三章(4):食事
「……なあ。わいら、こんなトコでのんびりしてて、ええんか?」
目の前で、魚が、音を立てながら煮えている。
何やら、おいしそうな匂いもしていた。
(予想以上に、早く進めた。お前のハッキングと、案内があったからだな)
「そりゃ、どうも。まあ、まだ、輝はんらもあんまり進めておらへんようやから、急ぐ必要も無いんやけどな」
西ビル、二十五階。
わいのハッキングで、この建物の構造を調べ、監視カメラの位置を知り、わいらと輝はんらの近場の監視カメラを潰した。
予想以上の速さでここまで来れたが、それは、わいの力だけではない。聖はんの先導があったからだ。
一見すると遠回りに思えるその移動が、見事に敵の裏を掻いていた。
それで、余計な戦闘をすること無く、ここまで来れたのだ。
少し広めの実験室。
巨大なビーカーに、アルコールランプで魚が煮えていた。
「だからって、こんな状況で食うことないやろ?」
(私と聖は、山暮らしだったからな。規則正しく食べないと、力が出ないのだ)
「我慢を覚えてや」
さっきから、聖はんは無言で、干した魚を焼いていた。
魚は、山で聖はんが取った魚で、いつも干したものを腰の皮袋に入れているらしい。
皮袋の中がどうなっているのか、少し気になった。
「……焼けたぞ、夕凪」
ガラス棒を通した魚を、夕凪はんの前に置く。
(うまそうだ。では、悪いが私は、先に頂くとしよう)
夕凪はんが、勢いよく魚を食いちぎり始める。その光景だけ見ていると、ただの鷹にしか見えない。
ビーカーには、水と塩と胡椒、そして魚が入れられていた。
聖はんが腰の皮袋からまた何か、袋を取り出す。
そして、その中から粉のようなものを取り出し、ビーカーの中にふりかけた。
「……これは、最後に入れる。煮すぎると味が濃くなり、魚そのものの味を殺すからだ」
「そうなんか。ごっつ、うまそうな匂いに変わったな」
「……完成だ」
大きなビーカーから小さなビーカー二つに、中身を移し替える。
ガラス棒が二本渡された。
箸、ということなのだろう。
「そんじゃ、頂くわ」
汁をすすった。
「う、美味い!? 何や、この味。こんな美味い味、今まで食ったことないで! 最後に入れた粉が、決め手やな? アレ、何なんや?」
「………何種類もの山の木の実を、乾燥させてからすり潰す。それに、塩、酒、果実の汁を加える。それを混ぜ、発酵させた後、乾燥させていくと、このような味になる」
「絶品やな。最初は薄い味やと思ったけど、だんだん濃くなって、うま味が増してくる。そして、後味にほんのりとした甘味が口に残る。そんなに手間がかかる聞いたら、納得の味やな」
箸を持つ手が、止まらない。
あっという間に、最後の汁をすすり、ビーカーが空になった。
「ごっそさん、うまかったで」
「………」
いつの間に食べ終えていたのか、聖はんのビーカーの中身も、無くなっていた。
聖はんが、流しに使い終わった器具を洗いに行く。
それを見計らって、小声で夕凪はんに話しかける。
「いつも、あんな調子なんか?」
(あんな調子とは?)
