五章(4):神眼隠者
「……完全に、覚醒したようだな」
(ふむ、わかるのか?)
「……見えずとも、少しは、な」
物陰に潜んでいた。壁一つ隔てての、対峙。どちらも、攻める機を窺っている。
布を取り、眼に巻き直した。激しい動きをすると、どうしても少しずつずれてくる。ここまで、駆け続けてきたのだ。
(布は、取らぬのか。腕は大したこと無いが、あの銃相手では、少々面倒だぞ?)
「……山に籠もった頃より、我は眼を隠し、力のほとんどを封じてきた。今更、取るわけにはいかん」
(だが、初めて私と会った時、お前は布を巻いていなかったぞ?)
「……」
確かに、そうだった。夕凪と会って数年の間は、眼など隠していなかった。
我がこの力を封じようとしたのは、あの時からだ。
きっかけは、些細なことだった。
水に映った自分。それを見た。
自分の未来が、見えた。
そして、見えてしまった。
夕凪の未来。
見ようとしても、何故か見えなかったもの。
我の未来を通して、夕凪の未来が見えたのだ。
そして、その時から、力の大部分を封じ、未来を見えなくした。
布を眼に巻きつけるようになったのは、その時からだ。
(それにしても、初めて見たお前の姿は、強烈なものだったぞ。今にも、自分の眼を潰してしまうかのような顔をしていた)
皮肉を言われている。腹は立たなかった。
あの頃の我は、ただ孤独だった。死ぬか、力を消滅させることだけを、いつも求めていたのだ。
「……汝が友になるなど、考えもしなかった」
(ははは。それは、私も同じだ)
「あれから、幾たびもの季節が巡った。長い、旅だった」
のんびりと、夕凪と、昔の話をした。
(その口ぶりだと、今から死ぬように聞こえるな)
夕凪が、鳴き声をあげながら、笑った。
つられて、少しだけ笑った。
「……そろそろ、行くぞ、夕凪。弾に、注意しろ」
(ああ、わかっている。お前が怪我をしたら、私が治してやろう)
夕凪には、傷を癒す力がある。翼で、風を起こす。それで、何故か傷が治った。軽度の傷ならば、すぐにふさがる。魔旋風に一度、使っていた。
何故、夕凪にこの力があるのか、わからなかった。見えないのだ。わかりようは無い。本人も、生まれるつきだと言っていた。
「……我の心配はするな。自分の心配をしていろ」
(ふっ、そうだな。では、行くぞ)
言いながら、夕凪が、我の肩から飛び立つ。
すぐさま、夕凪に銃弾が集中する。夕凪が引きつけている間に、倒す。そんなことは、言わずともわかっていた。
飛び出す。
こちらにも、銃撃が来た。ガトリング。一度に発射できる球は、多い。全ての球の軌道を見通し、避けた。
「ヒヒ。ネズミらしく、ちょこまかと……。ですが、これならどうですかな?」
阿武隈はガトリングを放り投げ、近くのボウガンを手に取り、構えた。
矢の先は、夕凪。
矢が発射される。すぐに、夕凪が右に旋回した。矢は真っ直ぐ飛ばず、夕凪を捕捉するかのように、右に曲がる。
「追尾型の、ボウガンです。ヒヒヒ、逃がしませんよ」
夕凪が体をひらりと翻し、ぎりぎりのタイミングで、矢を避けた。
阿武隈が、次の矢をつがえる。放つ。放たれた矢は、夕凪を狙っていた。
夕凪。
左右に飛びながら、必死に矢の軌道を狂わせようとしている。
それでも、矢は正確に捕捉していた。
「ヒッヒッヒ、このボウガンは最新式なのです。そんな小手先程度で、かわせはしませんよ」
矢が、夕凪の翼を掠めた。それで、夕凪のバランスが崩れた。真っ直ぐに、地面へ落下していく。
ボウガン。止めなくてはならない。あの状態で狙われれば、避けられないだろう。
近づく。
銃弾の、雨。
阿武隈の手に、ガトリングが握られていた。
「ヒッヒ、あなたは、そこで大人しくしていなさい」
近づけない。
