私と巧は、同じ孤児院で育った。だからかもしれない。
「フ、なかなか良い品物だな。……それにしても、司。お前、また派手にやったな」
喉の奥で、笑いを噛み殺しながら答える。
「仕方がないでしょう? 相手が私を殺そうとしてきたんですから。ならば、私は殺すしかない。単純な事ですよ」
「お前の場合、殺し方がグロいんだよ……」
「クス、私は、このゴミ共に華々しい死を与えてやったのですよ。逆に、感謝してもらいたいものです」
「後始末が大変なんだぜ。証拠を残せば、サツが嗅ぎつけてくるし。仕事がやりにくくなるんだぞ」
「構いませんよ、私は。困るのは、貴方でしょうしね」
「ち、いつか覚えてろよ」
「………」
「何だ? 怒ったのか、司?」
「………静かにしなさい」
「どうかしたのか?」
「………」
妙な「音」が聞こえる。
雑音
それも、大きな音だ。まるで、日本全てを包み込んでしまうほどの。
何だ?
一体、何が、始まろうとしている?
眼を閉じた。
何も、見えない。
滝の落流音だけが、感じ取れた。
山の中。人が滅多に来ない山奥。
肩にかかる水圧に、飲み込まれそうになる。
立ち上がり、滝に背を向けた。
身体を拭く。拭いていると、上空に聞きなれた声が聞こえた。
その鳴き声の主が、声を発しながら、ゆっくりと旋回し我の肩に止まった。
「街はどうだ? 夕凪」
(何かが変わったな。何とは言えないが、そのせいで、子供達に異変が起きている)
「いよいよ、始まったか……」
(聖の出番だな。お前が、望もうが望むまいが、いずれそうなる)
「我は、人間などに興味はない」
(わかっている。だが、抗えぬ流れもある。お前も、それは見えているのだろう?)
「………」
(まあいい。お前はそうしていろ。今はまだ、動くべき時ではない。私はまた、街を見てくる。何が起こっているのか、知りたいものでな)
夕凪が、風を切る音を響かせながら、両翼を広げる。
そして、我の肩から大空へと、勢いよく舞い上がった。
鷹は羨ましいな。
あの翼があれば、どこへだって飛べるだろう。
人間の存在しないところへなど、容易に。
「時が、………動くか」
人影が横切った。
ためらいもなく、その人影に発砲する。
人影が倒れ、わいの背後を、また別の人影が横切った。
振り向きざま、撃つ。人影が、発砲音と共に倒れた。
十のターゲットの内、十に命中。
「完璧やな。どや? 親父」
銃の手入れをしながら、親父、陣野玄蔵が答える。
「確かに、お前の腕は上がったかもしれん。だが、わしの域には到底及ばんな」
「か~、今カチンときたで。そこまで言うなら、親父がやってみいや」
「よかろう」
そう言って、親父はいじっていた銃のホルスターに弾を込め、指定の位置につく。
そして、昼寝でもするかのように眼を閉じた。
何してんねん。
あんなんやったら、当たらへんやないか。
「………」
ターゲットが、親父の右斜め三十度の位置をよぎる。
親父は眼も開けず、動かない。
親父の腕が、動いた。
「!?」
眼を閉じたまま、ターゲットを正確に補足している。
撃った。ターゲットが、音を立てて倒れる。
まぐれや。
あんなん、ただ、勘で撃ってるだけや。
今度は、ターゲットが真後ろに現れた。親父は微動だにしていない。親父の腕だけが、まるで機械のように、正確にターゲットを捉える。
続けて、二発。
よく見ると、一発はターゲットの頭、もう一発は、心臓の位置を寸分違わず打ち抜いていた。
「どうだ、尚人? お前に、この技が出来るか?」
撃ち終わった親父が、わいに聞いてきた。
「はん。そんなん簡単な芸当、動物園の猿でもできるわ。けど、今日はもうやる気も起きへんからな。また今度で、勘弁したるわ」
わいは射撃場を出て、自室に戻った。
親父の技を見せつけられて、正直、良い気分では無い。
こんな時は、どこぞのコンピューターにでもハッキングして、この嫌な気分を晴らしたかった。
パソコンを立ち上げ、ネットで今日の獲物を物色する。
「この前はFBIのパソコンに入ったしな。そや、まだ内閣府に行っとらんな」
さっそく、内閣府のパソコンにつなぐ。
ハッキングと射撃。どちらも、親父から学んだ。
それも、物心のつかない子供の頃からだ。
今では、銃の腕では親父以外には誰にも負けへんし、ハッキングはどこへだって、バレずに行える。
「どれどれ……」
内閣府のデータに残っている電子メールの履歴を見る。
メールが出来てからは、簡単に情報交換ができる代わりに、こうやって人に見られる危険性も増大したわけや。
かえって、わいには好都合やけど。
「ん、何々……。内閣総理大臣、鬼村外道から沼丘学。『例の件は明日、実行に移す。準備を怠るな』何や、このメール? 例の件とかいう言葉を使うあたり、なんや意味深やな。しかも、日付は四日前になっとる。てことは、もうこの計画は実行に移されたわけやな」
何や、なんかわいの知らないトコで、面白いことが起きてるやんけ。
調べてみる価値は、ありそうやな。