「ほとんど、しゃべらへんやないか」
(ああ、そういうことか。聖は、昔からあんな風だったよ)
「昔って、いつからや?」
(わからないな。ただ、初めて聖に出会った時、こんな人間もいるのだろうかと、私は正直、驚いたな)
「驚いた?」
(ああ。あの時の聖の眼は、忘れられない)
「眼? 聖はんは、盲目なんやろ?」
(見えなくて良いものが、見える。だから、見えぬ方が良いのだといっていた)
「盲目と違うんか?」
(それは、聖にしかわからん)
「ま、そうやろうけど」
(さっき、驚いたと言ったが、それは、聖が人間に見えなかったからだ)
「何やそれ?」
(わからん。だが、私が初めて聖を見た時、人間ではない、何か違うものを見ているような気がしたのだ。幼い少年だった、聖にだ)
「信じられへんな」
(聖には、心が無かった。いや、今考えれば、心が完全に閉じていた。誰にも、心を開こうとはしなかったのだ)
「今も、たいして変わらんやんけ」
(あれで、ずいぶんと、心を開くようになったのだ。私が語りかけているうちに、少しずつ、心を開くようになった。それから、森の木々や動物とも)
「……この際、何で聖はんが木々や動物と話せるのかは、ツッコまへんけどな」
(聖が、あのようになった理由を、私は知らん。聖は、何も話そうとはしないのだ。だが、私は、聖の友だ。友である限り、私は、聖と共に生きる。それが、私が聖と共にいる理由だ)
少し経って、聖はんが戻ってきた。
「魔旋風、調律士と連絡が取れた。もうすぐ、東ビル倉庫に突入するようだ。我らも、突入するぞ」
「踏み込むのは、同時がええな。あちらさんも、戦力を二分するやろうし」
(ふむ。やはり、こちらの動きは、読まれているか)
「当たり前や。いくつかカメラを潰したけど、全部は潰しとらんからな。わいらを捕捉するのは、簡単でなくても、可能や。それに、あっちにも油断でけへんもんらがおる。わいら三人が、二度も捕まってるんやからな」
親父がいたら、まずいことになる。
西ビル倉庫のわいの銃が無ければ、対した場合、勝ちの目は限りなく薄い。
急げるだけ、急いだ方がいい。
親父を恐れている自分に、少しだけ苛立った。
高速で、パソコンのキーを打っていく。
監視カメラが、時々、誤作動を起こす。
それも、逃げ出した少年達の進路と思われる場所の前後がだ。
それで、捕捉が確実なものでは無くなってしまっている。間違いなく、尚人のハッキングによるものだろう。
尚人は、格段に成長している。ハッキングをブロックするために、わし自身が幾重もプログラムを組んでいたのだ。
「玄蔵。逃げた少年達は、どこへ向かっている?」
鬼村の怒りは、ようやく収まってきていた。
「おそらく、東と西、両ビルの倉庫。少年達から奪った武器などが保管してある。それを使えば、戦力が格段に上がるのだろう」
「たった四人に、それほどの戦力があるとは思えませんが」
沼丘が、恐る恐る意見を述べる。
「いや、一人一人が特殊な能力を使えば、一人で百人の相手が出来る。それに武器が加われば、その強さは、予想も出来んな」
ギリギリの、勝ちだった。
紙一重。
その紙一重を分けたのは、持っている銃の性能だけだった。
腕自体は、ほぼ互角。
いや、ひょっとすれば、もう尚人に超えられているのかもしれない。
改めて思い返せば、冷たい汗をかく。
尚人の愛用の銃でやりあっていれば、本当に五分だった。
どちらが勝つか、わからなかっただろう。
「先生、申し訳ありません。私の、不手際でありました」
阿武隈は、憔悴していた。
少年達を逃がしてしまったのは、自分のミスだと感じているのだろう。
しかし、報告を聞いた限り、脱出の手助けをした聖という少年は、並みの人間ではない。
やはり、何かの能力を持っているとみて、間違いない。
それが何なのか、阿武隈も掴みかねているようだった。
また、振り出し。
逃げた少年達は、脱出しようとはしていない。
捕捉し、何人かの警備員で、攻撃を仕掛けた。
だが、損害を出しただけで、捕縛は出来なかった。少年達の目的がどこにあるのか、読めなかった。
それが、動きの中で、ようやく読めてきた。
まず、考えられたのは、脱出。
だが、この想定はすぐに無くなった。
脱出するだけならば、脱獄時に出口に向かうはず。
だが、少年達の進路は、このビルの上部。その段階で、少年たちの第一の目的が、脱出ではなく、武器や人質の奪還にあると思われた。
それだけならば、まだいい。
もっか一番の懸念は、このビル最上部のアンテナの撃破、もしくは稼動システムの停止を目的とされる場合。
そうが実現した場合、計画は一時的にではあるが、止まる。
そして、それは懸念ではなく、すぐ次の現実にありえるものだ。
武器で戦力を増した少年達。
その勢いのまま、計画を潰しにくることは、十分考えられる。
いや、感じるのだ。
自分の知っている尚人なら、間違いなく、そうしてくる。
「阿武隈、済んだことは良い。それより、両ビル倉庫の配置はどうなっている?」