避けることは出来るが、近づくことは困難だった。
ボウガン。矢。真っ直ぐに、夕凪に飛んでいく。夕凪はまだ、空中で体勢を整えきれていない。
かわしきれない。
眼を隠していた布を、引きちぎった。
瞬時に、能力を開放する。
空間転移。
夕凪と矢の間。庇うようにして、割りこんだ。
目の前。
矢。
構わなかった。切っ先が、腹に入ってきた。何か熱いものが、体を貫いた。
「……くっ」
激痛が走る。立っていられなかった。片膝をつく。
「おやおや、自分のペットを庇ったのですか? ヒヒ、甘すぎますねえ」
阿武隈が、ガトリングを我に向けて、立っていた。
「……夕凪は、ペットなどではない。我の、友だ」
「その友を庇って、死んでいく。夕凪さんは、馬鹿なお友達をお持ちのようだ」
「……ふ、これで、良いのだ。我の望みは、叶った」
我の未来を通して、見えたもの。
夕凪の、死。
それがどうしても、受け入れられなかった。
我を絶望から救ってくれた、友。
我の、唯一の、友。
夕凪を庇って死ぬことに、何の迷いも無かった。
未来を、変えたかった。
見えてしまった、未来。
それを、自分が身代わりになることで、変えたかった。
それが、友になってくれた夕凪に対する、感謝の気持ちだから。
それが、我が夕凪に対して出来る、最後の恩返しになるのだから。
生きて、欲しかった。
友に、生きて欲しかった。
そのためだけに、課された使命を果たし、ここまで来たのだ。
ようやく、旅は終わる。
望みは、叶うのだ。
「友を庇って死ぬのが、望みですか。ヒヒ、つくづく救いようの無い馬鹿ですねえ。いいでしょう。望み通り、殺して差し上げましょう」
ガトリングが向けられる。
自分が死んでいく未来が、見えた。それで、良かった。
あとは、無事に夕凪が逃げてくれればいい。夕凪の未来が見えないのが、少し残念だった。
無数の弾が向かってくる。弾道は見えた。避けようとは、しなかった。避ければ、後ろの夕凪に当たってしまう。
その時、黒い物が、不意に、目の前に飛び出してきた。
「!?」
夕凪。翼を広げていた。無数の銃弾が、翼を、体を打ち抜くのが、ひどくゆっくりと、見えた。
(ふ、少し格好良すぎるのではないか、聖? 私にも、少しぐらい、格好をつけさせろ)
そう言って、夕凪は血を噴出しながら、倒れた。
「夕凪!!」
胸で、大きく息をしていた。血は、体から流れ続けている。
「やれやれ、飼い主が馬鹿なら、ペットも馬鹿なのですねえ。さっさと逃げれば良かったものを」
「っ! 貴様!!」
腹に刺さった矢。無理やり、引き抜いた。血が、勢いよく噴出してくる。構わなかった。
手に持った矢。投げた。手を離れる寸前、転移させた。
阿武隈。左胸。矢が、貫いていた。何が起きたか、わからないようだ。呆然としている。
「……?」
ゆっくりと、左胸を見る。
「………ヒヒ、ヒヒヒ。そうですかそうですか。私はもうすぐ、死ぬのですか」
阿武隈は、ガトリングを捨て、懐から拳銃を取り出す。そしてそれを、自分の頭に当てた。
「すみません、先生。私はどうやら、ここでお別れのようです。あなたの作る世界を、もっと見ていたかったとは思いますが、十分です。先生は、私に、夢を見せて下さいました。とても素晴らしい、夢です。夢半ばで逝きますが、どうかお許しください。それでは、さようなら」
銃声が一度、虚空に響いた。それから、静かになった。
「夕凪、しっかりするのだ! 死ぬな!」
まだ、眼には生の色がある。
助けなくては。
「何故、我を庇った!! お前を庇って死んでいくことが、私の望みだったのだ! 何故、逃げなかった!」
夕凪は、血まみれの体を起こし、羽ばたく。
我の傷が、少しずつ塞がっていくのがわかった。
(友を捨てて、私だけ逃げる。そんなこと、出来るわけがなかろう?)