「はい。東に、戦力を集中させました。警備員の数は、百ほど。おそらく、敵はこちらが戦力を二分すると読んでいるはずです。西ビルに向かったのは、少年達を助け出した聖という少年。いわば、得体の知れない怪物です。それよりは、東ビルに向かった二人の方が、組みやすいかと」
「裏を掻く、か。東には、強護もいたのだったな」
「はい。あの者ならば、止められると推測されます」
「西の配置は?」
「警備員が、三十ほどです」
「それだけか?」
「西は、撹乱されていまして。今すぐ配置できる警備員は、それほどおりません」
「抜かれてしまうな」
「ええ。ですが………」
阿武隈が鬼村に耳打ちする。
鬼村が、少し笑ったのがわかった。
「クク、そうか。ならば、試してみるがいい」
「はい。それと、例の血しょうですが、完成したようです」
「よし、ここに持ってこい。それと、あの出来損ないもだ」
阿武隈が出て行く。
部屋には、沼丘、鬼村、わしの三人。
奏は別室。杉原からは、これ以上の情報は出ないと、プログラムを落とした。いつでも、また立ち上げられる準備は出来ている。
「配置を、どう思う、玄蔵?」
「まあ、悪くはない。だが、わしは、東も抜かれてしまうのではないかと思っている」
「強護と百の警備員を集めても、か?」
「まともにやりあうなら、捕縛も可能だろう。だが、少年達は、まともにやりあうことは、避けると思う」
「逃げられる、か」
「今のところはな。少年達は、脱出しようとはしていない。おそらく、電磁波自体を潰す気なのだ。それならば、他にやりようはある」
「クク、そうだな」
鬼村が、不敵に笑う。
おそらく、ワシにも教えていない切札を、いくつか持っている。
それはほとんど、確信に近いものだった。
足音が二つ。
阿武隈と奏。
阿武隈の手には、透明な液体の入った注射器が一本、握られていた。
「来たか。阿武隈、それを奏に注射しろ。私の推測が正しければ、面白いことになる」
針が、奏の腕に刺される。奏が、不安そうな顔をした。
鬼村が何を狙っているのか、まだ読みきれない。
ある時から、三人がそれぞれ、別のところに立っている気がしていた。
少年犯罪によって家族を殺された、三人の男。
それを許した、社会への復讐。
その意味で、自分と鬼村、そして杉原は、確かに同じ場所にいた。
いつからだろうか。
鬼村を、遠くに感じたのは。
多分、杉原も同じ。いや、杉原は自分よりも強く、それを感じていたのだろう。
だから計画から降り、粛清された。
自分の憎しみは、まだ消えていない。
確かな思いとして、それはまだ心の中に燻っている。
だがそれでも、鬼村とは違う場所に立っている、と感じてしまうのだ。
尚人がいたことが、一番の要因だったという気がする。
何か、つながりがあった。
赤ん坊の尚人を見た時から、何か心に触れてくるものがあったのだ。
託したい、という思い。
自分の何かを、受け継ぐものがいて欲しいという、思い。
そうなるはずの息子は、殺された。
それから、その思いが前より強くなったと思う。そして尚人を見た時、その思いは、確信へと変わった。
少年達を、管理・統制しようとすること。
それが、必ずしも間違っているとは思わない。だから、この計画を知った尚人と、敵対することになった。
人一倍、正義感があった。そうなるように、育てたからだ。
そして、成長していく中で、色々な考えを取り入れ、様々な視点から物事を捉えるようになった。
だから、尚人はおそらくわかっているだろう。
絶対無二の正義など、存在しないことに。
自分に欲得となる正義などでは無く、ただの強い主張に過ぎない正義などでは無い、もっとぼんやりとした、何か。
掴めるようで、掴むことなど決してできない、何か。
それが、正義。
そして、思想なのだと。
それを、尚人は理解しかけている。理解しかけているからこそ、尚人はわしを止めようとしているのだろう。
だから、引けないのだ。
尚人がわしを止めようとするように、わしも、引けない。
どちらの思いが正しいかなど、当事者同士でわかるはずも無い。
だから、結局は戦って、殺しあうことになる。
殺したくはなかった。
だが、敵対した以上、殺しあわなくてはならない。
そういう縁もあるのだ、と思い直した。
「沼丘。奏を連れて、東倉庫に向かえ。少年達を、止めろ」
鬼村の言葉に、沼丘が明らかにうろたえているのがわかった。
「で、ですが、東倉庫には、敵が……」
「先生が行けと言っているのです。つべこべ言わず行きなさい、クズ」
阿武隈が、沼丘を蹴り上げる。
「………はい(この、ウ●コ野郎がっ!)」
「よし、行け」
沼丘に連れられた奏が、不安そうに鬼村に振り返る。
「お父さん……」
「早く行け」
鬼村は有無を言わさず、告げる。
「……はい」
奏が俯きながら、部屋を出て行った。
鬼村にも、奏がいた。
だが、自分のようには育ててはこなかった。その違いが、今鬼村に感じている、微妙な距離感の正体かもしれない。
何故、鬼村が奏を養子に取ったのか、いまだによくわからなかった。
平凡な少年だった。
ややもすると、凡庸以下とも思える。
そんな少年を、鬼村がわざわざ養子に取るはずが無い。
何かある。奏という少年には、何かが。
いくら考えても、その答えは、見つからなかった。