「馬鹿だ。お前は、馬鹿者だ!」
(そう言うなら、お前の方が、ずっと馬鹿だ。お前が、私の身代わりになって死ぬ。それを、私が悲しまないとでも思ったのか?)
そう言って、夕凪は少し笑う。
「しゃべるな! 今、傷の手当てをする。今手当てをすれば、助かる」
(もう、手遅れだ、聖。さっきから、何も見えなくなってきている。ずっと、暗いのだ)
「うるさい! 我が、汝を助ける。どんなことをしても、助ける!」
(死ぬ前に、言っておきたいことがある)
「……死ぬなどと、言うな」
(聖、頼む。聞いてくれ)
「………何だ?」
(私は、杉原によって創られた)
「!?」
(鷹の受精卵に、ET因子を組み込んだ。そうして生まれたのが、我だ。ET因子を持つがゆえに、ETと言葉を交わすことができ、傷を癒す能力を持つ)
「……何故、杉原が?」
杉原が、我に隠していたというのか。夕凪に関することは、我にも見通すことは出来ない。
(杉原は、お前を心配していた。人の輪の中で、孤独を持て余していた、お前をな。だから、私を創り、お前に引き合わせた)
「……汝と出会ったのは、偶然では無かったのか」
(そうだ。杉原は、お前の孤独を救うために、何も見通すことの出来ない私を、お前の元に送り、友にさせようとした。そして、お前と私は、友となった)
「……そうか」
(幻滅したか?)
「……いや。出会いはどうあれ、汝と我が友であることに、何ら変わりはない。汝との日々は、我にとって、最上の日々だった」
(ふ。私も、お前との日々は楽しかったよ、聖)
夕凪が一度、血を吐いた。夕凪の口を、法衣で拭った。
「死なないでくれ、夕凪。また我を、一人にしないでくれ」
(お前はもう、一人ではない)
「………我は」
(お前には、仲間がいる。あの者達がな)
ETのことを言っているのだと、わかった。わかってしまう自分が、何故か、悲しかった。
(私の代わりに、見届けてくれないか?)
「……何を?」
(あの少年達が紡ぎだす、未来をだ)
「……わかった」
そう、言うしかなかった。夕凪の死を、受け入れなくてはいけない。例え受け入れられなくても、受け入れなくてはいけない。
今、友は逝こうとしている。我に、不安をかけまいとしているのだ。心は見えないが、それぐらいは、わかった。
だから、笑顔で見送ってやるのが、友として僅かでも我が出来ることではないか。不安を持たせたまま、友を逝かせたくはなかった。
安心して逝かせてやろう。
多分、それが、我が夕凪に対して出来る、最後のことなのだ。
落ち着こう。落ち着いて、夕凪を見送ろう。
夕凪の顔に、死の色が浮かんできた。
(生まれ変わっても、私はお前の友となろう。だから、しばしの別れだ)
「……今度は、我が鷹か、汝が人間の方が良いな。汝の飛んでいる姿が、我には羨ましかった」
(ふ。私も、何でも見通せる眼を持つお前が、羨ましかったよ。唯一、私のことは見通せなかった。これは、自慢していいな)
「……勝手に、黄泉のほとりで自慢していろ。我に、聞こえるようにな」
(ははは、そうだな)
夕凪の顔。死の色が、濃くなっていた。
「……別れの言葉は、言わぬぞ。我らはまた、会うのだからな」
(ああ。……またな、聖)
「……また会おう、夕凪」
夕凪の眼が、ゆっくりと閉じられた。
しばらく、その顔を見ていた。
一度だけ、夕凪を強く、抱きしめた。
「……行かなくては、な」
夕凪を腕の中に抱いて、立ち上がる。
まだ、約束は果たしていない。
見届けなくては。
最後まで。
少年達の行く末を。
それが、友の想いなのだから。
夕凪を抱いて、歩き出す。
涙が、いつまでも、頬を濡らしていた。




